夏
賑やかな酒の席というのは殆ど経験がないことだった。大概、食事と飲酒、といえばパーティーやらの出席で、兄の目もあるので集まった者達が大荒れという事はなく、品の良い賑やかな食事会、くらいだ。酒は出るには出るが酩酊するものもいないし、兄の意向もあってそのような振る舞いは許されないというより兄に嫌われたくないのなら控えるべき行動でもあった。
バレてはいたが、街中にひっそりと買い付けていた隠れ家にいる時も酒場に出かけたことはなかった。あそこでは趣味の読書をしているほうが一番の息抜きだったので、殆ど酒を買った記憶もない。買わないわけではなかったが、舐める程度の分量に常にとどめていた。酒に逃げたくはなったが、どうせ翌朝使い物にならなくなる自分が目に見えているので、馬鹿な真似は出来ない。
だから、こうして今、酒場にいるというのは新鮮だった。ランプは大き目なものが各テーブルに置かれていて明るい。魔術を用いている様子はない、ので純粋に火だけを使っているのかもしれない。
「ノニンのお兄さんは何飲む?セルベル君は決まった??」
つい最近、鍛冶工房ラルジャンで追加の注文を頼みに行ったとき、ヴィムから今度一緒にお酒を飲もうと誘われたのがきっかけだった。丁度そのときいたセルベル殿にも彼は気さくに声をかけ、セルベル殿も流れでそうしてしまったのかわからないが首を縦に振り、三人で酒の席を囲んでいる。
「ヴィムは酒は強いのか?」
「そんなに強くない!からちょっとだけ飲むんだ、へへ」
照れ臭そうに笑う彼は、この場所のにぎやかさが好きなんだと言う。
「ほら、俺、いつも籠って物つくってるからさあ、たまに夜ここ来るんだー」
「ああ…なんとなくわかる……」
「セルベル君わかる??」
「俺もあんまり…お客さんと話するときはするけど、来ない時は全然こないから…会話ないし。賑やかだと楽しいし気分転換になるよな」
「そーそー」
俺は静かな空間が好きだったから、その感覚はわからないのだが、そういう思考もまるでわからないわけではない。
「酒以外があるなら、俺はそれでいいかな…」
「酒以外もあるよ!だいじょーぶ!」
「じゃあ、それでいい」
「なんでもいいの?」
「構わないよ、ヴィムに任せる」
了解と笑ったヴィムは全員分の注文を取りまとめるなりささっとそれを告げに行き、戻ってくるとセルベル殿と何やら楽し気に会話をしている。セルベル殿も『ラルジャン』の名前は知っていて、そこの包丁がいいだとか、短剣が便利だとかいう話題だ。ヴィムの父親が作ったものらしく、彼は都度破顔して「親父が作ったんだ」と嬉しそうに話している。彼の笑顔は見ていてなんというか、愛嬌がある。
「あ…」
会話をしていると、セルベル殿が何かを見つけたように入り口を見たので、つられて俺も見てしまう。向こうもこちらに気がついたらしく、ぱちぱちと瞬きをしたあと物静かに会釈をする。
「知り合い?」
「神父様です、戦死した騎士や兵士の墓がある…」
「あ、あそこの?ひえー…おっかない顔してるなーうちの親父くらい怖そう」
「ヴィムの父上はそんなに怖いのか?」
「いっつもむってしてますよ、むっって」
ぎゅっと眉間にしわを寄せて見せた顔は父親の真似なのかもしれない。あまり彼の顔立ちでは迫力はない。
「何か買いに来たんでしょうね」
「持ち帰りもできるのか?」
「ええ、出来ますよ、俺も昼間ですけどここから買う時があるので」
料理に使う酒も売っていますからというセルベル殿の話を聞いている隙に、ヴィムがいつの間にか離席していて、気がつけばピスケス殿を引っ張ってきているのが目に見えた。
「折角だから待ってる間どーですかーって連れて来ちゃった」
「ヴィムは行動的だな」
感心したようにセルベル殿が言うのだが、連れてこられたピスケス殿は申し訳なさそうにしている。とりあえず迷惑でないなら待たせてもらいたい、と言う彼に、開いていた椅子をすすめた。
