夏
数日のうちに、決着はついたようだった。オルフェ殿に留守の間、アメイシャ殿を頼む、と言われ、屋敷に間借りをしていたが結論から言えば和平は概ね合意で話がついたようだとの知らせが入った。
そのことに安心したのは俺だけではなく、父親を案じていたアメイシャ殿もで、よかった、とソファーに座りこんで少しの間だけ、顔を両手で覆っていた。彼女は彼女で、凛としてオウル・オルフェ殿の不在のところを守ってきただけに張りつめていたものがあったのだろう。オウル・オルフェ殿は普段から忙しい方で、国も屋敷も留守にしがちだ。そこを次期当主であるとはいえ、まだまだ若い彼女が一人で背負うには重すぎる地位も国も民もいる。気丈に振る舞っていても俺には見せない不安も多くあったのだろう。
特に競り合った、だとか、けが人がでた、という情報は入ってこなかったのだが、一番先に情報を持っている方がいるだろうセルベル殿の宿を尋ねれば目的とした人とはすぐに会えた。
「レ、レヴェンデル殿」
「あら、ノニンさんの方から声をかけて下さるなんて」
くす、と笑いながら彼女がこちらを見上げてくる。
「情報量頂けるんでしたら聞きたいことはお答えしますけど」
「………そ、の、たいしたことではなくて、」
「はい」
掌を差し出され、これくらいで足りるだろうか、と通貨をのせる。
「レスライン隊でしたら負傷者はないですよ」
「そ、…そうですか、それなら、よ、良かった」
くすくすと楽しそうに笑う声を聴きながらそんなにわかりやすいのか、と急に恥ずかしくなる。だが、当初から彼女は勘づいていたようだったし、今更なのか、とも思う。
「こういうやりとりが分かっていらっしゃるところ、好きですよ」
「そ、それは、ど、どうも」
「彼女が通りかかるだろう時期を狙ってくるのもなかなか好きですしね」
「そ、そ、それ、は、その」
「エデルガルドも愛されてますねえーふふふ」
あ、と視線がつい足元に落ちてしまう。
好意は確かに抱いているが、いざ、そうして言われると途端に、委縮する。愛された記憶が希薄すぎて、愛されたことがあるのかも定かではないのに、こんな自分が誰かを愛しているようにみえる、ということに不安ばかりが募る。
彼女に好かれなくてもいい、という自分と、好いてほしい、と強く思う自分は確かにどちらもいるが、指摘を受けると、好かれなくてもいいと思う自分が大きくなって、重ねて、彼女を好くこと自体が罪のように思えてしまう。
「今夜は?ユッテさんは」
「ユ、ッテは、まだ、あちらに預けていて…」
「そ、なら泊って行かれます?」
「え」
「セルベルさんに言っておきますから、そうしてください。ほら、久々に内緒のお話しましょう」
ね、と彼女が小首をかしげて笑う。
自分の目が左右に泳ぐのを自覚しながらも頷くと、レヴェンデル殿が、待っていて、とだけ告げて宿の中へ入り、戻ってくる。多分、伝えたのだろう。セルベル殿がひょこりと顔を出して此方を見て笑うのが見えた。
小さく会釈すると彼もまた同じように返してくれる。
「お部屋は前使っていた所にしましたから、わかりますよね」
「え、あ、ああ、すまない……」
「じゃ、夜になったらまた誘いに行きますから、起きててくださいね」
「えっ」
そういって部屋にもどっていったらしいレヴェンデル殿と、再び会うことになったのは陽も落ちて少ししてからだ。宣言通り、部屋に相変わらず、窓から飛び込んできた彼女に驚きつつ、こっちですよ、と手を引かれ連れていかれた先は随分と入り組んだ獣道だった。
「はい、ちょっと雑ですけどここに座って」
指定された場所へ座って見渡す。座るというより、洞のある大木に押し込まれたようなものに近い。
暗くてわかりにくいが、生い茂る低木や草はある意味意図的にこの座っている場所を見えにくくしているらしい。レヴェンデル殿は隣に道中手折ってきた草木で似たような、自身を隠すための工作を手早く終える。
「ここね、道がみえて良いんですよ、ほら、あそこ、ちょうど来るところ」
「……」
声を潜めながら彼女が指差した先を見れば、隊が歩いてくるのが見えた。すっとつい目を細め、彼女らしい人を探すのに目を動かしてしまう。
ややあって、見つけた彼女は変わらず背をしゃんと伸ばし、馬にまたがっていた。
「ご無事そうで…」
「ま、何かあっても私がでますから平気でしたけど」
「……ほ、ほんとうにレヴェンデル殿は、その、色々、されてるようで」
「そう、これでも大変なんですから」
