レヴェンデル殿が用意してくださった「正装」というか「上流階級の者が着る服」というのを見ながらため息をついてしまっているのが最近の朝夕の流れだった。触れてもわかる上等な生地と、繊細な仕立て方、それに装飾品は豪奢過ぎず、あくまで俺が「横に添えられる者」として目立ちすぎないそんな服装だ。装飾品ひとつとっても、貧層でもない質のいい、高級過ぎないだろうが値は張りそうな貴金属があしらわれている。
 黒の色を主体として着て来たこの人生において、初めてにもちかい殆どが白の服装。アメイシャ殿と彼女の父君のオウル・オルフェ殿に合わせた、と言っているという事はお二人とも白を基調にしたそれには違いない。違いないが、あの親子は淡い、というか薄い緑の髪だ。バランスはとれるのだろうが、黒い髪の俺は少しばかり目立つのではというのが不安だ。レヴェンデル殿には黒っぽい外套のひとつでもあると助かるとは伝えたがどうなるか未だにわからない。
 まだ日数があるので、何かあっても動けるように夜、眠りにつく数十分だけこの服を着る練習をしている。ほとんど衣類の着方は変わらないのだが、なにせ装飾品は自分でつけないといけないのでそこが少し、難しい。バランスを考えないとならない。

「あらあら、お似合いですね」

 今夜は装飾品をよく観察しておくだけにしようと、上着だけ羽織って布地を慣らしているところに、もはや驚くこともほとんどなくなったレヴェンデル殿の突然の登場に、ああ、と返事を返す。

「そう言ってもらえて光栄だよ」
「此方の方が色的にいいんじゃないですか?」

 彼女のすらりとした黒い長手袋に覆われた指先が少し曲がっていた襟を直してくれる。
 自然と隣に腰かける彼女への警戒心と緊張も最初の頃より多少は和らいでいる。

「そうかな、自分じゃわからなくて…」
「王族らしくていいんじゃないです?ふふっ最もここじゃあ貴方の過去の地位なんて何の意味もないですけどね」
「ははは、無くていいよ…無い方が気楽だから」

 フェデルテッタ帝国、現皇帝リリー・シュトロムフトの実弟で、第二王位継承権を有している…というのは向こうの世界での俺の確固たる地位と生まれながらに持っていたもので、それが酷く首を絞め、ずっと苦しかった。
 現状、このことを存じているのはレヴェンデル殿とアメイシャ殿、オウル・オルフェ殿くらいなもので、これを踏まえたうえで「過去に高い地位か、没落した貴族の出ではという調査結果」が出ている。…というのがここでの俺自身が「わかっていることになっている」情報の一つだ。
 あちらでの裕福だが窮屈な暮らしを思い返すとなおさら、いっそ何もかも地位を持っていない現在の方が余程、どれ程気楽かしれない。兄に怯える必要はないし、それに、

「身分がないなら気楽に一介の軍人であるエデルガルドに好きだって言えますものね」
「うっ……」
「あらあー私が知らないとでも?」

 顔が熱くなっていくのを自覚する。慌てて抑え込むために深呼吸をするが遅い。あの祭りの日も、にやりと笑われたが、最初からもしかしなくても気がついていらっしゃったのかもしれない。

「そ、その、レスライン殿には」
「言いませんよぉ、言いませんし変にちょっかいもかけません」
「す、すまない、その、」
「…私は貴方の恋路を野次馬する気はあっても妨害するつもりはないから、安心して」

 二の腕を掴まれて微笑まれ距離が近い事に少したじろぎながらもその言葉に安堵もする。

「それで?そのブローチ…」

 手の中にあった、工房ラルジャンで購入したブローチを指さしてレヴェンデル殿が笑う。

「やっぱり魔素を蓄積する鉱石でした?」
「し、ってた、のか?」

 初めて手にもって、そして触れた時に感じた、指先から水が流れていくような、糸がするするとほどかれるような感覚に、まさかと思って調べていたのだが、どうもこの石は魔素を蓄積するタイプの石であるらしいことは確信が持てた。おかげでいくつか、やってみたことはなかったので少し苦労するが魔素を貯めておくことが出来るのがありがたい。

「知ってたというかそんな感じがあるなあと思ってたんですけど、私魔術って使えないし、かといって誰かにも試してなんて言えないし。下手に世間にそんな情報で回っても面倒だったので」
「……ただその、これは、…闇と光のものしか受け付けないかもしれない」
「あらあ、そうですか…最もその属性を主体で扱う術者も希少ですからますます内緒にしないと…急な発展は戦争を産みますからねえ」
「……この、世界、ではその、魔術を使う認定を受けても普通に暮らせるだろうか」
「いえ、基本的には軍属か中央で収集をかけられますねえー」
「う…そ、そうか」
「認定をこっそり受けさせることはまあ、出来なくはないですけどお勧めできませんねえ」
「わ、わかった」
「ただ、そうですね」

