第一章「死神の館」

第四話『晩餐』


「待ってくださいっ」

 敵意をむき出しにするレドナーを制止するように、息の整わないテオフィールが駆けつけた。
 二人の間に入ると、カロンを自分の背後へと強めの力で押す。呼吸を一定のリズムへ戻すと、カロンがクラウンベリーから貰った地図を差し出した。レドナーはやせ細った手でゆっくりと受け取り、地図を目に通すと少し太めの眉を顰める。

「私たちは目的地である店に行くために、この地図通りにやってきただけです。まさかこんなところに辿り着くだなんて、思ってもみませんでしたよ」

 レドナーに弁解を試みるように、テオフィールはありのままを答えた。レドナーはすらりと伸びた背筋を崩すことなく、テオフィールに問いただす。

「この地図は誰の物だ」
「私の師匠から貰ったものよ」

 テオフィールの背後からカロンがちらっと顔を出してツインテールを傾ける。

「お前の師匠は余っ程の老人か何かか」
「そんなこと無いわよ? 確かに三十路は越しているけれど、師匠はまだまだ若くて綺麗なの!」

 毎朝毎晩と欠かさずにスキンケアをしていた彼の長年の努力を侮ってはいけない。年齢を感じさせない若々しさは彼の誇りだ。
 カロンの返答を聞くと、レドナーは腕を組んで視線を落とす。

「その地図は今より随分昔の物だ。お前なら分かるだろう、案内人」

 名指しされたテオフィールは肯定する。自分の持っていた地図とカロンの持っていた地図を何回も見比べた。だが、印のついた場所はどう見てもここしか有り得なかったわけで、だからこそテオフィールも疑問ばかりが浮かんでいるのだ。カロンだってそれを知っている。

「そもそもこんな場所は、今の地図に記されていませんでした。貴方は一体……」

 レドナーの朱色とテオフィールの果実が合わさる。扉の隙間から風が入り込んできて、テオフィールは反射的に帽子を押さえた。その瞬間、ちらりと尖った何かが見える。レドナーの髪がカーテンみたいに揺れて、耳元が無防備になった。
 大きく鋭利な、悪魔のようなそれ。
 どこか確信を得て、テオフィールは言葉を紡ごうとした。
 

「あー! 久々のお客さんだー!」

 パタパタと軽やかに走る音が静寂な場に不格好だった。またまた知らない声に、カロンとテオフィールはどきりとする。レドナーの肩を触る小さな手が見えると、ひょこっとこちらを覗く姿があった。

「え~っ⁉︎ 人間の男の子に女の子じゃんか~‼︎」

 ふわり。白い髪にラベンダーを重ねた雲みたいに柔らかな髪を揺らしながら、レドナーと瓜二つの朱色を丸くしてカロンとテオフィールを見つめる。小柄な少女はぱぁっと物珍しそうに表情を晴れやかに明るくした。隣にいたレドナーは心底面倒だと舌を鳴らす。

「はじめまして、私はジェシー。この辛気臭い顔のレドナーの可愛い妹だぜ!」

 いえい! とピースしながらレドナーと腕を組む。先程との空気の違いについていけず、テオフィールは上手いこと反応が出来ずじまいだ。けれど、カロンはジェシーの自己紹介を嬉しそうに聞いてから、自分も名乗り出る。

「私はカロンよ、こっちはテオフィール!」
「は、はぁ。テオフィールです」
「うんうん、カロンちゃんにテオフィールくん! 我が家へようこそいらっしゃってくれた!」

 こんな可愛い子たちをお招きするなんてやるじゃーん、とジェシーはレドナーの身体を肘でげしげしと当てまくる。そんなジェシーをぐいっと押しのけ、レドナーは眉間に皺を寄せた。

