春
孤児院に教えに行くようにもなり、そこの子供たちにもそれなりに懐いて貰ったりと、色々と、自国に居たころでは想像できないことが自分に起こっているのが何とも不思議だった。一番小さな子には特にも懐かれていて、今日も、仕事の終わりに許可をとって、彼女の手を引きながら街を歩く。
折角街に出かけるからと都度セルベル殿に買い出しがないかを伺っていて、あれば記入していただいたメモを見ながら少女…ユッテと買い物をするし、なければないでただ彼女の話を聞きながら、俺が帰るのが寂しいらしいユッテの気がある程度すむまで散歩をしていた。
「あのね、ユッテね、四角のあみものできたの」
「すごいな…ユッテは器用だから、そういったことが呑み込みが早いな」
「えへへ」
孤児院の年上の少女たちではなく、どうやら別の友人から教わっている編み物の進捗具合を聞くことも日課になっている。
「先生もユッテといっしょに教わる?」
「いや、先生は、…ユッテの話を聞いているのが楽しいからなあ…。ユッテのお友達の話を聞いてるのが先生は好きだよ」
「そうなんだあ、あのね、お友達のお姉ちゃんはね、えっとね、やさしいんだよ」
「そうなんだ」
「一杯教えてもらってるの、それでね、上手になってきたらね、先生にね、マフラーあむね!」
「うん?うん、楽しみにしてるよ」
「マフラー」というのがいまいち想像出来ないのだが、編んでくれる、というのなら楽しみにしておこうと思う。想像するのも楽しいかもしれない、し。
「先生は何色がすき?」
「え…っと、そう、だな……考えたこともなかった…」
「えー?じゃあ、ユッテの好きな色であみあみしていい?」
「うん、いいよ」
わかった、と笑う彼女は繋いだ手を力強く握る。編み物は孤児院にいる年上の女の子たちから教わっているわけではないらしく、近所のお姉さんから教えてもらっている、と彼女は教えてくれたことがあった。上手に出来ない、とくしゃくしゃに泣きそうな顔で編み物に使うのだろう道具を小さな手でせっせともちながら編もうとしている。
もう少し小さなものにしようか、と持ち掛けたが、「お姉ちゃんがくれたからこれがいい」と首を横に振ったので、そのまま多分、恐らく大人用の編み棒を使っているのだろうと思う。
「ああ、此処でも買うんだった…ユッテ、少し待っててくれるかな」
「うん!」
「ありがとう」
メモを一度確認して、いくつか布を購入する。といっても、持って帰るのではなくて、あらかじめ注文しておいて、出来上がり次第届けてもらうので、セルベル殿がメモしてくれたものをそのまま見せる。彼が良く使う店なので、主人はすっかりわかったものでいつものだね、と笑ってメモを書き写す。
手早いものだと前金を渡し、ちらりとユッテを確認した。
「ユッテ…?」
先ほどまで横にいた少女の姿が見当たらない。視線を彷徨わせ、小さく結ばれた黒の髪が、路地に入っていくのをみて慌てて店の主人へ金を置いて、追いかける。別に慌てなくてもいいのかもしれないが、ここだって決して治安が良い、とは言い切れない。ましてや彼女は身寄りがないし、行方知れずになったとしても見つけられるかどうかも怪しい。
「ユッ…!」
追いかけて、路地を覗いて、言葉を止めた。
「ユッテ、どうした、ダメじゃないか、一人で街を歩いては…」
右手が軍帽の鍔を掴んで、そっと帽子を脱ぐ。綺麗に後ろに流している金の髪と、その軍服に息が止まりそうになる。いや、一番は、その表情なのだが。
優し気に、少し下がった眉と、穏やかに笑っている顔に、年甲斐もなく胸が跳ねる。決して自分に向けられたわけではないのに。
その笑顔さえ一瞬の事で、彼女が、レスライン殿が俺に気がつくなり表情を険しくする。
「あ、先生!」
「先生……?」
ぎゅ、と彼女の眉間にしわが寄って、睨みつけられる。
「ゆ、ユッテ、心配、かけないでくれ…」
「あ…ごめんなさい」
「いいんだ、ユッテが無事なら、」
