本日はセルベル殿と街までの買い出しに来ている。あの日レスライン殿を遠めに見たことを話すと、「ああ、隊長もお元気そうで何よりです」と彼は穏やかに笑っていた。厳しそうには見えるが、少なくともセルベル殿は彼女を慕っているような雰囲気で、ああ、厳しいだけが先に目に付いてしまうのかも知れないと思う。
 オルフェ殿やギーゼラ殿、果ては初対面のレスライン殿に名乗って、一番世話になっている彼に名乗っておかないのも、と考え、名前と、ギーゼラ殿の提案でそう言うようにと言われた簡易的な出身を告げることにした。とはいっても記憶が何もかも抜け落ちているという事にしないとまずいというのもあり、わかっているのは名前とどうも武芸の経験があるらしい(あるのだが)、ということに留めて置くだけだった。
 俺の出自に関しても、「リュビン領」という此処よりは離れた土地の出身のようだ、という調査が後程ギーゼラ殿から告げられる予定ではある(今のところ彼女が調査をしてくれている事になっている)。
 それだけでも、世話になっているセルベル殿に、偽りではあるものの多少の真実も伝えることは出来るから、気は少し軽くなった。

「そうだ、ノニンさん、教会に寄って行っても構いませんか?」
「え?ああ、構わないが…」
「ありがとうございます」

 教会、というのはまあ、ギーゼラ殿やオルフェ殿からも多少宗教の話題なども聞いていたのであるのだろうとは思っていたが、ついて行った先は随分とこじんまりとした場所だった。
 祈りを捧げるというよりは墓地の管理が主、という印象を強く受ける。
 自国の教会は、元々先祖代々の方針もあり、装飾を施して神の神性を表しながら、信徒を迎えるための巡業の宿泊施設でもあったのだが。

「墓地の管理もしている、のか?」
「そうですね、こちらは殉職した軍人を埋葬されていて、神父様がお祈りを捧げてくださってます」
「なるほど……」
「隊長が戻ってきているとなれば、恐らくこちらにいると思うので挨拶をついでに」
「そ、そうか」

 墓地に向かう前に彼と共に建物の中に入る。外観も質素だったが中も質素だった。ただ荒れているわけではなく備品はきちんと手入れがされていて、椅子や机の類も多少傷はあっても奇麗なものだ。
 しげしげと眺めていると、奥の扉が開く。出てきたのは、褐色の肌で、右目の大きな傷が目に付く男性だった。恐らく彼が神父様なのだろう。きちんと整えられた黒髪はレスライン殿やオルフェ殿と同じように後ろに流してある。彼もやはり黒い瞳で、まだまだ慣れないものだと思いつつ、動揺を抑え小さく会釈をすると、彼も静かに目を伏せて挨拶を返してくれる。

「セルベルさん、レスラインさんでしたらいつもの」

 少し掠れたような声だが、静かで穏やかな声だ。

「ええ、わかってます」
「本日はロージエさんもいらっしゃっていますが」
「あ、じゃあ、後でにしたほうが…いいんでしょうか?」
「……俺に聞かれても困るな」

 丁寧な対応をしていた彼が、セルベル殿に問いかけられ突然言葉を崩す。どこか呆れているというか、やれやれといった感じの声は冷たさはない。

「そちらは」
「ノニンさんとおっしゃいます、記憶喪失で」
「……そうですか、何かあればいつでも立ち寄ってください」
「ああ、ありがとう」

 彼も彼で結構顔が厳つい、と思いながらも声は常に穏やかだ。にこりと笑った顔も、そう思わせないようになるべく穏やかに笑うように努めているのかもしれない。

「ええと、お名前を伺っても?」
「ピスケス・ガレニウスと言います、ここの管理を努めています」
「ガレニウス殿、え、と、俺にはそのようにかしこまらなくていい、ので」

 ちらり、とガレニウス殿がセルベル殿を見る。

「ノニンさんは少し砕けた方が話しやすいらしくて」
「そうか、わかった、努めてそうしましょう」
「すまない、ガレニウス殿」
「俺もピスケスと呼んでくださって構いませんよ、ノニンさん」
「わかった、ピスケス殿」

 ピスケス殿は、年のころは兄に近いかもしれないなどと思う。
 ぱっと見は、個人的にかなり構える外見ではあるが、穏やかな音で言葉を紡ぐかたのようだ。

「挨拶をするならしてきた方が良いと思うが」
「そう、ですよね、折角だから、してきます」
「そうしなさい」
「はい」
「セルベル殿、俺は、此処で待っていても良いか?つもる話もあると思うし、」

 話の分からない部外者の俺が加わってもしょうがないだろうし、折角の久方ぶりでの再会に、レスライン殿が警戒心を隠さない相手がいるのもなんとも申訳がない気持ちになる。
 セルベル殿は彼女を慕っているようだし、三人だけで話をする間くらいなんのことはない、待っていられる。

「わかりました、行って来ます」

 ゆっくりと歩く彼の背中を見つめ、扉が閉まる音を聞いたのと、

「ノニン・シュトロムフトさん」

 名乗っていない筈の、姓を呼ばれて咄嗟に剣の柄を握り、振り返る。
 目を少しだけ細めたピスケス殿がこちらをじっと見ていた。

「ギーゼラさんからお話は聞いています、俺も彼女と同じだ」
「……貴方、も?…その、空の向こうから来た、というのか?」
「そうなります」

 ひとつ頷くと彼が近づいてくる。手には何も持っていない。

「俺はただの神父紛いだ、貴方のように戦う力はない。ギーゼラさんから何かあった時はよろしくと言われていますので、困ったことがあれば何でも聞きに来てください。少なくとも滅多に人も来ない場所です、秘密話にはまあ都合がいい」
「ど、どうして、」
「俺が放っておけない性格だとわかったうえでギーゼラさんが敢えて伝えたと言いますか」
「し、かし、貴方と俺は初対面だ」
「良いんです、貴方にとっては理解できないかもしれないが、俺がそうしたいのでそうしているだけ、と割り切って頂いていい」

 手で近場の椅子に座るように促され、おずおずと腰かけると、少し離れた席に彼も座る。

「ギーゼラさんには昔、色々と教えて頂いて恩もある」
「は、はあ」
「こんな些細な事でも彼女に恩義が返せるなら、そして貴方の知識に少しでも力添えが出来るなら俺はそれでいいんです」

 俺ばかりが世話をしてもらっているような、いや、されている。レヴェンデル殿やオルフェ殿に限らず、初対面のピスケス殿まで、何故、どうして、俺の様な男に目をかけ、手間と時間を割いて下さるのか。向こうではかけられたことが無い優しい言葉と、見返りなど求めないといった雰囲気に戸惑う。

「…セルベルさんは優しい青年だ」
「それは良くわかる」
「住んでいる場所も場所だ、何かの時は力になってほしい、という事で手を打ってはくれないか」
「……気を遣わせてすまない」
「俺がそうしたいので、そうしているだけだ」

 気にするなと彼は暗に言う。
 俺が負い目を感じ過ぎない配慮の提案だということも、よくわかる。

「ノニンちゃーん」

 ありがとう、と重ねて礼を述べようとしたとき、ドアが開いた音と間延びした鈴の様な声が聞こえて振り返ると、三人、そこに立っていた。
13/26ページ