「招いた覚えはない。こいつらはただの迷子だ。今すぐ返す」
「ええーっ⁉︎」

 冷淡に帰宅を言い渡すレドナーに、ジェシーはオーバーなリアクションをとる。

「有り得なーい! もうちょっとしたら夜なのに、こんな暗いなか子供たちを森でさ迷わせるつもりなの?」

 自分たちより遥かに年下の少女に子供と言われたことに違和感を感じながらも、ちらりと背後に振り向いて扉の向こうを見やる。夕焼けはすっかり沈んで、辺りは真っ暗になりかけていた。こんな暗い森を歩くのは危ないと、カロンにも分かる。テオフィールも不安そうだ。

「ほらっ! こんな可哀想な子たちを放っておくなんて、私にはできないぜ~? およよ……」

 カロンとテオフィールにちょいちょいと屈むように頼んできたジェシーの言う通りにすると、よしよしと頭を撫でられた。擽ったいと笑うカロンとなんとも言えないテオフィールを、ジェシーはレドナーに見せつけるように撫でる。

「私の言いたいこと、分かるでしょ」

 綿毛みたいに柔らかい声が、ぴしゃりと押しつぶされる。真っ赤な彼女の瞳が、心做しか黒く見えた気がした。レドナーは呆れたように目を閉じると、こちらに背を向けて歩いて行った。

「どの部屋も大抵使っていない」

 好きにしろ。
 
 無愛想に言い捨てたレドナーの姿はもう見えなかった。

「よっしゃ〜い! 可愛い妹ときみたちの勝利〜!」

 ぴょんと飛びながらジェシーは大喜びの舞いを踊る。ポンチョとスカートのフリルも一緒にくるくると踊っているみたいだ。カロンとテオフィールは無邪気なジェシーの様子も相まって一安心する。そんな二人に、ジェシーはへへ、と悪戯に歯を見せた。
 
「ようこそ、我が家へ!」


◆◆◆


 ぐわんと意識が遠くに追いやられる感覚が心地良い。空どころか宇宙の真ん中に投げ出されたような浮遊感を味わう。このまま手放しても良いけれど、何か聞こえた気がして。朧げな脳を起こそうと、すぐそばにいる意識を掴んだ。

「んん……」

 やけに重い。ライムントは己の身に重量感を覚える。母親からの遺伝であるツリ目を蕩けさせながらも、すぐさま切り替えて体を起こす。ふさ、と音がして、肌触りのしっとりとした高級そうな布団にくるめられていたことに気づく。正直離したくないくらいぽかぽかだ。冬の国で育ったライムントは感激である。

「あら、起きたのね。おはようライム!」
「お、おう。おはよ?」

 寂しながら布団をめくるライムントに、早天のお日様代わりと言われても差し支えないカロンの笑顔が良い目覚ましになった。現在時刻は夕飯時なのだが。彼女の世界に夜なんて時間はないのかもしれない。

「さっきはごめんなさい……たんこぶはばっちり冷やしておいたから、安心してちょうだい!」

 グットマークを向けるカロンの言葉にライムントはさほど覚えがない。たんこぶが自分に? 首を傾げてうーんと眠り落ちる前の記憶を辿る。確か、何か黒くて頑丈なもので、アホ毛も潰れるくらいに頭を……

「ぶっ叩いたよな⁉︎」

 トラウマにもなり得るあのフライパン事件が恐怖と共に蘇ってしまった。咄嗟に両手で頭を守るライムントは、アホ毛の命も確認してみる。良かった生きてる。

「二人がご飯を粗末にするからよ? これは相応のお仕置き」

 ぷくっとシュークリームのように頬を膨らますカロンだが、あの時のように怒ってはいないようで、ライムントはどっと胸の痞えが下りる。もうあんな世にも恐ろしい彼女は見たくない。

「そうそう! ノエルがお菓子を用意してくれたの。一緒に食べましょ!」

 ノエルとは誰だろうか。フレンドリーな彼女のことだから、自分が気絶している間に友達の一人や二人作っていてもおかしくはないが。はい! と差し出された小皿に、小さく綺麗な型をとったマカロンがライムントを見つめる。

