夏
その日に尋ねて来たのは想像していなかった人だ。
「よおー!ノニン!」
薄手の少し上等な上着を羽織ってはいるが、殆どいつもと変わらない出で立ちのゼルマ殿がそこにいた。一緒にドアのところまできたユッテは一瞬怯えたようだったが、それでも彼女の快活な笑みをみて、先生のお友達?とニコニコとしたあたり、一目で彼女の人柄が伝わったのだろうと思う。
「おっ、見たことないなあ?」
「あ、ああ、最近その、家族…に、なって…まだ長くはいれないんだが時々こうして泊まってるんだ」
「おお、そっかそっか、ノニンの娘か」
「………う、うんっ」
ぎゅ、と少しだけ俺の服の裾を引っ張って隠れたユッテの声は弾んでいる気がする。
「珍しいな、ゼルマがこちらにくるのは…」
彼女はあまり人が多い場所を好かない、というか修行でもされているのかというくらい自分を追い込むような生活スタイルだ。買い物はほとんどしないし、自給自足している。
そんな彼女が街中に来るというのは少し不思議だった。
「アンタが元気してるかと思ってわざわざ顔見に来たんだよ、あ、ここの場所はギーゼラから聞いたんだがな」
「ああ、そう、なのか…ありがとう、ええと、お茶でも飲んでいくか…?」
「おー、いいのか?」
「いいよ!」
「おっ、そっかそっか、ノニンの娘が言うならお邪魔しようか」
快活に笑って家の中へ入ってきたゼルマ殿は直ぐにユッテと仲良くなってしまう。彼女も彼女で傷だらけで厳ついとは思う外見だが、大らかさが前面に出ている為かユッテの警戒心もすぐに解けたらしい。
「何か話があったんじゃないのか?」
「おっ、わかるかあ?」
「そりゃ、まあ……少しは」
安いけれどないよりはと茶を淹れて出す。ゼルマ殿は豪快に飲み干してしまうが、彼女の隣に座っているユッテは少しずつ口にしている。
「アンタの耳にも入ってんじゃないかと思うんだが、隣と和平だって話さ」
「ああ……うん」
「うんうん、それでな、アタシちょっと暫く留守にするから、セルベルにも頼んではいるんだが小屋になんかあったら宜しく頼むわ」
ユッテの頭を優しく撫でる彼女の手は、相変わらず包帯で覆われている。
「留守に?何処か……」
「エデルガルドの隊についてって荷物持ちさ」
「荷物持ち?」
「表向きな」
にかにかと笑う彼女は、何かあった時は自分が彼女に呼ばれるのだ、と補足する。
「エデルガルドは一匹狼っつうか、まあ部下からは信用が厚いが、他の部隊の奴らからは女だからってだけであまりいい顔されない。基本的にエデルガルドと気が合うような奴はいなくてなあ、今回も、ヨルク隊と護衛でついてくらしいんだが、まあ、アタシは臨時部下、って感じだ」
「臨時……」
「何でも悩みが言える臨時の部下」
あっはっは、と高らかな笑い声が響く。
「だから、ちょーっと留守がちだから、頼んどこうと思ってさ」
「……そう、か、その、何事もないとは言い切れないが、……おかえり、を言わせてほしいものだ」
「おう、いやってくらい言わせてやる」
「お姉ちゃん、どっかいくの?」
黙って聞いていたユッテが、不安そうにゼルマ殿を伺い見る。
「お姉ちゃんっていってくれんのかあ??おばちゃんでもいいぞおー!大丈夫大丈夫、さーっといって帰ってくるさ」
「う…、うん、」
ユッテの不安を掃うかのように彼女は笑って見せるが、それでも、ユッテの表情はどこかくらい。レスライン殿の名前が挙がったのもあって、両親を幼くして亡くしたとはいえ、ふたりとも軍人だった、と聞いているし、会話から察してしまえるのかもしれない。
それじゃあ準備があるから、と、立ち上がって扉に向かうゼルマ殿が、此方を振り向く。
「多分エデルガルドは今夜にでも家の戸締りするだろうから、何かあるならアンタ、今夜月が昇り切る前には行っておきな」
