Chapter1:Welcome to the White Garden

3 初恋に満ちた色を見た


 燦々と小雨のように、白い日差しが降ってくる。片手をかざしながら、薄目に空模様を確認した。
 雲一つない滑らかな水色の頂点には、ぽつりと太陽が置かれていて。眩い光を放つそれは、まるでここにいることが正解なのだと、体を沈めて休むだなんて知らないみたいだった。
 瞼を下げて、上げる。当然、日が落ちているはずもなく、眼には無痛の火傷を負ったような、重たい感覚が被さるだけだった。

「……眩しい。シェイヴィがわざわざ日傘を差すのも、分かるかも」

 ちゃっかりといつの間に、貴婦人が愛用していそうな、可愛らしい日傘を握っていた彼。そういえば、先ほど出会った場所もフラワーアーチの中だった。
 この薔薇園に広がる、優しい陽だまり。冬の訪れを許さず春のみを招き入れ、しんしんと降り積もる雪なんて簡単に溶けてしまいそうなほどにあたたかな場所。
 管理人と名乗った、雪景色を描いたかの如く真っ白な男は、それらから身を守るように、影の世界を生きている……わたしには、そんな風に映った。

「あんな男のことなんて、知ったこっちゃないけれど」

 ふんふんと首を振る。やけに美しい、あの天使みたいな微笑みを、今すぐ脳内から追い出したかった。

「それに、そう……彼の言っていた、アリスって人を探さなくちゃ」

 視線を天から正面に戻す。シェイヴィと別れた後、わたしはアリスと呼ばれた少女を探すために、アーチから抜けた先をまっすぐに歩いていた。
 淡い赤茶色のレンガ道の両脇には、白薔薇が並んでいる。その横に伸びる景色にも、遠目ながら柔らかな草原が靡いているのが窺えた。
 どのくらいかと聞かれれば、うんと自由に浮かぶ水平線を指さすくらいに、遥かなる距離だと言いたくなる。けれど、実際にそんな広々とした面積があるとは思えない。
 整頓された通路や花壇に、無限を想像させる自然物は、ホワイトガーデンの美妙な正しさを示しているようで。本当にここは、不思議なところだった。そして、緑と白を満遍なく眺めていると、どこか途方もない感情も芽生えていく。

「何の手がかりもなく見つけろ、だなんて。無茶にもほどがある」

 流されるがまま、規則的な道順を辿っているけれど、本当にアリスを発見できるのだろうか。彼は彼女のことを『偶像アイドルみたいな女の子』と言っていた。その表現が何を意味するのか、いまいちピンと来ない。
 そもそもホワイトガーデンに、自分とシェイヴィ以外の人間がいることすら、どうにも信じがたかった。現に今だって、周辺に咲き誇る花々のおかげで孤独感はなくとも、人の気配がこれっぽっちもしないのだから。

「あ……」

 同じような情景が続いていたけれど、庭はようやく姿を変える気になってくれたようだった。
 大きな円の水溜まりが、陽光を反射してきらりと揺らぐ。不純物のない波には、白い薔薇が穏やかにぷかぷかと、眠るみたいに泳いでいる。物静かにせせらぐそれは、水盤だった。
 辺りを見渡すと、水盤を中心にして、上下左右の四つに道が分かれている。ここはどうやら、一本道の休憩を挟む、ガーデンの中央広場のようだ。
 後ろを振り返って、自分の歩んだ花の通りを遠望する。シェイヴィのいるフラワーアーチは、とっくに見えなくなっていた。

「そこまで歩いた覚えはないのだけれど」

 せいぜい数分程度の移動だった。でももしかしたら、数時間経っていたのかもしれない。真偽の確かめようもない妄想をするだけで、身体にじんわりと疲労が染み込んでくる。

「少し羽を休めるべきね」

 ふぅ、と息を落とすと、水盤の縁に腰をかけた。
 目の前と左右には、それぞれ似通った一本道が続いている。おまけに、真向いの道は、二手に枝分かれしていた。残された四つの道は、クイズのようにわたしへ選択を迫る。

「このうちのどれが正解か、見当もつかない……」

 膝に肘をついて、両手に顎を乗せる。まさに「悩んでいます」といったように。一人で気塞ぎに思い惑ったとて、益体もないのだけれど。一度落ち着こうと、視界を下げる。
 わたしの胸元には、白薔薇のブローチがついた、紺色のリボンが飾られている。ホワイトガーデンに咲きこぼれる、棘を持った清廉なる命。それらのレプリカのようだった。……だけれど。

「こんな色をしていたかしら」

 覚えがないから、そう零れたのだろうか。もはやこの色しか知らない、と見飽きたくらいなのに、わたしには新鮮なもののように印象付けられていた。
 顎から手を離して、胸飾りに触れる。無論、偽物だ。柔らかな感触も、華やかな香りもない。正気の帯びないそれを、左手で包む。空いた右手は、片顎に添えられたままで。