「えっ……これ、食べても良いのか……?」

 わなわなと震えるライムントは、ご飯を目の前にして居ても立ってもいられない子犬みたいだ。葡萄色の瞳に驚喜を浮かべて、ガラスでも扱うみたいにマカロンを指で摘む。笑うときは大口を開ける彼が、小言を呟く程度の口でそっと齧った。

 サクリ。

「……ッ‼︎」

 魔法の合図がしたら、もう止まらないのである。
 ふわりと香るフランボワーズが口内に広がり、ガナッシュとの完璧な組み合わせについ頬が緩む。マカロンだなんて、材料を集めるのも自分には困難で、父親から故郷の催し事で貰ったレシピ本の七十二ページ目に印をつけただけだった。通りかかるスイーツ店でガラス越しに眺めるような、憧れの存在だったのに。その憧れは、まさに今己がしかと噛み締めている。

「うぅ……っ……うまい……めっちゃくちゃうまい……」

 こんなに大切に味わったのにもう無くなってしまった。美味しさと消失感で涙が止まらない。この涙すらも、もしかしたら体内のマカロンを奪っていってしまっているのではないかとか思ってしまうくらい、ライムントは正常な判断が出来なかった。

「まだまだあるわよ!」
「そんなに食べたらオレどうなっちゃうんだよぉ……」
「幸せになっちゃう?」
「なっちゃうぅ……」

 えぐえぐと狼狽えるライムントに、カロンは余すことなくマカロンをあげてやる。食べるだけで泣いてしまうのだから、彼はきっと相当なお菓子好きなのだろう。カロンは師匠であるクラウンベリーにスイーツ作りも少し教わっていたので、ほんわかと嬉しくなる。彼もきっと師匠のお菓子を気に入ってくれるに違いない。食べる手を止めようとしてもやめられないライムントを、カロンはカヌレをぱくつきながら見守る。

「……はっ」
「どうしたの?」
「べ、別にオレは甘党なんかじゃねぇから‼︎」

 五個目のマカロンを両手で抱きしめながら言ったとて説得力に欠けるのだが。カロンはうんうんと促しながらにっこりと笑った。


◆◆◆


「……げ」

 目が覚めて視界に入った人物にルシアスは顔を歪める。ベッドのそばの椅子に腰を掛けていたテオフィールもこちらに気がついたようで、広げていた地図を直す。

「よく寝ますね。寝相が悪くて見ていられませんでしたよ」
「寝起き早々嫌味をぶつけるなよ‼︎」

 はぁ、とため息をつくテオフィールだが、どうやらルシアスが起きるまでここにいてくれたらしい。
 なんとなくお互いに分かっているはずだが、ルシアスとテオフィールは既に仲が悪い。それなのになぜ彼がここにいるのだろうか。ほんのりと痛みの残る首元に謎が浮かび上がりながらも、記憶力の鈍いルシアスはどうでもいいか、と立ち上がる。幾らブラシを施してもふわふわの癖毛を適当に叩いて、チェストに置かれた魔女帽を身に付けた。

「というか、ここはどこなんだい。立派な部屋だけれど」
「まぁ……運良く泊まらせていただけることになったというか」
「泊まる? なんで?」

 テオフィールは無言で窓へ指先を向ける。釣られて視線をやるルシアスは、宵の口を迎えた景色を見て仰天した。ガッと窓にへばりつくルシアスは落ち着かない様子で、振り返ると急ぎ足にテオフィールを通り過ぎていく。

「どちらに行かれるのですか。もう時期ご夕食だとお聞きましたが」
「君たちには関係ない。夕食も結構だ」

 厳しく言い放つルシアスはドアノブに手を触れようとするが、その前にテオフィールは呼び止める。

「……国滅事件を知らない人が、いると思いますか」

 誰にも聞こえないように、密かな声でテオフィールは問いかける。そのワードを聞くと、ルシアスははっと色の異なる瞳をテオフィールに向けた。一瞬林檎と目が合って、彼はすぐに長いまつ毛でそれを隠した。いつものようにルシアスを小馬鹿にしているわけではない、謹厳な顔つきだ。

「そんな人間がいるなら、よっぽどの箱入りだ。もしくは――」

 別の世界からやってきたんじゃないのかい?