視線のやり場に困りながらも、駆け寄ってきたユッテを見るほかない。あれ以来、初めてレスライン殿に会った。相変わらず彼女からは警戒心を感じるのだが、ユッテには当然そんなものはわからないのだろう。俺の手を引いて、来て、と路地に引っ張っていく。彼女との距離がじりじりと詰まっていく中で、やはり、その瞳を直視は出来ない。
「あのね、お姉ちゃん、こっちはね、ユッテの先生!」
「ど、どう、も」
ぎりりと細くなった目がこちらを睨みつける。
「ユッテ、その男は」
「でね、先生、こっちがね、お姉ちゃん!」
「お、お姉ちゃんか、そうか」
「うんっ」
ちら、とレスライン殿を伺うと、帽子を深くかぶり直し、そこに立っている。もしかしたら、ユッテに、編み物を教えている、というのは、もしかしなくても、レスライン殿だったりするのだろうか、と少し思う。いやでも、ユルシュル殿も孤児院に出向くことがある、と言っていたし、彼女と言う可能性もなくはない。断定が、出来ない。
「ユッテ、彼が、例の先生なんだな」
「うん!!」
ユッテと、視線を合わせる為だろう。しゃがんだ彼女の声はとても静かに聞こえる。高さの違いか、それとも、そういう風に声をだしているのかはわからない。
「先生、あのね、お姉ちゃんはね、ユッテのちっちゃいころから遊んでくれてるお姉ちゃんだからね、だいじょーぶだよ?」
「え、あ、ああ、うん、ユッテのお姉ちゃんなんだ、信じるよ」
小さい頃、というと物心つく前から彼女とレスライン殿は面識があった、という事なのだろう。そして、ユッテが俺に大丈夫、といったのは、俺が「女の人が少し怖いんだ」と説明したのを覚えていたのだろう。
「ノニン・シュトロムフト」
「は、はいっ」
「少し顔を貸せ」
来い、と言葉には出さず、顎で示した先はちょっとした休憩場所だ。小さな花壇と、ベンチと丸テーブルが置いてある。
ユッテにはベンチに座ってもらい、ほんの少しだけ離れた場所でユッテのことを注意深く見ながら、レスライン殿が、見えない角度で俺の襟をつかむ。
「何のつもりだ貴様」
「な、何のと、申されても…俺はただ、仕事で、」
「仕事だと?」
「最近、その、アメイシャ殿から、仕事を紹介して、い、いただいっ」
「あ?」
嘘ではないんだろうな、と言わんばかりに睨み上げられる。嘘ではない、と申告すれば、幾分まだ「信用できない」といった顔はされたが、襟からは手を放して貰えた。
「……ユッテの話に出てくる先生というのがまさか貴様だとはな」
じろりと睨まれるたびに申し訳なさがせり上がる。
「ユ、ユッテとはレスライン殿は、お知り合い…ですか?」
「……あの子の父親の最期を私が看取った」
「…そう、ですか」
ぎゅ、と鍔を少し深く下げた彼女は、ちらりとベンチに大人しく座る少女を、恐らく見たのかもしれない。ほんの少しだけ、顎が動いた。
「母親の方は別部隊だったが、……」
「……」
「……ユッテが信用していようが、私は貴様を信用していない」
「え、ええ、勿論、当然と承知しております」
つい、と彼女はこちらを見ることもなくユッテの下に歩いていく。何事かを彼女と話し、それから、つかつかと大股で大通りの方へ歩いて消えてしまった。
「先生!」
そろりとユッテの下に近づくと、嬉しそうな彼女が駆け寄ってくる。
「先生と、お姉ちゃんは、仲良しなの?」
「え、い、いや、仲良しじゃない、かな」
「……なあんだ、そうなんだ…」
しゅうん、と項垂れる表情が寂しそうで、つい、頭を撫でる。
「仲良くなりたい、な、とは、思ってるよ」
「ほんと!!」
「あ、ああ、」
「仲良くなったらじゃあ、じゃあ、先生とお姉ちゃんとおでかけしたい!」
「えっ…そ、そうだね、皆でお出かけするのは、楽しそうだね」
うん、と元気いっぱいに頷く彼女の、気持ちはわからなくもない。慕っている人同士が仲良しなのが、嬉しいという気持ちはとても、わかる。
「(仲良く、か…)」
