ノニンちゃん、と俺の事を呼ぶ見知った人といえば現状ロージエ殿しかいないのでまちがいがない。彼女は今日も女性らしい格好で、小走りに寄ってくる。その後ろからセルベル殿と、レスライン殿が歩いてくるのが見えて少しばかり構えてしまう。

「ノニンちゃん来てるなら一緒に顔を見せに来てくれても良かったのにぃ」
「い、いえ、三人で積もる話もあるでしょうし…俺は待つのは苦でもないので」
「そお?」

 彼女の耳に可愛らしい、ふわふわとした素材で作ってあるのだろうか。大きな球体のようなイヤリングがついている。唇も恐らく紅をさしているのだろう。この前みた時とは違う、淡く優しい夕陽のような色をしている。

「口紅、」
「あっ!」

 気がついた?と彼女が嬉しそうに声を跳ねさせる。

「実は変えてみたのー!どぉ?可愛い?新色なの」
「可愛らしいと思います、イヤリングも、ロージエ殿にお似合いです」
「ほんとぉ?嬉しいー!ありがとうノニンちゃん」

 きょと、としているセルベル殿と目があう。多分、彼は気がついていなかった、のだろう(口紅に関して興味がないのかもしれない)。

「では、皆さまごゆっくり…。私は仕事に戻ります」
「あ、ああ、ありがとうピスケス殿」

 とても静かに話を伺っていたピスケス殿は、やはり静かに立ち上がったのちそう言葉を述べ奥の部屋に戻ってしまう。

「ノニンさん、紹介します。こちらが」
「ああ、レスライン殿とは既にええと、実は、自己紹介してある、ので、大丈夫だ」
「そうだったんですか?」
「あら、そうなの?エルちゃんも言えばいいのにぃ」

 レスライン殿はつん、としたまま、しかしこちらを伺うようにじろりと視線を投げてよこす。そういえばあの時は俺もフードを被っていたし、フードを被っていない現状、彼女にまじまじ顔を見られるのは仕方がないだろう。

「ノニンちゃんって細かいところに気がついてくれるのね、嬉しいなぁ」
「え、あ、ああ…たまたまです、たまたま…」
「ええー?でもとっても嬉しい!」

 破顔しているロージエ殿は本当に嬉しそうにする。

「イヤリングは気がついてくれる人は結構いるけど、口紅まで気がついてもらったの初めて!」
「そ、そうなんですか?」
「そぉなの!」

 ありがとう、と彼女の両手が伸びてきて俺の右手を包むように握る。余程嬉しいのかもしれないと思うのは、彼女が「女性が苦手」と言った俺の言葉を覚えていてくれて、都度、接触を思いとどまる様子や距離感を図ってくださっている気配を感じていたからだ。
 ふわりとした力加減は女性そのものだが、手の内側は武器を長年握ってきたからか少し皮膚が硬いように思う。

「リーゼロッテ・ロージエ」

 ぴしゃりと咎めるような声が耳に入る。

「なあにー?」

 それに対してロージエ殿は変わらずのんびりと間延びした声を返す。怯えている様子は全く感じられない。慣れている、んだろう、多分。

「…得体の知れぬ相手に接触は控えるべきだ」
「ええー?得体は知れてるわよぉ、ノニンちゃんは優しい人ー」
「えっ…」

 ね、と笑う彼女に何と答えるべきかわからない。視界の隅で、レスライン殿の口がぎゅ、と硬く結ばれ、不満そうに歪むのが見える。どちらかというなら彼女の警戒心に同意したいところだ。手放しで信用、というべきなのか許容されている現状は個人的にかなり不思議だ。

「どうだか」
「エルちゃんは警戒しすぎよぉ…とはいうものの、一理あるのよねー、うーん」
「優しいふりなどどうとだって出来るだろ」
「フリ、はね、でもノニンちゃんは女の人苦手だものね?苦手な相手にフリが出来るほど器用かしら?」

 む?と小首を傾げ尋ねる彼女はどちらに賛同かと言いたげにも見える。ロージエ殿にこうも言っていただける事はありがたいのだが、残念ながら、やろうと思えば己をすべて偽る事は出来てしまう。

「はは、器用、かもしれないので、レスライン殿のいう事に賛同したいところですが」
「自分で言うのぉ?えぇーそっかあ」

 意外、と笑うロージエ殿は心底不思議そうに此方を見上げてくる。 

「セルベル・エルデもだ、気を許し過ぎだ貴様は」
「は、しかし隊長、ノニンさんは本当に優しい方で」
「は、はは、ありがとう、」

 ぎろり、と視線が突き刺さるように飛んでくる。

「やだあ、エルちゃんってばそんなに睨んじゃ皺増えちゃうわよ」
「ふんっ…知った事か」
「もぉ、ごめんね?エルちゃん良い子なんだけど嫌いにならないでね?」
「はい」

 確かに、警戒心を隠される事もなければ分かりやすいほど態度にも出される。が、個人的にはこの方がいくらでも安心感はある。レスライン殿以外の人は、どうも俺としては、親しみがないタイプの人種と言うのか。もしかすればロージエ殿も警戒はしているのかもしれない。表立って出していないだけで。それはそれで、彼女なりのやり方なのだから否定はしないが、あからさまに態度に出してもらえる方が落ち着く場合もある。
 信じて頂けたり、優しいと判断して貰える事は有難いのだが、疑ったり疑われたり、腹の探り合いやご機嫌取りが常の世界で生きて来た自分としては、レスライン殿ほど安心する人もいない。
 お前を信用していない、とはっきりわかりやすく示されている方が心が楽だ。

「嫌いになんて、そのようなことは」
「ありがとー!」
「リーゼロッテ・ロージエ!」

 近くに寄りすぎるな、と目を吊り上げて彼女の腕を引きに来たレスライン殿をつい見てしまう。金の髪、少しだけ緑がかった青の瞳、顔に大きく亀裂のようにはいった傷。整えられた眉、女性にしては低い声。
 ぎりり、と意志の強そうな表情から、眼を離せずにいると、彼女と視線がばちりとあって、つい、咄嗟に、眼をそらしていた。

「(綺麗、だ)」

 声に出すと、いけないような気がして、そっと胸の内に秘めた感情は、まだ、そうと判断するには早い。
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