「すまない、なんだか……その、俺が邪魔してもよかったのか」
「いやむしろヴィムが済まない…」
申し訳なさそうにそういうピスケス殿はそろそろと椅子を引いて、遠慮がちに腰を下ろす。むしろこちらこそ急に巻き込んだような形になってしまったので、謝罪をすればこれもまた静かに首が左右に振られる。
「いや、良いんだ、ヴィム君は丁寧に話しかけてくれたし…」
「神父さんめちゃくちゃ優しい!」
にこにこと笑う彼に、ピスケス殿がありがとうと返事を返す。
「こちらはヴィム君です、工房ラルジャンで働いていらっしゃって」
セルベル殿がそうピスケス殿に紹介をすると、ああ、と分かったのか首を縦に振った。ヴィムもにこにことわらいながら自己紹介を手短に済ませ、ピスケス殿と握手などしている。
「ピスケスさんは料理酒でも買いに?」
「ああ、切らしてしまったのでな…ここの酒をいつも使っているので…」
流石に仕事以外ではあの神父服は着ないのだろう。春先に見たのとたぶん同じ、シンプルで目立たない服装だが、髪型はきっちりとセットしている。
「神父さんは酒は飲まない?っていうか飲んじゃダメとかあったりするんですか?」
セルベル殿とピスケス殿の会話を聞いていたヴィムが、横から不思議そうに声をかける。
「俺は酒自体は飲むが、小さな容器で一飲みくらいだよ、強くもないからね」
「へえー!」
そんな話をきっかけに、注文したものがくる間ヴィムが珍しそうに彼にあれこれと尋ねている。神父さんはもっと難しいことを言うかと思ったら気さくだとか、わかりやすいだとか感動している彼に、ピスケス殿は一貫してヴィムが自分の言葉を汲み取るのが上手なんだろうという。
程なくして運ばれて来た酒とヴィムが注文したのだろう料理がテーブルに置かれ、周りの賑やかさを聞きながら他愛ない話で、飲み物を傾ける。俺が希望した通り、俺のぶんは酒ではなくお茶を頼んでくれていたらしい。
「神父さんのも頼めばよかったー」
「あぁ、俺は良いよ、気にしないでくれ」
「えー…じゃあ今度は神父さんも一緒に最初から飲みに来ませんか!」
「…いいのか?結構年が離れているし、話題なんか…」
「確かに親父と近そうー!でも俺人の話聞くの好きだから、全然いい!」
にこにこと話すヴィムは相変わらず屈託なく笑う。
「セルベル君もいいよね?」
「俺は構わないですよ、ピスケスさんともお話してみたいです、俺も」
「とはいっても、なにも話題はないんだが…」
困ったような顔をしたピスケス殿と目があう。
「年が離れてるからこそできる話題もあるかと思います、ピスケス殿、俺もあまり話題はないですけど二人の話を聞いてても楽しいですし」
「そう、か?」
「そーだよー!へーきへーき!」
「ヴィムは少なくとも柔軟性がある子ですし」
「まあ、悪い子には見えないな」
ヴィムは純粋な子だと思う。顔に感情が出てしまう子だ。悲しいときは悲しいと顔に出るし、嬉しいときはめいっぱい喜ぶところが好ましく思う。仕事熱心だし、家族の事も好きなのだろうということは、父親を怖い顔といいながら褒められれば破顔するそれが全て物語っている。
「良い子ですよ」
「そうですね、ヴィムさんは良い人だって俺も思います」
俺の言葉にセルベル殿も頷いて見せる。
「え、え、ええー?ど、どうしたの二人ともー!お、俺照れるよ…!」
首の後ろを掻きながらはにかむ彼を、悪い奴だとは誰も思わないのではないかとさえ思う。むしろ騙されやすそうで少し心配でもあるのだが、彼は頼りなさそうに見えて案外人を見る目がある、というより毒気を抜いてくるところがある。不思議な子だと思う。
「…そうか、なら、時間と都合が合えば誘って欲しい」
「おっしゃー!決まり―!」
