幸せの青いことり
「こんにちは!」
来客の知らせを告げたドアベルの音を聞いてのそのそとカウチから降りて、玄関まで歩いてきた。ドアベルと言っても、遠隔で知らせが来るのは便利なシステムで、カウチの隅に投げていた端末機からAIの女が「お客様がいらっしゃいましたレヴェンデル様」というだけだ。これをドアベルですといっていいのかは、知らないが。ともかく気だるい身体を引きずって、何でこんなハイテクなとこなのに手動なんだと思いつつ一人で開けるのにはまだ重いドアをやっとの思いで開いて、それで突然元気いっぱいそんな言葉を向けられる。
目の前にいるのは同じ年頃に見える…か、もしかすれば年下かもしれない、綺麗な子だった。そう、綺麗だ、と表現して差し支えないような容姿の子が目の前に立っている。
「…?えっと、こんにちは!」
不思議そうに首を傾げ、それから再びそう告げられる。
「…………こんにちは」
俺に挨拶したらしい、とややあって理解してから、もごもごと、すこし戸惑ったが、挨拶を返すと、パッと笑顔になる。俺がただ挨拶しただけなのに目の前の奴はとんでもなく嬉しい事かのようににこにことしている。
「こんにちは、ファゼット」
「…あ、えっと…ギゴウ、さん…」
目の前のみょうちきりんな存在に気を取られていると、遙か上。ホライゾンよりもずいぶん低く重さがあるが、しかし優しい音をした声が落ちてくる。確か、ホライゾンの友人で、名前は、ギゴウさんと言った筈だ。
「今日はいい天気だな」
「…はあ」
天気は、コロニーで調節が出来るらしいし、日程が組まれていて一応端末で日々の予定も確認できるのでいい天気も何も、と思うが言うのは無粋だろう。
「レヴェンデルには何日か前に伺う旨を伝えていたが、君は聞いていなかったか?」
「…あぁ……ホライゾン、さん、食事の時以外は最近、書斎にこもってるから…俺も、ききませんし……」
「そうか、……ああ、そうだ、ファゼット、これは息子のキュレイという。キュレイ、彼は父の友人の愛弟子で、名前はファゼットという…こういう時は何と言うか覚えているかな」
「はい、ちちうえ、初めまして、えと、ファゼットさん、キュレイ、と言います」
たどたどしい公用語を使いながらそう笑いかけてきたキュレイ、という名の少年は、白く透き通るような肌で、長い髪は一本一本細く見えて、サラサラとそれが風で揺れている。それから下にいくほど、青みがかった薄い緑の髪の色はどんどん深くなる。ずっとにこにこしている頬の色は所謂、健康的、という色だと思う。
ホライゾンがたまーにいう、「お人形さんみたいに可愛い」というのはこういう容姿の子を指すのだと思う。美醜感覚はそこそこしっかりしてるかと思うのだが、それにしても、目の前の子は綺麗だった。
「え、と、お、俺、愛弟子じゃ…」
「息子でないならば愛弟子だろう、レヴェンデルの話はだいたいお前かシリウスと言ったか、彼の話のどちらかだし、お前の事を褒めると偉く喜ぶ」
「そ…なんですか?」
ホライゾンはお喋りだというのはよくわかっている。でもあいつ、アニメとか漫画とかが趣味なのを最近知った。別に薬キメてる奴よりよっぽどいい趣味だしキモイと口では言っても本気で貶すことはしないが。だがあまり表立って公言も出来ないらしくて、人との話題に苦労すると嘆いていた。嘆いていたが、なるほどこの男、ギゴウとはお互いの家の話題をするのだな、と思うと同時に、俺の事で喜んでくれるらしいということに顔が熱くなる。だが俺の何をこのギゴウという男は褒めているんだ?という疑問も持つ。
「まあ、そこなども含めて少しレヴェンデルを天日干しに来た」
「テンピボシ…?」
「レヴェンデルに限る事ではないが、我々のように長寿であったりすると時間の感覚がおかしくなる。特に、あれは集中しだすと昼夜問わずずっと仕事をしているような奴だからな、襟首掴んで外に引きずり出すなり無理やり寝かしつけてやらんといかんのだ」
「……そ、そうなんですか」