ふふふ、と小さく小さく笑う彼女につられて笑いそうになるのを堪える。勘が鋭いレスライン殿には気が付かれてしまうかもしれない。
「彼女が落ち着いたらちゃんとノニンさん、がんばって彼女に好意を伝える行動しないと」
「え……?」
遠ざかっていく彼女の小さな小さな背中を目で追っている中かけられたことばに少し首をかしげる。
「ほら、この国も一応、平和、がもたらされる運びになったんですよ?今まであれこれと一生懸命だった軍人さんやらなにやら、彼女にだってもしかしたらそういう話がくるかも」
「そ、そう、いう、」
「お見合いとか、嫁入りとか婿取りとか」
「……そ、そう、ですね、そうです、よね」
「あら、元気ないですね」
「ま、あ、その、……か、彼女には、彼女の好みが、ある、し、俺、は……見てるだけ、で、」
「あらあ、嘘つき」
う、と小さく胸を刺されたような痛みに襲われて、顔をしかめる。実際は何もされていないが、ウソツキ、と言われて小さく胸が痛む。
「これからデートだって出来るんですからがんばって?」
「………で、でも、その、……ご迷惑に」
「どうせ暫くは暇ですよ…今よりは徐々に稼働人数は落ちるでしょうしね…向こうがこちらに加わるなら中央も絡んでくるはずですから…、それに色んな趣味をお持ちの方がいると思いません?彼女を好きだって思う人だって出てくると思いますよ?」
つき、とまた胸が痛む。
「そ、そう、ですね、素敵な方だから、レスライン殿、は」
「あらあら」
「お、俺には…俺は、」
「まあ、貴方は貴方のやりかたがありますものねえ」
おそらくは応援して下さっただろうに、つい、それを否定して臆病になってしまう。
「ノニンさん」
聞いたことがない優しい音に、顔を上げる。レヴェンデル殿は空を見上げて笑っている。
「私ね、叔父にかわいがってもらいました。叔父は少し変わってまして。でも、叔父はあなた方のように誰かを愛する能力がある人でした。私は残念ながらそういう能力は欠けるんですけどね、それでも、好意を持って接してくれる人がいるって素敵な事なんだなあって思ってますよ」
そよりと風が吹き抜けて、彼女の髪を弄ぶ。
「貴方がたは、それが出来る種族じゃないですか。まあ、例外はあると思いますけど。これでも一応、応援してるので、頑張ってください」
「ぁ、あり、がとう」
「ふふ、プレッシャーでした?」
「……す、すこし」
「あらあら」
レヴェンデル殿がそういって口元に手を当て、ふふ、と笑う。
「お、俺、は、…」
彼女は視野が広い方、と思う。それから、深く、入ってこようとはしない人だ。深く探ってくるときがありそうに見えて、ぎりぎりで止まってこちらを見て判断するように思う。
だから、というわけじゃないが、情けない姿を見せてしまう。
「……じ、自信が、ない、んです、誰かを、求めてしまうこと、に」
ぽつ、と零した言葉に彼女は何も答えない。
「好きに、なると、いつも…兄が、…兄上のことを、皆、好きになって、俺は、好かれないから、自信がない。彼女を好きで居ることは、何も、平気です、でも」
誰かにこんなことはあまり言ったことがない。
「彼女に、好かれたい、けど、そうしたら、兄上にとられてしまうんじゃないか、と思うと、こわい、です」
「あら、いないのに」
「……この年まで、ずっと、そうだったから、いないとわかっていても、どこかで見られてる、気がして……。だ、から、その自分でも分かってる、んです、弱腰なのは」
自嘲的な笑みがつい浮かんでしまったが、レヴェンデル殿は茶化すでもなく、ただひとつだけ頷いただけだった。それがなぜか酷く、許されたような気持になる。
「すいません、こんな話、聞いていただいてしまって」
「いいんです、参考資料として頭にとどめておきますから」
「参考資料ですか…、お役に立てばいいです、が」
「もう彼女たちは見えないですね、私たちも戻りましょうかノニンさん」
「……そうですね」
彼女は、深くついてこない。彼女のような女性も、あまり身近にいなかったタイプだ。
「レヴェンデル殿は、」
「はい?」
「…いえ、レヴェンデル殿は、優しい方ですね」
「あら、そう見えます?優しくはないですよ?」
「俺には優しく見えますよ」
「あらあら、ありがとうございます。貴方も強い方ですよ、辛抱強い方」
にこり、と笑った彼女はそれだけ言って背を向けて歩き出す。その小さな背中を追いかけて歩きながら、ここの国に来て、本当に、自分の言葉を素直に受け止めてくれる人に恵まれていると、噛みしめた。噛みしめながら、もう少し、ほんの少しだけ、応援してくださっているのだから、頑張ってみようか、と、思考を隅から寄せ置いた。
