春
彼女はどこか遠くから見ているのだろう。視線だけ相変わらず確かに感じ取っている。街灯近くに設置されたベンチに腰掛けて、ふ、と一息を吐く。良い人そうだ、と店の何人かに言われた言葉が頭を掠めていく。果たして、そうだろうか。そんな風に俺は見えているのだろうか、と考えてしまう。祭りはそろそろお仕舞い、といった雰囲気でちらほら見える範囲でも店じまいをしている様子が伺える。
「(良い人、なんかじゃ…)」
かけてもらった言葉が隙あらばといった具合に頭をよぎる。決して、本当に、俺はそのような人ではない、と思う。兄に言われて酷いことをした。しなければならない事も当然あったが、女性に対しても優しくできた事がない。無慈悲を求められることも、冷酷さを貫くことも多々あった。…ああ、いけない、今はそんな事を思考している場合ではない、と、先ほど「おまけ」といってもらった手のひらに収まる小さな袋を取り出す。紙袋に包まれたそれをそっと開くと、小さな布の袋と衣類につけるのだろう装飾品が現れる。袋の方は、女性が好きそうな細く小さなリボンで口が結ってあって、それから、何か優しい香りがする。装飾品は、といったら、留め具につかうような釦に、紐の飾りがついている。控えめで、派手過ぎないデザインと色だ。オマケだといっていたがこんなに貰って良いのだろうかと不安になる。
レスライン殿なら何かこのオマケの使い道を存じていたりするだろうか、と思いつつ、もう、すでに何か話すきっかけをと考えている時点で、「そうだ」と言う他無さそうではある、あるが、やはりまだ、早い。
「あ、の」
視線が飛んでくる闇の方向へ声をかける。応答は無い。
「……レスライン殿、そこに、いらっしゃるんだろう」
出てきてほしいと無言で見ていると、微かな足音と共に、彼女が暗闇から姿を現す。無言で睨みつけられて、委縮はするものの話は聞いてくれるらしい姿勢に安心もする。
「あの、…その、こ、れ、袋なんだが使い方が、」
「………」
「知らないのか、忘れているのか、判断できないんだ」
いや、実際知らないのだが。
「呪いの様なものだ。そんな顔だから気を利かされたんだろう」
「ま、呪いですか」
「若い連中の中でだがな。枕の下に敷いて寝れば夢見がいいなどという根拠のない噂つきのものだ」
「そうなのか……」
ああ、まあ、確かに、俺は顔色が悪いとセルベル殿にも言われるしなと顎を撫でる。店の女性にまで気を遣わせてしまったらしい。
「……ありがとう、その、記憶が曖昧なもので助かった」
「本当に曖昧か怪しいがな」
「あ、はは、噂通り手厳しい方なんだな」
「甘い言葉が欲しいならそこらの店にでも行け」
清々しいまでの警戒心を露骨に示されて安心してしまうのはやはりおかしいのだろうか、とも思うが、何度言われてもやはり、慣れている感情や視線の方がまだほっとできる。
「あ、そ、その、…もう、帰ります」
いい加減、帰らないとまずいだろうと買ったものをしまい込む。帰宅の意思を伝えれば、彼女に監視を終えていいと伝えられることになるだろうか、と思ったが、もしかしたら街を出るまで監視するのかもしれない。あり得そうではある。
「あ、の、レスライン、殿」
なんだ、と声はないがそんな顔で睨みつけられる。
「…ぁ、その、いえ……」
歩き出せばわかることかと聞くことを止めて、黙って背を向け歩を進める。
後ろからついてこられて足音が聞こえるかどうか、の距離になった時、彼女が付いてくる気配をうっすら感じてやはりそうなのだと心配してしまう。まだ祭りの明かりが灯ってはいるが夜も更けて来た。街外れまで来たら、彼女は帰る時に一人なわけで、平気だろうか。侮るわけではないのだが、やはり女性ではあるのだし、独りで帰らせるのは、かといって、俺はまだ彼女に警戒心しか持たれていないのに送りますと申し出るのもいささか違う。
結局どうにもできず、朝待ち合わせた場所で預かってもらっていた馬を引き連れ、街外れまで来てしまう。どこまでついてくるのかわからない。彼女まで、郊外に来る必要は、ないわけで。