うすうす、ホライゾンの様子を見ていてもしかして睡眠は必要としないのかと思っていた、そんな気はしていたが、やっぱりそうだったらしい。
「レヴェンデルは書斎にいるのだな?」
「あ、は、はい、います」
「少し邪魔をする、…キュレイ、父は友人に挨拶をしてくる。ファゼット君とお話していなさい」
「えっ」
「はい、ちちうえ」
「ちょ…」
邪魔をする、と再度告げてから迷うことなくギゴウの背中はホライゾンがいる二階の書斎に向けて遠くなっていく。あとに残されたのは、俺と、キュレイ、というこの綺麗な奴だけだ。
「え…っと」
「よろしくおねがいいたします」
ぺこ、と深く腰を曲げて頭を下げる。こういう独特のあいさつはいくつかの惑星でみられる文化で相手に対して敵意がないことを伝えるものだったか?と少し考えるも、どうしていいかわからず挙動不審になる。
「……えと…なか、入って、すわる…?」
「すわります」
挨拶したときよりは随分静かに言葉を発するなとマジマジ見ながら、彼をリビングに案内する。大人用のソファーは、俺たち二人には大きすぎる。同じ年の奴とろくに会話したためしがなくて、どうしていいかわからないが、とにかく、場を持たせるには会話しかない。
「……えっと……何か飲む…?紅茶しかないけど…それなら淹れられる」
「?」
「……飲み物、必要?紅茶、あるよ」
「あ、へいき、大丈夫、です、おきづかい、ありがとうございます」
不思議そうに首をかしげるのも、それからふわっと笑うのも全部が様になる。顔が良い奴は得だよなとつくづく思う。
「…キュレイ、だったっけ」
「はい」
「公用語、勉強中?」
「…はい!べんきょうちゅう、です」
「え、と、……早かったら、言って。聞き取れるように、ゆっくり喋る」
「ききとりやすいです、ことばも、選んでくださって、ありがとうございます」
以前そういえばギゴウが「最近引き取った」と言っていたから、今、すこしずつ公用語を勉強中なのかもしれないと思ったがやはりそのようだった。ギゴウが彼に話しかける時と、俺に話しかける時では明らかに彼へ、キュレイへ話しかけた時のスピードが遅くて、発音もはっきりと聞き取れる話し方をしていた。
外に出たり他種族と会話が必要不可欠なら公用語の取得は必須だが、そもそも惑星の外に出る手段を持っている星もまだ多くない。三つの銀河で協定が結ばれたのも日が浅いし、普及も仕切らない場所も当然多いから知らないやつ、使えないやつがいても不思議じゃない。
「良いよ、別に」
「ありがとうございます」
にこにこと彼は笑う。たどたどしい言葉を拾いながら会話を少し続けていると足音が近づいてくる。それからフゥーンという、シリウスがのっかっているユリカゴの微かな駆動音がして扉が開く。
「待たせたな」
「ちちうえ!」
「えっ、うっわ、え?天使なのでは…?ギゴウ君の息子、天使なのでは……」
ちちうえっていう発言とお前の感嘆詞が被ってんじゃねえかと思いながらついため息をつく。ユリカゴも引っ張ってきたらしいが、シリウスはギゴウの腕の中にいた。
「よう、こもり虫」
「あ、ファゼット君ーおはよう?こんにちは??」
「こんにちはだよ」
おっさんも相変わらずにこにこしている。あまり外見的に見ても変化が見られないから本当に睡眠とかに頓着がないのかもと思ってしまう。
父親のもとに寄っていったキュレイを見て、ホライゾンは自然に腰を落として視線を下げる。
「キュレイ君、初めまして」
「はじめまして」
「彼は父の友人のレヴェンデルだ、キュレイ」
「レヴェンデルさま」
「ウッ……」
可愛い、と胸を抑えてホライゾンが呻く。比喩ではない。事実、マジで胸を抑えて呻いている。
「そちらは?」
「これは、シリウス、という。レヴェンデルの息子だ」