 うーんと首を傾げながらレヴェンデル殿が何やらと考えてくれている。

「魔術に深く知識がある、というくらいなら良いんじゃないですか?そういう研究者も中央にいなくはないです」
「そうか……」
「あとで本でも借りてきます。ここ書籍類って流通あまりしてないんですよねえ」
「書籍はそもそもそんなに流通するだろうか…?」
「あらあー…私の知ってるところなんかじゃあ読書は庶民にも普及してる趣味ですし色んな書物がありますよ」
「そ、そう、なのか…」

 何度か彼女の世界の「普通」を聞く機会はある。あるのだが、聞くたびに想像のできない世界すぎて本当に現実であることなのかと思うこともあるのだが、実際、目の前の彼女の存在自体が空の向こうから来た方、なのだから、「有り得る」…いや、本当に「ある」話なのだろう。

「ここも識字率は高いんですけど、本は確かに高いですから図書館にいくしかないんですよねえ…盗難防止のシステムで本棚全部鍵付きですし…」
「レヴェンデル殿の居た世界の話は本当になんというか、規模が…」
「ふふふ、まあまあ、広いですからねえ」
「広すぎて…その、なんだ、その、えと」
「はぁい?」
「レヴェンデル殿の世界、というのはその、どんな世界、なんだ?」

 彼女はなかなかに自分の事を話そうとはしてくれない。聞いてもはぐらかすし、まだまだ俺にとっては規模がでかすぎて理解が追い付かないことだ、とやんわり制されている。
 ただ、流石に季節がひとつ通り過ぎた今は、アメイシャ殿ともお話をするし、多少は受け入れられる部分もあるのではないか、と思う。
 彼女の言葉や言動の端々からうかがえる彼女の「普通」の基準は興味深く思っている。知らぬ世界を知ってみたいという好奇心だ。

「そうですねえ……私の生まれ故郷、の話でもいいのでしたら、そのくらいは教えますよ?」
「差支え無ければ是非聞いてみたい」
「私の生まれたところはですねえ、まず昼夜の概念がないのですよねえ」
「…というと」
「基本的には永遠に夜ですね、あとは、そうですねえ…夫婦の感覚が貴方ともこの世界とも違うと思いますよ」
「夫婦の感覚…」
「一夫多妻制みたいなものなんですけどね、ええ」
「そ、そうなのか…」
「うちの母は私の知ってる限りだと…」

 彼女の指がひとつふたつ、みっつ、と折り込まれていく。最後、小指を織り込んだ後、あらどうだったかしら、と呟いて、

「多分父のほかに4人くらいは夫がいるんですよ」
「よ…」

 もっといるのかもしれないんですが、と笑う彼女をよそにその状況が想像できない。4人、そんなにいるのか。

「ね?違うでしょう?」
「け、喧嘩になったりしないのか」
「まあ、はっきり言ってしまえば他人に興味がそれほどない、というのがこの体制が上手くってる要因でしょうねえ。過干渉しないですし執着心も貴方方ほどないんですよ」
「じゃあその、ご兄弟が多いと大変だろうな」
「それが私ひとりっ子なんですよねえ」
「…え……そう、なのか」
「出生率も低いので、ふふ、いいかたが下品ですけど数打って当てる感じですね」
「そ、それも、その、なんというか…すごいな」
「貴方こそ大変だったんじゃありません?王族でしたんでしょう?」
「あ、う、ま、まあ…親族を覚えておくのがちょっと…」
「私もそこそこ名前のある家柄の人の血があるので大変なんですよねえ」
「…家の名前と言うのはその、大変なことには変わりないんだなあ、どんなところであっても」
「まあ、私家出してるので関係ないんですが」
「いっ、家出」

 とてもではないが、家出という言葉と彼女の雰囲気はあまり結びつかない。ただ、まあ、飄々としていらっしゃるところもあるのでフラッと出てこられたと言われても不思議さは、ないとも思う。

「イメージないです?」
「失礼かもしれないんだが…ふらっと出て来たという感じの方がしっくりくる、かな、家出というよりは」
「あら、ふふ、そうですか」

 音も静かに立ち上がった彼女は少しだけ垂れて来た髪を耳へかけ直す。

「またお時間が合えば教えて差し上げますよ。星の数ほど「常識」や「普通」ってあるものです」
「……なんだか貴女にそう言われると、説得力がありすぎて」
「ふふふ、それではよい夜を」
「……ありがとう」

 軽い投げキスを贈られ、いつものように出ていくときはきちんと部屋の扉から出て行って見せる彼女は律儀な人だ。律儀な人だし、飄々としてはいるが丁寧に対応してくださる方と思う。

「困ったな…」

 彼女は何でも知っている、といった顔をしていたが、俺はそんなに好意が顔に出やすくなってしまっているのだろうか、と今一度、頬を撫でた。深く、抉られた後盛り上がった皮膚が指の腹に触れる。
6/21ページ