 冗談をふわりと付け加え、扉を鳴らしてその場を去って行く。テオフィールは何も言わなかった。
 

「テオ、夜ご飯出来たみたいよ」

 コンコンとカロンが扉をノックする。入ってもいいかと聞かれて了承すると、カロンの隣にはライムントも並んでいた。

「あら、ルシアスは?」
「御用があったようで何処かに行かれました。そのうち帰ってくると思いますよ」

 そう……とカロンはツインテールを下げてしょんぼりした。ご飯はみんなで食べるともっと美味しくなるから、ルシアスとも席を共にしたかったのだが、用があったのなら仕方がない。

「ルシアスは大丈夫だったか? オレはやっとたんこぶ治ってきたぜ」

 なはは、と後頭部を触りながら軽く笑うライムントは、先程より幾分か元気そうだ。叩かれたというのにあんなにおおらかな態度でいられる懐の広さはどこからなのだろうか。

「衝撃のせいか記憶も曖昧だったようで、何も思い出していませんでした」

 馬鹿ですよね、とテオフィールは爽やかスマイルを華やがせる。ある意味思い出さなかったことは幸運だったのかもしれない。カロンとテオフィールは普段が穏やかな分、怒らせたら厄介だとライムントは心に刻み込む。


「もーっ遅いよ! 私お腹ぺこぺこ〜」

 大きな両開きの扉を押そうとすると、中からジェシーが飛び出してきた。
 ただっ広い館は移動するだけで時間がかかる。心当てに部屋を探すカロンとライムントが迷子にならないよう、テオフィールが持ち前の案内人スキルで無事辿り着くことが出来たが。
 こっちこっちとジェシーに手を引かれてカロンたちは金属の煌めいた豪華な椅子に座らせられる。目に広がったのは、真っ直ぐと横に伸びた長方形の机に並べられた晩餐だった。あちらこちらと、五つ星レストランにしか出されないようなものばかりで、カロンたちは幼い瞳をキラキラと輝かせる。

「お時間を頂いてしまってすみません。皆様の好物を揃えてみました」

 奥のキッチンからノエルが顔を覗かせる。お盆を口元に寄せてはにかむ彼女は、これらをたった一人で作ったらしい。微塵も疲労を感じさせない対応には品が込められている。

「カロン様にはオムライス、ライムント様にはムニエル、テオフィール様にはシュバイネハクセをご用意させて頂きました」
「ム、ムニエル⁉︎ そんな、いいのかよ……⁉︎」

 ぎょっと初めて見たかのようにライムントはムニエルをまじまじと観察する。そんな彼の行動にノエルはくすりと笑みを綻ばせた。

「はい。ライムント様のお食事ですから」

 お口に合うとよろしいのですが……と控えめに料理を勧めてくれたので、カロンたちは頷く。目を閉じ優しく両手を握り、それぞれ祈りを捧げる。

「今日も美味しいご飯を食べられることに感謝して……」

「いただきます」

 カロンの一声を合図に、皆食事へと興じ始める。


「あ……うぅ……これもうまい……」

 またしても涙でくしゃくしゃになっているライムントは、ムニエルをとくと噛み熟す。バターで柔らかくほぐれた身を一つずつちまちまと米粒のように掬っては、残り惜しそうに口へと運ぶ彼の食事風景は見ものだ。

「てか、ノエルってお前のことだったんだな。あんなうまい菓子にムニエルは初めて食べたぜ。ありがとな」

 アホ毛をぴょこぴょこと揺らしながら、ライムントはノエルに話しかける。母さんたちにも食わせてやりたいぜとライムントは大絶賛だ。

「そんな……お礼には及びませんよ。美味しいというお言葉がとても嬉しいです」
「えっへん、うちのノエルは凄いんだぜ〜?」

 ふふんと自分のことのように誇らしげなジェシーは、大口を開けてぱくりとグラタンを放り込む。伸びたチーズを見て見てとはしゃぐ彼女にライムントとノエルは朗笑を返す。

「そういえば、レドナーはいないのかしら?」

 余った端っこの卵を器用にスプーンに乗せながら、カロンはお誕生日席にいるはずであろう家主の少年の名を出す。そういえば……とルシアスの席も目に映しながら、テオフィールはぺろりとシュバイネハクセを平らげている。ぶっきらぼうな彼とも食事を共にしたかったのだが。

