第一章「死神の館」


 雑音の如く、バタバタと足音が砂埃を舞わせて、何千人もの兵士が馬を走らせる。ぴたりと、軍を引き連れて先陣を切っていた男が中央に揃い、四名は顔を合わせると忽ち淀んだ空気を漂わせた。

「また一つ、我が国の村が焼き潰されました」

 その内の一人である男が声を上げる。

「村の者も皆殺しにされ、あまりにも惨い有様でした……何故、このようなことを……」

 ふんわりと伸びた、桜を連想させる髪色に苦を乗せて、男は三人の男たちに煩悶を向ける。

「まるで被害者みてぇな言い方じゃねぇか、春の帝さんよぉ」
「事実でしょう。我が国シェーンハイトに軍を送り、合意のない争いを仕掛けたのは、何れにせよ貴方がたの内の誰かなのです」

 ガッハッハッ! 品のない笑い声を響かせる男は、墨汁のように黒い髪を掻きながら、太陽のように明るい橙色に水色を混ぜた瞳で、春の国の王に口頭で絡みつく。

「ワシらがせーっかく育て上げた兵器に恐れを成して、研究所ごと爆破したお主が言えたことではないのぅ」
「……あんなものを世にばら撒くより、ずっと懸命な判断を下したまでです。奴隷を飼い慣らして人間を生き物として扱わない夏の貴方に、とやかく言われる筋合いはありません」
「おやま~あ……懸命なご判断と?」

 ケタケタと肩を揺らして、鋭い眼光をにんまりと三日月に変える男が、紅葉のように鮮やかな髪を震わせながら茶々を入れた。

「国の貧富の差も埋められないのに、よく仰いますねぇ」
「誰のせいだと思っているのですか!? 度々起こる戦争の影響でこんなことに……!!」
「被害者ヅラが相変わらずお上手ですねぇ。いやはや見事見事……」

 パチパチ、と演劇にブラボーなどと歓声を伝えるかのように拍手をしながら、男は微笑んだ。

「こんなんだから、お子様にも愛想を尽かされて逃げられたんじゃないのですか?」
「ッ!!」
「おやや図星でしたか? これはこれは失礼……」

 ギッと睨みつける男に、優雅に嘲笑う。

「静粛に」

 ごうっと、冷えた風が人々の身体を透かすようにして通り過ぎる。雪のように密かな声で、薄藤色の髪を靡かせた男がその場の流れをぴたりと止ませた。

「我々の会話など、無意味に等しい」

 長く霰を積もらせたようなまつ毛を伏せて、ばっさりと会話を切り捨てた。

「私達は結局、連鎖を繰り返す」

 ――もはやこれまでか。

 諦めを零して、男は髪で隠された目にそっと指をかける。それを合図に、桜の男は手袋を、太陽の男はハチマキを、紅葉の男は脚の金具を、それぞれ触れようとした。

「あぁ、遅れてしまったかな?」

 バチバチと棘の刺さるような場に、柔らかな低音が渡った。男たちは不審に声の主へと同時に目線を変える。
 毛並みの整った白馬に、幼気な少年が鎮座していた。太陽の男は、虫の居所が悪そうに舌を鳴らす。

「オイオイ、邪魔するんじゃねぇよちびっ子よぉ。今から念願の、お楽しみの時間なんだ」
「おや、それは良いね。是非とも僕も、混ぜてもらえはしないかな?」
「……ちびっ子。ワシは今、機嫌が悪くてのぅ。分かったら、さっさと消えんかい」

 じめっと、蒸し暑い梅雨の水みたいに、少年を威圧する。だがその一方で、少年はあっけらかんとする。四人に歩み寄ろうと、少年は馬から飛び降りようとした。
 ひゅん、と素早い何かが少年を目掛けて飛んでくる。してやった、と紅葉の男は貶めるみたいに口角を横に伸ばす。だが、男が仕掛けた攻撃が、少年に当たることは無かった。そっと、赤ん坊に触れるように、少年が人差し指を魔法に当てた途端、はらはらと砂のように散っていったのだ。ぎょっと目玉が落ちそうになる男に、少年はふわりと振り向く。

