春
遠くで何かが爆発する音を聞いて、夜更けに目を覚ました。微かではあった。それでも跳ね起き、咄嗟に手をベッドの横に滑らせたが、剣はセルベル殿が持っていたのだったとつい歯ぎしりする。せめてとローブを着て、しんと静まり返った廊下を息を殺して走り抜け、宿の外に出た。今夜は月の片方がかけているのだな、と思いながらあたりを見回す。当然、何も異常はないように思う。セルベル殿は所謂負傷兵だ。咄嗟に何かあっても動きは鈍いかもしれない。
「ノニンさん」
「レヴェンデル殿、」
するりと隣に現れた彼女に多少驚きはしたが、彼女であればこの程度の気配は殺せるのだろうという認識もあったのでさほど驚かずにはすんだ。
「国境のすぐ近くまで敵兵が来ていたようで、帰還中のレスライン隊が交戦中のようですね」
「わかるのか」
「ええ、勿論、貴方にはまだ理解が出来ない道具を色々持ってますから」
「……そうか、それで状況は?こちらには接近しているのか?」
「今のところは平気そうですね、ただ」
す、と彼女の唇が笑顔を作るのを止める。
「何人か国境を越えて入ってきているかもしれませんけど」
「大丈夫なのかそれは」
「この国にも一応魔術師はいるんですよ、結界を張る程度ではありますが他よりは強い魔術師なんです」
「……ここは近いんだろう?平気か?」
「……どうでしょうね、鼠は来るかもしれません」
おそらくこの月の浮かぶ正面に国境が位置しているのだろう、と遠くを見つめていると目の前に見たことのない剣が差し出される。自分が使っていた剣より少し、幅が細いだろうか。
「ここで騎士が帯剣してる一般的なものですけど、どうぞもっていらして」
「い、いいのか?」
「ベテルギウスは恐らく西側のラインを部隊で鼠狩り、と思うので、私は東に行って来ますから、ノニンさんは、ここを護っていてくださる?」
「………俺で、いいならば、努力しよう」
「殺しても構わないけど、死体の処理が面倒ですから出来れば脅して帰って頂いて下さい」
「お、脅すのか、わかったよ」
剣を受け取ると、やはり細身のようで、持っている感じもかなり軽いように思う。出来れば鞘から抜かないのが一番だろう。
「じゃ、私お仕事ですから」
「レヴェンデル殿、ご武運を」
「まあ、どうも、いってきますね」
少しだけ無邪気に笑ったように感じたが、掠めとるように頬にキスを送られ、そのまま彼女は闇夜に消えていってしまう。あれは彼女なりの挨拶なんだろうか、と思いながら頬に触れる。
どこで見張ろうか、と思いながら周囲を見渡す。馬に乗っていないのならすぐには到達はないと思うのだが、念のため裏口やはいれそうな窓や扉を外側から塞いでおくことにはした。この宿の場所は開けているし、いくら国境に近いとはいえ随分な距離もあるとも伺っていた。
「ノニンさん」
ふっと呼ばれた音がするほうに顔を向けると、宿の二階、その少し上の窓、恐らく屋根裏になっているのだろう窓からセルベル殿が顔を少しだけのぞかせている。小さなランプをともしてくれているので顔が認識できたが、なければ彼とはわからないだろう。
「上からは自分が見ていますから、ノニンさんは周辺をよろしくどうぞ」
「あ、ああ、そうか、狙撃兵だったな」
「はい、お任せください、ノニンさんは、剣の習いはあるんですよね?」
「ああ、ある、先ほどレヴェンデル殿が……」
ふ、っとセルベル殿がランプの明かりを落としたのと、耳が微かな足音を拾ったのは同時だった。月の浮かぶ真下。自分が見ている視線のラインの、右斜め方向に何かがいる。息を潜めているのは向こうも同じらしい。
「誰かいるのか、そこに」
返事があるわけがないのは重々分かっている。
「貴殿に危害を加えるつもりはないのだ、話を聞いていただけるか」
居るか居ないかもわからない。飛び道具をもっている可能性は否めない。剣で対処できるだろうか。歩み寄って、濃くなる気配に目を細める。
「出てきてはもらえないのか」
出てくるわけがない、わかっている。
剣の鞘と、柄を握る。抜くためではない、抜けないようにするためだ。
迷いはない。相手がいるだろうその茂みの中へ向かって低く飛び込む。
「(あたりだ)」