「……待って。薔薇は、薔薇はどこに?」

 重たげな瞼が、釣り針に引き上げられるよう、じわじわとこじ開けられる。シェイヴィから渡された、あの白い薔薇がない。手のひらにも、足元にも、どこにもいなかった。
 一体どこで落としてしまったのだろうか。アーチを出て、中央広場に訪れるまでの道のりでは、しっかりと持ち歩いていたはずなのに。
 角膜が地べたに張り付くみたいに、目玉をうろうろと巡らせる。わたしの左手は、在処を求めるかの如く、無意識にブローチへと戻っていった。懸命な模索も虚しく、冷たい汗が数回ほど、顔の輪郭をなぞっては滴っていく。
 ――その時だった。
 真向いの、二手に枝分かれした道の、左側。そちらから、誰かにじっと見つめられているような。小さな女の子同士の、ひっそりとした内緒話に呼びかけられているような。そんな気がした。わたしは同じように、じっと目線を送り返す。

「こっちね」

 返事を呟くと、導かれるがままに左手の道を選んだ。何も考えてはいない。ただ、手招きをされた。そしてそのまま、海に溶け込むよう手を引かれた。
 こつ、こつ、こつ。ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。レンガと靴裏の拍手音は、いつしか水の跳ね返る音に変わっている。薄いシーツを被ったお化けのような海霧が、わたしを避けずにむわり、と通っていく。ついつい、包まれる不快感に瞑した。だけれど、わたしはすぐに目を見開くことになる。
 水盤に居座っていた先刻よりも、ずっと近くにやってきた。周囲には、あれだけ植えられていた白薔薇の姿はなく、辺り一面には潮が満ちている。小波から生まれた白いしぶきが舞い、海原はゆっくりと、青い背を高めていた。でも、そんなことは、わたしの眼中にもない。飢えた渇きも忘れて、瞳を大きく瞠る。

 ――三日月が、わたしをただ見下ろしている。大きく照り輝き、白みを帯びた黄金色に欠けた、初々しい水晶。
 わたしは、この色を知っている。
 初めて見たはずなのに、何故だか喉と胸が苦しく締め付けられて仕方がなかった。
 ざぶざぶと、後ろから迫る波が、私の背中を押すように流れていく。地上を照らす月明かりに焦がれるように、届くことのない一等星の輝きに手を伸ばすように。わたしは三日月の元へ、魂を抜き取られたみたいに、望むがまま引き寄せられた。

「ちょっと。アンタ、溺れ死にたいの?」

 悪天候に曇った耳の中、最後の雨粒を落とすように、ぽちゃりと声が入ってきた。途端に五感は澄んでいき、無くしかけた精神がふっと戻ってくる。迫り上がってきていた波は足首の下にまで落ち着いていき、わたしの眼前には、声の主であろう少女が立っていた。
 肌触りのよさそうな白く長いワンピースが揺蕩う。薄い絹から覗く脚は、ほっそりとしながらも曲線を描いており、如何にも少女らしい。ぱちっと目があって、彼女の顔が脳に焼きついた。
 朝の海のような水色に、軽やかな紫色のグラデーションがかかった、愛らしい瞳。丸い双眼には、きらりと三日月が浮かんでいる。そのすぐそばで、小花の乗せられた美しい金色の髪がふんわりと弾む。白にも思えるその色は、月にそっくりだった。
 きゅんとするような、柑橘類みたいに甘酸っぱくて、どこか切ない。――そうだ。わたしは、初恋に満ちた色を見たのだ。

「……可愛い」

 純朴で幼い少女の空想から作り上げられたような、心をどきどきとときめかせる、愛くるしい少女。わたしは一目見て、そう思った。

「ハ? いきなりなんなの?」
「あなたがアリスね。見つかってよかった」

 得心がいって微笑むわたしの表情は、アリスの不興を買ってしまったようで。彼女は愛嬌の詰まった面立ちをぎゅっと顰めていた。
 『皆を照らし導く、偶像アイドルみたいな女の子』。シェイヴィの発言を、ようやく理解する。離れた距離にあった水盤からここまで、わたしは光に導かれるようにして辿り着いた。
 そう。あの煌めきこそ、アリス自身だったのだ。特徴を知らずとも、彼女がアリスであると、わたしは疑わなかった。
 
「わたしはサナシア。アリス、あなたを探していたの。シェイヴィ……管理人が、ガーデンの道案内には、あなたが適任だと言っていたから」
「何考えてんのよ、あの胡散臭男。それに、道案内なんて必要ないでしょ。まさか迷子だって言いたいの?」
「えっと……わたし、ここには初めて来たの。だから、何も知らなくて。あなたを探すのも一苦労だったけれど……月と一緒に、わたしをここに呼んでくれたのよね?」
「……意味分かんない。月なんてどこにあるのよ」
 
