夏
ピスケス殿の管理している教会へ足を運ぶ用件があった。気持ちばかりの花束をもって、手向けるべき相手の眠る場所を彼に聞こうと思ったのだ。教会から出てくるロージエ殿を見かけて、ああ、と少しだけ遠くから見ていた。確か、彼女は寡婦なのだ。セルベル殿がそんなことをおっしゃっていた。彼女もまた花を手向けに来たのだろうかとぼんやりとその背中を見つめる。
彼女を見送るためにか出てきたピスケス殿に、ああ、ちょうどいいと思って口を開こうとして、次には咄嗟に、近くの木の影へ身を潜めてしまった。結局ロージエ殿が遠くへいってから、そろそろと顔を出すと、扉の前でまだ動けないでいるらしいピスケス殿に、少しだけ大きく足音を立てて近寄る。
「ピスケス殿」
「………あ、あぁ、ノニンさん」
「……その」
「何か」
無意識にしているのかわからない。自分の左の手首をぎりぎりと掴んでいるピスケス殿を見てしまう。
「…、失礼、その、あまりそうすると、手首を痛めてしまいませんか」
「……あ、ああ……そうですね、すいません」
「その、……すいません」
たったその一言だったのに、ピスケス殿が見る間に赤くなっていくのを見て、確信してしまう。
ロージエ殿は、出てきたピスケス殿の左手首に彼女の右手を添えていたように見えた。彼は少しばかり動揺はしていたようだったが、それでも和やかになにか話はしていた。何かを話して、彼の頬に彼女が、本当に軽くキスを送っていたのを見てしまった。悪いことでは決してないが、ピスケス殿の驚いた顔になんとなく申し訳ない気持ちになってそっと少しばかり時間をおいてから出てきたのだが、
「だ、誰にも言いません、誓います、貴方に」
「す、い、ませ、ん」
ぎこちなく俯いてそう答えた彼の表情は、彼女が好きなのだと物語っているような気がした。
彼の額から汗が一つ伝うのは、暑さだけの所為ではないだろう。
「中に、どうぞ」
「あ、ああ、すまない」
中は少しだけひんやりとしていた。天井が高いせいなのか、元々木陰にある教会だからか、窓が開け放ってあるせいで風が通っているせいなのか、どれかはわからないが、外にいるよりは幾分過ごしやすいと思った。無言のまま、まっすぐ歩いていく彼は、ぴたりと、この世界の神の一角を表している模様が描かれた、彼がそこへ立って何事かを説くのだろう机の前で立ち止まる。
「……好きな女性がいます」
彼がそうしてくれたように、俺も黙ってその背中を見て、彼の声を拾う。友人として、話くらいは聞こうとあの日頷いた。
「私が、焦がれるにはもったいない程の人です」
言うなり、彼は静かに項垂れる。
ロージエ殿が、優しくて、純粋な人、と言っていたのを思い出す。彼の事だろうか、そう、なんだろう。
「彼女に、好きだと言われて、どう、して、いいか、わからないでいます、………すいません、聞いてもらって」
「いえ」
背中を向けたまま、何度も彼が大きく深呼吸をするのが肩の動きでわかる。碌な言葉は思いつかないが、言ったところで何の助けにもならないような気がする。懺悔のような、感情の吐露のような、もしかしたら、言葉にして整理をしている可能性もある。
「所帯などもつのは、えっと、禁止…なんですか?」
彼は確か、真似事で神父をと仰っていたが、基本的な規則には従っているようではあった。レヴェンデル殿から聞くに敬虔な信者のような真面目な生活をしていると伺っている。
「いえ、別に、禁じられてはいません……」
彼もまた、違う世界から来た人だ。
「では何か、その、ピスケス殿の国の決まりが?」
「いや、そう、じゃない、んだ」
見えないが恐らく片手で額か、顔か、押さえているのかもしれない。
「……見ているだけで、幸せだった。彼女が、彼女の好きな相手を見ている姿を俺は遠くから見ているだけで、ただそれだけで、よかった。彼女が、幸せになってくれれば良いと、思って」
