春
祭りの最中は流石の彼も休みの形をとるのだろうか、と買い物をしていたピスケス殿を見て思う。オルフェ殿は彼らのような「空から来た人」たちに仕事を与えたりそれらしい戸籍を与えたりすることもあるので面識はあるらしい。ピスケス殿の事は幼いころから存じているようで気さくに話しかけに行ったあたり、彼女にとって彼もまた「信頼できる年上の異性」なのだろう。
着ている服は神父服ではないものの、目立つことがない色で統一された服装が彼の性格を表しているようだった。
「それではノニンさん、宜しくお願いします」
「あ、ああ、わかった」
「ピスケス殿、また!」
「ええ、また」
雑踏の中に溶け込むように遠ざかってしまった彼を見ていると、つん、と控えめに裾を引かれる。
「ノ……父上、次は広場を見てきても?」
「あ、そ、そうだな、そうしよう、か」
ぎこちなさ過ぎた返事だ、と反省しながらどこか嬉しそうな顔で笑うオルフェ殿は、多分、俺もそうだったが近しい人と出掛けた経験がないのだろう。
父上と呼ばれるのは彼女の実の父上に申し訳がなく思うのだが、彼女が嬉しそうならばいいかと、思ってしまう。
広場にも多くの荷車や簡易的な店が立ち並んでおり、随分賑やかだ。夫婦らしい者もいれば、親子で仲良さげに歩いていたり、恐らく恋人同士、あるいは友人同士で仲よさそうに誰がもがそこにいる。
ほんの少し、ではなく感じる疎外感というのは昔から自分の中にあったものだった。壁一枚、隔たれた向こうの幸福そうな世界は民の、彼らの世界で、自分は彼らを護るために努めなくてはならないという意識が拭えない。
寂しくはあるが、羨ましいとはあまり思わなかった。彼らが幸福であることが自分の務めと幸福で、……もうここは自国ではないのにそう考えてしまう。
「あ、あのっ、お、お願いが」
「えっ」
ぼんやりと意識をそんなところに泳がせていた時に、オルフェ殿が意を決したように声をかけてくる。何事かと彼女の瞳を見つめ返すと、せわしなく瞬きを繰り返した後そっと指さしたその先を見る。
出店の少し奥の道に可愛らしい木製の看板が見える。簡単に言えば手芸だとか裁縫道具など扱う店なのだろう。鋏の様な模様と糸があしらわれているので、おおよそ、そうなのだろう。
「あのお店に入っても?」
「勿論…いきましょう」
やった、と小さく両手を胸の前で祈るように組んだ彼女は、さらに少女らしい笑顔を浮かべる。
「実はっ、以前ギーゼラ殿からお勧めしていただいたお店なのです!」
「そうなんですか」
はい、と元気よく答えた彼女はためらいなく、扉を開ける。
「あらぁ…?」
そこに居た人物を視界に入れた刹那、まずい、と思ってしまった。
「ノニンちゃん、と……」
じ、っとオルフェ殿を見つめるロージエ殿の表情が一瞬だけ険しくなる。頼む、と念じながら彼女の瞳を見つめるとにっこりと瞼と睫でそれが隠される。
「可愛いお坊ちゃん、ノニンちゃんいつのまにお友達増えたの?」
「……はは、いろいろあって」
不思議そうに首を傾げたオルフェ殿は、一度ロージエ殿に首を垂れる。気にしないで見ていてと彼女に言ったロージエ殿の声に従い、そっと店内を見渡しだしたオルフェ殿を見ていると、ロージエ殿がそろりと寄ってきて、それからわき腹をちょんとつつかれる。
「どういうこと?」
「……お忍びだ」
やはりというべきか。ロージエ殿は隊長格とセルベル殿に聞いていたので、そういう事もあるだろうとは予測していたが、彼女は、オルフェ殿が、領主の娘であるとわかっている。
オルフェ殿は恐らく、わからないのだろう。レスライン殿のように単独で会いに来るような方であったら反応は異なったかもしれないのだが、あの様子を見るにロージエ殿は単独であったり、記憶されるほど直接顔を合わせたことはないのだろう。
「エルちゃんが知ったら怒るわよ」
「もう存じている」
「……良いんだか悪いんだか」
肩を竦ませただけで、あとは何も言わない彼女は微笑ましくオルフェ殿を見つめることをし始める。
「可愛いのねえ…娘に欲しいなあ」
「…そうですね」
「……ノニンちゃん奥さんとかは?」
「いや、独り身なので…、多分、そういう、記憶はないし」
「そぉなんだー、優しいからモテそうなのに」
「いや、そんなことはない…」
勿体ないという彼女の声は、「残念そう」でも「嬉しそう」でもない。茶化すでもなければ侮辱の色もない、淡々としたものだった。
「じゃあ私立候補しちゃおっかな?」