「なんだ」
踵を返しまっすぐ、レスライン殿の前に向かって言われた一言に、そうだろうなと思う。
「こ、ここまでで、いい、です」
「……私は貴様を監視しているのだが?」
監視対象に「ここまででいい」と言われるのは確かにおかしいことだろう。監視対象にそう言われ素直に止める道理はないのも止めるわけもないことだって、十分わかっている。
「……ぁ、その、……よ、夜も遅い、ですから、ここで、帰られては」
「あ?」
低い威圧する声に腰が引けてしまう。
「本当なら、俺が貴女をお見送りしなくてはならない所で」
「はっ……お見送りされるほどか弱い女に見えるのか?」
「違う、侮っているだとか、そういうのじゃない」
不快だと声に出さないまま、しかし表情と雰囲気でもって示される。男が優位の世界、で、ロージエ殿も女というだけで良くない顔をされることが多いと言っていた。レスライン殿もまた、女だから、と侮られた経験があるのだろう事くらい想像に容易い。
「か弱いだとか、そういう、のではなくて、その、女性、ですから」
「だからなんだ」
「貴女がお強い方なのは存じています、でも、その、個人的に、…女性を夜遅く、独りで帰路へ着かせるのは、申し訳がなくて」
強い光を湛えた目と視線がかちあい、咄嗟にそらしてしまう。ずっと見ていたい、と思うが、許されないだろうし、見つめるのは失礼だろう。
「で、デート、だから…」
「は?」
「レヴェンデル殿が、仰っていた、でしょう?……デート、なら、俺は相応の行動をしなくては、いけない。監視の事をそう仰っていたのだとしても、宜しく頼むとも言われたし…そ、の、だから、え、と、デート、ですから、本来は俺が貴女をお見送りしなくてはいけない、でしょう?」
言葉がつかえて上手く言えない。
「しかし監視されているのは、承知で、レスライン殿はお仕事ですし。…でも、その、…こ、ここで、終わっては、くださいませんか…。貴女を人の気配があるうちに帰路につかせたい、のです」
「……おかしなことを」
先ほどとはまた違う、鋭い表情と気迫にたじろいでしまう。
「貴女も、軍属の者である前に、お、俺にとっては……俺から、見れば、女性なんです、だから、戻って頂きたい……夜遅くになる前に、帰って頂けたら、安心、します。監視云々ではなくて、デートのエスコート…は、出来ませんでしたが、ご一緒させていただいた男としてです」
暫くの沈黙があった。ちらちらとしか彼女を伺えないでいたが、険しい表情をそのままに、ぎゅ、と口をきつく結び、それから舌打ちをして、大股で去っていく背中をみて安堵する。強いとは伺っていても、やはり女性を一人くらい宵闇の街を歩かせるのは気が引けてしょうがない。
ほっと胸をなでおろし、せめて、彼女の背が見えなくなるまではここで動かずにいようとじっと彼女を見つめてしまった。そのせいか、ぎゅるんと勢いよく彼女が振り返ったことに驚きはしたが頭を垂れる。少しだけ顔を上げて伺うと、いつの間にか彼女の姿は何処にもなかった。
軍人として、街の警備をしていた者としてのプライドは傷つけたかもしれないと胸は痛む。それでも、やはり、彼女に向けた言葉に偽りはない。女性を一人帰らせるよりは余程、俺の気持ちが楽だ。
しかし結局はこれも、俺の我儘でしかないのだと思うと、気が重くなる。彼女のプライドは深く傷つけただろう。女性だと言ってしまったことも、もしかすれば侮辱でしかなかったかもしれない。キリリと痛む腹を抑える。どうすれば、レスライン殿を傷つけることがないのか考えなくてはいけない。馬鹿にしているわけでは決してないのだと、むしろ眩しいのだと、わかってもらって、それから、一人の女性として、見ているのだと伝えて、それで、それで、
「っぅ、…っ」
背中をなぞるように這いまわり首にまとわりつくような不安を慌てて振り払う。
大丈夫、大丈夫、と何度も小さく呟く。兄上はいない、ここにはいない、いない。だいじょうぶ。かのじょを、すきになっても、とられない。だいじょうぶ。