ぽつぽつと零す彼の声は震えている気がする。
「ああ……すまなかった……、ノニンさん、今日は何か、用が、あったんじゃ」
「……ああ」
いいのかというつもりでちらりと顔を伺うと、ピスケス殿は少しだけ襟元を緩めて、頷く。
「カロッサご夫妻の眠っている場所を伺いたくて…」
「……ああ、わかった、案内しよう」
こちらへ、と促され、彼の後ろをついていく。整然と並んだ墓石は、上の方にそれぞれ模様があしらわれたりしている。
「あの模様は?」
「…ノニンさんの星では見ないのか」
「……そう、だな、あまりああいうのは、名家や王族がするものだから」
ピスケス殿や、レヴェンデル殿が使う「星」という呼称は未だまるで馴染まない。空の向こうにある世界の事だとは理解していても、星と言われるとどうしても夜の星々を連想してしまう。
「ここでは墓石に誓いをたてた神や、所属していた部隊がわかるようなものをああして記しておくようだ。…カロッサご夫妻はレスライン隊とヨルク隊の所属だったはずだったから…ああ、あちらがそうだ」
手で示された場所へと歩いていき、少ししてそこだ、と言われた場所の墓石を見る。三つ目の狼と、何か、何だろうか、不思議な模様が描かれた墓石だ。
「ヨルク隊の隊長は海を司る神がお好きなようでな、それはクラゲという生き物だ」
「クラゲ?」
「こちらではあまり信仰する方はいないようだが、海の方の地域ではこちらより信仰される度合いが高い神のひとつだ」
「そうなのか」
持ってきた花束をそろりと墓前に添える。生憎、死者の弔いは瞳を閉じて、しばし弔う事に集中するくらいしか知らない。この国では、どうなのだろうか、と暫く目を閉じた後ピスケス殿を見ると片眉を少し上げて見せる。
「貴方のやり方で良い」
「そう、か?」
「弔う気持ちがあればいいだろう。何処へ行っても、死者を弔うという行為は、種族や思考が違っていても、大差ないことだ」
静かに墓石を見下ろす彼の瞳は静かだ。
「カロッサご夫妻の一人娘か」
「……まあ」
立ち上がった俺を追いかけるように視線を向けながらかけられる言葉に頷く。
「…暫く、大切なお嬢さんを、お預かりするから、ご挨拶くらいはと」
「そうか……ノニンさんなら大丈夫でしょう」
「……その、俺が変なのかもしれないんだが、ピスケス殿といいセルベル殿といい、安易に人を信じすぎるんじゃないだろうか」
「まあ、そうかもしれないが……、疑いつづけるのだって疲れるでしょう」
「そう…だが」
「セルベルさんはどうなのか知らないが、俺は、信じている方がいくらか気楽だから、多少お話をして人柄が分かれば何も言わないだけだ」
「……ピスケス殿も、良い人です」
戻りましょうか、と歩き出した彼へそう言葉を投げると、彼が不思議そうに振り返る。
「だから、……ロージエ殿も、貴方が好ましいと感じているんだと思う、から」
「…………そ、の、話は、」
「貴方の言いたいことも、少しわかる、気がする。俺も、自信はない。臆病にもなっている自覚がある。……だからその、また、相談に乗ってください、……友人として」
小さく彼の肩が上下へ揺れる。
「……なら、俺も、相談に乗ってもらうと思う、…………女性と、ああして親しくしたことが、なくて」
「……ああ、俺で良かったら、喜んで」
いつか彼が言ってくれた言葉を頭の中でなぞる。
「ああ、……貴方で良い」
小さく笑った彼が告げた言葉は、俺がいつか彼へ向けた言葉だ。
「しかし、ノニンさんは、よく笑う様になったな」
「……よく、レヴェンデル殿にも言われるよ」
笑い過ぎには気を付けたいんだが、というと、そのくらいがちょうどいいだろう、と、ピスケス殿に微笑まれる。
「さて、……今日は、もう俺も帰り支度だ」
