数日前、口頭での約束事ではあったが、街まで買い出しに行くのでどうだろうかとセルベル殿が律儀に声をかけてくれた。もともと着ていた服を着ると目立つかもしれない、と、セルベル殿が用意してくれた服に着替え、そこにローブを身に着けて出かけることにした。
 剣がないのも聊か不安ではあるが、彼が言うに街中で帯剣しているのは軍属か貴族くらいなもので、下手に身に着けない方がいい、とのことだった。
 静かな彼の宿屋回りとは違って、流石に活気づいている街中には、ぱっと見た限りでも彼が言う「軍属」の者がちらほら見えた。遠くに見える少し高めの高台に造られた建物は貴族かその類の屋敷か、あるいは、軍の宿舎だろうかど見上げてしまう。

「あれは、領主さまの屋敷です」
「そうか……」
「まあ、自分たちは滅多にお目にかかることもないですし、正直自分もどんな方か見かけたことが無いので……名前は存じてはいるんですけど」
「街まで降りて視察する方が恐らく珍しいだろうな」
「ですね」

 ついて来てください、という彼の言葉を聞きながら、彼を見失わないようその後ろを追跡する。道は石造りで、ほぼ平らかにしてあって馬車も通りやすそうな整備された道だ。馬の足には負担が行くかもしれないが。街並みは、国の城下街とよくよく似てはいるものの、やはり見たことが無い国旗や領主殿の家紋であろう印が刺繍された旗が店先に小さく掲げられているのが見えた。
 あまり暗い雰囲気は見受けられない。店を開いている商人たちも活気づいている。どのような方かしれないがきちんとした政治は行っているような気もする。良い街だなと呟いたのをセルベル殿が聞き取って、相槌を打ってくれる。

「結構、他の領主の方とも広く交友されてるらしくて、珍しい物を売るキャラバンが来たりもするんですよ」
「機会があれば覗いてみたいものだな……」
「じゃあ、また買い出しの時はお声がけします」

 ああ、頼む、と言いながら必要である調味料や、ついでにシーツ類も少し買い足しておきたいのでというセルベル殿の頼みもあって暫く街並みを眺めながらうろうろと歩いていた。ふと、通りにいた人たちがどよめいて、それから道を広く開ける。ああ、誰か、高位の人か、何かがくるのだ、と思って咄嗟にローブの帽子を目深に被る。そんなことまで癖になってしまっている事に少しため息が出そうだ。

「国境沿いを警備していた隊の一部が戻ってきたんですね」
「交代制なのか」
「数か月から半年の単位で任務についていらっしゃるんです」

 甲冑の重そうな音と、馬のいななきが聞こえてくる。結構足音の数や馬の足音などから、人数の多い部隊か、と眺めていると、その姿が見えてくる。
 鎧のデザインも、武器や楯にしるされている刻印も自国では見たことが無いデザインで、他国の国旗でもない。やはり、ここは自分の全く知らない場所だったりするのだろうか。兄の影武者をするにあたって、常に他国家の動きは頭に叩き込んでいたし、紋章や部隊のおおまかなシンボルマークも、記憶しているのだが、どれとも違う。もし、本当にそうなら、俺は何故こんな場所に来てしまったのか、と考えていると、ひときわ立派な黒い馬にまたがった騎士が見える。甲冑で顔を覆っていてわからないが、重厚な楯を背に、大きな槍を担いでいる姿は勇ましいの一言だろう。
 ふと、その騎士がセルベル殿を見たような気がして彼を見る。

「知り合いか?」
「え?」
「今、その、あの騎士殿が君を見た気がして」
「よくわかりましたね」
「な、んとなくだ」
「うちの常連さんなんです、首もとのマーク、可愛いでしょう、あの方のお気に入りなんです」
「首?」

 小さく、他の人にはわからないように彼が胸よりも低い位置で手を降る。
 わあ、という人々の歓声に行進に目を向けると、セルベル殿に応えた流れなのか、騎士が高らかに槍を掲げて見せる。手入れはされているが細かい傷がついている様子からして手練れであるのは違いないのだろう。
 首、と彼がいった、喉を護るために分厚く作られているだろうその箇所には確かに、随分と可愛らしい動物の刻印がある。耳の長い、ウサギに見えるが、翼のあるような不可思議な動物の印だ。

「随分、その、」
「リーゼロッテさんが好きな動物なんですよ」
「………その、あの騎士の方は女性なのか」

 名前の響き、はベテルギウス殿もレヴェンデル殿もなかなか独特だ、と思ってはいたが、今の響き的には、女性なのだろうというのはよくわかる。もしかしたら、男性で、それは姓名な可能性も否めはしないが、セルベル殿は名の方で人を呼称するような所を感じている。

「あまりうちの国では珍しくはないのですが、女性です。今帰還してきた隊は彼女の率いている部隊なんですよ」
「なるほど……立派な方なんだな。甲冑では、体躯がわからないから、てっきり、その、男性かと」

 自分の知っている女性の王や騎士の多くは何処かしら、女性的なデザインを身につけるものに入れている場合が多かったのでついそう感じてしまったが、首もとのマークで気がつくべきだったかもしれない。
 そういえば海の向こうの、紫髪の女王も男性的な格好を好む王であったかと思考する。

「可愛らしい方ですよ、リーゼロッテさん」
「そうなのか」
「自分より年上なので、お姉さんと言う感じなんですが」
「…セルベル殿はいくつなんだ?」

 そういえば、周囲の情報もだったが、まだまだ彼の情報も足りていない。年若くも見えるが10代ではないのだろうとは感じている。

「27です」
「……そうか、若いな」
「もう少し兵として動きたかったんですが、残念です」
「…仕方がないだろう、生きてさえいれば、何とでもなる」
「ありがとうございます」

 生きてさえいれば、なんとでも。
 自分で言って、自分を嗤いたくなる。人にはそういう癖に、俺自身は死んでしまいたいと常々思考してしまう。他人には生きよと言いながら、自分の生は。

「ノニンさんはおいくつなんですか?年齢は、思い出せますか?」
「えっ……あ、ああ、俺、は、40、だと、思う」
「年上の方だろなあと思ってはいたのですが、思った以上でした」
「細かいことはあまり、気にしないから、年齢は気にしないでくれ…。居候してしまっている身だし」

 はっきりと全ての記憶はあるにしても、曖昧に言葉を濁しておけばいざというとき、逃げには使えるか、と思考してそのような言葉選びをしてしまう。親身に接してくれているだろう彼にまだ後ろめたさはある。あるが、いつどこで、兄の手の者が現れて彼に迷惑をかけるともしれない、と思えば自衛するに越したことはない。もしかすれば異世界だとかいう物語のような展開かもしれないが、自分が全く知らない未開の国の可能性も否めない。
 彼を護らなくてはというわけではないが、迷惑をかける相手は減らしたい。

「リーゼロッテさんも、うちに遊びに来て下さるので、数日中には来ると思います」
「そう、か、覚えておくよ」
「彼女には親類だといっても問題はないので、自分とどういう関係かとたずねられたらそう答えても良いですし、ベテルギウスさんが戻ればまあ、色々言うとは思うんですが」
「そのときはそのときで、なんとか対処するよ、ありがとう」
「いえ、困っている方を放っておけない性分ですから」

 そうだろうな、と口の中でだけ呟いて、声には出さないままにした。ああ本当に彼は人が良すぎるんじゃあないだろうか。そんなことを考えながら、彼があまり荷物を抱えないよう出来るだけ荷物持ちを積極的に申し出ながら街での買い物を終えた。
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