なりたい、という気持ちは誤魔化しきれるものではない。かといって、なれるという確信もなく、ただ、「なかよくなれるだろうか」という、不安だけがそこにあった。
折角街に出かけるからと都度セルベル殿に買い出しがないかを伺っていて、あれば記入していただいたメモを見ながら少女…ユッテと買い物をするし、なければないでただ彼女の話を聞きながら、俺が帰るのが寂しいらしいユッテの気がある程度すむまで散歩をしていた。
「あのね、ユッテね、四角のあみものできたの」
「すごいな…ユッテは器用だから、そういったことが呑み込みが早いな」
「えへへ」
孤児院の年上の少女たちではなく、どうやら別の友人から教わっている編み物の進捗具合を聞くことも日課になっている。
「先生もユッテといっしょに教わる?」
「いや、先生は、…ユッテの話を聞いているのが楽しいからなあ…。ユッテのお友達の話を聞いてるのが先生は好きだよ」
「そうなんだあ、あのね、お友達のお姉ちゃんはね、えっとね、やさしいんだよ」
「そうなんだ」
「一杯教えてもらってるの、それでね、上手になってきたらね、先生にね、マフラーあむね!」
「うん?うん、楽しみにしてるよ」
「マフラー」というのがいまいち想像出来ないのだが、編んでくれる、というのなら楽しみにしておこうと思う。想像するのも楽しいかもしれない、し。
「先生は何色がすき?」
「え…っと、そう、だな……考えたこともなかった…」
「えー?じゃあ、ユッテの好きな色であみあみしていい?」
「うん、いいよ」
わかった、と笑う彼女は繋いだ手を力強く握る。編み物は孤児院にいる年上の女の子たちから教わっているわけではないらしく、近所のお姉さんから教えてもらっている、と彼女は教えてくれたことがあった。上手に出来ない、とくしゃくしゃに泣きそうな顔で編み物に使うのだろう道具を小さな手でせっせともちながら編もうとしている。
もう少し小さなものにしようか、と持ち掛けたが、「お姉ちゃんがくれたからこれがいい」と首を横に振ったので、そのまま多分、恐らく大人用の編み棒を使っているのだろうと思う。
「ああ、此処でも買うんだった…ユッテ、少し待っててくれるかな」
「うん!」
「ありがとう」
メモを一度確認して、いくつか布を購入する。といっても、持って帰るのではなくて、あらかじめ注文しておいて、出来上がり次第届けてもらうので、セルベル殿がメモしてくれたものをそのまま見せる。彼が良く使う店なので、主人はすっかりわかったものでいつものだね、と笑ってメモを書き写す。
手早いものだと前金を渡し、ちらりとユッテを確認した。
「ユッテ…?」
先ほどまで横にいた少女の姿が見当たらない。視線を彷徨わせ、小さく結ばれた黒の髪が、路地に入っていくのをみて慌てて店の主人へ金を置いて、追いかける。別に慌てなくてもいいのかもしれないが、ここだって決して治安が良い、とは言い切れない。ましてや彼女は身寄りがないし、行方知れずになったとしても見つけられるかどうかも怪しい。
「ユッ…!」
追いかけて、路地を覗いて、言葉を止めた。
「ユッテ、どうした、ダメじゃないか、一人で街を歩いては…」
右手が軍帽の鍔を掴んで、そっと帽子を脱ぐ。綺麗に後ろに流している金の髪と、その軍服に息が止まりそうになる。いや、一番は、その表情なのだが。
優し気に、少し下がった眉と、穏やかに笑っている顔に、年甲斐もなく胸が跳ねる。決して自分に向けられたわけではないのに。
その笑顔さえ一瞬の事で、彼女が、レスライン殿が俺に気がつくなり表情を険しくする。
「あ、先生!」
「先生……?」
ぎゅ、と彼女の眉間にしわが寄って、睨みつけられる。
「ゆ、ユッテ、心配、かけないでくれ…」
「あ…ごめんなさい」
「いいんだ、ユッテが無事なら、」
