そろそろ帰るぞというゼルマ殿の声に、黙々と釣り竿を片付け、それなりに釣りあげた魚をひとつの籠に纏める。帰りは違う道を行くらしい。多分、そちらの道が正しく「道」なのだろうなあと思いつつ、何も崖を登らなくてもいいだろうにとゼルマ殿に言うと「お前がひ弱かどうかみてみたくてな」と快活な笑いと共に謝罪された。

「ゼルマ、俺が荷物を持つよ…女性に荷物を行きも帰りも持たせるのは気が引ける」

 平坦ではないかもしれないがきちんとした道があるなら、とそう申し出るとゼルマ殿に心底不思議そうな顔をされる。それからしばらく見つめ合うことになってしまったのだが、いつもの、彼女の快活な笑い声が響いたと思うと存外優しく籠を押し付けられる。

「まいったまいった!!そんなこと言われる日が来ると思ってなくてなあ!!」
「そ、そんなに、か?」
「いやいや、いい経験させてもらえた!」

 じろりとこちらを見るレスライン殿とも目があう。

「あ、の、レスライン殿も、俺が荷物を持ちますから」
「釣り竿くらい持てる」

 彼女は片手にゼルマ殿と、彼女自身が使用していた二本の釣り竿を持っている。小さくはなっていても片腕しかない彼女には荷物だろう。

「そういうなよエデルガルド、持ってくれるっていってんだぞ」
「お持ちします、小さくても軽くても、女性に荷物はあまり持たせたくないので」
「ほら!」

 眉間にきつく皺がより、上から下まで、じろりじろりと彼女の視線が動いた後、強い力で押し付けるように釣り竿を渡される。怒らせた、のだと思いつつ、しかし、女性に荷物持ちをさせる、という事を回避できて安心もする。

「悪いなノニン!助かる!!」
「いいや、いいんだ、気にしないでくれ」
「顔こそいかついが本当にお前どこぞの貴族だったりするんだろうなあ!」

 うはは、と笑った彼女は少しだけ気恥ずかしそうにしているようにも思う。

「俺はまあ、…女性の事を尊敬しているから」
「ほおーーー!!いやあ、何にしてもほんと、いい経験だ!」

 今度はくっく、と肩を揺らして先ほどから上機嫌に笑う彼女は本当にこういった経験がないのだろう、とは思う。思うくらいには心底嬉しそうに笑うのだ。迷惑でないなら良かった、と思いつつ眉間にしわが寄ったままのレスライン殿に申し訳なく思う。

「はあーいやいや、アタシが男だったら嬉しくてノニンを嫁にしたいとこだな」
「えっ」
「旦那にするにはちっとばっかし気弱すぎてな」
「ま、まあ、気弱な自覚も腰が低い自覚もある、かな」

 はは、と乾いた笑いが出てしまうが、「そこがいいとこだと思うが」とゼルマ殿がきちんと添えてくれてなんとも落ち着かない気持になる。いいとこ、良いとこだろうか。

「エデルガルドやアタシみたいに気が強い腕っぷしのたつ女も嫌われるんだがな!!あっははは!!なあ!」
「軍の男共も貴族の男共も私は好かん、嫌われてるほうが余程良い」
「確かにな!!」
「ご苦労なさってるんだな…」

 つい、零してしまった言葉にレスライン殿の片眉がきつく上がり睨みつけられる。

「あ、や、その」
「そーそー、エデルガルドもリーゼのやつも苦労してんだ、労わってやってくれ」

 行くぞ、というゼルマ殿の声は既に遠くに行き始めていて慌てておかける。また気を悪くさせた、と気分が滅入ってしまう。自分の常識とは女性の持つ意識も勝手も違っていて、まるで反応の意味を汲み取れない。ゼルマ殿はいくらか声に出してくれるのでいいのだが、レスライン殿は大よそ腹を立てているのだと思う。

「そういえばノニンは独身か?独身ならエデルガルドは気が強すぎるから嫁にするならリーゼの方がいいぞ??わかるか?ほら、セルベルのとこにいればみたことあるかもしれないが可愛い女がいるだろ」
「あ、ああ、存じてはいるが、」
「気立てもいいし、可愛いし、男からはそれなりに人気なんだ」
「そう、そんな、気はする、確かに」

 ロージエ殿は確かに、男性から好かれそうな方だとは思う。笑顔も可愛らしいし、仕草の一つとってみても擽られるものはあると思う。

「ノニンくらいの年だとなんていうか嫁のひとりくらいはいそうだけどそんなとこは記憶あるのかあ?」
「……いや、ない、…いる、のかな、俺みたいなのに」

 はは、と笑うと好きな奴は好きそうだろとゼルマ殿が笑う。

「顔はまあ怖いが?」
「ははは、…孤児院の子供にも確かに泣かれた」
「あっはっはっは!!!!!泣かれたのかあ!?顔が怖いって!?」
「あ、ああ、そうなんだ…怖いって」
「アタシも泣かれるんだよお!仲間だなあ!エデルガルドなんかびびりちらされるのが殆どだしよお!」