シリウスの事を覗き込んだキュレイは、すぐ、可愛いと声を上げる。恐らく赤ん坊ってやつを初めて見たのかもしれない。ホライゾンと違って、ギゴウのシリウスを抱く格好は様になっていた。多分、もしかすれば育児経験があるタイプなのかもしれない。ホライゾンのやつはいつまでたってもおっかなびっくりシリウスを抱き上げる。「うわーー壊しちゃうかもしれない怖い怖い」とかいいながらそれでも愛しそうには抱いているのだが、抱き方に関していうなら正直俺のがうまくやってると思う。
「人見知りをしないのかもしれないな、抱き上げても全く泣かない」
「いつもニコニコしててシリウス君は可愛いんだよ、可愛いでしょ!」
「シリウスくん、かわいい、です」
キュレイは、シリウスに興味津々と言った感じだ。リビングの入り口で固まってわいわいしているのを俺はソファーから動かずに見ている。混ざりたくないわけじゃないが、動くのがだるい。キュレイが何かを言う。父親だというギゴウがそれに笑ってうなずいてから、綺麗な髪を優しく撫でる。俺はただ、それを遠くで見ている。
ふっと、ホライゾンと目があった気がした。何もないわけじゃないが、どうしてかつい目を逸らしてしまう。どうして、逸らしたか自分でもよくわからない。
「そら見ろ、レヴェンデルがほったらかすからファゼットが寂しそうだろう」
「ヒエエッ!!!??」
「はっ!?」
ギゴウの言葉に同時に声を上げる。いや、別に寂しいとかそんなこと一言も言ってねえよと言おうとする前に泣きそうな顔でホライゾンが駆け寄ってくる。駆け寄ってくんなこのもやし。
「ごめんね!ごめんねファゼット君!さ、さ、寂しい思い、吾輩ッ、ウッ」
「あ、わ、あ、お、落ち着けよ、言ってねえだろ」
思い切り抱きすくめられる。いつぶりでこいつからハグを受けたっけとつい思いながらもすんすんと鼻を啜ってなく音にビビる。マジで泣いてんのかよ、いや性格的に泣きそうだけど。
「ファゼットは機転が利く子だ、お前に迷惑を掛けまいと我慢していたんじゃないか?レヴェンデル」
「えっ!?健気!!!」
「うっさ!!!」
ははは、と楽しそうに笑う声はギゴウの声だ。
「熱中するのはお前の良いところだが、二人の父親なのだから気を配ってやれ。子供はあっという間に大きくなっていくぞ」
「う、うん、ありがとうギゴウ君ッ…」
「な…」
「二人の父親」と言ったギゴウと、それに対して何の反論もなしに素直にうんと答えたホライゾンのやり取りに言葉を失う。顔がじわじわ熱くなる。
「お、おれは別に、」
「君は賢いよ、ファゼット君」
「あ…?」
「でも、そんなに急いで大人にならないで」
「……」
「シリウス君もだけど、君だって、吾輩の大事な息子なんだから、いっぱい甘えていいんだよ」
「ば、……」
馬鹿じゃねえの、と、言うのは簡単だ。なのに、喉の奥に何か詰まった様な気持ちになってうまく言えない。大きな手で頭を優しく撫でられて、眼の奥がじわじわと熱くなる。何度も何度も瞬きを繰り返して、ホライゾンの服を握ったのは意地だったかもしれない。
「ファゼット」
声を今度掛けてきたのはずっとにこにことしていたギゴウだった。
「お前は敏い、だが、まだ子供で良い、甘えたいときはレヴェンデルに言いなさい、彼はダメだと言わない男だと君が良く知っている筈だ」
「そうだよ、ね、いっぱい甘えていいんだから!」
「お前は仕事をするときはタイマーをセットするんだな」
「ア、ゴモットモデス」
ホライゾンといい、ギゴウといい、あのレイフという男といい、ここの大人はみんな優しい。どうして俺にこんなに優しくしてくれるのか、まるで分らない。どうしたらいいのか、見当がつかない。こんなに優しく触れてくる手を、俺は、ホライゾンが差し出してくれるまで、まるで知らないでいた。彼だけだと思っていたのに、ここの大人はみんな優しく手を伸ばす。
じわ、と、視界が滲みそうになるのと、ホライゾンに強く顔を胸元に押し付けられたのは同時だったかもしれない。
「ファゼットくん補充タイム終わったらお茶にしようね」
「なんだよそれ」
「ああ、そうだな、お茶にしよう」
初めて、この日、嬉しくて泣く、ということを経験した。