そのことに安心したのは俺だけではなく、父親を案じていたアメイシャ殿もで、よかった、とソファーに座りこんで少しの間だけ、顔を両手で覆っていた。彼女は彼女で、凛としてオウル・オルフェ殿の不在のところを守ってきただけに張りつめていたものがあったのだろう。オウル・オルフェ殿は普段から忙しい方で、国も屋敷も留守にしがちだ。そこを次期当主であるとはいえ、まだまだ若い彼女が一人で背負うには重すぎる地位も国も民もいる。気丈に振る舞っていても俺には見せない不安も多くあったのだろう。
特に競り合った、だとか、けが人がでた、という情報は入ってこなかったのだが、一番先に情報を持っている方がいるだろうセルベル殿の宿を尋ねれば目的とした人とはすぐに会えた。
「レ、レヴェンデル殿」
「あら、ノニンさんの方から声をかけて下さるなんて」
くす、と笑いながら彼女がこちらを見上げてくる。
「情報量頂けるんでしたら聞きたいことはお答えしますけど」
「………そ、の、たいしたことではなくて、」
「はい」
掌を差し出され、これくらいで足りるだろうか、と通貨をのせる。
「レスライン隊でしたら負傷者はないですよ」
「そ、…そうですか、それなら、よ、良かった」
くすくすと楽しそうに笑う声を聴きながらそんなにわかりやすいのか、と急に恥ずかしくなる。だが、当初から彼女は勘づいていたようだったし、今更なのか、とも思う。
「こういうやりとりが分かっていらっしゃるところ、好きですよ」
「そ、それは、ど、どうも」
「彼女が通りかかるだろう時期を狙ってくるのもなかなか好きですしね」
「そ、そ、それ、は、その」
「エデルガルドも愛されてますねえーふふふ」
あ、と視線がつい足元に落ちてしまう。
好意は確かに抱いているが、いざ、そうして言われると途端に、委縮する。愛された記憶が希薄すぎて、愛されたことがあるのかも定かではないのに、こんな自分が誰かを愛しているようにみえる、ということに不安ばかりが募る。
彼女に好かれなくてもいい、という自分と、好いてほしい、と強く思う自分は確かにどちらもいるが、指摘を受けると、好かれなくてもいいと思う自分が大きくなって、重ねて、彼女を好くこと自体が罪のように思えてしまう。
「今夜は?ユッテさんは」
「ユ、ッテは、まだ、あちらに預けていて…」
「そ、なら泊って行かれます?」
「え」
「セルベルさんに言っておきますから、そうしてください。ほら、久々に内緒のお話しましょう」
ね、と彼女が小首をかしげて笑う。
自分の目が左右に泳ぐのを自覚しながらも頷くと、レヴェンデル殿が、待っていて、とだけ告げて宿の中へ入り、戻ってくる。多分、伝えたのだろう。セルベル殿がひょこりと顔を出して此方を見て笑うのが見えた。
小さく会釈すると彼もまた同じように返してくれる。
「お部屋は前使っていた所にしましたから、わかりますよね」
「え、あ、ああ、すまない……」
「じゃ、夜になったらまた誘いに行きますから、起きててくださいね」
「えっ」
そういって部屋にもどっていったらしいレヴェンデル殿と、再び会うことになったのは陽も落ちて少ししてからだ。宣言通り、部屋に相変わらず、窓から飛び込んできた彼女に驚きつつ、こっちですよ、と手を引かれ連れていかれた先は随分と入り組んだ獣道だった。
「はい、ちょっと雑ですけどここに座って」
指定された場所へ座って見渡す。座るというより、洞のある大木に押し込まれたようなものに近い。
暗くてわかりにくいが、生い茂る低木や草はある意味意図的にこの座っている場所を見えにくくしているらしい。レヴェンデル殿は隣に道中手折ってきた草木で似たような、自身を隠すための工作を手早く終える。
「ここね、道がみえて良いんですよ、ほら、あそこ、ちょうど来るところ」
「……」
声を潜めながら彼女が指差した先を見れば、隊が歩いてくるのが見えた。すっとつい目を細め、彼女らしい人を探すのに目を動かしてしまう。
ややあって、見つけた彼女は変わらず背をしゃんと伸ばし、馬にまたがっていた。
「ご無事そうで…」
「ま、何かあっても私がでますから平気でしたけど」
「……ほ、ほんとうにレヴェンデル殿は、その、色々、されてるようで」
「そう、これでも大変なんですから」
ふふふ、と小さく小さく笑う彼女につられて笑いそうになるのを堪える。勘が鋭いレスライン殿には気が付かれてしまうかもしれない。
