春
「何か手伝うよ」
「え?」
翌日、仕事があると出て行ったレヴェンデル殿とベテルギウス殿が居なくなった宿屋は静かだった。聞けば彼一人で経営していて、まあ、客数もそこまで多くはないので困ったことはないとのことだったが、それでも宿泊費の一つも払えないで居座るのは気が引けて仕方がない。
何か手伝える事のひとつでもあるなら、手伝って、それでなにがどうなるというわけじゃないが、彼の事も知れるし、情報も聞きだせるだろう、と踏んで声をかけた。
少し考えてから彼から提示してもらったのは簡単な掃き掃除で、本当にこんなことでいいのかと疑問に思ってしまう。
「俺はその、金銭の一つもないし、少し何か」
「ああ、気にしなくていいんです、蓄えはありますし、食材は自分でとれるものだったら買うより採ってくるので」
「そう、か」
「近くに川もあるし、釣りとかお好きならどうですか?」
「……釣り、というのはその、したことが、なくて、」
「そうですか……良いですよ、釣り。お勧めです。ぼーっとしてる時間とか自分好きです、魚が釣れない時もありますけどそれはそれとして、ただ水面に糸をたらしてウキをぼんやりみてるのも好きなんですよね、疲れてるのかなあと自分で思うんですが何も考えないでいい時間が好きなんだと思うんです」
楽しそうな声は、聞いていて気持ちがいい。本当に好きな事なのだろうと聞いていると再び謝罪される。
「自分、その、好き、な話になると凄くしゃべってしまって、あの、つまらなかったら言ってください、控えるようにします」
「いや、そんなことはない……好きな事なんだ、好きなだけ話したらいいと思うが……」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を少し下げた青年は、腰が低いというか、常に下手に出る。媚びているわけではなく、相手に最大の気を遣うようなタイプなのかもしれない。
「調味料、などはどうするんだ?買い出しなどにも、もし行くのなら俺を使ってくれていいから…荷物持ちくらいからしか、まずは出来ないんだが」
「ああ、……じゃあ、そのときは頼みます。調味料や手に入りにくいものはどうしても街中まで買いに行かないとならなくて」
「すまないその、無知で……。街までは時間がかかるのか?」
「馬で1時間程です」
「そうなのか………馬、の声は聞かないな、」
「少し離れた場所に小屋があるので、そのせいかと。それにうちにいる馬はお客さんの使う子も含めて物静かな性格の子ばかりですしね」
「ああ、そうだったのか…」
「馬は乗れますか?」
「……乗れる、大丈夫だ」
「なるほど」
少しずつ記憶が戻ってきていらっしゃるようで良かったです、という青年に言葉に少しばかり胸が痛む。もう少しだけ、情報が集まったら、と思うが、昼食の会話で聞いた地名も、恐らく有名なのだろう人名も聞いていてピンとこないのはおかしい。まるで違う世界や土地に来ているような気分になる。
もし、仮に、そうだったとしたら、どうする?ここが全く別の世界、なら、俺は、いいや、今はそんな夢のような事を考えても仕方がない。
「他にもあれば、手伝うから…」
「じゃあ、そうですね、薪を積むのを手伝っていただけますか?」
「ああ、わかった」
「助かります」
つぎに案内されたのは宿の裏手の方だ。そういえば食堂(といっていいんだろう)に暖炉があったが、あれに使うのだろう薪がきちんと並べられている。手斧と、まだ丸太のままの材木もいくつかあるが、彼はこれを一人でしているのだろうか。
「いつも一人でしている、のか?」
「そうですね、でもたまに顔なじみのお客さんも手伝ってくれますよ」
「ベテルギウス殿たちか?」
「いえ、その、何人か馴染みの方がいらっしゃるんですが、ベテルギウスさんは気がつくとふらっと仕事に行かれますし」
そこら辺の薪を拾って並べておいて下さると助かります、といいながら彼は新しい薪をせっせと作るために、丸太を割り出す。指示の通り、後で纏めて積み並べておくつもりだったのだろう薪を拾っては並べていく。
「どこまで記憶は戻ってらっしゃいますか?」
「…ぼんやり、と、という感じだ。ええと、…言い出せなかったが名前も、少し」
「そうだったんですか、…ああ、自分が遮ってしまいましたか?」
「い、いや、いいんだ、あのときはああ言って頂いて助かったので、……ノニンだ、よろしく頼む」