セルベル殿の宿に帰るべく、馬に跨り、まだ少し冷たい夜風でざわりと背中を這う不安をいささかでも散らせればいいと、走らせた。
「(良い人、なんかじゃ…)」
かけてもらった言葉が隙あらばといった具合に頭をよぎる。決して、本当に、俺はそのような人ではない、と思う。兄に言われて酷いことをした。しなければならない事も当然あったが、女性に対しても優しくできた事がない。無慈悲を求められることも、冷酷さを貫くことも多々あった。…ああ、いけない、今はそんな事を思考している場合ではない、と、先ほど「おまけ」といってもらった手のひらに収まる小さな袋を取り出す。紙袋に包まれたそれをそっと開くと、小さな布の袋と衣類につけるのだろう装飾品が現れる。袋の方は、女性が好きそうな細く小さなリボンで口が結ってあって、それから、何か優しい香りがする。装飾品は、といったら、留め具につかうような釦に、紐の飾りがついている。控えめで、派手過ぎないデザインと色だ。オマケだといっていたがこんなに貰って良いのだろうかと不安になる。
レスライン殿なら何かこのオマケの使い道を存じていたりするだろうか、と思いつつ、もう、すでに何か話すきっかけをと考えている時点で、「そうだ」と言う他無さそうではある、あるが、やはりまだ、早い。
「あ、の」
視線が飛んでくる闇の方向へ声をかける。応答は無い。
「……レスライン殿、そこに、いらっしゃるんだろう」
出てきてほしいと無言で見ていると、微かな足音と共に、彼女が暗闇から姿を現す。無言で睨みつけられて、委縮はするものの話は聞いてくれるらしい姿勢に安心もする。
「あの、…その、こ、れ、袋なんだが使い方が、」
「………」
「知らないのか、忘れているのか、判断できないんだ」
いや、実際知らないのだが。
「呪いの様なものだ。そんな顔だから気を利かされたんだろう」
「ま、呪いですか」
「若い連中の中でだがな。枕の下に敷いて寝れば夢見がいいなどという根拠のない噂つきのものだ」
「そうなのか……」
ああ、まあ、確かに、俺は顔色が悪いとセルベル殿にも言われるしなと顎を撫でる。店の女性にまで気を遣わせてしまったらしい。
「……ありがとう、その、記憶が曖昧なもので助かった」
「本当に曖昧か怪しいがな」
「あ、はは、噂通り手厳しい方なんだな」
「甘い言葉が欲しいならそこらの店にでも行け」
清々しいまでの警戒心を露骨に示されて安心してしまうのはやはりおかしいのだろうか、とも思うが、何度言われてもやはり、慣れている感情や視線の方がまだほっとできる。
「あ、そ、その、…もう、帰ります」
いい加減、帰らないとまずいだろうと買ったものをしまい込む。帰宅の意思を伝えれば、彼女に監視を終えていいと伝えられることになるだろうか、と思ったが、もしかしたら街を出るまで監視するのかもしれない。あり得そうではある。
「あ、の、レスライン、殿」
なんだ、と声はないがそんな顔で睨みつけられる。
「…ぁ、その、いえ……」
歩き出せばわかることかと聞くことを止めて、黙って背を向け歩を進める。
後ろからついてこられて足音が聞こえるかどうか、の距離になった時、彼女が付いてくる気配をうっすら感じてやはりそうなのだと心配してしまう。まだ祭りの明かりが灯ってはいるが夜も更けて来た。街外れまで来たら、彼女は帰る時に一人なわけで、平気だろうか。侮るわけではないのだが、やはり女性ではあるのだし、独りで帰らせるのは、かといって、俺はまだ彼女に警戒心しか持たれていないのに送りますと申し出るのもいささか違う。
結局どうにもできず、朝待ち合わせた場所で預かってもらっていた馬を引き連れ、街外れまで来てしまう。どこまでついてくるのかわからない。彼女まで、郊外に来る必要は、ないわけで。
「なんだ」
踵を返しまっすぐ、レスライン殿の前に向かって言われた一言に、そうだろうなと思う。
「こ、ここまでで、いい、です」