視線のやり場に困りながらも、駆け寄ってきたユッテを見るほかない。あれ以来、初めてレスライン殿に会った。相変わらず彼女からは警戒心を感じるのだが、ユッテには当然そんなものはわからないのだろう。俺の手を引いて、来て、と路地に引っ張っていく。彼女との距離がじりじりと詰まっていく中で、やはり、その瞳を直視は出来ない。
「あのね、お姉ちゃん、こっちはね、ユッテの先生!」
「ど、どう、も」
ぎりりと細くなった目がこちらを睨みつける。
「ユッテ、その男は」
「でね、先生、こっちがね、お姉ちゃん!」
「お、お姉ちゃんか、そうか」
「うんっ」
ちら、とレスライン殿を伺うと、帽子を深くかぶり直し、そこに立っている。もしかしたら、ユッテに、編み物を教えている、というのは、もしかしなくても、レスライン殿だったりするのだろうか、と少し思う。いやでも、ユルシュル殿も孤児院に出向くことがある、と言っていたし、彼女と言う可能性もなくはない。断定が、出来ない。
「ユッテ、彼が、例の先生なんだな」
「うん!!」
ユッテと、視線を合わせる為だろう。しゃがんだ彼女の声はとても静かに聞こえる。高さの違いか、それとも、そういう風に声をだしているのかはわからない。
「先生、あのね、お姉ちゃんはね、ユッテのちっちゃいころから遊んでくれてるお姉ちゃんだからね、だいじょーぶだよ?」
「え、あ、ああ、うん、ユッテのお姉ちゃんなんだ、信じるよ」
小さい頃、というと物心つく前から彼女とレスライン殿は面識があった、という事なのだろう。そして、ユッテが俺に大丈夫、といったのは、俺が「女の人が少し怖いんだ」と説明したのを覚えていたのだろう。
「ノニン・シュトロムフト」
「は、はいっ」
「少し顔を貸せ」
来い、と言葉には出さず、顎で示した先はちょっとした休憩場所だ。小さな花壇と、ベンチと丸テーブルが置いてある。
ユッテにはベンチに座ってもらい、ほんの少しだけ離れた場所でユッテのことを注意深く見ながら、レスライン殿が、見えない角度で俺の襟をつかむ。
「何のつもりだ貴様」
「な、何のと、申されても…俺はただ、仕事で、」
「仕事だと?」
「最近、その、アメイシャ殿から、仕事を紹介して、い、いただいっ」
「あ?」
嘘ではないんだろうな、と言わんばかりに睨み上げられる。嘘ではない、と申告すれば、幾分まだ「信用できない」といった顔はされたが、襟からは手を放して貰えた。
「……ユッテの話に出てくる先生というのがまさか貴様だとはな」
じろりと睨まれるたびに申し訳なさがせり上がる。
「ユ、ユッテとはレスライン殿は、お知り合い…ですか?」
「……あの子の父親の最期を私が看取った」
「…そう、ですか」
ぎゅ、と鍔を少し深く下げた彼女は、ちらりとベンチに大人しく座る少女を、恐らく見たのかもしれない。ほんの少しだけ、顎が動いた。
「母親の方は別部隊だったが、……」
「……」
「……ユッテが信用していようが、私は貴様を信用していない」
「え、ええ、勿論、当然と承知しております」
つい、と彼女はこちらを見ることもなくユッテの下に歩いていく。何事かを彼女と話し、それから、つかつかと大股で大通りの方へ歩いて消えてしまった。
「先生!」
そろりとユッテの下に近づくと、嬉しそうな彼女が駆け寄ってくる。
「先生と、お姉ちゃんは、仲良しなの?」
「え、い、いや、仲良しじゃない、かな」
「……なあんだ、そうなんだ…」
しゅうん、と項垂れる表情が寂しそうで、つい、頭を撫でる。
「仲良くなりたい、な、とは、思ってるよ」
「ほんと!!」
「あ、ああ、」
「仲良くなったらじゃあ、じゃあ、先生とお姉ちゃんとおでかけしたい!」
「えっ…そ、そうだね、皆でお出かけするのは、楽しそうだね」
うん、と元気いっぱいに頷く彼女の、気持ちはわからなくもない。慕っている人同士が仲良しなのが、嬉しいという気持ちはとても、わかる。
「(仲良く、か…)」
なりたい、という気持ちは誤魔化しきれるものではない。かといって、なれるという確信もなく、ただ、「なかよくなれるだろうか」という、不安だけがそこにあった。