にこやかな青年の笑顔と、優しく笑うピスケス殿の笑顔を見ながら、彼らを俺がかってに友人と定義していいものだろうか、と悩むが、このなんの探り合いもない友人関係が築けているのが、本当に夢のようだ。
バレてはいたが、街中にひっそりと買い付けていた隠れ家にいる時も酒場に出かけたことはなかった。あそこでは趣味の読書をしているほうが一番の息抜きだったので、殆ど酒を買った記憶もない。買わないわけではなかったが、舐める程度の分量に常にとどめていた。酒に逃げたくはなったが、どうせ翌朝使い物にならなくなる自分が目に見えているので、馬鹿な真似は出来ない。
だから、こうして今、酒場にいるというのは新鮮だった。ランプは大き目なものが各テーブルに置かれていて明るい。魔術を用いている様子はない、ので純粋に火だけを使っているのかもしれない。
「ノニンのお兄さんは何飲む?セルベル君は決まった??」
つい最近、鍛冶工房ラルジャンで追加の注文を頼みに行ったとき、ヴィムから今度一緒にお酒を飲もうと誘われたのがきっかけだった。丁度そのときいたセルベル殿にも彼は気さくに声をかけ、セルベル殿も流れでそうしてしまったのかわからないが首を縦に振り、三人で酒の席を囲んでいる。
「ヴィムは酒は強いのか?」
「そんなに強くない!からちょっとだけ飲むんだ、へへ」
照れ臭そうに笑う彼は、この場所のにぎやかさが好きなんだと言う。
「ほら、俺、いつも籠って物つくってるからさあ、たまに夜ここ来るんだー」
「ああ…なんとなくわかる……」
「セルベル君わかる??」
「俺もあんまり…お客さんと話するときはするけど、来ない時は全然こないから…会話ないし。賑やかだと楽しいし気分転換になるよな」
「そーそー」
俺は静かな空間が好きだったから、その感覚はわからないのだが、そういう思考もまるでわからないわけではない。
「酒以外があるなら、俺はそれでいいかな…」
「酒以外もあるよ!だいじょーぶ!」
「じゃあ、それでいい」
「なんでもいいの?」
「構わないよ、ヴィムに任せる」
了解と笑ったヴィムは全員分の注文を取りまとめるなりささっとそれを告げに行き、戻ってくるとセルベル殿と何やら楽し気に会話をしている。セルベル殿も『ラルジャン』の名前は知っていて、そこの包丁がいいだとか、短剣が便利だとかいう話題だ。ヴィムの父親が作ったものらしく、彼は都度破顔して「親父が作ったんだ」と嬉しそうに話している。彼の笑顔は見ていてなんというか、愛嬌がある。
「あ…」
会話をしていると、セルベル殿が何かを見つけたように入り口を見たので、つられて俺も見てしまう。向こうもこちらに気がついたらしく、ぱちぱちと瞬きをしたあと物静かに会釈をする。
「知り合い?」
「神父様です、戦死した騎士や兵士の墓がある…」
「あ、あそこの?ひえー…おっかない顔してるなーうちの親父くらい怖そう」
「ヴィムの父上はそんなに怖いのか?」
「いっつもむってしてますよ、むっって」
ぎゅっと眉間にしわを寄せて見せた顔は父親の真似なのかもしれない。あまり彼の顔立ちでは迫力はない。
「何か買いに来たんでしょうね」
「持ち帰りもできるのか?」
「ええ、出来ますよ、俺も昼間ですけどここから買う時があるので」
料理に使う酒も売っていますからというセルベル殿の話を聞いている隙に、ヴィムがいつの間にか離席していて、気がつけばピスケス殿を引っ張ってきているのが目に見えた。
「折角だから待ってる間どーですかーって連れて来ちゃった」
「ヴィムは行動的だな」
感心したようにセルベル殿が言うのだが、連れてこられたピスケス殿は申し訳なさそうにしている。とりあえず迷惑でないなら待たせてもらいたい、と言う彼に、開いていた椅子をすすめた。
「すまない、なんだか……その、俺が邪魔してもよかったのか」
「いやむしろヴィムが済まない…」