「お転婆なんだね。元気なのは良いことだ」

 けれど、と付け加えて、少年は時を飛ばしたかのように、男の目の前に浮かんでいた。色褪せた男の唇に、攻撃魔法にしてやったみたいに人差し指を当てる。

「力の使い方を間違ってはならないよ」

 紅葉の男はひっと腰を抜かして馬から転げ落ちる。即座に戦闘態勢を取った太陽の男に、少年は見越したように目を合わせた。遍く青空を幾度なく敷いたその色に、男はぞわりと拘束されるみたいな感覚に鳥肌が立つ。オロオロと困惑する桜の男の隣で、雪の男は堂々と冷酷に背筋を伸ばす。

「君は何者だ」
「おや、初めましてだね、冬の坊や。僕はトウカ」

 十代前半程度の容姿の少年は、成人してもう何十年と経つ雪の王を坊や、と可愛げを含めて呼ぶと、流れるように自己紹介をする。後ろにいる春の王にもにっこりと挨拶をして、トウカは改めて周囲を観察した。ここにいる何千人もの人間が、たったちっぽけな少年の僅かな行動に緊張を巡らす。風も時間もぴたりと無くなったみたいに切迫した空気の中、トウカが口を動かした。

「うーむ……これは見過ごせないな」

 彼の奏でる音だけで、何かが簡単に左右させてしまう。そうに違いない。ハラハラと、トウカの言葉を待つことしか出来ない人々は、心臓をぎゅっと押さえた。

「お前たち、ご飯はしっかり食べているかい?」
「……今、なんと?」
「あぁ、やはり……会話も聞き取れないくらいだっただなんて」

 トウカは本心から、憐れむように落胆する。質問の答えにもならないトウカの言葉に、冬の王は少々落ち着きをぐらつかせた。

「痩けた顔、荒れた肌、隈の刻まれた目元……お前たちも、食事や睡眠を取れていないようだね」

 はぁ、と首を振るトウカは、子供を叱りつけるみたいにため息をつく。

「では、皆で食事でも交わそうじゃないか」

 ぱん、と陽気な音をトウカは両手から鳴らす。
 その瞬間、全員の手元に素朴なパンが魔法のように現れて、皆は目を見開いた。ここにいる何千もの人々が不足することなく行き届いたパンは、ふかふかと手のひらで優雅にくつろいでいる。目を点にして小麦の塊を見つめる一同に、トウカはあれ? と首を捻り、直ぐにぱっとモヤが晴れたように笑っては、先程と同じように手を鳴らした。ぽん! と間抜けな効果音と共に登場したのは、こんがり焼き目のついた魚だ。

「パンだけでは足りなかったね。魚もあるから安心おし」
「い、いえ違います僕たちが言いたいのは」
「さぁ食べようか! せっかく集まったんだ、皆で食を囲んで語り合おう」

 春の王の言葉を笑顔で受け流し、トウカは上機嫌に人差し指をふわりと上になぞると、そこにいた全員の身体が父親に抱き上げられるようにして宙に浮き、半ば強制的に地面に座らせられた。それぞれ隣には敵国である男たちが、両手にパンに魚と、危機的な状況にそぐわずふざけた有様で居座っている。とにかく気まずかった。

「よし、準備万端だね。それじゃあいただきます!」

 元気よくパンたちに呼びかけて、トウカは品のある身なりを崩さずに、けれども大口を開けてぱくぱくと平らげていく。そんな彼に対して、若干引き気味な男たちであったが、冬の王はトウカに倣ってパンを口にした。