「ノニンさん、はい、よろしく。早く他の事も思い出せると良いですね」
優しい笑顔が印象に残る青年だ。黙々と作業をしているときなどは強面なのが目立つのだが、今の様に笑うと不思議と安心感もある。本当は、別に記憶など失ってはいないので、偽ることは心苦しい面もこの青年に限っては持つのだが、いまひとつ、まだ、心に余裕がないのも事実だ。
「エルデ殿は、」
「セルベルでいいですよ」
「……セルベル殿は、狙撃手、といっていたが、ここは戦争か何かしている、のか」
「ああ、そうですね、隣国が時々国境超えをしてきたりするので、追い返すのに軽くは」
「そうなのか………」
「ここは一番狙われやすい国境沿い付近なので、警備も厳重ですから、街外れといっても軍属の方はよく見かけると思いますよ。仕事中の人は軍帽をつけているのでパッと見ても判別がつくかと」
服装は勤務中なら大概緑色の服装ですからと丁寧に説明をしてもらいながら相槌を打つ。彼は、人が好過ぎるとは言われないだろうか。
「そうか、注意して見てみるよ…セルベル殿に、俺の不手際で迷惑を駆けたりしないよう気を付けて振る舞うが」
「困ったときは自分の親類とでも言ってください」
「良いのか?俺は、その、自分で言うが、かなり怪しくはないか?記憶喪失、だし」
「いきなり窓から飛び込んできて、今日からここを宿に使ってもいいかといったベテルギウスさんよりは怪しくないですよ」
彼女は思っていたより突飛な人らしい。そしてセルベル殿は寛容が過ぎるらしい。
「近々街に買い出しに行く予定ではあるので、少し職業案内所も見ていきますか?金銭のことなど気になるなら」
「ああ、そうだな、少し見てみるよ、街の様子も、見てみたら何か思い出せるかもしれないし」
「そうですね、じゃあ、その際はお声がけをします」
「ああ、頼む、……君もその、今日に限った話ではないが、遠慮せず俺に雑務を言いつけていいから……」
いえいえ、お気持ちだけで嬉しいです、と笑いながら黙々と作業を続ける彼の傍らで、せっせと薪を整えて並べたり、丸太を彼の近くに並べて、そうしてまた一日が終わった。彼に関してはもしかしたら自分から雑務を行わせてほしいと申告した方がよさそうだ。
「え?」
翌日、仕事があると出て行ったレヴェンデル殿とベテルギウス殿が居なくなった宿屋は静かだった。聞けば彼一人で経営していて、まあ、客数もそこまで多くはないので困ったことはないとのことだったが、それでも宿泊費の一つも払えないで居座るのは気が引けて仕方がない。
何か手伝える事のひとつでもあるなら、手伝って、それでなにがどうなるというわけじゃないが、彼の事も知れるし、情報も聞きだせるだろう、と踏んで声をかけた。
少し考えてから彼から提示してもらったのは簡単な掃き掃除で、本当にこんなことでいいのかと疑問に思ってしまう。
「俺はその、金銭の一つもないし、少し何か」
「ああ、気にしなくていいんです、蓄えはありますし、食材は自分でとれるものだったら買うより採ってくるので」
「そう、か」
「近くに川もあるし、釣りとかお好きならどうですか?」
「……釣り、というのはその、したことが、なくて、」
「そうですか……良いですよ、釣り。お勧めです。ぼーっとしてる時間とか自分好きです、魚が釣れない時もありますけどそれはそれとして、ただ水面に糸をたらしてウキをぼんやりみてるのも好きなんですよね、疲れてるのかなあと自分で思うんですが何も考えないでいい時間が好きなんだと思うんです」
楽しそうな声は、聞いていて気持ちがいい。本当に好きな事なのだろうと聞いていると再び謝罪される。
「自分、その、好き、な話になると凄くしゃべってしまって、あの、つまらなかったら言ってください、控えるようにします」
「いや、そんなことはない……好きな事なんだ、好きなだけ話したらいいと思うが……」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を少し下げた青年は、腰が低いというか、常に下手に出る。媚びているわけではなく、相手に最大の気を遣うようなタイプなのかもしれない。
「調味料、などはどうするんだ?買い出しなどにも、もし行くのなら俺を使ってくれていいから…荷物持ちくらいからしか、まずは出来ないんだが」
「ああ、……じゃあ、そのときは頼みます。調味料や手に入りにくいものはどうしても街中まで買いに行かないとならなくて」
