Chapter1:Welcome to the White Garden

7 ぼくらの可愛いお姫さま


「あら……」

 瞳を開けると、ぱっちり目が合う。わたしを覗き込むようにして、一人の女性がそばに立っていた。
 顔を上げずとも、正面にはシャンデリアの吊り下がった天井が見える。そして、しっとりと柔らかな羽毛布団が、わたしの胸元にまで被さっていた。

「ご心配なさらないで、サナシアさん。ここは安全なところですわ。ところで、お身体の具合は如何でして?」
「あ、えっと……」

 目覚めたばかりで状況を把握しきれていないわたしに、女性はそっとベッドに腰をかけると、手短ながらも一番に安心を教えてくれる。
 光が当たれば金にも映る薄い茶髪に、胡桃を連想させる色の瞳。外見こそ幼いが、ゆったりと落ち着いた雰囲気に、目の前の女性が自分より年上だと一瞬のうちに認識した。そしてそのこなれた立ち振る舞いに、わたしは初対面にもかかわらず彼女に心強さを覚えていた。

「大丈夫みたい、です」
「そのようですわね。喉のご調子も問題なさそうですし」

 わたしの額に手を添えながら、女性はこっくりと頷く。彼女の言葉を耳にして、わたしは段々とぼやけた脳内から記憶を蘇らせる。

「あの、わたし……歌を歌ったら、何故か血を吐いてしまって……」

 自然と左手が、喉を押さえる。エイプリルに歌を贈ったあのとき。喉を掻っ切られて心臓が破れてしまうみたいに、まるで死にも近い痛みに襲われて、わたしは意識を失った。
 思い出しただけでも、鼓動がどくどくと息詰まって、無駄の多い音を何度も鳴らす。そのはずなのに、実際わたしが感じたのは、ひんやりと凍え切ったような、孤独の蔓延る温度だった。

「えぇ、アリスさんから事情はお聞きいたしました」
「あ……アリスが?」
「サナシアさんをここに連れてきたのは、アリスさんとミラージェンさんですのよ。アリスさんがこちらへお越しになられることは滅多にございませんが、お二人とも気が気でないといったご様子でしたから」

 思いがけない人物の名前が出てきて、わたしはついびっくりしてしまった。
 エイプリルから一秒たりとも離れたくないであろう彼女が、わざわざアクアリウムの外を出ただなんて。しかもその理由がこのわたしにあることにも、驚きは連鎖していくばかりだった。
 けれどその結びつきの最後には、どこか納得に辿り着く自分もいて。やっぱり彼女は優しい人なのだと、わたしは思う。

「アナタが眠っている間、お身体を診させていただきましたわ。ですが、はっきりとした原因はワタクシにも……」

 女性は心残りな面持ちで、僅かに眉を下げる。
 寝起きに発音しても違和感はなかったし、心臓の動きも極めて正常だ。予期せぬ事態に見舞われたけれど、彼女に命を救ってもらったことは紛れもない事実だろう。
 わたしは身を起こすと、ふわふわなベッドの上で沈む姿勢を出来る限り正した。

「助けてくださりありがとうございました。よければ、お名前を聞かせていただけますか?」

 彼女に釣り合うような丁寧さはないけれど、一先ず感謝を伝えたかった。わたしは頭を下げる。
 けれど、女性は間を置かずに「顔をお上げになって」とわたしに促した。体勢を戻して、再び彼女を視界に入れる。

「名乗り遅れたご無礼、どうかお許しくださいまし。ワタクシはヘレンと申します」

 女性――ヘレンさんは体をこちらに少々捻って、先程よりもまっすぐにわたしと向き合うと、流れるように麗しくお辞儀をした。顔を下げる動作は滑らかだったけれど、上げる動作は悠々としている。彼女の所作は、眺めているだけでも身が引き締まり、言うなればマナーの手本のようだった。