にや、と笑った彼女に少しだけ、感情を見透かされたような気がして恥ずかしい気持ちを覚えながら、与えてくれた情報に感謝をした。
夕方、ユッテを孤児院へ送りがてら、彼女が住んでいる家の前まで、来てしまった。元気よくノックをしたのはユッテで、出てきたレスライン殿は、すでに軍服に着替えていて、俺を見て少し不審そうな顔をされるが、ユッテに対してはやはり穏やかだ。
「どうかしたのか」
「お姉ちゃん、あの、…いく、の?」
「……ああ、それほど長くはないよ、少しだけだ」
「……帰ってくる?」
その言葉に彼女は何も返さない。
「大丈夫だよ、お姉ちゃんは、強い人だから」
じろりと睨み上げられたが、不安そうなユッテを見て、彼女は静かに目を閉じる。再び開かれたその瞳はいくらか、柔らかさを持っている。
「良い子で待っていなさい」
「うん、せ……、お、おとうさん、と、一緒にまってる」
「お父さん…?」
彼女にそう呼ばれたのは初めてで、咄嗟に彼女を見てしまうが、それよりもレスライン殿にどういうことかという目で睨まれてしまう。
「……えと、その、ユッテを、…ユッテと、暮らそう、と思っておりまして」
「ユッテのね、パパとママも大事にしてくれるって」
「そうか……」
「だからね、えっとね、あの、ね、お姉ちゃんの事、ユッテ待ってるから、帰ってきてね、」
「………わかった」
ほっとしたユッテが、待っている、と重ねて言ったのを聞きながら、懐に入れてきたものを、レスライン殿へ差し出す。
「何だ」
「あの……その、…」
「プレゼント!あのね、リボンはユッテがつけたの!おまもり!」
「御守り?」
「ど、どうぞ」
掌にのせたブローチは黒々と光っている。
例の、渦のような模様がある石が、魔力をため込むことができる石だとわかって、それが、この国では多くとれることから加工され、装飾品としてそう高すぎない手ごろな値段で出回っていることを知った。もといた国の、支配していた一国に、変わった風習のところがあって、そこに倣い、自分の手で何か加工したわけではないのだが手を加えたそのブローチを、せめて彼女に手渡すことが出来たらと思って用意した。
自分の魔力を込め、何か、万が一、何かあった時は、彼女を守れるようにと。かなり、自分勝手ではあるのだが、そんな気持ちで向き合っていたところをユッテに話しかけられたのが数日前だ。
嘘をつくのは憚られ、レスライン殿に渡そうと思うと伝えると自分もお祈りをする、と、そう言ってユッテが赤いリボンを結んだ。
「お姉ちゃんが怪我しないようにおまもり!!」
「あ、その、ご迷惑でしたら…」
ぎゅうと、眉間にしわを寄せた彼女は存外、優しい手つきで掌に載せていたそれをそっと持ち上げる。
「ユッテ、つけてくれるか」
いいよ、とはしゃぐ彼女と、しゃがみ込むレスライン殿をどこか遠い気持ちで見てしまう。小さく、深く、細く、長く息を吐く。ユッテがいるから、そうしてくれているのだとしても。深く何度も息を吐く。
「こうかな」
「いや、ここ、そうだ、そこを止めて」
苦戦しながらユッテがやっと止めたらしい。襟元に派手過ぎない程度にと注文をして作ってもらったブローチが光っている。迷惑なのかもしれないが、こうしてつけていただけた事にじわじわと嬉しさが滲んで顔に出そうになる。それを堪えていると、レスライン殿が咳払いをする。
ふと顔をあげると厳しい顔をした彼女と目があって、つい、目を逸らしてしまう。彼女の眼をまっすぐ見るのは、なれない。
「ノニン・シュトロムフト」
「は、はいっ」
「最終確認をしろ」
「……え?」
言われた意味がいまいち理解できないうちに、つい聞き返してしまうと、ますます厳しい顔をされてしまう。
「外れないかだけ、確認をしろといったんだ」