申し訳なさそうにそういうピスケス殿はそろそろと椅子を引いて、遠慮がちに腰を下ろす。むしろこちらこそ急に巻き込んだような形になってしまったので、謝罪をすればこれもまた静かに首が左右に振られる。
「いや、良いんだ、ヴィム君は丁寧に話しかけてくれたし…」
「神父さんめちゃくちゃ優しい!」
にこにこと笑う彼に、ピスケス殿がありがとうと返事を返す。
「こちらはヴィム君です、工房ラルジャンで働いていらっしゃって」
セルベル殿がそうピスケス殿に紹介をすると、ああ、と分かったのか首を縦に振った。ヴィムもにこにことわらいながら自己紹介を手短に済ませ、ピスケス殿と握手などしている。
「ピスケスさんは料理酒でも買いに?」
「ああ、切らしてしまったのでな…ここの酒をいつも使っているので…」
流石に仕事以外ではあの神父服は着ないのだろう。春先に見たのとたぶん同じ、シンプルで目立たない服装だが、髪型はきっちりとセットしている。
「神父さんは酒は飲まない?っていうか飲んじゃダメとかあったりするんですか?」
セルベル殿とピスケス殿の会話を聞いていたヴィムが、横から不思議そうに声をかける。
「俺は酒自体は飲むが、小さな容器で一飲みくらいだよ、強くもないからね」
「へえー!」
そんな話をきっかけに、注文したものがくる間ヴィムが珍しそうに彼にあれこれと尋ねている。神父さんはもっと難しいことを言うかと思ったら気さくだとか、わかりやすいだとか感動している彼に、ピスケス殿は一貫してヴィムが自分の言葉を汲み取るのが上手なんだろうという。
程なくして運ばれて来た酒とヴィムが注文したのだろう料理がテーブルに置かれ、周りの賑やかさを聞きながら他愛ない話で、飲み物を傾ける。俺が希望した通り、俺のぶんは酒ではなくお茶を頼んでくれていたらしい。
「神父さんのも頼めばよかったー」
「あぁ、俺は良いよ、気にしないでくれ」
「えー…じゃあ今度は神父さんも一緒に最初から飲みに来ませんか!」
「…いいのか?結構年が離れているし、話題なんか…」
「確かに親父と近そうー!でも俺人の話聞くの好きだから、全然いい!」
にこにこと話すヴィムは相変わらず屈託なく笑う。
「セルベル君もいいよね?」
「俺は構わないですよ、ピスケスさんともお話してみたいです、俺も」
「とはいっても、なにも話題はないんだが…」
困ったような顔をしたピスケス殿と目があう。
「年が離れてるからこそできる話題もあるかと思います、ピスケス殿、俺もあまり話題はないですけど二人の話を聞いてても楽しいですし」
「そう、か?」
「そーだよー!へーきへーき!」
「ヴィムは少なくとも柔軟性がある子ですし」
「まあ、悪い子には見えないな」
ヴィムは純粋な子だと思う。顔に感情が出てしまう子だ。悲しいときは悲しいと顔に出るし、嬉しいときはめいっぱい喜ぶところが好ましく思う。仕事熱心だし、家族の事も好きなのだろうということは、父親を怖い顔といいながら褒められれば破顔するそれが全て物語っている。
「良い子ですよ」
「そうですね、ヴィムさんは良い人だって俺も思います」
俺の言葉にセルベル殿も頷いて見せる。
「え、え、ええー?ど、どうしたの二人ともー!お、俺照れるよ…!」
首の後ろを掻きながらはにかむ彼を、悪い奴だとは誰も思わないのではないかとさえ思う。むしろ騙されやすそうで少し心配でもあるのだが、彼は頼りなさそうに見えて案外人を見る目がある、というより毒気を抜いてくるところがある。不思議な子だと思う。
「…そうか、なら、時間と都合が合えば誘って欲しい」
「おっしゃー!決まり―!」
にこやかな青年の笑顔と、優しく笑うピスケス殿の笑顔を見ながら、彼らを俺がかってに友人と定義していいものだろうか、と悩むが、このなんの探り合いもない友人関係が築けているのが、本当に夢のようだ。