短文詰め合わせ
腹違いの弟だった。
特に、我々の種族に関していえば、多くの相手と関係を持ったり、異なる相手と子を成すことは珍しい事でもないし、非難を浴びる事でもない。
だから弟が出来ても、特に何も思わなかったし、むしろ父はよくもまあ、ここまで第二子を設けようと思考しなかったものだと感心した。父もそろそろ家を出るか、あるいは、生命活動を終えるか、の選択をしなければならない年が近づいてきていたし、その反動でもう一人くらいは、と思ったのかもしれない程度だった。
ヴェルティカル、という私の名前に対して、弟はホライゾンだった。
彼の成長はさして自分にとって、興味深いものでもなかった。屋敷の中を勝手にうろついているな、と言う程度。父の後は実力も申し分ないとして自分が継ぐことは決まっていたし、家督争いがあるという家柄ではない。レヴェンデルという家に連なっているひとつくらいしか認識はしなかった。
彼と話す機会を積極的には持たなかったし、彼の世話は、父か私を生んだ母がしていたので、父から日々家を継ぐための下準備をしていただけだった。
そう、本当に、彼とは兄と弟、という概念がなく、次期当主と新たに生まれた若い命、程度の、他人じみた認識だけ。
意識が違えてきたのは彼がきちんと言葉を覚えつまづくことなく会話ができ始めたころだった。
「お兄ちゃん」
長期の仕事から戻ってきた自分へ彼はそう声をかけた。誰の事かわからなかった程度には、私は彼の兄だという認識は極めて低かったと言える。素通りをしようとして、彼が袖をつまんでもう一度自分を呼んだのを覚えている。彼の母親は見たことがないのだが、母親譲りなのかもしれない垂れたような、眠そうにも見える目がこちらを見上げて笑った。
私の事か、と尋ねれば彼は、うん、と頷いたし、それから、おかえりなさいとふにゃふにゃ、と例えればいいのだと思う。そんな音と顔で返した。
事あるごとに、彼は私を兄と慕ってくれていた。よく質問をなげかけたし、おかえりなさい、をいつもいうのは彼だった。父と母がいなくなってもそれは変わらなかった。二人しかいない屋敷で、彼はいつも私の帰りを、待っていた、というのは烏滸がましいかもしれない。
でも屋敷に戻ると、彼はどんなに遅くても出迎えてくれたと記憶している。
今になって思えば彼には寂しい思いをさせていたのかもしれない。私は使用人も眷属も雇いもしなければ持ちもしなかったから。レヴェンデルの名に連なっても問題ないようにアサシンの修行だけはきちんと行うように彼に言いつけていただけで、兄弟らしいことは、…ああ、少しはあったかもしれない。
書物か何かで、彼は知りえた知識だったのかもしれなかった。抱擁を強請られたことがある。面倒だ、と思いながらも彼に言われるまま、抱擁をした。未発達の腕が私の背に、回りきらなかった。それでも彼は抱擁をしてくれたのだと思う。何故彼がそうしたかったのかは、わからないままだった。おかえりなさいの言葉と一緒に彼は腕にじゃれてきて、抱擁を強請った。こちらが血まみれでもお構いなしで、飛びついてきた。
大好きだ、という言葉も同じ時期から聞くようになった。これもおそらく書庫の中にあった様々な惑星や共通言語に翻訳された本から得たものだったのだろう。
私は、私はその言葉に関心がなく、そもそも我々は特定の誰か一個体へ向けて深く情を注がない種族なのに、彼はそれを私に向けてしていた。変わった子なのだ、と思っていたのに、気が付けば、その言葉を注がれるたびに胸の内側がじわりと滲むように苦しくなった。
何度か言われ続け、ある日、衝動のままに未熟な体をきつく抱きしめた時があったが、何故そうしたのか自分でもわからなかった。
しかしそれでも、彼は耳元で柔らかくおにいちゃんと私を呼んでくれた。彼を護るのは己なのだ、と、頭の隅のどこかで思った。出来る限り彼を、護ってやるのが己の使命だとそんな風にも思った。
だから彼が、定命のものたちのように痛みに敏感で、そのせいで再生スピードが著しく遅く、いわゆる劣等だ、と、わかってもなお、私には彼を切り捨てることが出来なかった。年上の者達に暫くそれを隠匿していたし、ばれてしまってもなお、彼を、一定の年齢まで縛り付けていたのは、赦されないだろうし、彼は恨んでいるかもしれない。おにいちゃん、が兄上、になってしまっても、怯えられてしまうようになってもなお、彼は、私に、言ったのだ、おかえりなさい、と。
(私は私のエゴで、彼を切り捨てることをしなかったし、彼を手放す勇気も、なかったが、しかし、彼が、屋敷から姿を消したとき、私は、怒りは覚えなかった。彼が、…彼が私と言う窮屈で圧迫する存在がいない場所で、好きに生きていてくれれば、それでいいのだ、とさえ思う。娘は。彼になついていたから酷く私を嫌っているが、それでいい、とさえ思ってしまう。彼が、彼は、好かれるべき人だ)
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すれ違っているんだなあ…