早くしろ、と言われ、慌てて近寄る。襟元につけたブローチを、ということなのだろうが、いいのだろうか。いや、でも、俺しか今いないのだから俺がするほかないのだ。致し方なく、頼むだけ、そうだろう。
手を伸ばすと彼女が視線で、追いかけてくる。襟の裏、ブローチの留め具があるあたりをそっと指の腹でさぐり、弱すぎない留め方か確かめる。
「(少し弱い)」
ユッテの力ではここが限界だろう。
「大丈夫そう、です」
そう報告しながら今一度強く、ユッテにはわからないように、留め具を押し込む。ちらりと視線をこちらへ投げたレスライン殿と目があう。綺麗な、瞳。それが瞼で見えなくなり、そのまま彼女はユッテの方へ向き直る。しゃがんで、彼女と又何かを話している。
手を放して、するりと遠ざかった襟の布の感覚はまだ指先にさりさりと残っているようで、つい、指同士こすり合わせてしまう。
「いいこで、待っていなさい」
「うん」
遠い、遠い景色のようについ二人を見てしまう。なぜこんな気持ちになるのかは、わからない。慣れてきたとはいえ、やはりふっとしたとき、自分の事を世界から排してしまっているのだろうか。
「ノニン・シュトロムフト」
返事を返そうとして、言葉が出てこなかった。ゆっくりと彼女が立ち上がり、此方を見ることはない。
「………ユッテを頼んだ」
「は、はい、勿論です」
あわてて頷くと、彼女と少しだけまた視線が絡む。
「(あ……)」
「ユッテ、お父さんの面倒をよく見て、過ごすように」
「うん!!面倒みる!!」
わらった、だろうか、気のせいだろうか。少しだけ笑ったような気がして、俯いてしまう。
「ご、ご無事で」
確かにそうかけた言葉なのに、彼女が返事をしてくれたのかわからない。気がつけば帰ろうとユッテに手を引かれ、ああ、とまだふわふわとした意識の中、小さな彼女の、拙い歌を聞きながら歩いて帰った。
「よおー!ノニン!」
薄手の少し上等な上着を羽織ってはいるが、殆どいつもと変わらない出で立ちのゼルマ殿がそこにいた。一緒にドアのところまできたユッテは一瞬怯えたようだったが、それでも彼女の快活な笑みをみて、先生のお友達?とニコニコとしたあたり、一目で彼女の人柄が伝わったのだろうと思う。
「おっ、見たことないなあ?」
「あ、ああ、最近その、家族…に、なって…まだ長くはいれないんだが時々こうして泊まってるんだ」
「おお、そっかそっか、ノニンの娘か」
「………う、うんっ」
ぎゅ、と少しだけ俺の服の裾を引っ張って隠れたユッテの声は弾んでいる気がする。
「珍しいな、ゼルマがこちらにくるのは…」
彼女はあまり人が多い場所を好かない、というか修行でもされているのかというくらい自分を追い込むような生活スタイルだ。買い物はほとんどしないし、自給自足している。
そんな彼女が街中に来るというのは少し不思議だった。
「アンタが元気してるかと思ってわざわざ顔見に来たんだよ、あ、ここの場所はギーゼラから聞いたんだがな」
「ああ、そう、なのか…ありがとう、ええと、お茶でも飲んでいくか…?」
「おー、いいのか?」
「いいよ!」
「おっ、そっかそっか、ノニンの娘が言うならお邪魔しようか」
快活に笑って家の中へ入ってきたゼルマ殿は直ぐにユッテと仲良くなってしまう。彼女も彼女で傷だらけで厳ついとは思う外見だが、大らかさが前面に出ている為かユッテの警戒心もすぐに解けたらしい。
「何か話があったんじゃないのか?」
「おっ、わかるかあ?」
「そりゃ、まあ……少しは」
安いけれどないよりはと茶を淹れて出す。ゼルマ殿は豪快に飲み干してしまうが、彼女の隣に座っているユッテは少しずつ口にしている。
「アンタの耳にも入ってんじゃないかと思うんだが、隣と和平だって話さ」