「最近は体調が優れないようでして……」

 ノエルはどこか申し訳なさそうにお盆をきゅっと握る。そんなノエルを熟視して、ジェシーはほっぺたをよしよしと摩る。

「こーんな美味しいノエルのご飯を食べないなんて、お兄ちゃんってば勿体無〜い!」

 レドナーの席にぽつりと置かれたシチューは具沢山なのに、どうも物寂しく感じてしまう。

「もしレドナー様のお腹が空いた時のためにも、残しておきたいんです」

 シチューを手に取り温めなおそうと足を進めるノエルに、カロンはそっと裾を引っ張る。

「冷めてもノエルの料理はとっても美味しいものね!」

 もったりと乗せられたケチャップの酸味を咀嚼しながら、カロンはノエルの真心こもった料理を賛美する。
 小さな鶏肉にもしっかり火が通っていて、米には不足なくケチャップが染められているのだ。手の込んだ彼女の愛がこんなにも伝わってくる。カロンは誰かが誰かを想った気持ちを節々に感じる温もりが大好きだ。だからこそ料理人の立場として、そしてカロンとしてノエルを褒め称えた。
 そんなカロンの言葉に、ノエルは口をもごもごさせる。初々しいノエルの反応に、カロンはにぱっと笑みを放つ。やっぱりノエルは可愛らしい少女だ。
 
「あいつらが初対面で銃を向けたりしてたってほんとか……?」
「信じられないでしょうね」

 ライムントはぽかんとしながら最後の一口を頂いた。


◆◆◆
 

「ふぅ、いいお湯だった!」

 ばふっとふかふかベッドにカロンは大の字で寝っ転がる。
 楽しい晩餐が終わった後、ノエルに入浴の手配をしてもらい、各自空き部屋で夜を過ごすことになった。十人は余裕でくつろげそうな浴槽に、カロンは跳び上がった。ルシアスを誘ってみようと探したが、小さく賑やかな魔法使いを見つけることは出来なかった。用があると出て行って数時間は経っているのだが。カロンはそわそわと二つ結びを解いた髪を揺らす。

「せっかくだし、館を見て回るついでに探そうかしら」

 よしっと弾むようにベッドから飛び起きると、ウキウキと冒険へ出かける気分で部屋を足早に出て行った。


「ここかしら? あら違う。ならこっち?」

 ガチャガチャと迷路のように沢山ある扉を当てずっぽうに開けていく。今のところ全て外れなのだが、カロンはどんな状況でも楽しんでしまうタチだ。むしろある部屋は手当たり次第見ちゃおうなどと考えている。
 サイズがぴったりのスリッパで柔らかなマットの床に擦り付ける感覚を享受しながら周囲を見渡す。作者も制作年も分からないような絵画が立て掛けられていたり、仄かな灯りを滲ませるライトには少し錆が浮いている。
 この館にはレドナーたち三人しか暮らしていないようだが、そんな人数で住むような大きさではないことは明白だ。だが、どの部屋も人がくつろいで生活を送っているような雰囲気はなく蛻の殻だ。どう考えても不気味な場所だが、カロンはスキップを踏みながら探索を続ける。

「あっ、ここだけ少し扉が違うような……」

 お次はどんなものかと入ろうとしたが、扉が他と異なっていることに気がつく。この扉だけ、釘の刺さっていた傷のようなものがある。さらりと手で確かめると、掠れた感触に果然年季が満ちている。カロンの勘はここだと脳内の自分が大賛成したので、勢いよく扉を開けた。

