夏
傍に控えていればいい、とだけ言われ、余計なことは口に出さず(そもそも知識も薄いので出せない)にアメイシャ殿の後ろに控え、付き添っていた。効果はあるようで、少し彼女に申し訳ないと思いながら、睨みを利かせていると自然とあまり男性は寄ってこない。寄ってこなさすぎる、のもまずいかと思い少しくらいは離れるがそれでも危なそうなときは近寄ってけん制する役割くらいはできた。疚しい気持ちのある男はそれだけで遠ざかっていくし。強面で良かったかもしれない、と思いながらパーティーの久々ともいえる賑やかさを聞き、彼女が退場するまでそうして、特に何をするでもなかったのだが耳で楽しんでいた。
時々、こんな強面でもダンスの誘いはあったのだが、丁重にお断りをし、壁の傍でアメイシャ殿やオウル殿をじっと見ていただけに努めた。どれほど綺麗に着飾っている女性を見ても、美しい方を見ていても、やはり、自分の心を占めているのは彼女だけなのだ、と改めて思う。恥ずかしい話、好いた女性と手を取って踊る、などという経験はなかった。いつも兄の代わりをするか、そうでなければ自室で賑やかさだけを聴いていた。あまり俺がそういった場に出ることを兄は良く思わなかったし、俺も出ようとは思わなかった。
「ありがとうございます、助かりました!」
「いいえ、恐縮です…」
こんな日でもやはりアメイシャ殿は自分が好む格好で背を伸ばしていた。男性的な出で立ちだが彼女によく似あっていると思う。ドレスが嫌いなわけじゃあないが、コルセットがいやで、と恥ずかしそうに笑っていた。
「この後はどうなさるんですか?」
「少しだけ、散策して、部屋に戻ります。何かあれば申しつけ下さいアメイシャ殿」
「わかりました、本当に本日はありがとうございます」
そういって微笑み、ドアの向こうへ消えて行った彼女を見送ったのち、のろのろと中庭に向けて歩を進める。会いたくないわけではない。会いたいが、会えるとは限らない。この屋敷もそれなりに広いし、万が一彼女を見かけても声をかけるのは失礼かもしれない。
中庭に続く扉を開ければ夏の夜風が頬を撫でていく。空には相変わらず月が二つ並んでいて、今日は少しだけその距離は離れているだろうか。出来るだけ目立たないような、隅のベンチを選んで深く腰掛ける。聞こえ漏れてくる賑やかな笑い声を聞きながら、ふっとため息をついてしまう。改めて、全く違う世界に来てしまったのだ、としみじみ思う。仕立ての良い服を着てああいった場に長いこと居るのも久しぶりのことで、なんとなく疲れたとも感じる。
「失礼、そちらの御方、護衛もつけずに一人で居るというのは」
凛としたよく通る声に、ハッとして振り返る。
「あ…」
いつもの軍服に、少しだけ、この夜会があるからだろうか。ほんのわずかな装飾品を付け、左肩にマントを付けているレスライン殿がそこにいる。彼女の視線が上下と、左右に振られ、観察されているのだと思いながら、そのような出で立ちも素敵だ、とついこちらも見てしまう。
「…誰かと思えば、貴様かノニン・シュトロムフト」
「レ、レスライン殿、あの、…あ、」
困ったことに、なにも言葉が出てこない。焦燥ばかりが喉のあたりをぐるぐるとめぐっているようで、肝心な言葉は全てそこで散ってしまっているような気さえする。
「武器も持っていないくせに、一人で出歩くのは不用心ではないか?」
「す、いません」
「ふんっ」
つい、と顔を逸らしたものの周囲の警戒を怠らない為だろう。視線はあたりをじろじろと見まわしているのは流石だ。確かに、武器は携帯していないので、不用心だと言われてしまえばその通りで、どうして俺はこうもダメなのだろうと頭が垂れていく。
「お仕事、ご、くろうさまです、」
ぎろりと彼女の視線が射貫く。当然の事をしているのだ、と声に出さないまま視線で言われているようで少しだけ首を竦めてしまう。
「護衛の一人くらいはつけろ、貴様はアメイシャ様の指南をされているんだろうが」
「す、すいません。仰る通りで」
「わかったならさっさと会場に戻れ。ここにいても何もない」
「…少し、その、夜風にあたりたくて」
半分、本当で、半分は偽りだ。本当は、貴女の姿を見たくて、と言えば恐らく彼女は機嫌を悪くしてしまう。
「……気分でも優れないか」
「ぇ?」
つい聞き返すと眉間にきつく皺を寄せて睨まれる。
「顔色が悪い」
「………ぁ、っと、…ありがとう、ございます」
心配していただいたというのに、それを嬉しいと思ってしまうことに罪悪感が沸く。彼女にそんな意図がなくとも、勝手に、嬉しいと、思ってしまう。
「御心配を、おかけして」
「別に。いちいち貴様の心配なんぞするか」
「そ、うですよね、すいません、嬉しくて…ぁ、いや」