「……え」
いたずらっ子のように笑った彼女は「冗談よ」と即座に告げる。そう、だろう、わからない、が、左の薬指に銀の輪が光っている。街中の女性でも何人か見かけたが、恐らくは、「既婚」か「そういった相手がいる」という意味合いの装具に違いない。
「からかわないでください、その、ロージエ殿の伴侶の方に悪い…貴女は魅力的に見えるので、独身だったら、本気にしてしまう」
「あら……私ね、実は今独身なの」
「え?」
「ふふっ、でもそうね、ダーリンに悪いわよね、ありがと」
もう行かなくちゃと笑った彼女の笑顔はいつもの通りで、「じゃあ、宜しくね」と店から出て行った彼女の香りだけが傍に残る。
銀の輪をつけているのに、独身、で、そういえば墓地にいたが、と考えて悪いことを言ってしまったかもしれないと胸が締め付けられる。思い出したくない悲しいことを、思い出させてしまったかもしれない。
「ノニン殿」
「あっ、な、なんだ?」
ぎゅ、と胸元の布を強く握った瞬間、オルフェ殿が近くに寄ってきて、それから手に小さなぬいぐるみを抱えている。
「具合が宜しくないのですか」
「い、いや、平気だ、えっと」
「あ、あの、えっと、じ、じつは、この子をお迎え致したくて…」
丸く、翼が簡略化され、大きく丸い瞳のぬいぐるみは鳥類か何か、なのだろう。愛らしい外見は、彼女くらいの年頃でこういったものが好きならば、反応はしてしまいそうだと思う。
「レヴェンデル殿から資金は預かっていますから、問題ありませんよ」
「ほ、ほんとですか」
「その子へリボンか何か買ってあげなくても?」
臣下は当然女性の比率が高かった。長く家を空けてしまう者や、子供を置いていくことになってしまう者達はもともと、王宮に実子を連れてくることが許可されていて、その関係で小さな子供たちはよく見かけていた。
滅多に自室には向かわなかったが、それでも「病弱な優しい弟」を演じる為に彼らに声をかけることは必須事項で、遊び相手になる事もあった。
「ぬいぐるみにリボンですか?」
「…よく親族の子が、ええと、着飾ったりしていたので」
「なるほど……素敵です」
女の子など、よくお気に入りの人形やらにリボンをつけて可愛がっていたので普通はそうなのだと思っていたのだが、彼女に馴染みはなかったらしい。
それでも素敵だ、といって、リボンを選び、店主に着けてもらった時の笑顔は本当に年相応だった。
着ている服は神父服ではないものの、目立つことがない色で統一された服装が彼の性格を表しているようだった。
「それではノニンさん、宜しくお願いします」
「あ、ああ、わかった」
「ピスケス殿、また!」
「ええ、また」
雑踏の中に溶け込むように遠ざかってしまった彼を見ていると、つん、と控えめに裾を引かれる。
「ノ……父上、次は広場を見てきても?」
「あ、そ、そうだな、そうしよう、か」
ぎこちなさ過ぎた返事だ、と反省しながらどこか嬉しそうな顔で笑うオルフェ殿は、多分、俺もそうだったが近しい人と出掛けた経験がないのだろう。
父上と呼ばれるのは彼女の実の父上に申し訳がなく思うのだが、彼女が嬉しそうならばいいかと、思ってしまう。
広場にも多くの荷車や簡易的な店が立ち並んでおり、随分賑やかだ。夫婦らしい者もいれば、親子で仲良さげに歩いていたり、恐らく恋人同士、あるいは友人同士で仲よさそうに誰がもがそこにいる。
ほんの少し、ではなく感じる疎外感というのは昔から自分の中にあったものだった。壁一枚、隔たれた向こうの幸福そうな世界は民の、彼らの世界で、自分は彼らを護るために努めなくてはならないという意識が拭えない。
寂しくはあるが、羨ましいとはあまり思わなかった。彼らが幸福であることが自分の務めと幸福で、……もうここは自国ではないのにそう考えてしまう。
「あ、あのっ、お、お願いが」
「えっ」
ぼんやりと意識をそんなところに泳がせていた時に、オルフェ殿が意を決したように声をかけてくる。何事かと彼女の瞳を見つめ返すと、せわしなく瞬きを繰り返した後そっと指さしたその先を見る。
出店の少し奥の道に可愛らしい木製の看板が見える。簡単に言えば手芸だとか裁縫道具など扱う店なのだろう。鋏の様な模様と糸があしらわれているので、おおよそ、そうなのだろう。
「あのお店に入っても?」
「勿論…いきましょう」
やった、と小さく両手を胸の前で祈るように組んだ彼女は、さらに少女らしい笑顔を浮かべる。