「オイお主、流石のワシもついていけんぞ」
「そ、そうですっこんなときにふざけるのも大概になさってください!」
「……ふざけてなどいない」

 厳格な男は、一口パンを齧ると、文句を投げる夏と秋の男たちに至って落ち着いた具合で言い返す。

「久しぶりに、食事を摂った」

 一口一口、咀嚼しきってから話す冬の王は、憂いを帯びた表情で欠けていくパンと見つめ合った。

「まともに生活も出来ていない我々が、正常な判断など下せまい」

 泡雪にように冷たく、優しい彼の発言は、男たちの心に吸い込まれるようにして解けていく。はっとしてトウカへと視線を変えた彼らに、トウカは小さく微笑んだ。全てを知っていたかのようだった。冬の王は、隠れた片目が風に暴かれて、姿がトウカの瞳に埋め込まれた空の宝石に映される。ふと、何かを思い出したように息を漏らした。着込んで重みのある服も気にせず、立ち上がるとトウカの元へと一目散に駆けつける。トウカを頭の先から足の指先まで凝視すると、得心がいったように目を伏せ、その場に跪いた。四カ国の中でも才に恵まれ、強さを誇り、中立を守っていた男が地面に膝をつけたことにより、人々は驚愕のざわめきを高める。


「純魔法使いの語る、言い伝え通りだ」

 頭を深く下げて、冬の王は呟く。

「サファイアの瞳を宿した子供が、この世界をお救いになられると」
 
 ゆっくりと顔を上げて、トウカの瞳を惜しみなく浴びるように見つめた。男は心から随喜して、トウカの白く美しい手を取ると、額へとしなやかに当てる。

「父なる神よ、感謝致します。お待ちしておりました、我らの一等星」

 忠誠を露わにして、男は告げた。トウカは男に尊い瞳を細める。肯定の証であった。周囲の人々は、命令されたわけでもないのに、神聖な儀式のようにも思えるその光景に跪いて頭を垂れる。
 この世界の救世主が舞い降りた、奇跡の日であった。


「あ、そういえば中央に国を作る予定なんだ。よろしく頼むよ」
「「……は?」」
 

◆◆◆


 そよ風がふわりと窓から入って、少しだけ吸い込んだ。砂埃も火薬の匂いも含まない、自然な味に舌をぎこちなく丸める。清潔感のある質素な病室で、退屈そうにベッドへと身体を預ける青年は、空になった己の右腕を憂鬱に映す。ガチャ、と扉の開いた音が聞こえると目線を変えた。

「具合は如何ですか、ロミッツくん」

 ふわふわと空気を和ませて、柔和に話しかける青年がこちらに歩いてくる。左顔には包帯が施されていた。

「おー……チェナ。快調だってさ。てか慣れねーな、名前」
「あら、私はもう馴染みましたよ? ロミッツって可愛らしい発音で、とってもお気に入りです!」
「ハァ? まさか可愛いって理由でつけたんじゃねぇだろうな!?」
「こらこら、病室で騒いじゃ駄目だよ~」

 ガミガミと愚痴を項垂れるロミッツに、チェナと呼ばれた青年は、慣れたようにあしらって椅子に座った。

「貴方から頂いたルスチェナという新しい名前も、本当に気に入っています。素敵なプレゼントをありがとう」
「……別に。俺、そういうセンスとかねぇし。変えてくれてもいいから」
「そんなことしませんよぉ! お墓に刻まれるのがもう楽しみなんですから! ロミッツくんって変なところ卑屈ですよね~」

 まぁそこが可愛らしいのだけれど、とルスチェナは愛犬を愛でるようにロミッツをこれでもかとわしゃわしゃ撫でくりまわす。眉を顰めて反抗するロミッツの、淡い金色が白く抜け落ちていて、ルスチェナは慰めるようにして更に頭を撫でる。

「……白もよくお似合いですよ」
「気にしてねぇって。どうせ老いぼれたらこうなる」

 あー、でも。ロミッツはほんのり切なく零した。

「金髪トリオは解散だな」

 ジョジュアの華やかな蒲公英色、ルスチェナの優しい麹色、そしてロミッツの淡い黄蘗色。もう異なった金三色が揃うことはない。気を紛らわすように、ロミッツは真っ白な髪の毛先を摘む。