「……私は貴様を監視しているのだが?」
監視対象に「ここまででいい」と言われるのは確かにおかしいことだろう。監視対象にそう言われ素直に止める道理はないのも止めるわけもないことだって、十分わかっている。
「……ぁ、その、……よ、夜も遅い、ですから、ここで、帰られては」
「あ?」
低い威圧する声に腰が引けてしまう。
「本当なら、俺が貴女をお見送りしなくてはならない所で」
「はっ……お見送りされるほどか弱い女に見えるのか?」
「違う、侮っているだとか、そういうのじゃない」
不快だと声に出さないまま、しかし表情と雰囲気でもって示される。男が優位の世界、で、ロージエ殿も女というだけで良くない顔をされることが多いと言っていた。レスライン殿もまた、女だから、と侮られた経験があるのだろう事くらい想像に容易い。
「か弱いだとか、そういう、のではなくて、その、女性、ですから」
「だからなんだ」
「貴女がお強い方なのは存じています、でも、その、個人的に、…女性を夜遅く、独りで帰路へ着かせるのは、申し訳がなくて」
強い光を湛えた目と視線がかちあい、咄嗟にそらしてしまう。ずっと見ていたい、と思うが、許されないだろうし、見つめるのは失礼だろう。
「で、デート、だから…」
「は?」
「レヴェンデル殿が、仰っていた、でしょう?……デート、なら、俺は相応の行動をしなくては、いけない。監視の事をそう仰っていたのだとしても、宜しく頼むとも言われたし…そ、の、だから、え、と、デート、ですから、本来は俺が貴女をお見送りしなくてはいけない、でしょう?」
言葉がつかえて上手く言えない。
「しかし監視されているのは、承知で、レスライン殿はお仕事ですし。…でも、その、…こ、ここで、終わっては、くださいませんか…。貴女を人の気配があるうちに帰路につかせたい、のです」
「……おかしなことを」
先ほどとはまた違う、鋭い表情と気迫にたじろいでしまう。
「貴女も、軍属の者である前に、お、俺にとっては……俺から、見れば、女性なんです、だから、戻って頂きたい……夜遅くになる前に、帰って頂けたら、安心、します。監視云々ではなくて、デートのエスコート…は、出来ませんでしたが、ご一緒させていただいた男としてです」
暫くの沈黙があった。ちらちらとしか彼女を伺えないでいたが、険しい表情をそのままに、ぎゅ、と口をきつく結び、それから舌打ちをして、大股で去っていく背中をみて安堵する。強いとは伺っていても、やはり女性を一人くらい宵闇の街を歩かせるのは気が引けてしょうがない。
ほっと胸をなでおろし、せめて、彼女の背が見えなくなるまではここで動かずにいようとじっと彼女を見つめてしまった。そのせいか、ぎゅるんと勢いよく彼女が振り返ったことに驚きはしたが頭を垂れる。少しだけ顔を上げて伺うと、いつの間にか彼女の姿は何処にもなかった。
軍人として、街の警備をしていた者としてのプライドは傷つけたかもしれないと胸は痛む。それでも、やはり、彼女に向けた言葉に偽りはない。女性を一人帰らせるよりは余程、俺の気持ちが楽だ。
しかし結局はこれも、俺の我儘でしかないのだと思うと、気が重くなる。彼女のプライドは深く傷つけただろう。女性だと言ってしまったことも、もしかすれば侮辱でしかなかったかもしれない。キリリと痛む腹を抑える。どうすれば、レスライン殿を傷つけることがないのか考えなくてはいけない。馬鹿にしているわけでは決してないのだと、むしろ眩しいのだと、わかってもらって、それから、一人の女性として、見ているのだと伝えて、それで、それで、
「っぅ、…っ」
背中をなぞるように這いまわり首にまとわりつくような不安を慌てて振り払う。
大丈夫、大丈夫、と何度も小さく呟く。兄上はいない、ここにはいない、いない。だいじょうぶ。かのじょを、すきになっても、とられない。だいじょうぶ。
セルベル殿の宿に帰るべく、馬に跨り、まだ少し冷たい夜風でざわりと背中を這う不安をいささかでも散らせればいいと、走らせた。