「起きて」

 耳元でそっと流し込むように囁かれた言葉に、うとうとと半分だけ眠りの世界に入っていた意識が戻る。冷水をかけられたかのように一気に心臓が冷えたような心地で文字通り跳ね起きていた。

「あらあら、すごい反射神経」
「レ、レヴェンデル殿」

 咄嗟に枕元に置いていた剣を掴んでいたようだったが、彼女だとわかりそっと元の位置に戻しながら脅かさないでくれ、と告げる。そもそもまた鍵開けをしたんだろうか、それとも窓から入ってきたのだろうか。どちらにせよ警戒する癖が身についているのに全く感知できなかった彼女の能力には驚くばかりだ。

「お目覚めはどうですか?」
「あ、ああ、まあ、驚いたから良くはないよ」
「そうでしょうねえ」

 くすくすと笑って見せる顔は悪びれない。彼女も彼女で、ある意味素直に「そのようにしました」と顔に出してくださっているようで助かる。

「何かあったのか?」
「夜のデートでも如何かと思って」
「で、デート…?」
「そ、さあ、行きましょ」

 返事は聞かないのか、と思いつつ言葉にできない自分は根性なしだろうか。寝巻のままでもいいと彼女は言ったが、女性に外へ誘われてまさかそのままというわけにはいかない。少しばかり時間を頂戴して手早く着替えてから廊下に出ると、彼女はドアのすぐ
右側で待っていたようだった。

「すまない、待たせた、行こう」
「ふふ、何も聞かずについてくるなんて貴方って慎重なのか抜けているのかわからないわねえ」
「…レヴェンデル殿だったらわざわざ外に連れ出さなくても、多様な手段を存じているだろ?」
「あら、どうも」

 否定をしない、ということは予想通りなのだろう。万が一、彼女が俺を始末しようとしているならいかようにでも出来る、ということだ。
 物静かに廊下を進み、食堂を通り外へと出る。相変わらず、二つの月が昇っている空を見上げてしまうと、袖を引かれる。

「珍しいんでしょうけど、こっちに来てください」
「あ、ああ」

 言われるがままついて行った先は森の中で、さらに獣道のような場所を進むと、開けた場所に小さな池があった。ぽつんと世界から切り離されたように存在している池の隅に、小さな祠のようなものが設置されている。

「セルベルちゃんだとか、ゼルマが管理しているんです。一応この世界での小さな神格の信仰対象物の一つですね、私そういうのってあまりピンとこないタイプなんでわからないんですけど」
「そ、そうなのか」

 静かな水面は微かに時々吹く風で揺らぐ以外は静かに空の月をそこへ鏡のように映している。

「これは所謂水の神格といいますか、この世界においては色々あるんですがアメイシャからでもまたおいおい聞いててください」
「わかった、それで何の話だろうか」

 本題を、と促す意味でそう声に出せば、にやりと片側だけ口角を上げて彼女が笑う。

「近々街で、祭りがあるんですが」
「祭り?」
「春をお祝いする手のものですよ、貴方のお国にはないんです?お花のお祭りとか、ありますよね?訪れを祝ったりするようなものとか」
「ま、まあ、」
「アメイシャが行ってみたいっていうので、保護者として同伴してくださる?」
「待ってくれ、……俺が?」

 ええ、と「当然」と言わんばかりに言われてしまう。

「若いお嬢さんとお祭りで街中を歩くなんて残りの人生あるかどうかわからないですよ?」
「い、いや、そ、そういうことではなくて、オルフェ殿と俺がか?」
「彼女はちゃんと当日「町娘」か「青年」っぽい格好をするので、父親のふりでもどうぞ」
「い、いや、どうぞとはいっても……例えば、あの、レスライン殿と彼女は面識があるだろ?それはどうするんだ」
「ああ、レスラインにはアメイシャが直接お話しすると思います。保護者をつけて散策するから、って」

 頭が痛くなりそうだ、と額を抑えてしまう。
 いや、いい、いいのだが。オルフェ殿の父君は俺と同じくらいだというし、いいのかもしれないが。うら若い女性が俺の様な年寄りと歩いていいのか?と呻いてしまう。もっとあるだろ他に探せば。例えばレヴェンデル殿やそれこそレスライン殿のように同性の方がいいのではないだろうか。絶対そのほうが良いしオルフェ殿にもそう言ったと思ったが何故俺なんだ。まだ一度だけしかあってないのに。

「私、目立つの嫌いなんです」
「……すまない声に出ていただろうか」
「そんなこと考えそうだなあと思って」

 そんな顔をしていたのか、とつい頬を摩ってしまう。

「……俺でないと、ダメなんだろうか?」
「私やレスラインは彼女の事知りすぎてますから、窮屈なんじゃないですか?レスラインは特にも厳しい女ですもの」
「お、俺、は」
「これを機に仲良くなろうってことでいいじゃないですか」

 ふふ、と笑い彼女は足元の草をつま先で弄んでいる。

「お洋服、適当に見繕ってくるので」
「え」
「お金はいいですよ、私貯蓄余るほどあるので」
「い、いや」

 それはそれだと言おうとした矢先に唇に彼女の人差し指が押し付けられる。

「今のところ、貴方は「はいわかりました」というのが一番いいんですけど」

 有無を言わさぬ空気が彼女から発せられこちらを包む。
 言いたいことは山ほどある。
 しかし、ここで、彼女が言うように「はい」と申し上げた方がこじれなくていいのだろう、と小さく首を縦に振ると、指が離れていく。

「アメイシャが貴方が良い!っていうので、よろしくお願いしますね?」
「……わ、わかった、御護りする、怪我をさせることがあってはならないし」
「あらあら、よろしくお願いしますね」

 くすくす、と笑っている彼女の声がしんと静まった森の中でよく耳に入る。

「努力しよう」

 祭りは三日後、とレヴェンデル殿に告げられたあとは、暫くの間そこで祭りの大雑把なルールやら決まり事、迷信などについてを教わったが、オルフェ殿に同行するのか、と思うとあまり頭に入ってこず、何度も彼女に小さく三つ編みにしている髪を引っ張られてしまった。
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