「今の状態から異常はないかと思われますが、特に喉へご負担のかかるようなことは避けるべきでしょう」
「……はい」

 真剣な声色で忠言を与えるヘレンさんに、わたしは再度喉元に触れながら、心許なく肯定を零す。
 理由が判明しないのだから、いくら考えたって役には立たない。そう分かっていてもなお、この恋々とした感情を手放せないのは、恰もわたしが歌を選んだことを否定されたように感じてしまったからだった。
 歌はわたしが初めて見つけた好きなもの。だからこんなにも、悲しくて悔しいのだろうか。
 
「気に病むことはございませんのよ。ご自身のお身体を自ら傷つけたわけではないのでしょう? でしたら、悪運と巡り合わせてしまっただけのこと。万が一繰り返すことがないように、幸福を見逃さないことも大切なのですわ」
「ヘレンさん……」

 黙り込んで俯くわたしだったけれど、ヘレンさんはもう一度「顔を上げて」と呼びかけるかのように対話を続けていく。
 彼女から発される声は、集中を途切らせれば空気に溶け込んでいってしまいそうだった。だけれど、その小さな音できめ細やかに組み立てられる言の葉は、どれも抜け落ちることなくわたしに届いていく。

「そう、ですね。まずはこうやって普通に話せることに、もっと喜んでもいいのかもしれないです」
「仰る通り。可愛らしい乙女に暗い表情だなんて、全くもって不相応ですもの」
「大袈裟ですよ」

 不安を取り払うように喉から手を離した。その様子を受け取って、ヘレンさんも安堵したのか瞳を静かに細める。
 なんだか自分が幼い挙動を曝してしまったような気分になり、ほんの少し照れ臭いのを隠したくてぎこちなく微笑んでみた。けれど彼女は「あらまぁ可愛らしい」と呟いては、相変わらずの無表情を崩さなかった。

「……サナシアさん。アナタの声は不思議ですのね」
「?」

 ふと、ヘレンさんがそう囁く。会話の前後に繋がりがなく突発的なものだったから、わたしは首を傾げる以外の行動が起こせなかった。
 そんなわたしの反応が目に入らないのか、ヘレンさんは頬に左手を添えながら、ぼんやりと天井を仰ぐ。

「軽やかな鳥の羽音のようでもあり、どこか夢から覚めるようでもありますわ。えぇ、ワタクシ……確かにそう感じましたの」

 シャンデリアを熟視しているかのようだったけれど、彼女の目線はどことなく曖昧だ。それは何枚もの薄いヴェールを身に重ねるようでもあったし、遠のく景色に導かれて連れ去られるようでもある。
 ヘレンさんは微動だにせず、ただぼうっと、もしくはうっとりとして、わたしには見えない何かへと思いを馳せていた。

「ちゅー!」

 ころりと鈴を転がすみたいに愛らしい鳴き声が、ヘレンさんの近くから微かに響いた。ヘレンさんはゆったりと瞬きをしてから、その元気な呼び立ての聞こえた左肩へと視線を移していく。
 するとそこには、王冠をつけた小さなねずみが乗っていた。ねずみは彼女の肩の上でお行儀よく座っては、ちゅーちゅーと何度もヘレンさんに呼びかける。

「あらまぁ。ワタクシとしたことが、すっかり忘れていました」

 ねずみのメッセージに気がついたのか、ヘレンさんははっとするとすぐさま手を叩いた。
 その音を合図として、両開きの扉が忽ち開いていく。重々しく軋んだ音とは相反して、部屋の中に入ってきた人物たちは軽々とした足取りでこちらに駆け寄ってきた。
 勝手に閉じていくドアをよそに寝台の付近までやってきた彼らは、そのまま速度を落とさず踏ん張った足に力を込めると、高らかに宙を弾む。そうして、あっという間にベッドの上へと着地したのだった。

「どうぞどうぞ、小さな女の子! あたしたち特性の、はちみつレモンティーはいかが?」
「さぁ、つまらない遠慮なんていらないよ! これを飲めば、喉の痛みなんてへっちゃらになっちゃうからね!」

 ぽすん、と収まりよくシーツに立っていたのは、これまた可愛らしい男女の小人だ。彼らは短い腕を精一杯伸ばしては、持ち上げたティーカップをわたしに差し出す。

「お口に合えばよろしいのだけれど」
「ちゅ!」
 
 満面の笑みで紅茶を掲げる小人と、彼らのお誘いを後押しするヘレンさんにねずみ。一同の完全なる厚意をこれでもかと浴びさせられて、わたしは当然断るだなんてできるはずもなく、流されるがままカップに口をつけた。
 
