春
祭りの日から暫く経っての事だった。巻割りが板についてきたな、と思いながら作業をしていると、うっすらと気配を感じて顔を上げる。
「あ」
ぺこ、と小さく頭を下げたのはユルシュル殿だった。彼女はこの宿に宿泊しているわけではないので、昼食時くらいしかみかけないのだが、そういえば最近はお見かけしていなかった。
少しだけ持ち上げた右手で、ちょん、と俺の隣を指さす。
「え、あ…あぁ、えっと、か、構わない、」
隣に宜しいかという意味合い、となんとなしに判断してそう告げると、もういちどぺこ、と小さく頭が下がる。移動の際殆ど音を立てない歩き方はレヴェンデル殿に近いのだが、彼女はもっと無音だとも思う。
ユルシュル殿とは一度会った時からほぼ会話をしていない。あまり話しかけられるのは好きではないのかも、と思っていたし、何よりセルベル殿やロージエ殿と会話している事が多いので俺は何も言わずに席だけご一緒している、といった具合だ。
隣にやってきた彼女はそのまま静かにしゃがみ込んで、手元をじっと見ている。何の会話も思いつかないまま、危ないですからね、と一言告げて鉈を振り下ろして薪を割る。腕を目で追っているらしい彼女の首が微かに上下に動く。
確か、セルベル殿は厨房にいた、と思った。それから今日は、ベテルギウス殿とレヴェンデル殿もいたと記憶しているのだが。
「……え、と、ユルシュル殿は、もしかしてその、」
セルベル殿とは仲が良さそう(に見えた)ではあった。ロージエ殿ともお話を良くされていた。
もしかしてレヴェンデル殿かベテルギウス殿のどちらか苦手だったりするのだろうか、と名前は出さずにちらりとみると少し茶色がかった目とあう。それから、こく、と一度首肯される。
「そう、そうか、……まあ、その、無理なさらない程度に」
もういちど、こく、と首が上下に動く。
「………あの……迷惑…じゃ……ないですか……私」
小さな声が区切り、区切り言葉を伝えようと、はっきりした音で発している。恥ずかしがり屋だ、とロージエ殿が教えてくれたが、引っ込み思案でもあるように思う。
「大丈夫ですよ、迷惑でもなんでもない、その、あー…むしろ俺、がご迷惑かけてはいないかという方が…」
「………ノニンちゃん、さん、は、」
ノニンちゃんさん、というのは俺なのか、俺だな、俺しかいないと思いつつ、ロージエ殿の呼び方をそのまま使っているのだろうかと思う。
「ノニンでいいですよ」
こく、こく、と小さく首が二度縦に振られる。それからしゃがんでいる為に抱えていた膝の前で組んでいた手がもじもじと動いている。左の人差し指を、右の人差し指と親指で何度か挟み込んですりすりと動かしているのが目に入った。
「ノニン、さん、………は、……おはなし、しやすい……」
最後には恐らく「です」と零したのだろうが音が小さくなりすぎていて聞こえなかった。
「ありがとう、その、強面の自覚はあるから、怖がらせていなければ安心した」
「……うん、」
平気です、とぽつ、と発した言葉もまた、小さい。とても恥ずかしがり屋なのだとしたら、あまり刺激をしない方が、と思考したあたりで、レヴェンデル殿とベテルギウス殿、どっちも苦手なのだろうなと行きついてしまった。
二人とも、レヴェンデル殿はまあ、面白そうならつつく、といった方らしいがベテルギウス殿は気さくに話しかけてこられる。別に悪い印象はもたないのだが、いつも物静かに隅の席で座っている彼女はもしかしたら、その気さくさが逆に怖いのかもしれない。
「…暫くお見かけしませんでしたね、お仕事でどちらかに?」
こく、と頷く動作は先ほどよりぎこちなさがないようにも思うのだが、俺の気の持ちようと見方が先ほどと少し変化した可能性はあった。
「傭兵をなさっているんでしたか」
こく、とまた小さく頷いた彼女が右手を少しだけ伸ばして、片手で丸を作るかのように指を少し丸めて、そのまま生き物の口が開閉するかのように動かしだす。
「………商人さん、の、買い付け、とかの、護衛、でした」
声に合わせてぱくぱく、と動かしているあたり、右手の何かが話して言るという体なのだろうか?とじっと手を見てしまう。