「ここね!」
「……」
「まぁ、違ったみたい! でも貴方がいたなんてね、嬉しいわ」

 こぢんまりとした一室に、大きな窓から覗く月夜を背景に朱色を目立たせる彼がいた。絹のようにしなやかな髪を優雅に靡かせて、幼い顔に似合わない怪訝とした表情でカロンを見ている。

「……何の用だ。それにノックくらいはしろ」

 ごもっともである。椅子に足を組みながら頬杖をつくレドナーは、今すぐに帰れと声に出さずとも伝えてくる。

「ごめんなさい、ルシアスを探していたら貴方を見つけちゃったの」
「……あのチビ、こんな夜更けに出かけたのか?」
「そう遠くには行ってないみたいだし、大丈夫だと思うわよ」

 少々話に食いついてきたレドナーだったが、ルシアスの安否をそれとなく理解すると、どこかほっとしたようにため息を零した。カロンから視線を外すと髪の毛をくるくると弄り出す。
 目が合って分かったことだが、彼の大きなツリ目はよく見ると優しい。カロンは思いついたようにレドナーの目の前の空いた椅子にえいっと身を預けた。

「なんのつもりだ」
「ねぇ、少しだけお喋りしましょう!」
「……俺とお前が?」
「えぇ!」

 元気よく言葉を返すカロンに、レドナーはまたしても眉を顰めた。
 こんな夜、さっさと明けてしまえばいいのに。
 目の前の太陽に瞳を細めながら、レドナーは途方も無い気持ちを抱えた。


◆◆◆


「おい待てよベリー、ひとまず明日にしようぜ?」
「いいえ今から探しに行くわ。明日なんて待っている暇あるの?」

 ざかざかと早足で街を突っ切るクラウンベリーをマナロイヤは追いかける。
 時計塔が午後八時を指しても、弟子がやってくる気配はなかった。クラウンベリーは額に指を当てながら、たちまち込み上げてくる不安を飲み込むことで精一杯だった。やはり自ら迎えに行くと念を押しておけば良かったというのに。もしカロンが何か事件に巻き込まれでもしていたら、紛れもなく自分のせいだ。
 後ろから声をかけ続けるマナロイヤの声なんて一つも耳に入ってこないクラウンベリーは、行く宛もなく街中を探し回る気だった。

「拉致のあかないことしても意味ねーだろっ」

 やれやれ、と肩をすくめたマナロイヤは、マゼンタで色づく人差し指をクラウンベリーにひょいと向けた。そそくさと進めていた足の動きが止まり、クラウンベリーの体が数センチほど地面から離れる。

「ちょっと、変な魔法かけないで頂戴……緊急事態だって分かるでしょう」
「んなの分かってるって。でもこういう時こそ、頭を冷やすことが大事なんじゃねぇの?」

 むすっとジト目を下げるクラウンベリーの頬をマナロイヤはぷにぷにと突く。
 普段は無邪気なマナロイヤだが、こういった場面で時折大人らしいところがある。クラウンベリーだって良い歳した大人だが、マナロイヤは長い年月を生きた大魔法使いだ。彼から見れば、三十代のクラウンベリーなんて幼な子同然なのかもしれない。
 分かったわよ、と観念したクラウンベリーの賢い返事を聞いて、手早く魔法を解除する。

「俺、落ち込んだ時はとりあえず鏡の俺を見て元気出してんだけど……ベリーも俺、見とくか?」
「素敵なご提案だけど遠慮しておくわ」

 悪びれもなく鏡を差し出してくるマナロイヤにしなやかな否定を伝える。そっかと鏡を懐にしまう彼のおかげで心なしか落ち着いたクラウンベリーは、ぽつぽつと話し始める。

「準備を済ませて部屋の掃除をしていたら、これを見つけてしまったの」

 マナロイヤに見せたそれは、折り目も無い新しい地図であった。

「おー? つまり?」
「カロンに渡すはずだった地図を渡し損ねていたということよ」

 真顔で衝撃の事実を言い渡すクラウンベリーは、ぽかんと口の開いたマナロイヤをただ見つめる。カロンが出発する数日前に届けたであろう地図は、クラウンベリーの自室に取り残されていたのだ。