「何言ってるんですか」
「あ?」
「解散しません」

 いつにも増して、真剣な眼差しでルスチェナは言い放つ。時折見せる彼の意志の強さに、ロミッツは三白眼気味の瞳を縮めた。

「だって私たち、ズッ友でしょう?」

 ほにゃ、と干したての布団みたいなぬくもりを頬に広げる。気の抜けるような彼に、ぷ、とロミッツは笑いを漏らした。

「ズッ友ってなんだよ」
「ずっと友達、の簡略版みたいな感じかなぁ?」

 よく分かりません! と適当に単語を乱用するルスチェナに、ロミッツは呆れてため息を吐き出す。おじいちゃんみたいにマイペースで流行に疎いクセに、真新しいことには目がない彼らしかった。

「……あのさ、聞いてもいい?」
「うん。なんでもどうぞ」
「もういいの?」

 ――恋人探し。

 ロミッツの問いかけに、ルスチェナは戸惑うことも無く、ひっそりと流し目を掠めた。胸ポケットから古びたロケットペンダントを出すと、ロミッツにも見えるように開けてやる。
 今よりも幼いルスチェナの隣に、爽やかな笑顔の青年が映っている。薄い黒髪に、ターコイズブルーの瞳。青年の容姿は、□□にそっくりであった。

「何となくね、分かっていたんです。彼が、ノーマンが戦死したことは」

 写真を包むように見つめて、ルスチェナはぽつぽつと心の内を落としていく。

「あの子を見た時に確信しました。彼には弟さんがいると聞いていましたし、それに……」
「弟さんを溺愛していた彼が生きていたのなら、大切なあの子を戦地に送るわけがありませんものね」

 紙一枚越しでさえ届かない彼に、ルスチェナは指を伸ばす。ロミッツは下手に口を出さなかった。

「きっと最初からなんとなく気づいていた。けれど、認めたくなくて、やけくそで軍に入ったんです。我ながら失望してしまうな」

 それがこの結果ですから、とルスチェナは火傷で爛れた肌に焼け落ちた左目をするりと撫でた。それと一緒に、ロミッツも残された左手を重ねてやる。痩せ細った指が、本当に痛ましい。ルスチェナは大切に、ロミッツの指を握る。

「でも仕方ないね。生き物というのは、愛する人のために馬鹿になっちゃうものなのだから」

 カチリ、とペンダントを閉ざす。灘らかに吹く風に釣られて、窓の向こうに描かれる景色を眺めた。

「けれど、これで終わりじゃありませんよ」
「……?」
「ふふ。ノーマンがね、帰ったら一緒にお店を開かないか~って、誘ってきたんです」

 意気揚々として語るルスチェナは、がさごそと手持ちのカバンから複数の布物やアクセサリーを広げて見せる。刺繍が丁寧に編まれたハンカチや、ブローチの飾られたリボンなど、可愛らしくロミッツの机が彩られていく。

「彼は手先が器用でね、仕立て屋さんが夢だったんですって」

 暇さえあれば部屋にこもって、ルスチェナに贈り物だと衣服などをたんまり作っていたらしい。ルスチェナはどんなものでも大袈裟なくらい喜んで、その日にちゃっかりと身にまとってしまうので、ノーマンも制作の手が止まらなかったのだ。ボケとボケが惹かれ合うと恐ろしいな、とロミッツは冷や汗を滴らせる。

「……だから、仕立て屋を始めようと思っています」
「……は? お前が?」
「はい、この私が」
「えっ……ちょっ、いや、絶っっっ対駄目!!!!」

 ガバッと身を起こして、ロミッツは全身を使って猛反対を伝える。

「だってお前、料理もマジヘッタクソだし、絵もバケモンしか生み出さねぇ、何よりなんもねぇような道で転ける!! なんで!? まとめると不器用なんだよ!!」
「えぇ!? 私ってそんなにだめだめだったかなぁ~」
「駄目じゃないけど向いてねぇって言ってんだ!! お前が針を持ったが最後、指に穴が開きまくって挙句の果てはボロボロに……」

 サァっと海みたいに顔を青くして、ロミッツは頭を抱える。度の過ぎた妄想が得意な彼は、またしても胃痛を増やした。先に穴が開くのがルスチェナの指先かロミッツの胃袋かは良い勝負だろう。

