春
彼女が用意してきた衣服はどれも、「上等品」であることが何となしにわかるものばかりだった。手触りの良い布で仕立てられた服には意匠が凝らされた飾りボタンが付いているものもあれば、一見すればただの刺繍なのだが、恐らくは熟練した職人がそうしたのだろうとわかる丁寧に糸を揃え編み込むようにして縫われているものだとか、そういった類のものが数着、夜部屋に戻るたびに置いてあった。
悩んだものの一番ぱっとしないだろう、服を選ぶ。襟にシンプルだが綿密に施されているだろう刺繍が入っているので、見る者が見れば少しみすぼらしい格好であってもはっと警戒するか、距離をとってくれそうなものにしておく。
帯剣は短い短剣をレヴェンデル殿に頂いてしまったので、ローブを被り、見えないように腰の、後ろの方へと帯剣しておくことにした。
待ち合わせは、オルフェ殿の屋敷から少し下がった場所にある宿の前、と伺っていたので馬を拝借して早めに出立し、待っていることにした。
した、のだが。
「………」
「ど、どう、も」
ぎりりと軍帽の下で目をきつく細めこちらを睨みつけているのは、レスライン殿だった。
いや、その、何故彼女が此処にいるのだとは思わない。厳しい方だと伺っていたし、仮にオルフェ殿が同伴するものの名前を出そうが出すまいが、居そうだ、とは予想していた。忠誠心が高い方だとも聞いていたし。
だから、何故お前がここにいるのだと睨みつけられても何も言えない。
「貴様」
「……オルフェ殿から、どうしてもと言われております」
「何故だ」
「……わ、私が聞きたいくらいです」
ず、と空気が重くなる。
そうだろう、そうだろうとも。彼女の疑心と言うべきか、疑いの目の理由は俺だって、彼女の立場ならそうなってしまう。見たこともないような男が次期当主殿に声掛けされるのだ。わかる。
「ノニン殿!!」
何か言うべきだろうかと彼女を伺い見ようとしたとき、オルフェ殿の通る声がこちらに向かって飛び込んでくる。見れば彼女は、街で見かけるような青年風の出で立ちをしていて、髪の毛は少しばかり上の位置で結っているために、あの綺麗な薄い緑が太陽の光を浴びて左右に振れている。
「エデルガルド殿もいらっしゃったのですね」
「アメイシャ・オルフェ様、一言申し上げて宜しいか」
「はい、構いません、どうぞ」
厳しい顔つきのレスライン殿とはまるで逆で、オルフェ殿は爽やかな笑顔を浮かべている。
「得体の知れぬ男を同伴者に選ぶのはいかがなものかと」
「得体は知れていますよ、安心なさってください」
レスライン殿の発言にうん、と頷きかけるもオルフェ殿のぽん、とした朗らかな声に力が抜けそうになる。
「ノニン殿は我が師ですので」
「……師?…この者がですか」
「はい、エデルガルド殿にはまだお話していなかったのですが、心構えなど教えて頂いております」
いやまだ一度もそんなことは教えていない筈なのだが、とちらりと伺うとやはりこちらを睨んでいるレスライン殿と目があう。
「大丈夫です、ノニン殿は誠実な男性です」
「…………アメイシャ・オルフェ様がそう仰るなら、心に刻んでおきます」
「はい、ありがとうございます」
絶対まだ信用しないからなという顔をレスライン殿にされる。
いや、俺も、立場が彼女の立場であったらそういう顔はしたかもしれない。しなくとも信用は出来ないと俺自身を思う筈だ。
「ノニン殿、本日はよろしくお願いいたします」
「あ、ああ、いえ、こちらこそ」
「アメイシャ・オルフェ殿、私は町の警備をしております、万が一、何かあったときはお呼び下さい」
「ええ、頼りにしています」
では、と彼女が街へ向かって歩いていく。
「エデルガルド殿は本当に真面目な方です」
「え、あ、ああ、そ、そのよう、ですね」
「いつも背筋がまっすぐで力だって男性にも負けない方なんです、憧れます」
憧れる、と述べたオルフェ殿の目はきらきらと光っている。ああ、本当に心からあの方を慕っていらっしゃるのだ、と見ただけでわかる。
「…オルフェ殿は」
「そうだ!今日一日、私の事は「メイ」と呼んでくださいますか?アメイシャやオルフェではお忍び感が薄れてしまうので」
レスライン殿のようになりたいのか、と聞こうとしたときにぱっと華やかな笑顔を向けられて少し肩を揺らしてしまう。お忍び感、という言葉に年頃らしさのようなものを感じてつい口元が緩んでしまう。
「そ、うですか、ええと、では、メイ殿…お忍び、で本日は街の散策を?」
「はい、なのでよろしくお願いします!」
実は初めて祭りに行くのです、といった彼女の頬は期待からか紅潮しているように見えた。
「普段は街へは降りられないのですね」
「そうなのです、専ら屋敷で空の向こうの事や研究をしておりまして」
「はあ、…熱心なのですね」
「いえ、当然のことをしているまでです」
ぴ、と伸びた背中、大きな瞳は街を見つめ、細くなる。
「ギーゼラ殿のお話など聞くと、この世界や、この国はとても小さいように思うんです」
小さい、と彼女は言う。俺にしてみれば随分この国も大きい方ではないか、と思う。セルベル殿と街を歩いたときの事を思えば、領地が広いか、四季が豊かなのだろうとは思う。
山のものも、海のものも、加工品も並ぶ街並みは相当な国力か財力があるのではないかと思う。今自分自身が着ている服ひとつとってみても、上等品であるとはいえ、実によくつくられている。
「でもこの世界ひとつ護れぬようでは立派な領主とは言えません、いずれ父上から領主の代を譲られた時、皆がよりよく住めるように努めてまいりたいと思うので」