「ああ……うん」
「うんうん、それでな、アタシちょっと暫く留守にするから、セルベルにも頼んではいるんだが小屋になんかあったら宜しく頼むわ」
ユッテの頭を優しく撫でる彼女の手は、相変わらず包帯で覆われている。
「留守に?何処か……」
「エデルガルドの隊についてって荷物持ちさ」
「荷物持ち?」
「表向きな」
にかにかと笑う彼女は、何かあった時は自分が彼女に呼ばれるのだ、と補足する。
「エデルガルドは一匹狼っつうか、まあ部下からは信用が厚いが、他の部隊の奴らからは女だからってだけであまりいい顔されない。基本的にエデルガルドと気が合うような奴はいなくてなあ、今回も、ヨルク隊と護衛でついてくらしいんだが、まあ、アタシは臨時部下、って感じだ」
「臨時……」
「何でも悩みが言える臨時の部下」
あっはっは、と高らかな笑い声が響く。
「だから、ちょーっと留守がちだから、頼んどこうと思ってさ」
「……そう、か、その、何事もないとは言い切れないが、……おかえり、を言わせてほしいものだ」
「おう、いやってくらい言わせてやる」
「お姉ちゃん、どっかいくの?」
黙って聞いていたユッテが、不安そうにゼルマ殿を伺い見る。
「お姉ちゃんっていってくれんのかあ??おばちゃんでもいいぞおー!大丈夫大丈夫、さーっといって帰ってくるさ」
「う…、うん、」
ユッテの不安を掃うかのように彼女は笑って見せるが、それでも、ユッテの表情はどこかくらい。レスライン殿の名前が挙がったのもあって、両親を幼くして亡くしたとはいえ、ふたりとも軍人だった、と聞いているし、会話から察してしまえるのかもしれない。
それじゃあ準備があるから、と、立ち上がって扉に向かうゼルマ殿が、此方を振り向く。
「多分エデルガルドは今夜にでも家の戸締りするだろうから、何かあるならアンタ、今夜月が昇り切る前には行っておきな」
にや、と笑った彼女に少しだけ、感情を見透かされたような気がして恥ずかしい気持ちを覚えながら、与えてくれた情報に感謝をした。
夕方、ユッテを孤児院へ送りがてら、彼女が住んでいる家の前まで、来てしまった。元気よくノックをしたのはユッテで、出てきたレスライン殿は、すでに軍服に着替えていて、俺を見て少し不審そうな顔をされるが、ユッテに対してはやはり穏やかだ。
「どうかしたのか」
「お姉ちゃん、あの、…いく、の?」
「……ああ、それほど長くはないよ、少しだけだ」
「……帰ってくる?」
その言葉に彼女は何も返さない。
「大丈夫だよ、お姉ちゃんは、強い人だから」
じろりと睨み上げられたが、不安そうなユッテを見て、彼女は静かに目を閉じる。再び開かれたその瞳はいくらか、柔らかさを持っている。
「良い子で待っていなさい」
「うん、せ……、お、おとうさん、と、一緒にまってる」
「お父さん…?」
彼女にそう呼ばれたのは初めてで、咄嗟に彼女を見てしまうが、それよりもレスライン殿にどういうことかという目で睨まれてしまう。
「……えと、その、ユッテを、…ユッテと、暮らそう、と思っておりまして」
「ユッテのね、パパとママも大事にしてくれるって」
「そうか……」
「だからね、えっとね、あの、ね、お姉ちゃんの事、ユッテ待ってるから、帰ってきてね、」
「………わかった」
ほっとしたユッテが、待っている、と重ねて言ったのを聞きながら、懐に入れてきたものを、レスライン殿へ差し出す。
「何だ」
「あの……その、…」
「プレゼント!あのね、リボンはユッテがつけたの!おまもり!」
「御守り?」
「ど、どうぞ」
掌にのせたブローチは黒々と光っている。