「心配してくれてありがとう。でもね、どうしてもやりたいんです」

 机に広げた、ノーマンの作った物たちを、ルスチェナはうっとりと見つめる。

「彼の残したものを、繋いであげたい。これは生きている私にしか出来ないはずだから」

 決心を固めたように、ルスチェナはハンカチを大切に握りしめた。

「私たちの行いが晴れる日は来ないでしょう。けれど、私たちは後悔や呪いを振りまいてはならないんです」

 だから、だからこそ。

「祝福を残していきましょう。呪いは自ら断ち切るもの。何度だって始めましょう、私たちの物語を」

 ルスチェナはロミッツに、朗らかで明るい笑みを向けた。
 無惨に人殺しをして、穢れた自分たちの終着点はきっと地獄だ。抗えない。けれど、それはまだ先の話で、今こうして、運も良く生きてしまっている。ここから、抱えた罪の呪いを振りまくか、それとも祝福を振りまくのか。それは、唯一自分たちに与えられた選択肢だ。そんなの、迷う隙だって一瞬たりとも無い。ロミッツはルスチェナと同じように、笑顔を返した。


「ロミッツさん」

 ふと、病室に一つの声が響き渡った。鮮やかで優しい、彼の音だ。

「よージョジュア。全然顔出さなかったな、この野郎」
「……良かった、お元気そうですね」

 後ろ手にドアを閉めて、ジョジュアは部屋に入ってくる。黄緑色の瞳は、燦々と煌めくシトリンに移り代わっており、眩しい眼光が室内を照らした。ふんわりと甘酸っぱい香りが二重になって充満している。

「お口に合うか分かりませんが、よろしければ」
「あ? 何コレ……は、え、チェリーパイ!?」
「あらまぁ! 作ってきてくれたんですか?」

 はい、と頷くジョジュアに、二人は大歓喜のハイタッチを鳴らす。彼はなかなかプライベートを明かさなかったが、チェリーパイをよく作ると教えて貰ったことがあった。それ以来、二人は何度も頼み込んではジョジュアに付き纏っていたのだが、その厚かましい努力も報われるものだ。感動の余りロミッツからルスチェナに抱きついている。そんな二人の様子に、ジョジュアは少し困ったように眉を下げていた。

「……申し訳ございません。皆様に、嘘をついていました」

 ルスチェナの隣に腰を下ろして、ジョジュアは謝罪に身を責めた。名前のことだろう。彼だけはロミッツたちと違って、元帥の男に名を奪われなかった。それは、ジョジュアという名前が偽名であったことを意味している。そして、最初からジョジュアは皆を信用していなかった、とも受け取れるわけで。ロミッツは素っ気なくジョジュアの述べる詫び言を聞きながら、チェリーパイに豪快に貪り付いた。

「はん。なんだそのシケたツラ」

 口元の食べカスを舌で拭って、ロミッツは鋭い目つきをジョジュアに投げる。

「確かに悔しかったよ」

 数年間、過酷な戦場を共に過ごした、大事な仲間。だからこそ、ロミッツはありのままの想いを伝える。ジョジュアは不面目だと顔を逸らした。そんなジョジュアを見つめながら、ロミッツは言葉を続ける。彼に、自分の気持ちがしっかりと届くように。

「だって、そら悔しいだろ。大好きなお前に、ずっと独りで辛い思いさせてたんじゃん。面目ないのは俺らの方だろーが!」
「……え?」

 ロミッツのゆくりない告白に、ジョジュアは面を食らう。喫驚するジョジュアを無視して、ロミッツは精一杯前のめりで彼に近づいた。

「気づいてやれなくてごめん。お前が苦しいときに支えてやれなかったことが、本当に悔しい」

 苦衷の表情を浮かべて、ロミッツは歯を噛み締めた。名前を誰にも明かせないようなことを彼は背負っていて、それに自分は何も気づけなかった。己が辛いときに、ジョジュアはあんなにも支えてくれたのに。途方もない暗闇の中で彷徨うみたいに、彼は長い孤独に囚われていたのだろう。ジョジュアの白い手袋を纏った大きな手を、引いてやれなかった。

