オルフェ殿と話していて分かった事と、文化の違いのすり合わせをするために一人、この狭い書斎に残らせてもらうことにした。先ほど彼女はレヴェンデル殿から街に「レスライン隊長」が到着したとの連絡を受けて隣の応接間で彼女の来訪を待っている。

 整理する事のひとつめは、ここでは女性が優位というわけではないらしい。ロージエ殿も言っていたが、どうも男性が優位の世界で、長になるのは大概が男である場合が多いとのことだった。この領内、国内に関していえば珍しく女王が治めており、密かな、それこそ空の向こうとの交流もあるためか男女ともに平等、の思考が少しずつ広まっている、との話だ。
 ふたつめは、やはり魔術を使える者は僅かで、俺のように魔石の類の媒体を使って様々な術式を使うというのは高位の者である場合が多いらしい。これは注意しないとならない。そうなるとあの剣も、少し不安だがセルベル殿にしまい込んでいただいてるほうが良い。あるとつい、使ってしまう気がする。
 次は言葉、これは驚いたことだったがここでは国、あるいは大陸単位で使用する言語が違うため、隣の国同士だからといっても話が出来るわけではないようだ。俺がこの国の言葉をわかる、というのは恐らく転移した先の言語を自動で習得させる術式もあったのではないかとの話だった。俺の国では海の向こうでも同じ言葉を使って話が出来たし、種族が違っていても会話は出来た。ここが違う所だ。
 困ったことがひとつ。オルフェ殿に師事を請われてしまった。身の上も話しておかなくてはならないだろうとふんわりと話しはしたが、是非に、と手を握られた。彼女は本当に大丈夫だろうか。初対面の男に気軽に触れてはいけないとあとでレヴェンデル殿に言ってもらわないとまずいかもしれない。
 レヴェンデル殿も師事に関しては「あらそれはいいですね」などといって俺が彼女に教えることに同意していたし、だったら服は少し先生らしくしましょうだなんて話も二人でしていて、これは避けられない。
 ああ、とため息をつきそうになった時、廊下を歩く重々しい脚音が聞こえた。もしかすれば件の彼女か、とつい息を潜める。左右の足、の音が違うように感じる。どちらか、どちらかが重い。金属の様な重い音。

「エデルガルド・レスラインです」

 数度のノックはドア越しでも高らかに聞こえた。低い声からは強面を想像してしまう。かなり自信がありそうな方だと隣の部屋に入っていったであろう噂の女性隊長を空想する。壁が厚いこの部屋では耳をそばだてたとしても聞こえはしない。
 テーブルに控えめに置かれている小さな時計が、大きなしるしを2つほど進めてから、話が終ったらしい、ドアが開いた音がした。

「何故貴様がいる」
「あら、冷たい事言わないで?」

 ドアを出てすぐの会話が不穏過ぎる、と少し心配になる。あまりレヴェンデル殿はレスラインという方から信用はされていないらしい。まあ、確かに俺にはあれこれ教えてくれはするがセルベル殿やロージエ殿に対しては含みのある言い方をするのを見かけていた。

「今日はアメイシャ殿に呼ばれてきてたんです、それにほら、昨夜のこともあったし?レスライン、貴女が無事で安心ですよ私」
「・・・・・・ふん、どうだかな」
「あらあら、嫌われてるのねえ私」
「お前の腹が見えんのにああそうですかと信じられるか」
「それもそうね」

 かなり語気が強い言い方だが、レヴェンデル殿の声からは委縮している気配は一切感じられない。わりと平気なものなんだろう。慣れているようにも感じる。

「あら、もう帰るのね」
「報告は以上だ、貴様と話す理由ももうない」

 来た時と同じように、左右で違う足音を響かせながらどうやら入り口に向かっていったらしい足音は徐々に遠くなる。確か、窓から外が見えたかと思い、そっと窓際に近づいて伺う。
 緑の軍服と帽子でよく見えないが、彼女も馬で来たらしい。ひらひらと風で凪いでいる左の袖からみるに、隻腕なのだろう。だというのに何でもないように馬に跨る。顔は流石に見えないか、と思った瞬間、彼女の首がこちらに向くような動きを見て咄嗟に身を隠したのだが、見られただろうか。いやなにも隠れることはないのだが、ついそうしてしまう。
 セルベル殿の上官で、様子を見に来るのであれば会うことはあるのだろうが。

「ノニンさん?」
「え、あ、ああ」

 小さなノックの音と、レヴェンデル殿の声に少し肩を揺らす。少しだけ顔をのぞかせた彼女は、くすりと笑った。

「ね、厳しそうな女でしょ」
「そう、だな、自信がありそうな感じだった…」
「ふふ、いかにも自信満々ですし、睨みを利かせていますから気を付けてね」
「そうするよ」
「ああ、そうだ、私お察しなんですが彼女に信用置かれてないので、会ってもまずいし、帰りは一人で帰って下さる?」
「わかった、レヴェンデル殿は帰りは…」
「正直馬を使わなくても体力あるので、私」
「そ、そうか」