厳しい視線がこちらを見ている。失言だった、と思いながら手の甲で口を押えても、どうにもならない。
「嬉しいだぁ?」
随分と低い声からは不機嫌さしか感じない。ああ、もう、俺はどうしてこうもダメなんだろう、と血の気が引いていく。
「すいません……」
想うのは勝手にしろ、と彼女は許可してくださったが、やはり声に出されるのはお嫌なのだろう。反省しながら心に留めておく。
「あ、の」
「あぁ?」
不機嫌さしかない声に、ぐう、と怖気づいてしまう。好きになってほしいだなんていうのは俺の我儘だが、しかし、出来れば嫌われたくないと思うのもやはり、俺の我儘だ。
「お、れ、……誰かに、そういって、心配していただいた記憶が、無くて、それで、あ、その、すいません……不快な思いをさせて…」
ふ、と息を吐く彼女は無言のまま答えない。
「好きな、方と、こうして、……一緒に過ごせるのも、その、嬉しくて、すいません、俺……ご迷惑をかけないように、したいのに」
不機嫌にしてしまうとわかったのに、好意を伝えたい、と思うのも、身勝手な事だと思う。
「本当に悪趣味な奴だな」
「悪趣味、でも、良いです…そ、その、あ、の、また、来年、も、……あの、」
「は…?」
「来年、も、此処で、貴女を待っていても、宜しいですか」
僅かに驚いたような気配を感じるが、一瞬の事で、彼女は帽子の鍔を掴み、ぎゅっと下げて顔が見えなくなってしまう。
「来年も私が生きているとでも?」
「ん…そ、れは、…でも、来年も、貴女がこの場にいらっしゃったら、是、是非」
微かな舌打ちが聞こえる。それ以上の返事はなく、どこかで虫がリリリと鳴いている音と、誰かの笑い声だけが聞こえている。
「中へ戻れ、無駄話をした」
「すいません、勤務中に……あ、と、えっと、その、もうひとつ、だけ、良いですか」
「なんだ?さっさと言え。私は暇じゃない」
ドキドキと早鐘のような心臓をぎゅ、と抑えるように胸を掴む。小さく息を吸って、でも、彼女の顔は見れなくて。
「星祭り、があるんですよね。そ、の日はその、お仕事でしょうか」
「ふん…残念だが非番だ、それがなんだ?」
「…………、そ、の、…その、…よかったら、ご一緒に、過ごしていただけませんか、数刻、いや、僅かでもいい、です、本当に、貴女の気が向いたらでいい、ので、すいません、勝手ばかり…来なくてもいい、それだけ、すいませんでした」
支離滅裂で、早口になるのを止められず、一方的にそう告げてしまった。俺が勝手に待つだけで、いい、本当にいいのだ。言いたかった。彼女を誘いたかった。ただの自己満足でしかない。彼女の返事も待たず、いや、そもそも勝手に言っただけなのだ、待つもなにもない。
足早に、逃げるように去った自分はずるくて愚かな男だろう。
時々、こんな強面でもダンスの誘いはあったのだが、丁重にお断りをし、壁の傍でアメイシャ殿やオウル殿をじっと見ていただけに努めた。どれほど綺麗に着飾っている女性を見ても、美しい方を見ていても、やはり、自分の心を占めているのは彼女だけなのだ、と改めて思う。恥ずかしい話、好いた女性と手を取って踊る、などという経験はなかった。いつも兄の代わりをするか、そうでなければ自室で賑やかさだけを聴いていた。あまり俺がそういった場に出ることを兄は良く思わなかったし、俺も出ようとは思わなかった。
「ありがとうございます、助かりました!」
「いいえ、恐縮です…」
こんな日でもやはりアメイシャ殿は自分が好む格好で背を伸ばしていた。男性的な出で立ちだが彼女によく似あっていると思う。ドレスが嫌いなわけじゃあないが、コルセットがいやで、と恥ずかしそうに笑っていた。
「この後はどうなさるんですか?」
「少しだけ、散策して、部屋に戻ります。何かあれば申しつけ下さいアメイシャ殿」
「わかりました、本当に本日はありがとうございます」
そういって微笑み、ドアの向こうへ消えて行った彼女を見送ったのち、のろのろと中庭に向けて歩を進める。会いたくないわけではない。会いたいが、会えるとは限らない。この屋敷もそれなりに広いし、万が一彼女を見かけても声をかけるのは失礼かもしれない。
中庭に続く扉を開ければ夏の夜風が頬を撫でていく。空には相変わらず月が二つ並んでいて、今日は少しだけその距離は離れているだろうか。出来るだけ目立たないような、隅のベンチを選んで深く腰掛ける。聞こえ漏れてくる賑やかな笑い声を聞きながら、ふっとため息をついてしまう。改めて、全く違う世界に来てしまったのだ、としみじみ思う。仕立ての良い服を着てああいった場に長いこと居るのも久しぶりのことで、なんとなく疲れたとも感じる。
「失礼、そちらの御方、護衛もつけずに一人で居るというのは」
凛としたよく通る声に、ハッとして振り返る。
「あ…」