「あ……。美味しいです、凄く……」

 後先考えず飲み込んでしまったけれど、仄かに存在していた懸念は紅茶に混ざり合っていった。
 しつこい甘ったるさはなく爽やかで、けれども物足りなさを感じさせないために加えられたはちみつが、悪目立ちせずに程よい甘味を与えている。自然と口内が寂しくなってしまうほどに、何度でも味わいたいような一品だった。

「あの、これはこの子たちが……?」
「はい。作り方はワタクシがお教えしたものですが。二人とも一生懸命な働き者で、とても愛らしい子たちですのよ」

 わたしからの好評とヘレンさんの誉め言葉に、小人たちはご満悦といった風にくるくると踊る。二人で手を取り合ってワルツを披露したかと思えば、今度はそれぞれ自由気ままにステップを踏んだり。彼らは全身で喜びを表現した。
 一通りダンスを踊り終えると、男の子の小人がヘレンさんの膝元に飛びつく。小人はぴょんぴょんと跳ねながら、ヘレンさんに笑顔を輝かせた。

「わーい! ヘレン、ぼくらの可愛いお姫さま! もっともっと、有り余るくらいに褒めてよ!」
「あーずるい! あたしだって、もっといっぱい頭を撫でてもらわなくちゃ! そう、この美しく優れたお姫さまにね!」

 素直に甘えて褒美を求める小人に、ヘレンさんは彼の望むがまま頭を指先で撫でつける。女の子の小人はその微笑ましい風景を見かねると、大慌てに男の子の横へと強引に並んで、同じように愛くるしくおねだりをしてみせた。
 ヘレンさんはそんな彼らの気持ちをありのままに受け止めて、その希望に応えるかの如く頭を優しく撫でる。途中で「ちゅう」と鳴き声が聞こえたから、灰色の彼もまたたんまりと可愛がられた。
 彼らの面倒を見るヘレンさんの、普段は読みにくい相好が少しだけ崩れたように窺えて、わたしはうっかり目が離せない。彼女は「仕方がない」というみたいに顔色を和らげたが、わざわざそれを口にせず小人たちを甘やかす姿に、慎ましい愛情深さと品性を感じた。

「さて、そろそろ参りましょうか」

 ひとしきり二人と一匹に構ってやると、もう終いだと告げるようにヘレンさんは立ち上がる。小人も満足したのか、二人仲良く手を繋いでベッドから飛び降りてから、大きな扉を懸命に開けてお利口に待っていた。

「客間にアリスさんたちがお待ちになられていますわ。ワタクシの腕に掴まって、どうぞごゆっくり向かいましょうね」

 ヘレンさんはこちらに振り返ると、ベッドから降りるわたしの体を支えながらそう提案してくれた。わたしは感謝を示すよう頷いて、彼女の左腕に触れようとしたが、ヘレンさんはわたしに右腕を寄せる。

「左腕は些か動きが鈍いものでして。ご不便をおかけしますが、こちらにお願いいたしますわ」

 小さな左の手のひらを頬に重ねて、ヘレンさんは律儀にそう述べる。
 つまり、彼女の左腕は何かしらの障害を抱えている……ということだろうか。花のように嫋やかな仕草からは想像もつかなかったけれど、医学的な知識に富んだヘレンさんだからこそ、器用な使い方をよく理解しているのかもしれない。
 脳内を巡らせていたけれど、彼女の顔の輪郭に添えられた薬指から、きらりと嵌められた指輪が光沢を艶めかせた。わたしはぱちりと視覚を刺激されて、その眩しさは雑念を消し飛ばす。
 尋ねるつもりも毛頭なかったけれど、浮かび上がった興味はやがて霞んでいって、わたしは再度頷いた。