「………話すとき、見られるの、はずかし、から、こうすると、ちょっと平気」
「成程」
「時々、リーゼさんの、部隊の、手伝いとか、孤児院、のお手伝い、とか、…してます」
「色々大変そうですね」
ふるふる、と小さく、左右に首がうごく。
「そうでもない、ですか?」
今度は上下に、小さく動く。
「そうですか」
それは何よりです、と手を動かしながら笑うと、じっと彼女が視線を向けてきている事に気がつく。先ほどよりもさらに膝を抱えこんで縮こまっている。
「ど、どうしました?どこか痛みますか?」
小さく左右に振られた首に安心するが、自己申告には違いないので聊か安心しきれない部分もある。
「ちゃんと……寝てますか?」
「え」
「目の下……酷い、です」
「あ、ああ…うーん…」
実を言えば眠れていない。祭りで貰った呪いの袋も結局、サイドテーブルの中を優しい香りで充満させるものになってしまっている。
「少し夢見が悪いので……」
そっとユルシュル殿の両手が彼女の腰元あたりをぽすぽすと叩き、それから胸部につけている鎧の内側をするすると指でなにか探したりして、結局、腰のポケットから出されたものは小さな包み紙だった。
「どうぞ……」
「えっと…」
「………お香、です……結構、貰った。……優しい、匂いで好き、だけど、」
「ああ、あまり強く香ってもお仕事で支障が出る場合があるでしょうからね」
「……なので、えっと、……余っている、ので、良かったら、リラックス、に」
気休めかもしれないけれど、と途切れながらも真摯に伝えて下さった言葉はやはり最後は小さくなったが、それでもとてもたくさん話してくださったと思う。
「ありがとうございます、えと、…気に入ったらつけようかと思います」
こくこくと少し早く首が振られる。
「ノニンさん……に、合ってる、と、思います」
それから昼食に呼ばれるまで、少しの間彼女と話したが、…なんとなく、ああ、春なのだな、と少しだけ暖かい気持ちにもなる話などもあって、また見に来ても良いですかと控えめに訪ねてきた彼女に、勿論ですよと伝えた。
「あ」
ぺこ、と小さく頭を下げたのはユルシュル殿だった。彼女はこの宿に宿泊しているわけではないので、昼食時くらいしかみかけないのだが、そういえば最近はお見かけしていなかった。
少しだけ持ち上げた右手で、ちょん、と俺の隣を指さす。
「え、あ…あぁ、えっと、か、構わない、」
隣に宜しいかという意味合い、となんとなしに判断してそう告げると、もういちどぺこ、と小さく頭が下がる。移動の際殆ど音を立てない歩き方はレヴェンデル殿に近いのだが、彼女はもっと無音だとも思う。
ユルシュル殿とは一度会った時からほぼ会話をしていない。あまり話しかけられるのは好きではないのかも、と思っていたし、何よりセルベル殿やロージエ殿と会話している事が多いので俺は何も言わずに席だけご一緒している、といった具合だ。
隣にやってきた彼女はそのまま静かにしゃがみ込んで、手元をじっと見ている。何の会話も思いつかないまま、危ないですからね、と一言告げて鉈を振り下ろして薪を割る。腕を目で追っているらしい彼女の首が微かに上下に動く。
確か、セルベル殿は厨房にいた、と思った。それから今日は、ベテルギウス殿とレヴェンデル殿もいたと記憶しているのだが。
「……え、と、ユルシュル殿は、もしかしてその、」
セルベル殿とは仲が良さそう(に見えた)ではあった。ロージエ殿ともお話を良くされていた。
もしかしてレヴェンデル殿かベテルギウス殿のどちらか苦手だったりするのだろうか、と名前は出さずにちらりとみると少し茶色がかった目とあう。それから、こく、と一度首肯される。
「そう、そうか、……まあ、その、無理なさらない程度に」
もういちど、こく、と首が上下に動く。
「………あの……迷惑…じゃ……ないですか……私」
小さな声が区切り、区切り言葉を伝えようと、はっきりした音で発している。恥ずかしがり屋だ、とロージエ殿が教えてくれたが、引っ込み思案でもあるように思う。