「随分早いんだな」
「日課はもう終わらせたからな」
よかったら友人として、このあと少しお茶でも、という誘いに小さく頷いて、穏やかな一日がひとつ、また重なっていく。
彼女を見送るためにか出てきたピスケス殿に、ああ、ちょうどいいと思って口を開こうとして、次には咄嗟に、近くの木の影へ身を潜めてしまった。結局ロージエ殿が遠くへいってから、そろそろと顔を出すと、扉の前でまだ動けないでいるらしいピスケス殿に、少しだけ大きく足音を立てて近寄る。
「ピスケス殿」
「………あ、あぁ、ノニンさん」
「……その」
「何か」
無意識にしているのかわからない。自分の左の手首をぎりぎりと掴んでいるピスケス殿を見てしまう。
「…、失礼、その、あまりそうすると、手首を痛めてしまいませんか」
「……あ、ああ……そうですね、すいません」
「その、……すいません」
たったその一言だったのに、ピスケス殿が見る間に赤くなっていくのを見て、確信してしまう。
ロージエ殿は、出てきたピスケス殿の左手首に彼女の右手を添えていたように見えた。彼は少しばかり動揺はしていたようだったが、それでも和やかになにか話はしていた。何かを話して、彼の頬に彼女が、本当に軽くキスを送っていたのを見てしまった。悪いことでは決してないが、ピスケス殿の驚いた顔になんとなく申し訳ない気持ちになってそっと少しばかり時間をおいてから出てきたのだが、
「だ、誰にも言いません、誓います、貴方に」
「す、い、ませ、ん」
ぎこちなく俯いてそう答えた彼の表情は、彼女が好きなのだと物語っているような気がした。
彼の額から汗が一つ伝うのは、暑さだけの所為ではないだろう。
「中に、どうぞ」
「あ、ああ、すまない」
中は少しだけひんやりとしていた。天井が高いせいなのか、元々木陰にある教会だからか、窓が開け放ってあるせいで風が通っているせいなのか、どれかはわからないが、外にいるよりは幾分過ごしやすいと思った。無言のまま、まっすぐ歩いていく彼は、ぴたりと、この世界の神の一角を表している模様が描かれた、彼がそこへ立って何事かを説くのだろう机の前で立ち止まる。
「……好きな女性がいます」
彼がそうしてくれたように、俺も黙ってその背中を見て、彼の声を拾う。友人として、話くらいは聞こうとあの日頷いた。
「私が、焦がれるにはもったいない程の人です」
言うなり、彼は静かに項垂れる。
ロージエ殿が、優しくて、純粋な人、と言っていたのを思い出す。彼の事だろうか、そう、なんだろう。
「彼女に、好きだと言われて、どう、して、いいか、わからないでいます、………すいません、聞いてもらって」
「いえ」
背中を向けたまま、何度も彼が大きく深呼吸をするのが肩の動きでわかる。碌な言葉は思いつかないが、言ったところで何の助けにもならないような気がする。懺悔のような、感情の吐露のような、もしかしたら、言葉にして整理をしている可能性もある。
「所帯などもつのは、えっと、禁止…なんですか?」
彼は確か、真似事で神父をと仰っていたが、基本的な規則には従っているようではあった。レヴェンデル殿から聞くに敬虔な信者のような真面目な生活をしていると伺っている。
「いえ、別に、禁じられてはいません……」
彼もまた、違う世界から来た人だ。
「では何か、その、ピスケス殿の国の決まりが?」
「いや、そう、じゃない、んだ」
見えないが恐らく片手で額か、顔か、押さえているのかもしれない。
「……見ているだけで、幸せだった。彼女が、彼女の好きな相手を見ている姿を俺は遠くから見ているだけで、ただそれだけで、よかった。彼女が、幸せになってくれれば良いと、思って」
ぽつぽつと零す彼の声は震えている気がする。
「ああ……すまなかった……、ノニンさん、今日は何か、用が、あったんじゃ」