自国の事はよく知っておきたいのです、と笑った少女が、酷く眩しいものに見えて、朝日のせいにしながら目を細め見つめてしまった。
悩んだものの一番ぱっとしないだろう、服を選ぶ。襟にシンプルだが綿密に施されているだろう刺繍が入っているので、見る者が見れば少しみすぼらしい格好であってもはっと警戒するか、距離をとってくれそうなものにしておく。
帯剣は短い短剣をレヴェンデル殿に頂いてしまったので、ローブを被り、見えないように腰の、後ろの方へと帯剣しておくことにした。
待ち合わせは、オルフェ殿の屋敷から少し下がった場所にある宿の前、と伺っていたので馬を拝借して早めに出立し、待っていることにした。
した、のだが。
「………」
「ど、どう、も」
ぎりりと軍帽の下で目をきつく細めこちらを睨みつけているのは、レスライン殿だった。
いや、その、何故彼女が此処にいるのだとは思わない。厳しい方だと伺っていたし、仮にオルフェ殿が同伴するものの名前を出そうが出すまいが、居そうだ、とは予想していた。忠誠心が高い方だとも聞いていたし。
だから、何故お前がここにいるのだと睨みつけられても何も言えない。
「貴様」
「……オルフェ殿から、どうしてもと言われております」
「何故だ」
「……わ、私が聞きたいくらいです」
ず、と空気が重くなる。
そうだろう、そうだろうとも。彼女の疑心と言うべきか、疑いの目の理由は俺だって、彼女の立場ならそうなってしまう。見たこともないような男が次期当主殿に声掛けされるのだ。わかる。
「ノニン殿!!」
何か言うべきだろうかと彼女を伺い見ようとしたとき、オルフェ殿の通る声がこちらに向かって飛び込んでくる。見れば彼女は、街で見かけるような青年風の出で立ちをしていて、髪の毛は少しばかり上の位置で結っているために、あの綺麗な薄い緑が太陽の光を浴びて左右に振れている。
「エデルガルド殿もいらっしゃったのですね」
「アメイシャ・オルフェ様、一言申し上げて宜しいか」
「はい、構いません、どうぞ」
厳しい顔つきのレスライン殿とはまるで逆で、オルフェ殿は爽やかな笑顔を浮かべている。
「得体の知れぬ男を同伴者に選ぶのはいかがなものかと」
「得体は知れていますよ、安心なさってください」
レスライン殿の発言にうん、と頷きかけるもオルフェ殿のぽん、とした朗らかな声に力が抜けそうになる。
「ノニン殿は我が師ですので」
「……師?…この者がですか」
「はい、エデルガルド殿にはまだお話していなかったのですが、心構えなど教えて頂いております」
いやまだ一度もそんなことは教えていない筈なのだが、とちらりと伺うとやはりこちらを睨んでいるレスライン殿と目があう。
「大丈夫です、ノニン殿は誠実な男性です」
「…………アメイシャ・オルフェ様がそう仰るなら、心に刻んでおきます」
「はい、ありがとうございます」
絶対まだ信用しないからなという顔をレスライン殿にされる。
いや、俺も、立場が彼女の立場であったらそういう顔はしたかもしれない。しなくとも信用は出来ないと俺自身を思う筈だ。
「ノニン殿、本日はよろしくお願いいたします」
「あ、ああ、いえ、こちらこそ」
「アメイシャ・オルフェ殿、私は町の警備をしております、万が一、何かあったときはお呼び下さい」
「ええ、頼りにしています」
では、と彼女が街へ向かって歩いていく。
「エデルガルド殿は本当に真面目な方です」
「え、あ、ああ、そ、そのよう、ですね」
「いつも背筋がまっすぐで力だって男性にも負けない方なんです、憧れます」
憧れる、と述べたオルフェ殿の目はきらきらと光っている。ああ、本当に心からあの方を慕っていらっしゃるのだ、と見ただけでわかる。
「…オルフェ殿は」
「そうだ!今日一日、私の事は「メイ」と呼んでくださいますか?アメイシャやオルフェではお忍び感が薄れてしまうので」
レスライン殿のようになりたいのか、と聞こうとしたときにぱっと華やかな笑顔を向けられて少し肩を揺らしてしまう。お忍び感、という言葉に年頃らしさのようなものを感じてつい口元が緩んでしまう。
「そ、うですか、ええと、では、メイ殿…お忍び、で本日は街の散策を?」
「はい、なのでよろしくお願いします!」
実は初めて祭りに行くのです、といった彼女の頬は期待からか紅潮しているように見えた。
「普段は街へは降りられないのですね」
「そうなのです、専ら屋敷で空の向こうの事や研究をしておりまして」
「はあ、…熱心なのですね」
「いえ、当然のことをしているまでです」
ぴ、と伸びた背中、大きな瞳は街を見つめ、細くなる。
「ギーゼラ殿のお話など聞くと、この世界や、この国はとても小さいように思うんです」
小さい、と彼女は言う。俺にしてみれば随分この国も大きい方ではないか、と思う。セルベル殿と街を歩いたときの事を思えば、領地が広いか、四季が豊かなのだろうとは思う。
山のものも、海のものも、加工品も並ぶ街並みは相当な国力か財力があるのではないかと思う。今自分自身が着ている服ひとつとってみても、上等品であるとはいえ、実によくつくられている。
「でもこの世界ひとつ護れぬようでは立派な領主とは言えません、いずれ父上から領主の代を譲られた時、皆がよりよく住めるように努めてまいりたいと思うので」
自国の事はよく知っておきたいのです、と笑った少女が、酷く眩しいものに見えて、朝日のせいにしながら目を細め見つめてしまった。