「そうだったんですね、わざわざありがとうございます。実は左利きなので、むしろありがたかったりしますよ」
「あらあら。ワタクシたち、相性がよろしいみたい」

 彼女の細い腕に掴まりながらこっそり笑ってみせると、ヘレンさんは純粋に驚いたようで、それからお茶目に言葉を返した。


◆◆◆


「サ、サナシアさーん!!」

 客間について早々、ぎゅうっと力強く抱きしめられる。瞳を潤わせながら、ミラージェンはわたしの名前を大きな声量で叫んで、こちらに全速力で走ってきたのだった。

「もう大丈夫ですか!? あたし、ずっとずーっと心配で、危うく暴れちゃうかと思いましたよー!」

 うりうりと頭を埋めていた彼女は勢いよく顔を上げると、わたしの頬やら額やらをあちこち触りながら体調を気にかける。やっぱり、相当心配させてしまったようだ。突然血を吐いて倒れたのだから、無理はないだろう。
 抱き返すことはできないけれど、わたしはミラージェンの涙を忍びやかに拭うと、彼女の肩に手を置いてなるべく目線を合わせた。

「ごめんね、ミラージェンちゃん。ヘレンさんに診てもらって、今不調はないみたい。だからもう大丈夫」
「そうなんですね……! 本当によかったぁー……」

 緊張という名の力に全身を縛られていたミラージェンは、それらが解けるようにふにゃふにゃと息をつく。その流れで緩んだ彼女の口角は、みるみるうちに上へと伸びていった。ミラージェンのトレンドマークである笑顔を久しぶりに見れたような気がして、わたしの心もぽかぽかと癒えていく。

「これにて一件落着みたいだね、ミラージェンくん」

 知らない男の声が、ミラージェンの後ろから耳打ちされる。背後に見返った彼女の反応は、存外晴れやかなものだった。

「はい! 二人とも、お話聞いてくれてありがとうございました」
「とんでもない。キミから奏でられる色とりどりな音色には、私たちも退屈しなかったものさ。そうだろう? アリス」

 ぺこりと腰を曲げて、うなじが見えるくらいにポニーテールを垂れ下げる。ミラージェンの純真さを表すような礼に対して、歩んできた英国紳士風の男性はゆるやかに手を振りつつも無下にすることはない。そして、彼がわざとらしく強調したその名前を、わたしはきっと誰よりも求めていた。
 部屋の中央に配置された大きなテーブルのそばで、質の良さそうな広いソファに一人居座る少女。彼女は肘掛けに腕を預けながら、手のひらで支える顎はそっぽを向いていて、配慮無く足を組みながらも優雅さを失わせない。こんな高級な応接間で大胆な態度を取れるのは、わたしが知るところ一人だけであった。

「アリス……!」
「ハァ……起きんのが遅いのよ、全く……。人様に苦労をかけといて寝坊するだなんて、とんだ度胸の持ち主なのね? アタシには一生マネできないわ」

 ようやくこちらを向いたかと思えば、アリスはげんなり深々とため息を吐く。散々な悪態をつく有様も、今となっては懐かしいものだった。

「何笑ってんのよ」
「いや……嬉しくて」
「ハァ? だから何が??」
「ふふ……ごめんなさい。わたしね、アリスにありがとうって言いたくて堪らなかったの。助けてくれて、本当にありがとう」
「……あの馬鹿娘がうるさかっただけよ」

 笑い声を抑えるわたしへ腹を立てて猫みたいに威嚇するアリスだったけれど、ずっと伝えたかった感謝をわたしが届けると、拍子抜けしたように眼を丸くさせてから、彼女はまたまた視線を逸らしてしまった。

「随分と賑やかですこと。廊下にまで和気藹々としたお声が聞こえてましてよ」
「おぉ! お戻りのようだね、ヘレン」

 不意にドアが開かれて、一室に入ってきたのは小人らとヘレンさんだ。言うまでもなくねずみもいる。
 わたしたちをささやかに静観していた男性は、ヘレンさんが戻ってくるなり急ぎ足で彼女の元に歩みを寄せた。
 