いつもの軍服に、少しだけ、この夜会があるからだろうか。ほんのわずかな装飾品を付け、左肩にマントを付けているレスライン殿がそこにいる。彼女の視線が上下と、左右に振られ、観察されているのだと思いながら、そのような出で立ちも素敵だ、とついこちらも見てしまう。
「…誰かと思えば、貴様かノニン・シュトロムフト」
「レ、レスライン殿、あの、…あ、」
困ったことに、なにも言葉が出てこない。焦燥ばかりが喉のあたりをぐるぐるとめぐっているようで、肝心な言葉は全てそこで散ってしまっているような気さえする。
「武器も持っていないくせに、一人で出歩くのは不用心ではないか?」
「す、いません」
「ふんっ」
つい、と顔を逸らしたものの周囲の警戒を怠らない為だろう。視線はあたりをじろじろと見まわしているのは流石だ。確かに、武器は携帯していないので、不用心だと言われてしまえばその通りで、どうして俺はこうもダメなのだろうと頭が垂れていく。
「お仕事、ご、くろうさまです、」
ぎろりと彼女の視線が射貫く。当然の事をしているのだ、と声に出さないまま視線で言われているようで少しだけ首を竦めてしまう。
「護衛の一人くらいはつけろ、貴様はアメイシャ様の指南をされているんだろうが」
「す、すいません。仰る通りで」
「わかったならさっさと会場に戻れ。ここにいても何もない」
「…少し、その、夜風にあたりたくて」
半分、本当で、半分は偽りだ。本当は、貴女の姿を見たくて、と言えば恐らく彼女は機嫌を悪くしてしまう。
「……気分でも優れないか」
「ぇ?」
つい聞き返すと眉間にきつく皺を寄せて睨まれる。
「顔色が悪い」
「………ぁ、っと、…ありがとう、ございます」
心配していただいたというのに、それを嬉しいと思ってしまうことに罪悪感が沸く。彼女にそんな意図がなくとも、勝手に、嬉しいと、思ってしまう。
「御心配を、おかけして」
「別に。いちいち貴様の心配なんぞするか」
「そ、うですよね、すいません、嬉しくて…ぁ、いや」
厳しい視線がこちらを見ている。失言だった、と思いながら手の甲で口を押えても、どうにもならない。
「嬉しいだぁ?」
随分と低い声からは不機嫌さしか感じない。ああ、もう、俺はどうしてこうもダメなんだろう、と血の気が引いていく。
「すいません……」
想うのは勝手にしろ、と彼女は許可してくださったが、やはり声に出されるのはお嫌なのだろう。反省しながら心に留めておく。
「あ、の」
「あぁ?」
不機嫌さしかない声に、ぐう、と怖気づいてしまう。好きになってほしいだなんていうのは俺の我儘だが、しかし、出来れば嫌われたくないと思うのもやはり、俺の我儘だ。
「お、れ、……誰かに、そういって、心配していただいた記憶が、無くて、それで、あ、その、すいません……不快な思いをさせて…」
ふ、と息を吐く彼女は無言のまま答えない。
「好きな、方と、こうして、……一緒に過ごせるのも、その、嬉しくて、すいません、俺……ご迷惑をかけないように、したいのに」
不機嫌にしてしまうとわかったのに、好意を伝えたい、と思うのも、身勝手な事だと思う。
「本当に悪趣味な奴だな」
「悪趣味、でも、良いです…そ、その、あ、の、また、来年、も、……あの、」
「は…?」
「来年、も、此処で、貴女を待っていても、宜しいですか」
僅かに驚いたような気配を感じるが、一瞬の事で、彼女は帽子の鍔を掴み、ぎゅっと下げて顔が見えなくなってしまう。
「来年も私が生きているとでも?」
「ん…そ、れは、…でも、来年も、貴女がこの場にいらっしゃったら、是、是非」
微かな舌打ちが聞こえる。それ以上の返事はなく、どこかで虫がリリリと鳴いている音と、誰かの笑い声だけが聞こえている。
「中へ戻れ、無駄話をした」
「すいません、勤務中に……あ、と、えっと、その、もうひとつ、だけ、良いですか」
「なんだ?さっさと言え。私は暇じゃない」
ドキドキと早鐘のような心臓をぎゅ、と抑えるように胸を掴む。小さく息を吸って、でも、彼女の顔は見れなくて。
「星祭り、があるんですよね。そ、の日はその、お仕事でしょうか」
「ふん…残念だが非番だ、それがなんだ?」
「…………、そ、の、…その、…よかったら、ご一緒に、過ごしていただけませんか、数刻、いや、僅かでもいい、です、本当に、貴女の気が向いたらでいい、ので、すいません、勝手ばかり…来なくてもいい、それだけ、すいませんでした」
支離滅裂で、早口になるのを止められず、一方的にそう告げてしまった。俺が勝手に待つだけで、いい、本当にいいのだ。言いたかった。彼女を誘いたかった。ただの自己満足でしかない。彼女の返事も待たず、いや、そもそも勝手に言っただけなのだ、待つもなにもない。
足早に、逃げるように去った自分はずるくて愚かな男だろう。