少しずつ陽が長くなっている、と思いつつ日中のじわじわとした暑さに初夏の訪れを感じている。自国では夏なんてあるようでない、といった短いものだったが、それでも秋の収穫に向けた農作業のことや、冬に向けての保存食づくりなど早々にしている民や地域も多かった。
 ここでは比較的のんびりとした季節の巡りらしいのだが、自分の国ではないにしてもそういった民の風景を間近に目にすることが出来るのは貴重な経験だ、などと思いながら相も変わらず巻割りに加えてゼルマ殿が現れては彼女の手伝いに引きずり回される生活を送っている。

「おそーーーい!!さっさと来い!!」
「崖のぼりするなんて聞いてないぞ」
「言ったらついてこないだろーが!」

 大きな笑い声と共に先に急斜面を登り切ったゼルマ殿が仁王立ちで笑っている。この斜面を越えた先に比較的大きい湖がある、とかで、魚釣りに行くぞと引っ張ってこられたのだが、山を少し登るとは伺ったのだが急斜面とは聞いていなかった。
 釣り道具は彼女が持っているので俺としては手ぶらで助かるやら女性に手荷物を持たせて申し訳ないやらではあるが、正直道具を持って登り切れる自信もない。

「よしよし、登れたな!偉いぞー!!」

 無事に登り切ったと安堵するとゼルマ殿がそういって腕をこちらに伸ばしてきたのをそっと気持ち避ける。多分、頭を撫でようとしたのだろうか。

「子供じゃあないんだが」
「大人になって褒められる事なんかないだろ!!!ほらほら、頭下げな」

 一応断ってはみたものの、軽く襟を掴まれて引っ張られる。言われて少しだけ頭を垂れるとわしわしと力強く頭を撫でられる。撫でるというよりかき回されている気がしなくもない。

「ところであー、ゼルマ」
「ん?」
「…もう一人誰か来る、のか」
「おお、そーだそーだ!!待ち合わせててな!!」

 なんとなく彼女の聞き知っている限りの交友関係(彼女は滅多に誰か他人の名前を出さないし、そもそも山奥で基本生活している)を思い出しながらいや、でも、しかし、と考えがぐるぐると頭を巡っていく。
 結局、待ち合わせの湖とやらにつく頃には、その人の姿が見え、咄嗟に首を竦めてしまうくらいには向こうもものすごい形相だった。

「エデルガルドー!早かったな!」
「ゼルマ・アルゼン、おい、後ろの男はなんだ」
「言っただろ!アタシのダチだ」
「ど、どうも」

 ギロリと射貫くような視線にさっと視線を外す。

「睨むな睨むな!!良い奴だよ!」
「その男は記憶喪失の得体も素性も知れぬ男だぞ、貴様がなぜそんな男と」
「おお、それならわかってるって、なあ!!」
「え?」

 バシン、と力強く背中を叩かれて、肩、に手は回せない彼女はそのまま背中に腕を回して俺の二の腕を抱く。相変わらず挙動が一気に駆け抜け過ぎて警戒するのも驚くのも忘れてしまう。

「流れ星の落した貴公子殿だもんな!」
「あ゛ぁ?」
「ロマンチックだろ!!」

 快活なゼルマ殿の笑い声に反してドスの利いた声をレスライン殿が吐き出す。それを聞いてまたゼルマ殿が笑っている。

「いやいや、実を言えばギーゼラの話じゃあどこぞの没落貴族か古い血筋がそういうとこの奴って聞いてんだが」
「……ほぉ?」
「面白いだろ!!まあノニン自身が何も覚えてないから確認のしようはないんだがな」
「あの女は信用ならん。嘘か真かさえわからん」
「本当の方が楽しいだろ」

 ゼルマ殿は組み立て式の釣り竿をセットしながら、レスライン殿は折りたたまれたタイプの籠を組み立てながらそんな会話をしている。余程仲が良いのだなと思うのだが、手持無沙汰なのと作業を彼女たちにまかせっきりな情けなさに居心地が悪い。

「ほれ、ノニンのな」
「あ、ありがとう」

 釣り竿と籠、それから練り固めるタイプの餌を手渡され、そろそろと少し離れた場所で釣りの支度をする。
 俺が離れるのはゼルマ殿は予測していたのか何も言わず、レスライン殿と会話をしている。恐らくは俺の話やギーゼラ殿、あとはセルベル殿の話題なのだろうなというのをゼルマ殿の唇の動きから想像は出来た。最もまだ完璧に読めるわけではないが名前くらいであればなんとかわかる。
 二人の邪魔をしないようにそろりと糸を水面に落としたがあまりにも近場に落とし過ぎたな、とも思う。
 だがセルベル殿と何度かご一緒させていただいたが釣果がなくともただこうして釣り糸を垂らしているだけでも楽しいものだとは思う。あまりこういったゆっくりした時間をとれたことが無かったからというのもあるが。それにしても苦ではない。
 ちらりと彼女…レスライン殿を伺い見る。今日は軍帽は被っておらず、あの金の髪が初夏の太陽に照らされていて美しい、と思いつつ彼女がこちらを見る気配を咄嗟に感じて視線を湖上に落とす。彼女は釣り糸こそたらしてはいるが、ただ垂らしている、というだけで釣る気はないらしい、というのは竿が微動だにもしていないのをみて察した。まあそれでも釣れる時は釣れるのだがと思いつつあたりを感じて釣り竿をひゅ、と引くと中くらいの魚が釣れる。よくセルベル殿が煮込み料理で使っているなと思いながら籠へと魚を放る。