「ジョジュア、お前は俺らを騙していたとでも言いたげだが……俺らはそんな風に受け取ってはやらない」
「ジョジュアもお前だよ。俺らにとってのお前は、ジョジュアしかいねぇもん」

 だから、そんな顔をするな。
 自分を悪者みたいに卑しめて、まるで他人だと主張するように境界線を引かないで。俺らとの時間を、手放そうとしないで。

「大好き、大好きだよ、ジョジュア」

 彼の春の陽だまりみたいにあたたかい手が、するりと離れていくのを嫌でも悟ってしまう。いや、初めから掴めてなんていなかった。それでも、それでも。

「勝手にどっか行こうとしないでよ……俺、ずっとお前と一緒にいたいよ」

 だって、お前は俺らの大事な、仲間だから。

 ぼろぼろと声を立てて咽び泣くロミッツは、右腕を失った感覚を忘れて、ぐわんと重心を崩した。受け止めようとしたルスチェナであったが、それよりも先に、ジョジュアがロミッツを支えてやる。ジョジュアは胸が締め付けられるような気持ちで、そっとロミッツの肩に顔を埋めた。

「……ありがとう」
「ッうるせーッ!! ジョジュアの、この……っこの……っ!!」

 ジョジュアの零した、本音から生まれた感謝に、ロミッツはおいおいと掻き暮れた。欠点の無いジョジュアに、ぽこぽこと肩をグーパンチで叩きまくるロミッツを見て、口を閉ざしていたルスチェナは明朗に笑ってみせた。

「ロミッツくん、ジョジュアくんに渡したいものがあるんですよね?」

 ほら、と誘導するルスチェナに、ロミッツは鼻水を啜りながら尻こそばゆく口をもごもごさせる。あ"ー! と踏ん切りをつけたように叫ぶと、ロミッツはジョジュアを肩から離して、じっと向き合った。 

「……ジョシュ」

 唇を尖らせながら、ジョジュアをジョシュ、と呼んだ。唖然として目をぱちくりさせるジョジュアに、ロミッツは気恥しそうに顔を真っ赤に逆上せさせて、それでも目線を外そうとはしなかった。

「俺らからのプレゼント、だよ。これからはそう呼ぶ」

 拒否権とかお前にないから、と早口でベラベラと捲し立てるロミッツに、よく出来ました! と頭を撫でるルスチェナが、ジョジュアの偽物の瞳であるシトリンの世界に映る。じんわりと潤んでいくように揺らいだ瞳を静かに隠して、ジョジュアは笑みを贈った。桜の花々が咲き誇るみたいに、美しい笑顔であった。そんな彼に、ロミッツは悪戯に歯を見せて、ルスチェナも嬉しそうに目尻を下げる。

 秘密があったって、伝えられない内情があったって、関係ない。交わした言葉が、過ごした時間が、笑い合える今が、確かにあるから。それらがこれからも、自分たちに絆という愛を与え続けてくれる。なら、十分だ。大好きな貴方のそばにいれるだけで、こんなにも幸福なのだから。


◆◆◆


「トウカ様!」
「おや、いらっしゃい」

 ノックもせずに、少年は金色の光沢が輝く扉を押し開ける。トウカは特に構わず、少年を歓迎して業務の手を止めた。
 トウカが王族の前に姿を現して、国づくりを表明してから一年近くが経過している。そこから彼は、みるみると中央の領地を栄えさせて、いとも簡単に国を建ててみせたのだ。トウカはこの国を「シュテルンタウン」と名付けた。トウカが地に足をつけるだけで、戦争の影響で荒れた場所には自然が忽ち広がり、戦地であった形跡は綺麗に消え去っていったのを、少年は鮮明に記憶している。パンと魚を大量に出してみせたように、彼の起こす奇跡はそれだけではない。
 シュテルンタウンの国興しを行う中で、彼は他国にも足を運ばせた。戦火が一時的に収まったとはいえ、人々の貧困や病が完全に無くなるということはない。戦争が残した呪いは、国中に広がっている。街端で飢えや病で倒れ込む人々に、トウカは宝石の瞳から清らかな涙を流しては、わざわざその身を動かして彼らの元へ赴いた。懇願するようにトウカへ縋る人間たちを、トウカは零すことなく全てを包み込むように抱きしめる。その途端に、骨の見えてしまうくらいに痩せた人々に肉が蓄えられ、病に冒されていた身体は急速に回復を催したのだ。感激して寄り縋る皆に、トウカは心からの微笑みを捧げる。彼はシュテルンタウンだけでなく、他国の情勢をも平穏に一転させて、五カ国で和平条約を結ぶことにも成功した。まさに、全人類からの賞賛を集めてみせたのだ。シュテルンタウンの創始者として名を馳せたトウカを「幸福な王子」と、皆は口を揃えて呼んでいる。