相手も剣を持っていたらしい。小さな短剣を構えている姿を目にとめ、鞘の先で、兵の胸を強く突く。よほど鍛えているか精神が屈強でない限り、心臓が一瞬止まるか驚くかして、体の動きはほんの僅かでも止まる筈だ。案の定、小さく呻き、手から短剣が落ちたのを見て、そのまま鞘にはいったままの剣の切っ先を喉元に滑らせ、再度、顎を突き上げ、ぐらついた相手を組み敷く。
みればまだ年頃は若いような兵で、新兵の可能性もある。げほ、となんども咳込んでいる。新兵だとすれば、戦場慣れをしていない可能性はある。
「このまままっすぐ後ろに行けば国境だ、去った方がいい」
悔しいのか、いいや恐らくは敵意だろう。敵意をむき出しにしてもがくのだが、こっちの方が戦歴も経験も上だ。恐怖心があるようには見えない。自分の兵なら期待するような若者だろうとは思う。
「命があればまた戦争に参加できるだろう、帰るべきだ。それとも、ここで無様に名も知れぬ一般人に殺され不名誉のまま散る方が好きなのか?」
血気盛んな兵だとその燃えるような瞳を見て思う。今にも喉笛に噛みついてきそうだ。
「死にたいなら殺してやるが、私に勝ちたいと思うなら腕を磨いて出直してこい、今の貴殿では私には勝てない」
行け、と顎で促しながら体を離すと、彼は何かを話したようだがどうも言葉が異なるらしい。いい言葉ではないのだろうことはその爛々と闘士に燃えた瞳でわかった。
「さっさと去れ、負け犬のまま死ぬのは悔しいだろう、また会うことがあれば相手してやる」
わなわなと震えている身体は悔しさからなのか、どうなのかわからない。ただ、年若い青年はそのまま短剣を拾うこともせず、国境の方へと戻って行ってくれたらしい。まだ歯向かう気なのかもしれないと構えていただけにきちんと去っていった事に安堵する。
ふう、と小さくため息をつく。周囲に他の気配がないことを十分確認したうえで落としていった短剣を拾う。
「良い造りだな」
配給されているにしても素晴らしい造りだ、と思う。もしかしたらどこぞの貴族の子息であるかもしれないと思ったのはその短剣に精巧な装飾が彫られていたからだ。剣の柄、下の方に見たことが無い、恐らく紋章が彫られている。隣国のものなのか、彼の家のものかは検討がつかないのだが。
結局、その夜はそれ以上の「鼠」を見かけることはなく、無事に朝を迎えることが出来た。
「ノニンさん」
「レヴェンデル殿、」
するりと隣に現れた彼女に多少驚きはしたが、彼女であればこの程度の気配は殺せるのだろうという認識もあったのでさほど驚かずにはすんだ。
「国境のすぐ近くまで敵兵が来ていたようで、帰還中のレスライン隊が交戦中のようですね」
「わかるのか」
「ええ、勿論、貴方にはまだ理解が出来ない道具を色々持ってますから」
「……そうか、それで状況は?こちらには接近しているのか?」
「今のところは平気そうですね、ただ」
す、と彼女の唇が笑顔を作るのを止める。
「何人か国境を越えて入ってきているかもしれませんけど」
「大丈夫なのかそれは」
「この国にも一応魔術師はいるんですよ、結界を張る程度ではありますが他よりは強い魔術師なんです」
「……ここは近いんだろう?平気か?」
「……どうでしょうね、鼠は来るかもしれません」
おそらくこの月の浮かぶ正面に国境が位置しているのだろう、と遠くを見つめていると目の前に見たことのない剣が差し出される。自分が使っていた剣より少し、幅が細いだろうか。
「ここで騎士が帯剣してる一般的なものですけど、どうぞもっていらして」
「い、いいのか?」
「ベテルギウスは恐らく西側のラインを部隊で鼠狩り、と思うので、私は東に行って来ますから、ノニンさんは、ここを護っていてくださる?」
「………俺で、いいならば、努力しよう」
「殺しても構わないけど、死体の処理が面倒ですから出来れば脅して帰って頂いて下さい」
「お、脅すのか、わかったよ」
剣を受け取ると、やはり細身のようで、持っている感じもかなり軽いように思う。出来れば鞘から抜かないのが一番だろう。
「じゃ、私お仕事ですから」
「レヴェンデル殿、ご武運を」
「まあ、どうも、いってきますね」