例の、渦のような模様がある石が、魔力をため込むことができる石だとわかって、それが、この国では多くとれることから加工され、装飾品としてそう高すぎない手ごろな値段で出回っていることを知った。もといた国の、支配していた一国に、変わった風習のところがあって、そこに倣い、自分の手で何か加工したわけではないのだが手を加えたそのブローチを、せめて彼女に手渡すことが出来たらと思って用意した。
自分の魔力を込め、何か、万が一、何かあった時は、彼女を守れるようにと。かなり、自分勝手ではあるのだが、そんな気持ちで向き合っていたところをユッテに話しかけられたのが数日前だ。
嘘をつくのは憚られ、レスライン殿に渡そうと思うと伝えると自分もお祈りをする、と、そう言ってユッテが赤いリボンを結んだ。
「お姉ちゃんが怪我しないようにおまもり!!」
「あ、その、ご迷惑でしたら…」
ぎゅうと、眉間にしわを寄せた彼女は存外、優しい手つきで掌に載せていたそれをそっと持ち上げる。
「ユッテ、つけてくれるか」
いいよ、とはしゃぐ彼女と、しゃがみ込むレスライン殿をどこか遠い気持ちで見てしまう。小さく、深く、細く、長く息を吐く。ユッテがいるから、そうしてくれているのだとしても。深く何度も息を吐く。
「こうかな」
「いや、ここ、そうだ、そこを止めて」
苦戦しながらユッテがやっと止めたらしい。襟元に派手過ぎない程度にと注文をして作ってもらったブローチが光っている。迷惑なのかもしれないが、こうしてつけていただけた事にじわじわと嬉しさが滲んで顔に出そうになる。それを堪えていると、レスライン殿が咳払いをする。
ふと顔をあげると厳しい顔をした彼女と目があって、つい、目を逸らしてしまう。彼女の眼をまっすぐ見るのは、なれない。
「ノニン・シュトロムフト」
「は、はいっ」
「最終確認をしろ」
「……え?」
言われた意味がいまいち理解できないうちに、つい聞き返してしまうと、ますます厳しい顔をされてしまう。
「外れないかだけ、確認をしろといったんだ」
早くしろ、と言われ、慌てて近寄る。襟元につけたブローチを、ということなのだろうが、いいのだろうか。いや、でも、俺しか今いないのだから俺がするほかないのだ。致し方なく、頼むだけ、そうだろう。
手を伸ばすと彼女が視線で、追いかけてくる。襟の裏、ブローチの留め具があるあたりをそっと指の腹でさぐり、弱すぎない留め方か確かめる。
「(少し弱い)」
ユッテの力ではここが限界だろう。
「大丈夫そう、です」
そう報告しながら今一度強く、ユッテにはわからないように、留め具を押し込む。ちらりと視線をこちらへ投げたレスライン殿と目があう。綺麗な、瞳。それが瞼で見えなくなり、そのまま彼女はユッテの方へ向き直る。しゃがんで、彼女と又何かを話している。
手を放して、するりと遠ざかった襟の布の感覚はまだ指先にさりさりと残っているようで、つい、指同士こすり合わせてしまう。
「いいこで、待っていなさい」
「うん」
遠い、遠い景色のようについ二人を見てしまう。なぜこんな気持ちになるのかは、わからない。慣れてきたとはいえ、やはりふっとしたとき、自分の事を世界から排してしまっているのだろうか。
「ノニン・シュトロムフト」
返事を返そうとして、言葉が出てこなかった。ゆっくりと彼女が立ち上がり、此方を見ることはない。
「………ユッテを頼んだ」
「は、はい、勿論です」
あわてて頷くと、彼女と少しだけまた視線が絡む。
「(あ……)」
「ユッテ、お父さんの面倒をよく見て、過ごすように」
「うん!!面倒みる!!」
わらった、だろうか、気のせいだろうか。少しだけ笑ったような気がして、俯いてしまう。
「ご、ご無事で」
確かにそうかけた言葉なのに、彼女が返事をしてくれたのかわからない。気がつけば帰ろうとユッテに手を引かれ、ああ、とまだふわふわとした意識の中、小さな彼女の、拙い歌を聞きながら歩いて帰った。