「彼女が落ち着いたらちゃんとノニンさん、がんばって彼女に好意を伝える行動しないと」
「え……?」
遠ざかっていく彼女の小さな小さな背中を目で追っている中かけられたことばに少し首をかしげる。
「ほら、この国も一応、平和、がもたらされる運びになったんですよ?今まであれこれと一生懸命だった軍人さんやらなにやら、彼女にだってもしかしたらそういう話がくるかも」
「そ、そう、いう、」
「お見合いとか、嫁入りとか婿取りとか」
「……そ、そう、ですね、そうです、よね」
「あら、元気ないですね」
「ま、あ、その、……か、彼女には、彼女の好みが、ある、し、俺、は……見てるだけ、で、」
「あらあ、嘘つき」
う、と小さく胸を刺されたような痛みに襲われて、顔をしかめる。実際は何もされていないが、ウソツキ、と言われて小さく胸が痛む。
「これからデートだって出来るんですからがんばって?」
「………で、でも、その、……ご迷惑に」
「どうせ暫くは暇ですよ…今よりは徐々に稼働人数は落ちるでしょうしね…向こうがこちらに加わるなら中央も絡んでくるはずですから…、それに色んな趣味をお持ちの方がいると思いません?彼女を好きだって思う人だって出てくると思いますよ?」
つき、とまた胸が痛む。
「そ、そう、ですね、素敵な方だから、レスライン殿、は」
「あらあら」
「お、俺には…俺は、」
「まあ、貴方は貴方のやりかたがありますものねえ」
おそらくは応援して下さっただろうに、つい、それを否定して臆病になってしまう。
「ノニンさん」
聞いたことがない優しい音に、顔を上げる。レヴェンデル殿は空を見上げて笑っている。
「私ね、叔父にかわいがってもらいました。叔父は少し変わってまして。でも、叔父はあなた方のように誰かを愛する能力がある人でした。私は残念ながらそういう能力は欠けるんですけどね、それでも、好意を持って接してくれる人がいるって素敵な事なんだなあって思ってますよ」
そよりと風が吹き抜けて、彼女の髪を弄ぶ。
「貴方がたは、それが出来る種族じゃないですか。まあ、例外はあると思いますけど。これでも一応、応援してるので、頑張ってください」
「ぁ、あり、がとう」
「ふふ、プレッシャーでした?」
「……す、すこし」
「あらあら」
レヴェンデル殿がそういって口元に手を当て、ふふ、と笑う。
「お、俺、は、…」
彼女は視野が広い方、と思う。それから、深く、入ってこようとはしない人だ。深く探ってくるときがありそうに見えて、ぎりぎりで止まってこちらを見て判断するように思う。
だから、というわけじゃないが、情けない姿を見せてしまう。
「……じ、自信が、ない、んです、誰かを、求めてしまうこと、に」
ぽつ、と零した言葉に彼女は何も答えない。
「好きに、なると、いつも…兄が、…兄上のことを、皆、好きになって、俺は、好かれないから、自信がない。彼女を好きで居ることは、何も、平気です、でも」
誰かにこんなことはあまり言ったことがない。
「彼女に、好かれたい、けど、そうしたら、兄上にとられてしまうんじゃないか、と思うと、こわい、です」
「あら、いないのに」
「……この年まで、ずっと、そうだったから、いないとわかっていても、どこかで見られてる、気がして……。だ、から、その自分でも分かってる、んです、弱腰なのは」
自嘲的な笑みがつい浮かんでしまったが、レヴェンデル殿は茶化すでもなく、ただひとつだけ頷いただけだった。それがなぜか酷く、許されたような気持になる。
「すいません、こんな話、聞いていただいてしまって」
「いいんです、参考資料として頭にとどめておきますから」
「参考資料ですか…、お役に立てばいいです、が」
「もう彼女たちは見えないですね、私たちも戻りましょうかノニンさん」
「……そうですね」
彼女は、深くついてこない。彼女のような女性も、あまり身近にいなかったタイプだ。
「レヴェンデル殿は、」
「はい?」
「…いえ、レヴェンデル殿は、優しい方ですね」
「あら、そう見えます?優しくはないですよ?」
「俺には優しく見えますよ」
「あらあら、ありがとうございます。貴方も強い方ですよ、辛抱強い方」
にこり、と笑った彼女はそれだけ言って背を向けて歩き出す。その小さな背中を追いかけて歩きながら、ここの国に来て、本当に、自分の言葉を素直に受け止めてくれる人に恵まれていると、噛みしめた。噛みしめながら、もう少し、ほんの少しだけ、応援してくださっているのだから、頑張ってみようか、と、思考を隅から寄せ置いた。