少しだけ無邪気に笑ったように感じたが、掠めとるように頬にキスを送られ、そのまま彼女は闇夜に消えていってしまう。あれは彼女なりの挨拶なんだろうか、と思いながら頬に触れる。
どこで見張ろうか、と思いながら周囲を見渡す。馬に乗っていないのならすぐには到達はないと思うのだが、念のため裏口やはいれそうな窓や扉を外側から塞いでおくことにはした。この宿の場所は開けているし、いくら国境に近いとはいえ随分な距離もあるとも伺っていた。
「ノニンさん」
ふっと呼ばれた音がするほうに顔を向けると、宿の二階、その少し上の窓、恐らく屋根裏になっているのだろう窓からセルベル殿が顔を少しだけのぞかせている。小さなランプをともしてくれているので顔が認識できたが、なければ彼とはわからないだろう。
「上からは自分が見ていますから、ノニンさんは周辺をよろしくどうぞ」
「あ、ああ、そうか、狙撃兵だったな」
「はい、お任せください、ノニンさんは、剣の習いはあるんですよね?」
「ああ、ある、先ほどレヴェンデル殿が……」
ふ、っとセルベル殿がランプの明かりを落としたのと、耳が微かな足音を拾ったのは同時だった。月の浮かぶ真下。自分が見ている視線のラインの、右斜め方向に何かがいる。息を潜めているのは向こうも同じらしい。
「誰かいるのか、そこに」
返事があるわけがないのは重々分かっている。
「貴殿に危害を加えるつもりはないのだ、話を聞いていただけるか」
居るか居ないかもわからない。飛び道具をもっている可能性は否めない。剣で対処できるだろうか。歩み寄って、濃くなる気配に目を細める。
「出てきてはもらえないのか」
出てくるわけがない、わかっている。
剣の鞘と、柄を握る。抜くためではない、抜けないようにするためだ。
迷いはない。相手がいるだろうその茂みの中へ向かって低く飛び込む。
「(あたりだ)」
相手も剣を持っていたらしい。小さな短剣を構えている姿を目にとめ、鞘の先で、兵の胸を強く突く。よほど鍛えているか精神が屈強でない限り、心臓が一瞬止まるか驚くかして、体の動きはほんの僅かでも止まる筈だ。案の定、小さく呻き、手から短剣が落ちたのを見て、そのまま鞘にはいったままの剣の切っ先を喉元に滑らせ、再度、顎を突き上げ、ぐらついた相手を組み敷く。
みればまだ年頃は若いような兵で、新兵の可能性もある。げほ、となんども咳込んでいる。新兵だとすれば、戦場慣れをしていない可能性はある。
「このまままっすぐ後ろに行けば国境だ、去った方がいい」
悔しいのか、いいや恐らくは敵意だろう。敵意をむき出しにしてもがくのだが、こっちの方が戦歴も経験も上だ。恐怖心があるようには見えない。自分の兵なら期待するような若者だろうとは思う。
「命があればまた戦争に参加できるだろう、帰るべきだ。それとも、ここで無様に名も知れぬ一般人に殺され不名誉のまま散る方が好きなのか?」
血気盛んな兵だとその燃えるような瞳を見て思う。今にも喉笛に噛みついてきそうだ。
「死にたいなら殺してやるが、私に勝ちたいと思うなら腕を磨いて出直してこい、今の貴殿では私には勝てない」
行け、と顎で促しながら体を離すと、彼は何かを話したようだがどうも言葉が異なるらしい。いい言葉ではないのだろうことはその爛々と闘士に燃えた瞳でわかった。
「さっさと去れ、負け犬のまま死ぬのは悔しいだろう、また会うことがあれば相手してやる」
わなわなと震えている身体は悔しさからなのか、どうなのかわからない。ただ、年若い青年はそのまま短剣を拾うこともせず、国境の方へと戻って行ってくれたらしい。まだ歯向かう気なのかもしれないと構えていただけにきちんと去っていった事に安堵する。
ふう、と小さくため息をつく。周囲に他の気配がないことを十分確認したうえで落としていった短剣を拾う。
「良い造りだな」
配給されているにしても素晴らしい造りだ、と思う。もしかしたらどこぞの貴族の子息であるかもしれないと思ったのはその短剣に精巧な装飾が彫られていたからだ。剣の柄、下の方に見たことが無い、恐らく紋章が彫られている。隣国のものなのか、彼の家のものかは検討がつかないのだが。
結局、その夜はそれ以上の「鼠」を見かけることはなく、無事に朝を迎えることが出来た。