「……ああ」
いいのかというつもりでちらりと顔を伺うと、ピスケス殿は少しだけ襟元を緩めて、頷く。
「カロッサご夫妻の眠っている場所を伺いたくて…」
「……ああ、わかった、案内しよう」
こちらへ、と促され、彼の後ろをついていく。整然と並んだ墓石は、上の方にそれぞれ模様があしらわれたりしている。
「あの模様は?」
「…ノニンさんの星では見ないのか」
「……そう、だな、あまりああいうのは、名家や王族がするものだから」
ピスケス殿や、レヴェンデル殿が使う「星」という呼称は未だまるで馴染まない。空の向こうにある世界の事だとは理解していても、星と言われるとどうしても夜の星々を連想してしまう。
「ここでは墓石に誓いをたてた神や、所属していた部隊がわかるようなものをああして記しておくようだ。…カロッサご夫妻はレスライン隊とヨルク隊の所属だったはずだったから…ああ、あちらがそうだ」
手で示された場所へと歩いていき、少ししてそこだ、と言われた場所の墓石を見る。三つ目の狼と、何か、何だろうか、不思議な模様が描かれた墓石だ。
「ヨルク隊の隊長は海を司る神がお好きなようでな、それはクラゲという生き物だ」
「クラゲ?」
「こちらではあまり信仰する方はいないようだが、海の方の地域ではこちらより信仰される度合いが高い神のひとつだ」
「そうなのか」
持ってきた花束をそろりと墓前に添える。生憎、死者の弔いは瞳を閉じて、しばし弔う事に集中するくらいしか知らない。この国では、どうなのだろうか、と暫く目を閉じた後ピスケス殿を見ると片眉を少し上げて見せる。
「貴方のやり方で良い」
「そう、か?」
「弔う気持ちがあればいいだろう。何処へ行っても、死者を弔うという行為は、種族や思考が違っていても、大差ないことだ」
静かに墓石を見下ろす彼の瞳は静かだ。
「カロッサご夫妻の一人娘か」
「……まあ」
立ち上がった俺を追いかけるように視線を向けながらかけられる言葉に頷く。
「…暫く、大切なお嬢さんを、お預かりするから、ご挨拶くらいはと」
「そうか……ノニンさんなら大丈夫でしょう」
「……その、俺が変なのかもしれないんだが、ピスケス殿といいセルベル殿といい、安易に人を信じすぎるんじゃないだろうか」
「まあ、そうかもしれないが……、疑いつづけるのだって疲れるでしょう」
「そう…だが」
「セルベルさんはどうなのか知らないが、俺は、信じている方がいくらか気楽だから、多少お話をして人柄が分かれば何も言わないだけだ」
「……ピスケス殿も、良い人です」
戻りましょうか、と歩き出した彼へそう言葉を投げると、彼が不思議そうに振り返る。
「だから、……ロージエ殿も、貴方が好ましいと感じているんだと思う、から」
「…………そ、の、話は、」
「貴方の言いたいことも、少しわかる、気がする。俺も、自信はない。臆病にもなっている自覚がある。……だからその、また、相談に乗ってください、……友人として」
小さく彼の肩が上下へ揺れる。
「……なら、俺も、相談に乗ってもらうと思う、…………女性と、ああして親しくしたことが、なくて」
「……ああ、俺で良かったら、喜んで」
いつか彼が言ってくれた言葉を頭の中でなぞる。
「ああ、……貴方で良い」
小さく笑った彼が告げた言葉は、俺がいつか彼へ向けた言葉だ。
「しかし、ノニンさんは、よく笑う様になったな」
「……よく、レヴェンデル殿にも言われるよ」
笑い過ぎには気を付けたいんだが、というと、そのくらいがちょうどいいだろう、と、ピスケス殿に微笑まれる。
「さて、……今日は、もう俺も帰り支度だ」
「随分早いんだな」
「日課はもう終わらせたからな」
よかったら友人として、このあと少しお茶でも、という誘いに小さく頷いて、穏やかな一日がひとつ、また重なっていく。