 新しい餌を付け、もう一度。

 レスライン殿とゼルマ殿はとても仲が良さそうに会話をしているのは二人を見なくともゼルマ殿の時々聞こえてくる笑い声で察することが出来る。まあもともと彼女は朗らかな人だから彼女が一方的にという可能性も大いにある。
 ユッテに仲良くなりたい、とは言ったものの未だそのような気配はない。なりたくない、わけではないのだが、アプローチをしてみるにしても彼女の事は依然多くを知らずにいる。
 ユッテと仲が良い事と、仕事熱心であることと、愛国心があるのと、警戒心が強くて、強い方で、

「ノニン・シュトロムフト」
「っ…!! っは、はい」

 ぼんやりと彼女の事を脳内で、形を整えるように知り得ていることをひとつづつなぞっているととても近くでその声がして肩を跳ねさせる。
 そのまま無言で何かの包みを渡され、包みを見て、レスライン殿を見る。

「ゼルマ・アルゼンからだ。貴様の昼食だそうだがいらんなら、ゼルマ・アルゼンに返す」
「ぁ、あ、い、いや、すまない、考え事をしていて、ありがとう…ございます」

 胸に押し付けるようにして手渡された包みを片手で慌てて受け取ると、レスライン殿は大股で湖の縁をたどるように歩いて戻っていく。ゼルマ殿が大きく片手を上げて笑っているのを見て、ああ、彼女がレスライン殿に運搬役を頼んだのだろうなと思う。レスライン殿は戻るなりなにやらと彼女に言葉を告げていたようだが距離もあるし、離れていて聞こえない。唇を読むにしても、今の状況ではすぐ気がつかれてしまうかもと、行わなかったので内容はわからない。
 受け取った時少しだけ、僅かにだけ彼女の指先に触れたことに顔が熱くなりそうなのを堪えながら離れて少しずつ、恐らくはセルベル殿がゼルマ殿に頼まれて作ったのだろうパンになにやらと具材が挟まれた昼食を口に入れた。

 ゼルマ殿もこちらに気を遣って下さった、というよりはレスライン殿が俺を不審に思っているというのもわかっているからこそそっとしておいてくださっているのがありがたい。

「ノニン!そろそろこっちくるかー!!」

 昼食を食べ終え、一息つき終わったあたりで来るか、といいながら既にこちらに歩み寄ってきて、あ、と思った頃には腕を掴まれて道具も持たされて移動させられてしまうこの行動力は、ありがたい、といえばありがたいのかもしれない。強引さは感じるが、この素直な強引さは嫌いではない。

「エデルガルドもほら、アタシの友達なんだ、仲良くしてやってくれよ」
「男となれ合う気はないんだが?」
「まあまあ、そういうなよ、良い奴なんだから」
「ふん、フリだろ」

 そうか?というゼルマ殿は俺とレスライン殿の間に入ってくれている。レスライン殿は、ずっと湖面を見つめている。

「ノニンも良かったらエデルガルドと仲良くしてくれよ!こいつ気難しくてなあ!!」
「あ、は、はい」

 チッ、と聞こえた舌打ちは明らかに俺に聞かせるためだろうなあと少し寂しく思いつつも、やはり安心もしてしまうのは卑屈に慣れ過ぎたせいだろうか。

「舌打ちしてやるなよお、いい男だぞノニンは」
「あぁ?」
「なにせアタシのことをちゃあんと「女性」っつってくれんだから!なあ」
「え?」

 なあ、と言われて思わずそう返してしまったが、それだけで「良い」といっていただいていいんだろうかと思わずレスライン殿を伺ってしまう。何とも言えない渋い顔でゼルマ殿を見て、それから、眼が合う。相変わらず、いや、何度もまだ回数はみていないが、本当に、意志の強そうな瞳の輝きにぎくりと体を強張らせる。

「………変わり種の女好き…には見えんな」
「女は女ってカテゴリーなんだろ、なっノニン」
「え、あ、そ、その」
「エデルガルドのことだって女だって思ってるって」
「私はそういうのは好かん」
「気難しい奴だなあ」

 やはりあまり女性扱いされるのはお好きではないらしい、と以前の祭りの事が思い起こされる。そのまま、何だかんだと話し込む二人の会話は、本当に友人同士らしい世間話だった。恐らく軍の情勢の話や戦の話も隠喩を交えてしているのだろう、とは会話から察することは出来たのだが、あまり耳に入れぬようには務めた。
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