閑話

 黒いローブを身に纏い、顔色の悪い男だというのが第一印象だ。

 聞けばセルベル・エルデの元で世話になっているとの話に加え、どういうわけかオルフェ様の屋敷にいた。得体もしれないというのに、ご息女であるアメイシャ・オルフェ様も、ましてやセルベル・エルデとリーゼロッテ・ロージエもその男を「信用に足る」といった具合で接している。セルベル・エルデに関しては国境付近に居を構えているくせに、暢気も大概にしろと言いたいのを堪えたが、リーゼロッテ・ロージエに関していうならば「優しくされたくらいでいちいち懐くな」とも言いたい。言いたいが、彼女の方が軍属歴は長い。ここもぐっと耐えた。
 アメイシャ・オルフェ様と祭りに出かけるのだと聞いたときも何か彼女につけいろうだとか、下心があってのことかと警戒した。年若い彼女を手籠めにしようなどという思考は決してなくはない。むしろ大いにあるに違いないと目を光らせていた。

 ギーゼラ・レヴェンデルと接触があるということでますます警戒心は高まった。尋常ではない身のこなしも、一朝一夕で身についたとは、「物覚えがいい」だけの話では決してない。あの時の男は「しまった」という顔をしていた。こちらが繰り出した行動に対して「しまった」と判断した顔。「自分がとった行動は間違いだ」と咄嗟に思考した顔。大概、当たるだろうあの攻撃をよけきったことに「しまった」と感じたのだとすれば、そうとうな戦闘経験かなにか積んでいるとみて間違いはない。咄嗟に右手が背後に回りかけたのを止めたことも、怪しい。
 背中に例えば武器を隠していたとして、それを咄嗟に抜き取ろうとした反射力も、「それはまずい」とした思考も、そうとう頭の回転がいいか、経験がそうさせているのだ。ただの「記憶喪失」にしても体が覚えているのだとすれば武器は抜き切ったに違いなく、しかし、それを止めたのならば、本当に「記憶喪失」かも疑わしい。
 大人しくはしていたが、夜の間もじっと男を見ていた。時折質問もうけたものの「記憶喪失」かどうか、わかったものではない。「わざと」という場合もある。腰は低いようで、声をかけた商人たちの多くは街中でも目利き、腕利きの者が多い。品がいいのか、それとも何かを感じたのかは知らないが、無精者のような外見のくせに身の振り方は貴族に近い。
 部下は男が圧倒的に多いが、権力者に接近する者に関しては男女問わず疑うことにしている。特にも今はオウル・オルフェ様が不在で、ご息女しかいらっしゃらない。何の虫が彼女にすり寄るかわからない。
 だから、この男が何かしないよう、スパイの可能性も考慮して目を光らせていた。勿論、セルベル・エルデの宿まで監視するつもりだった。

「貴女がお強い方なのは存じています、でも、その、個人的に、…女性を夜遅く、独りで帰路へ着かせるのは、申し訳がなくて」

 視線を下に向けたまま男はそう告げてきた。

「で、デート、だから…」

 まさか本気にしていたのか、とは思ったがそうではないらしかった。

「だから、え、と、デート、ですから、本来は俺が貴女をお見送りしなくてはいけない、でしょう?」

 そういう言葉はもっと愛らしい女性に言うものだろうがと胸糞が悪くなる。馬鹿にしているのか、と拳を握った。

「お、俺にとっては……俺から、見れば、女性なんです、だから、戻って頂きたい…」

 女だなんだ、とこいつも私を馬鹿にするのか、とじりじりと上がっていく怒りを堪えていた。

「デートのエスコート…は、出来ませんでしたが、ご一緒させていただいた男としてです」

 ぽつぽつと言葉をひとつずつ選ぶようにしながら、何度か男と目があう。目があえば男はすぐさま逸らす。逸らしていたのを、最後の一言では外さず、告げた。
 縁がないと、いいや、そんなものは掛けられるような者にはなるまいと努めてきた。デートだの、エスコートだの、女性だの、男は私が捨てはらったものを口にする。真剣な目は嘘は言っていないだろう。

 つ、と視線が逸らされたあと、せわしなく、馬の手綱を握っていた手が動いている。

 冗談ではなく、私にその言葉をぶつけたらしいことに違う感情がせりあがってきたのを抑え込み、理解しようとも思わないまま背を向けた。
 男がどういうつもりなのかまるで分らない。得体のしれない男だ。口が上手い可能性は高い。リップサービスに違いない、決して揺れるな、と自分に言い聞かせ、人も疎らになってきた道を引き返した。
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