 言われるがまま、夕刻になる前に預けていた馬の手綱をひいて帰ることにした。本当におとなしい性格の馬だと感心しつつ、あまり人が多いとまずいだろうと少し大通りからそれた道を歩く。民家沿いの道は表よりは人が少ないものの、人がいないわけではない。
 この国の人たちの外見は、黒い髪や赤毛がおおい印象だ。黒髪は勿論ぎくりとしてつい顔を見てしまうのはもう癖なのだろう。諦めた。親族などいるわけもないのについ見てしまう。オルフェ殿のように淡い緑の髪のものもいた。青みがかった綺麗な髪の者も見かけたし。瞳と髪の色が同じというのもよくよく見かけられたので、やはり普通の事なのだろうと見るたびに思う。

「(ベテルギウス殿のあの髪の色はどうなっているんだ…?)」

 彼女の髪は綺麗な色に色づいていたが、ああいう色はどうなっているのだろう。染色などしていたりするんだろうか。

「止まれ」

 背中から刺すようにかけられた低い声に足を止める。誰かついて来ているとは感じていたし、声をかけるならこの、もうすぐ街を抜けるだろうあたりでだ、と予想していた為それ程驚きはしなかった。
 声には聞き覚えがある。屋敷で声だけ聞いたレスライン、という方に似ている。

「貴様、その馬はどうした」
「借りている」
「ほう?誰に」

 腰のあたりに硬質なものが押し付けられる。剣の鞘か、それとも、セルベル殿が持っていたような銃かはわからない。

「セルベル・エルデ殿に」
「セルベル・エルデにだと?」
「彼の宿で世話になっている」
「……オルフェ様の屋敷で見た馬だが?」

 冷ややかな声での質問だ。

「……本日は、アメイシャ・オルフェ様に呼ばれて参上していた」
「貴様のような男は見かけなかった」

 レヴェンデル殿の言う通りだと少しだけ緊張する。

 帰り際、レスライン殿は恐らく馬を見ただろうと彼女は言った。そのうえで、もしなにかと彼女に出会って問われることがあればアメイシャ殿に呼ばれたと言うようにと告げた。アメイシャ殿の方でも後日そのように答えておくと。

「別室にいたので…。貴殿の声は、私にも聞こえておりました、エデルガルド・レスライン殿。……私は、長い任務から戻ったばかりの女性には会わないようにしておりますので」
「何?」
「馬鹿にしているわけではない、私の個人的な意思として、そのようにしているだけです」
「………ふん、口では何とでもいえる」

 ぐ、と一度硬いものが押し込むように押し付けられ、離れていく。一応、警戒はとけたのだろうか、と振り向いて、

「……」

 咄嗟に小さく息をのんだ。

 想像通り、といえば想像通りの、彼女は所謂強面になるだろう。俺が言えたことではないのだが、顔に斜めに、額の左から右の頬にかけて入っている傷が目に付く。整っている短い眉が吊り上がって、「厳しい人」だと皆が言っていたのは頷けた。

 それ以上、それ以上の衝撃を堪えるのになんとか平静を装った。彼女の帰り際見かけた軍服のままではあったが、深くかぶっていた軍帽はそこになく、短く切られ後ろへ綺麗に撫でつけてある金の髪と、青い瞳が良く見えた。
 幼い頃に読んだ、俺の世界であれば殆ど誰もが知っているだろう神話に出てくる「神」たる人たちの特徴だった。ただ、それは自分の元いた世界の話で、こちらの「神」というのは複数人いてそれぞれ役割があり、普段は獣の姿で、というのはオルフェ殿から伺っていたので、驚きを隠すのに必死だった。

 夕陽に照らされた金糸が、美しい、と、素直に思う。

「名を名乗れ」
「……あ、ああ、ノニン、だ。ノニン・シュトロムフト…」
「ノニン・シュトロムフトだな?…覚えておこう」

 警戒しておくという意味でだなというのは彼女の表情でひしひしと感じる。あっさり受け入れられるより随分気は楽だ。セルベル殿はやはり寛容過ぎる。オルフェ殿も少し、もう少し異性に警戒してほしいと思う。

「あ、ああ、宜しく、」
「……行け」

 用は済んだといった様子だった。
 俺が屋敷から馬を盗ったと思ったにしろ、セルベル殿の馬を盗ったのではないかと疑ったにせよ、観察眼が鋭い人だと気を引き締め直す。小さく会釈をして歩き出してもなお、彼女の視線が背中に、隠すことなく差し込まれていくのが、厄介だと思う。

「(ああ、本当に、ほころびが出ないようにしないとまずい相手だ…)」

 片腕はやはりないのだろう。中身がないのだと思わせる左の袖がぺったりと彼女の体の側面に寄り添っていた。手には小さな小型のナイフを持っていて、それ以外にも腰には短剣と銃が差さっていた。やはり、セルベル殿の周囲には逞しい女性が集まるのでは、と思ってしまう。
 
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