 殆ど、という言葉に良く懐いているユッテの姿が思い浮かぶ。

「まあまあ、エデルガルドは強面だが、こーみえて可愛いとこもある奴なんだよ」
「ゼルマ・アルゼン」
「なぁにぃ」
「根も葉もない事を言い散らかすな」
「なんだよぉ、アタシはほんとアンタは可愛いと思ってるんだけどよお…実はな?エデルガルドはああみえて良いとこの御嬢さんだからまあ、男は負かして来た奴だけど気立ては良いと思うぞ?」

 実は、の後から耳打ちするように肩を組まれてそう告げられる。そうなのか、と驚きながらゼルマ殿との距離感にも腰が引ける。相変わらず意識する暇も与えることなく接近する方だと思う。

「・・・ゼルマにかかれば何でも可愛い、になるんだなあ」
「おっ、まあな!!!!可愛いもんは可愛いからな!」

 にかにかと笑う彼女は裏がない、とつくづく思える笑顔を見せてくれる。そんな彼女に呆れたようにため息をつくレスライン殿が視界に入り、少し、その表情に口角が緩くなってしまう。ああいう顔もされるのか、と、ひとつまた彼女の事を知れたような、本当に細やかな事ではあるが、そんな気持ちになる。

「ノニンがエデルガルドのこと気になるってよお!」
「あ゛ぁ?」
「はっ!?」
「ん?」
「ゼッ、ゼルマ、俺は何も言ってないっ」
「だって今エデルガルド見てたろ??」
「み、見てたけどっ」
「気になるだろ?」

 痛いくらいに視線を感じて、下を向いてしまう。いや、確かに見ていた、見てはいたけど、気にもなるけど、なるが、まだそんな明確に言葉にしていい段階じゃない。こんなあやふやで直感的なものだけではだめだ。

「たまたま見ただけだろうが、貴様の感性で決めるな」
「そっかあ???アタシだったらエデルガルド気になったら見ちゃうぞ」
「貴様は昔から感覚でものを言うとは思っていたが人のことまで決めつけるな」
「えー?だってなあ、何度か見てたぞ?」

 う、と体が硬直しかけるのを耐える。

「気のせいだって」
「えー????」
「本人が言っているんだからそうなんだろ」
「ええーー???っかしいなあ」

 確かに見てたと思ったけどなあ、という彼女の声を聞きながら申し訳なさに顔があげられない。助け船を暗に出されているのか、どういう意味でそう声を添えて下さっているのかはわからないのだが、そんな事さえ嬉しい、と思ってしまう。

「ノニン・シュトロムフト」
「っは、い」
「あまりお前と関わりたくはないのだが、ゼルマ・アルゼンはこんな女だ、押しに弱そうに見えるから忠告しておいてやるが流されてもいいことはない」
「ご、ご忠告ありがたく…」
「おお?押しに流されてもいいんだぞお?」
「いやいや…」

 にこにこと上機嫌に笑っているゼルマ殿と、呆れたような顔でこちらを見るレスライン殿を交互に見た後、再び落した視界は先ほどより陽が落ちたせいで暗い。

「えと、お二人とも足元にお気をつけて」
「……おっ、気を付ける気を付ける!ほんとノニンが御貴族さん説強いな!!そんな台詞さらっとでるかあ???まあ男とこんな話したことないからわかんねえけど!」

 普通は、いや、まあ、俺の普通は、だが、そうして生きてきたから言葉は出るのだが、やはりここでは彼女たちの様な強くたくましい女性を敬ったり、ということはないのかもしれない、と痛感する。
 ゼルマ殿やロージエ殿はこうして喜んでは下さるが、レスライン殿は険し顔をしてこちらを一瞥しただけだった。

「ど、どうかな……そうなのかも、知れない…けど」
「そうだったら家族やら家のもんやら心配してるんじゃないか?」
「……心配、してもらってるだろうか」
「何だ随分暗い声だすなあ」
「いやほら、……まあ、」
「仮に、貴様の想像通りの男だったとして、心配ばかりもしてられんだろ。貴族共は貴族共でやることもあるからな」
「ふうん、そんなもんか」
「血族が多くいれば一人かけても問題はないとする家もあるものだ」
「はあーーーー薄情だなあ」

 ふんふん、と聞いているゼルマ殿はどうもそういった界隈のことは存じないようだった。逆にレスライン殿は、軍属で隊を任されているということもあるからか(彼女の軍部での地位にもよるだろうが)あれこれ知っているのだろう。ゼルマ殿の言うことを信じていないわけではないが、レスライン殿が「良い家のご息女であった」という可能性も、ないことはない、のかもしれないと思う。実際のところはまるで知らないのだから、うのみにするよりは話半分程度で聞いているほうが良い。
 そして、同時に、もしかしてゼルマ殿が深く俺に尋ねないように配慮してくださったのだろうかと考えてしまう。だとしたら感謝を伝えたいところなのだが、彼女の真意は、彼女を知らない俺からすればまるで見えない。

「(でも、だとしたら、嬉しい……)」

 ちらり、ともう一度だけみたレスライン殿の横顔は、やはり、凛々しくまっすぐと前を見据えていて、ひとつ胸のつかえを整えるように息を吐きだした。
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