「大丈夫ですよ、迷惑でもなんでもない、その、あー…むしろ俺、がご迷惑かけてはいないかという方が…」
「………ノニンちゃん、さん、は、」
ノニンちゃんさん、というのは俺なのか、俺だな、俺しかいないと思いつつ、ロージエ殿の呼び方をそのまま使っているのだろうかと思う。
「ノニンでいいですよ」
こく、こく、と小さく首が二度縦に振られる。それからしゃがんでいる為に抱えていた膝の前で組んでいた手がもじもじと動いている。左の人差し指を、右の人差し指と親指で何度か挟み込んですりすりと動かしているのが目に入った。
「ノニン、さん、………は、……おはなし、しやすい……」
最後には恐らく「です」と零したのだろうが音が小さくなりすぎていて聞こえなかった。
「ありがとう、その、強面の自覚はあるから、怖がらせていなければ安心した」
「……うん、」
平気です、とぽつ、と発した言葉もまた、小さい。とても恥ずかしがり屋なのだとしたら、あまり刺激をしない方が、と思考したあたりで、レヴェンデル殿とベテルギウス殿、どっちも苦手なのだろうなと行きついてしまった。
二人とも、レヴェンデル殿はまあ、面白そうならつつく、といった方らしいがベテルギウス殿は気さくに話しかけてこられる。別に悪い印象はもたないのだが、いつも物静かに隅の席で座っている彼女はもしかしたら、その気さくさが逆に怖いのかもしれない。
「…暫くお見かけしませんでしたね、お仕事でどちらかに?」
こく、と頷く動作は先ほどよりぎこちなさがないようにも思うのだが、俺の気の持ちようと見方が先ほどと少し変化した可能性はあった。
「傭兵をなさっているんでしたか」
こく、とまた小さく頷いた彼女が右手を少しだけ伸ばして、片手で丸を作るかのように指を少し丸めて、そのまま生き物の口が開閉するかのように動かしだす。
「………商人さん、の、買い付け、とかの、護衛、でした」
声に合わせてぱくぱく、と動かしているあたり、右手の何かが話して言るという体なのだろうか?とじっと手を見てしまう。
「………話すとき、見られるの、はずかし、から、こうすると、ちょっと平気」
「成程」
「時々、リーゼさんの、部隊の、手伝いとか、孤児院、のお手伝い、とか、…してます」
「色々大変そうですね」
ふるふる、と小さく、左右に首がうごく。
「そうでもない、ですか?」
今度は上下に、小さく動く。
「そうですか」
それは何よりです、と手を動かしながら笑うと、じっと彼女が視線を向けてきている事に気がつく。先ほどよりもさらに膝を抱えこんで縮こまっている。
「ど、どうしました?どこか痛みますか?」
小さく左右に振られた首に安心するが、自己申告には違いないので聊か安心しきれない部分もある。
「ちゃんと……寝てますか?」
「え」
「目の下……酷い、です」
「あ、ああ…うーん…」
実を言えば眠れていない。祭りで貰った呪いの袋も結局、サイドテーブルの中を優しい香りで充満させるものになってしまっている。
「少し夢見が悪いので……」
そっとユルシュル殿の両手が彼女の腰元あたりをぽすぽすと叩き、それから胸部につけている鎧の内側をするすると指でなにか探したりして、結局、腰のポケットから出されたものは小さな包み紙だった。
「どうぞ……」
「えっと…」
「………お香、です……結構、貰った。……優しい、匂いで好き、だけど、」
「ああ、あまり強く香ってもお仕事で支障が出る場合があるでしょうからね」
「……なので、えっと、……余っている、ので、良かったら、リラックス、に」
気休めかもしれないけれど、と途切れながらも真摯に伝えて下さった言葉はやはり最後は小さくなったが、それでもとてもたくさん話してくださったと思う。
「ありがとうございます、えと、…気に入ったらつけようかと思います」
こくこくと少し早く首が振られる。
「ノニンさん……に、合ってる、と、思います」
それから昼食に呼ばれるまで、少しの間彼女と話したが、…なんとなく、ああ、春なのだな、と少しだけ暖かい気持ちにもなる話などもあって、また見に来ても良いですかと控えめに訪ねてきた彼女に、勿論ですよと伝えた。