「うん、よく似合っているね。テオは綺麗だから、なんでも着こなせてしまうな」

 テオ。‪‪‪✕‬‪✕‬であった少年の、新しい名前だ。トウカは名前を奪われた彼に、プレゼントがしたいとその名を与えてくれた。テオは愛称で、フルネームはテオフィール・アンダース。本当は名前なんていらないと思っていた。両親に憎まれた己に、そんなものを受け取る資格が無かったから。けれど、トウカはテオフィールの自責をお湯に溶かしてしまうように、ささやかでぬくもりある贈り物を送ったのだ。自分の苦しみのそばで、いつだって寄り添って手を握ってくれるみたいに、テオフィールという存在を肯定してくれる彼が、ただひたすらに輝かしい。テオフィールは、この名前がかけがえのないものになった。
 似合っている、と絶賛された青い制服を確認するように、その場でくるりと回ってみる。ぱちぱち、と拍手してくれるトウカに、テオフィールは照れたように大きめの帽子を深く被った。

「トウカ様~! こんにちは~!」
「ちょっと……引っ張らないで」
「こら、ノックをしてから入らないといけませんよ」

 複数人の話し声が渡って、テオフィールはドアに振り返る。ジョジュアにマブダチの三人だった。とことこと駆け抜ける少年たちには、片脚に義足がはめられている。

「ジョジュア、ソソ、アンリー、いらっしゃい。義足には慣れてきたみたいだね」
「えへへ、もう走れちゃいますよ! でも肝心のソソくんは全然慣れなくて、歩いてもくれないんです! こっちは彼の脚なのに〜!」

 げんなりな少年と腕を組みながら、アンリーと呼ばれた茶髪に赤茶色の瞳の少年は、小太りだった見た目がしゃらんと肉落ちして、可憐な美少女のように変貌を遂げていた。病院で昏睡状態だった期間が長く、その間に食事を摂れなかったことにより、意図せずダイエットに成功したらしい。おまけに、彼はとびきり可愛い顔面の持ち主でもあった。アンリーは鏡を見て、病室で叫び声をあげたと何度も何度も語ってきたのだ。
 そんなアンリーは、己の右脚を指しながら、彼の脚、とソソを示した。両脚を欠損したはずのアンリーには、何故か右脚が生えている。逆に薄い黒髪とターコイズブルーの瞳の少年、ソソには右脚が失われている。それ即ち、ソソはアンリーに自分の片脚を分け与えた、ということだった。

「……ソソって、思い切り良いよね」
「なにが?」
「だって、しれっと片脚あげたじゃん……」

 アンリーが病院に運ばれた時、ソソは医者に思いの丈を話した。自分のせいで彼が大怪我をしたことや、大切な友人であること。両方無くした彼と、両方残された自分。なら、片方ずつ分け合えばいい。ソソは後先をさほど考えないタチであった。少しでも歩きやすくなって、生活の不備が減るならそれでいいでしょ、とフラットに片脚を提供したのだ。知らぬ間に手術も終わらせて松葉杖姿のソソと再会した時、テオフィールは危うくずっこけそうになったものである。