「すまないその、無知で……。街までは時間がかかるのか?」
「馬で1時間程です」
「そうなのか………馬、の声は聞かないな、」
「少し離れた場所に小屋があるので、そのせいかと。それにうちにいる馬はお客さんの使う子も含めて物静かな性格の子ばかりですしね」
「ああ、そうだったのか…」
「馬は乗れますか?」
「……乗れる、大丈夫だ」
「なるほど」
少しずつ記憶が戻ってきていらっしゃるようで良かったです、という青年に言葉に少しばかり胸が痛む。もう少しだけ、情報が集まったら、と思うが、昼食の会話で聞いた地名も、恐らく有名なのだろう人名も聞いていてピンとこないのはおかしい。まるで違う世界や土地に来ているような気分になる。
もし、仮に、そうだったとしたら、どうする?ここが全く別の世界、なら、俺は、いいや、今はそんな夢のような事を考えても仕方がない。
「他にもあれば、手伝うから…」
「じゃあ、そうですね、薪を積むのを手伝っていただけますか?」
「ああ、わかった」
「助かります」
つぎに案内されたのは宿の裏手の方だ。そういえば食堂(といっていいんだろう)に暖炉があったが、あれに使うのだろう薪がきちんと並べられている。手斧と、まだ丸太のままの材木もいくつかあるが、彼はこれを一人でしているのだろうか。
「いつも一人でしている、のか?」
「そうですね、でもたまに顔なじみのお客さんも手伝ってくれますよ」
「ベテルギウス殿たちか?」
「いえ、その、何人か馴染みの方がいらっしゃるんですが、ベテルギウスさんは気がつくとふらっと仕事に行かれますし」
そこら辺の薪を拾って並べておいて下さると助かります、といいながら彼は新しい薪をせっせと作るために、丸太を割り出す。指示の通り、後で纏めて積み並べておくつもりだったのだろう薪を拾っては並べていく。
「どこまで記憶は戻ってらっしゃいますか?」
「…ぼんやり、と、という感じだ。ええと、…言い出せなかったが名前も、少し」
「そうだったんですか、…ああ、自分が遮ってしまいましたか?」
「い、いや、いいんだ、あのときはああ言って頂いて助かったので、……ノニンだ、よろしく頼む」
「ノニンさん、はい、よろしく。早く他の事も思い出せると良いですね」
優しい笑顔が印象に残る青年だ。黙々と作業をしているときなどは強面なのが目立つのだが、今の様に笑うと不思議と安心感もある。本当は、別に記憶など失ってはいないので、偽ることは心苦しい面もこの青年に限っては持つのだが、いまひとつ、まだ、心に余裕がないのも事実だ。
「エルデ殿は、」
「セルベルでいいですよ」
「……セルベル殿は、狙撃手、といっていたが、ここは戦争か何かしている、のか」
「ああ、そうですね、隣国が時々国境超えをしてきたりするので、追い返すのに軽くは」
「そうなのか………」
「ここは一番狙われやすい国境沿い付近なので、警備も厳重ですから、街外れといっても軍属の方はよく見かけると思いますよ。仕事中の人は軍帽をつけているのでパッと見ても判別がつくかと」
服装は勤務中なら大概緑色の服装ですからと丁寧に説明をしてもらいながら相槌を打つ。彼は、人が好過ぎるとは言われないだろうか。
「そうか、注意して見てみるよ…セルベル殿に、俺の不手際で迷惑を駆けたりしないよう気を付けて振る舞うが」
「困ったときは自分の親類とでも言ってください」
「良いのか?俺は、その、自分で言うが、かなり怪しくはないか?記憶喪失、だし」
「いきなり窓から飛び込んできて、今日からここを宿に使ってもいいかといったベテルギウスさんよりは怪しくないですよ」
彼女は思っていたより突飛な人らしい。そしてセルベル殿は寛容が過ぎるらしい。
「近々街に買い出しに行く予定ではあるので、少し職業案内所も見ていきますか?金銭のことなど気になるなら」
「ああ、そうだな、少し見てみるよ、街の様子も、見てみたら何か思い出せるかもしれないし」
「そうですね、じゃあ、その際はお声がけをします」
「ああ、頼む、……君もその、今日に限った話ではないが、遠慮せず俺に雑務を言いつけていいから……」
いえいえ、お気持ちだけで嬉しいです、と笑いながら黙々と作業を続ける彼の傍らで、せっせと薪を整えて並べたり、丸太を彼の近くに並べて、そうしてまた一日が終わった。彼に関してはもしかしたら自分から雑務を行わせてほしいと申告した方がよさそうだ。