 会話が上手く噛み合っていないようだった。わたしの質問に、アリスは怪訝な態度で言い捨てる。ふと、彼女の背後に彩られた空が目に入った。

「え……」

 そこには、太陽だけが、たった一人で浮かんでいた。あちらこちらと首を回しても、三日月なんてどこにもいない。恰も、最初からそうであったように。

「……幻、だったのかしら」

 アリスの反応からも、そう捉えるべきなのかもしれない。もやもやと口篭るわたしに、アリスは呆れたよう腰に手を当てている。

「もういい? アンタに付き合ってるヒマはないの」
「あ、でも……」
「自分の家くらい、誰でも分かるでしょって言ってんの。さっさとここから消えて」

 ぐいっと、アリスは顔を近づけて、わたしを厳しく睨みつける。彼女からは、心地が良く爽やかで甘い……そう、アリスの瞳の紫色によく似た、ラベンダーのような香りがした。可憐な風貌の崩れない渋面には少し似合わなかったけれど、彼女にこそぴったりだと思う。
 ……って、それどころではない、かも。何せ、彼女が可愛らしいから、つい意識を盗まれてしまう。
 現状、アリスはここから、わたしを追い出そうとしている。最初からわたしを不審そうに突っぱねていたし、これ以上対話の余地もなさそうだ。
 でも、ここで引き返してはならない。そう強く思う。それは何故? シェイヴィがアリスに道案内を頼んだから? ガーデンを見て回りたいから? ……いいえ、どれも違う。きっと、わたしは――

「ホワイトガーデンから、出なくちゃいけない……そんな気がするの。だからお願い、出口を教えて」

 わたしの答えを聞くと、アリスはかちり、と、息を無くして動きを止めた。予め用意していた言葉が、喉に詰まって出せないように、小さな口があんぐりと開く。丸い目を更に丸くしていた彼女は、その瞳をじわじわと、ナイフのように鋭く変化させた。

「じゃあ、なんでここに来たのよ」

 低く、彼女の声色が淀む。その次に、わたしは強引に体を引っ張られて、まんまと胸ぐらを掴まれる。アリスの細い指先は、小さな爪が食い込んでしまうくらいの力で、わたしの服越しに握りしめられていた。

「……分からない」
「ハ? アンタだって、望みとやらを願ったんでしょ。今ここにいるのが良い証拠だわ」
「その望みが、わたしには分からないの。……でも、それでも、ここから出たい」

 シェイヴィとアリスが口にした『望み』。それを祈りのように囁くシェイヴィ。相反して、呪いのように吐き出すアリス。そこに込められた意味は分からなかった。
 けれど、少なくとも。わたしの今の望みは、ここから出ること。寝起きみたいにぼやけた本能が、唯一教えてくれたものだった。なら、わたしはこれを忘れてはならない。大切に、奪われないように、必ず守らなければ。

「だからそのためにも、アリスには道案内をお願いしたい。あなたが頷くまで、わたしは帰らないわ」

 まっすぐに、心の臓を射抜く矢のように、わたしはアリスを見つめる。
 すると、穴を埋めることのできない欠けた金色が、微かにぐらつく。それと同時に、掴まれた胸元の力が、ほんのちょっとだけ弱まった気がした。

「ちょっと待ってくださーい!!」

 甲高い少女の叫び声に、ぱしゃぱしゃと騒がしい足音。わたしは振り返ろうと、横目に後ろへと目線を投げる。
 踏みつけられた波が水沫となって、宙に踊り舞う。けれど、それらを意図せず器用に躱して、少女は走ってきた。瞬く間にその人物は、わたしの真ん前に現れる。
 彼女はわたしと似た、仄かな撫子色の髪を一つに結って、大きめの帽子を被っていた。ばっと、わたしを守るように、少女は腕を広げる。その背中は、わたしやアリスなんかより小さい。でも、彼女は臆することなく、その場をどこうとはしなかった。

「喧嘩はやめてください! ましてや暴力なんて、もっとだめです!」
「ぜーんぶ誤解。ワケも知らないくせに、いきなり説教? てか誰よ」
 
 アリスは煩わしいと言いたげなオーラを隠さない。だけれど、そんな彼女のじりじりとした威圧に、少女は怖がる様子を見せなかった。
 存在を尋ねられて、少女は腕を下ろす。ちらりとこちらを一瞥すると、音符が弾むようご機嫌に片足で半回転した。そしてついに、少女の相貌が明らかとなる。
 ――真紅色。わたしを魅了したのは、熱烈な愛を告白するような、恋に熟した赤の眼だった。彼女はあどけなく、その赤を陽気にぱちつかせると、暗鬱な空気を吹き飛ばすみたいに破顔した。

「あたしはミラージェン、っていいます。そう……あたしはきみの『運命の人』。きっとそうに違いありません!」
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