「こちらのお嬢さん、見違えるように元気を取り戻したようだね。流石はキミだ」

 男性はヘレンさんの正面に辿り着くと、開いた身長差を縮めるよう体を控えめに屈ませる。

「けれど、キミは驚くほど多才で、尚且つ心優しい。さぁ、後のことは私に任せて、アリスたちとくつろ」
「結構です。それに、当然のことをしたまでですわ」
「おっと、これは失礼。キミには無用な気遣いだったね」

 にこやかに、そして何より喜びを隠さずに、男性はヘレンさんに話しかけた。彼はヘレンさんが持っていたお皿を手に取ろうとしたが、その動きを制止させるかの如く、端的な拒否をヘレンさんは突きつける。
 けれど、男性は厳しく接されても傷つくようなことはなく、むしろ惚れ惚れと彼女を見入るばかりだった。
 
「「わーい! 王子さまとお姫さまのお揃いだ!」」
「ちゅー!」

 パーティーの開幕式のように、めでたい歓喜の声が上がる。小人は小魚みたいに幾度もなくジャンプをして、ねずみはヘレンさんの肩の上で見事に仁王立ちを成功させた。
 その愉快な光景に、ミラージェンと男性は興を添えるように拍手を鳴らしている。一方で、アリスとヘレンさんは眉の一つも動かさなかった。
 まもなく、ヘレンさんが小人たちを集めて、用意していたスイーツを机にまで運ぶように命じる。二人は「喜んで!」と返事をしてから、よいせよいせとお皿を持ち上げていく。そんな彼らを見送ると、彼女は空いた手のひらを横にずらして、わたしが男性に注目するよう誘導した。 

「ご紹介いたしますわ。こちらは薄々とした笑みがお得意なヴィクター。ワタクシ、ヘレンの夫にございます」
「初めまして、可憐に微睡むお嬢さん。私はヴィクター、この大きな城の主さ」

 ヘレンさんにヴィクターと呼ばれた男性は、この時をお待ちしておりましたというように、胸に手を当てるとその場で片膝をつく。爽やかで機敏な身のこなしは、主と名乗った彼にこそぴったりだった。

「あぁ、非常に感動的だ。キミと出会えた運命を、私は喜ばずにはいられないよ」

 浅く顔を下げていたヴィクターさんはこちらを見上げると、莞爾と微笑んでわたしの手を取る。そして彼はまるで魔法をかけるように、手の甲へとキスを残した。

「ぎゃー!? ちょ、ヴィクターさん!? サナシアさんの運命の人はあたしですよ!?」
「うわ、運命が大量発生してる。てか、さっき同じことされてきゃーきゃー言ってたのは誰なのよ」
「そ、それとこれとは訳が違うんです!! ヴィクターさんどいてー!!」
「あんな気持ち悪いことされて何が嬉しいわけ? アタシは芝居でも絶対にお断りー」

 ヴィクターさんの言動に吃驚するよりも先に、ミラージェンが慌ててわたしに飛びついてきた。彼女はコアラみたいにしがみついては、ヴィクターさんにぷんぷんと文句を投げる。
 
「おやおや、お近づきの印にとご挨拶をしたかっただけなのだがね。サナシアくん、気を悪くさせてしまったかな」

 スマートに立ち上がったヴィクターさんは、あっけらかんとしながらも穏やかな相貌に申し訳なさを滲ませる。
 たしかに、慣れない作法だったし驚きはした。それに、わたしにはシェイヴィの件もあるから、普通の人よりも必要以上に敏感なのは間違いない。だけれど……。

「いえ、えっと。変な言い方になるかもしれませんが……嬉しかったですよ」

 不思議と、嫌な思いを抱くようなことはなかった。それは、彼から送られる好意が下心もなく純粋で、お為ごかしの親切ではないのだと十分に理解できたから。
 わたしはヴィクターさんに首を左右へ振りながら答えると、彼は黄緑色の髪をふわりと揺らして朗笑した。
 
「それはよかった。キミとも仲良くできたら嬉しいな。私の魔法を受け取ってくれたこと、心から感謝するよ」

 改めてよろしく頼むよ、と差し出された手を、わたしは快く握り返す。手袋越しに感じた皮膚の硬さなんて気にならないくらい、彼はモノクル越しに円やかな瞳を細めた。
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