「確かに届けたはずだったのよ……けれど手元にあることが事実ね」

 自分のポンコツさに頭がくらくらしてくる。気が滅入るクラウンベリーを、マナロイヤはさほど重大なことでもなさそうに肩を叩いてやる。

「ま、やっちゃったことはどうしようもねぇし。案内人にでも手伝って貰えばすぐ見つかるぜ……」

 あ!といきなり声を大きくしたマナロイヤは、クラウンベリーを横切っていく。彼の軽い足取りの方角に振り向くと、どこか淡く光る黄金色が見えたような気がして、クラウンベリーは瞳を凝らした。

「王子くん! ベストタイミング!」
「マナロイヤ様。その呼び方はおやめになってくださいと、何度もお願いしていますのに」

 王子、変わった呼び名を好むマナロイヤがそう呼びかけた人物が薄暗い景色から現れた。
 退屈な空気が一変して華やかなものになり、甘酸っぱいチェリーを漂わせて近づいて来る。艶のある蒲公英色の髪を帽子に纏めて、シトリンを思わせる宝石眼を煌めかせる。背筋を正しく伸ばす長身の男は、クラウンベリーよりも十センチ近くは身長差があった。
 男はシトリンを細めて、春の花々のように美しい顔をこちらに微笑みかける。胸元に手を添えると、小さな口を開いた。

「こんばんは。何かお困り事でしょうか」
「人探しをしてるんだ。案内人の王子くんにも手伝ってほしいんだけど」
「王子ではなくジョジュアとお呼びくださいね。丁度私たちも人探しをしているところだったんですよ」

 ごめんってと気さくに笑うマナロイヤの隣の男ことジョジュアは、マナロイヤとの会話を流暢に続ける。クラウンベリーとは違ったスルースキルというか、おちゃらけたマナロイヤへの言葉の返し方が手足れている。流石は案内人といったところだろうか。

「私たち?」

 不思議そうなクラウンベリーに、ジョジュアはゆっくりと体を傾ける。
 ジョジュアの背後には、またしても長身の男がぷるぷる身を縮こませて立っていた。黄土色の癖毛に、深緑のツリ目がふわふわと隠されている。頭部にはふさりと毛並みの整った猫耳があり、それは怯えるようにぴくぴくと動いた。

「あー! タルファーじゃねぇか!」
「‼︎ マ、マナロイヤ、様……」
「おや、お知り合いの方でしたか」

 先程からクラウンベリーの知らないところで、マナロイヤの広い人脈が妙な縁を結んでいる。マナロイヤは嬉しそうにタルファーと呼ばれた青年の猫耳を触りまくった。

「てかルシアスは? 一緒じゃねぇの?」
「…………お、置いていかれ、まし、た……」
「置いてかれたぁ⁉︎」

 なんだって、とタルファーの耳を引っ張る。抵抗出来ずにされるがままのタルファーが可哀想なので、クラウンベリーはマナロイヤを強制的に引っ剥がした。

「お、俺が、探しているのは、ルシアス、です……案内人さん、も、部下の方を、探している、ようで……」

 置いていかれて独りぼっちだったタルファーを、街に仕事で用のあったジョジュアがたまたま見かけたらしく、どうやら彼らもそれぞれ迷える子たちを捜しているようだった。
 マナロイヤはルシアスまでもが行方知らずと知ると、呆れたように前下がりの髪をさらりとゆらめかせた。

「やれやれだぜ。王子くん、緊急でお願いしたいんだけど頼めるか?」

 マゼンタの瞳をぱちりとジョジュアのシトリンに照らし合わせる。そんな彼に、ジョジュアは桜を散らせるように長く通ったまつ毛を伏せた。

「はい、どうかお任せください。尽力いたします」

 すらりと見惚れるようなお辞儀をして、ジョジュアはにっこりと笑った。
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