「実はっ、以前ギーゼラ殿からお勧めしていただいたお店なのです!」
「そうなんですか」
はい、と元気よく答えた彼女はためらいなく、扉を開ける。
「あらぁ…?」
そこに居た人物を視界に入れた刹那、まずい、と思ってしまった。
「ノニンちゃん、と……」
じ、っとオルフェ殿を見つめるロージエ殿の表情が一瞬だけ険しくなる。頼む、と念じながら彼女の瞳を見つめるとにっこりと瞼と睫でそれが隠される。
「可愛いお坊ちゃん、ノニンちゃんいつのまにお友達増えたの?」
「……はは、いろいろあって」
不思議そうに首を傾げたオルフェ殿は、一度ロージエ殿に首を垂れる。気にしないで見ていてと彼女に言ったロージエ殿の声に従い、そっと店内を見渡しだしたオルフェ殿を見ていると、ロージエ殿がそろりと寄ってきて、それからわき腹をちょんとつつかれる。
「どういうこと?」
「……お忍びだ」
やはりというべきか。ロージエ殿は隊長格とセルベル殿に聞いていたので、そういう事もあるだろうとは予測していたが、彼女は、オルフェ殿が、領主の娘であるとわかっている。
オルフェ殿は恐らく、わからないのだろう。レスライン殿のように単独で会いに来るような方であったら反応は異なったかもしれないのだが、あの様子を見るにロージエ殿は単独であったり、記憶されるほど直接顔を合わせたことはないのだろう。
「エルちゃんが知ったら怒るわよ」
「もう存じている」
「……良いんだか悪いんだか」
肩を竦ませただけで、あとは何も言わない彼女は微笑ましくオルフェ殿を見つめることをし始める。
「可愛いのねえ…娘に欲しいなあ」
「…そうですね」
「……ノニンちゃん奥さんとかは?」
「いや、独り身なので…、多分、そういう、記憶はないし」
「そぉなんだー、優しいからモテそうなのに」
「いや、そんなことはない…」
勿体ないという彼女の声は、「残念そう」でも「嬉しそう」でもない。茶化すでもなければ侮辱の色もない、淡々としたものだった。
「じゃあ私立候補しちゃおっかな?」
「……え」
いたずらっ子のように笑った彼女は「冗談よ」と即座に告げる。そう、だろう、わからない、が、左の薬指に銀の輪が光っている。街中の女性でも何人か見かけたが、恐らくは、「既婚」か「そういった相手がいる」という意味合いの装具に違いない。
「からかわないでください、その、ロージエ殿の伴侶の方に悪い…貴女は魅力的に見えるので、独身だったら、本気にしてしまう」
「あら……私ね、実は今独身なの」
「え?」
「ふふっ、でもそうね、ダーリンに悪いわよね、ありがと」
もう行かなくちゃと笑った彼女の笑顔はいつもの通りで、「じゃあ、宜しくね」と店から出て行った彼女の香りだけが傍に残る。
銀の輪をつけているのに、独身、で、そういえば墓地にいたが、と考えて悪いことを言ってしまったかもしれないと胸が締め付けられる。思い出したくない悲しいことを、思い出させてしまったかもしれない。
「ノニン殿」
「あっ、な、なんだ?」
ぎゅ、と胸元の布を強く握った瞬間、オルフェ殿が近くに寄ってきて、それから手に小さなぬいぐるみを抱えている。
「具合が宜しくないのですか」
「い、いや、平気だ、えっと」
「あ、あの、えっと、じ、じつは、この子をお迎え致したくて…」
丸く、翼が簡略化され、大きく丸い瞳のぬいぐるみは鳥類か何か、なのだろう。愛らしい外見は、彼女くらいの年頃でこういったものが好きならば、反応はしてしまいそうだと思う。
「レヴェンデル殿から資金は預かっていますから、問題ありませんよ」
「ほ、ほんとですか」
「その子へリボンか何か買ってあげなくても?」
臣下は当然女性の比率が高かった。長く家を空けてしまう者や、子供を置いていくことになってしまう者達はもともと、王宮に実子を連れてくることが許可されていて、その関係で小さな子供たちはよく見かけていた。
滅多に自室には向かわなかったが、それでも「病弱な優しい弟」を演じる為に彼らに声をかけることは必須事項で、遊び相手になる事もあった。
「ぬいぐるみにリボンですか?」
「…よく親族の子が、ええと、着飾ったりしていたので」
「なるほど……素敵です」
女の子など、よくお気に入りの人形やらにリボンをつけて可愛がっていたので普通はそうなのだと思っていたのだが、彼女に馴染みはなかったらしい。
それでも素敵だ、といって、リボンを選び、店主に着けてもらった時の笑顔は本当に年相応だった。