「ソソくんって重いよねぇ!? わざわざこんなことしなくたって良かったのに……」
「片脚くらいくれてあげるよ。それで死ぬわけじゃないんだし」
「もーっきみってやつはぁ!! そういうところ好きだけど長所だし短所なの!! もっと自分のこと考えてよねっ!?」
「どーでもいい……」

 大事な友人が生きてくれているなら、なんだっていい。
 そう告げるように、ソソは長いまつ毛を揺らした。

「案内人の仕事は順調かい?」
「はい。先月に比べてお客様も集まって、移住者の方々も増えています」
「流石だね、ジョジュア。お前の仕事ぶりには、足元も及ばないな」
「いえいえそんな。身に余るお言葉、恐悦至極にございます」

 ジョジュアの慎んだ態度に、トウカは優美に微笑む。
 シュテルンタウンに住民を増やし、街の良さを宣伝するためにトウカが作った「案内人」の役職を、テオフィールたちは賜った。やけに美形揃いなのは「綺麗なツラした奴がいたら人間なんてチョロいもんだろ」と嫌味にぼやいたロミッツの提案である。ちなみにこの制服も、ルスチェナがデザインしたものだ。彼が両手を包帯でぐるぐる巻きにしてやってきた時には、ロミッツが泡を吹いて倒れたが。新しい衣服を眺めながら、賑やかな光景を思い出す。

「こちらの書類に目を通していただければ幸いです」
「あぁ、御苦労。今日はもうゆっくりお休み」
「ありがとうございます」

 さらりと髪を流して、ジョジュアは腰を折る。わちゃわちゃと騒ぐソソとアンリーを連れて外に出ようとしたジョジュアは、テオフィールに声をかけた。

「テオフィールさんはまだ残りますか?」
「あ、えっと……」

 ちら、とトウカを上目遣いで伺った。ん? と不思議そうにテオフィールを見下ろすトウカは、もじもじする彼の意図を容易に見破ったみたいに、ふわりと夜空色のポンチョで包んでやる。ぎゃっと悲鳴をあげるテオフィールに、トウカはにこにこと愉快に瞼を重ねた。

「すまないね、まだ離してやれそうにない」
「ふふ、承知致しました。それでは失礼しますね」

 雅やかに手を振って、ジョジュアたちは部屋を去っていく。お、おのれジョジュアさん……とテオフィールは彼の悠々とした微笑みを脳裏に浮かべる。どんなときでも彼は麗しいな、だなんて嘆息を漏らした。

「さぁて、テオ。僕との二人きりの時間だ。何をしようか」

 ぎゅーっと後ろからテオフィールを抱きしめて、トウカは我が子をあやすように明るい声を弾ませた。まだ済ませていない業務もあるはずなのに、そんなの関係なさげに自分を優先してくれる。我儘なことをしていると分かっていても、嬉しかった。

「えっと、その。一緒にいられるだけで、僕は……」

 視線をそろろ……と逃して、テオフィールは小風に負けてしまうくらいの声量でトウカに伝える。特別な要件があったわけではない。彼のそばにいたかっただけだ。

「おや……テオ、お前ってやつは……」

 しまった、とテオフィールは咄嗟に口元を押さえる。やっぱり迷惑に違いないのに、身勝手な欲を絡ませてしまった。トウカの低い声が降り注いで、テオフィールはきゅっと目を瞑る。
 ふわり。テオフィールは雲の上に乗っかるみたいな浮遊感を味わう。驚いて瞳を開けると、トウカがテオフィールの脇の下に手を添えて、高い高いと空に向かって掲げていた。

「なんと愛おしい子なのだろう!」

 柔らかく細身なトウカは、テオフィールを犬みたいに抱き上げて、わいわいと足で弧を描く。視界がくるくると回って混乱するテオフィールに、トウカはぴたりと動きを停止して、彼の林檎色の瞳の煌めきに綻びを見せる。距離の近さに狼狽するテオフィールに、トウカは純白な髪をうりうりと寄せて、天使みたいに優しい口付けを頬に残した。

「わーッ!?!?」
「あははっそんな大きな声も出るんだ? 今日は沢山愛でてあげようね」
「も、もう十分ですっ降ろして下さい……!!」
「まだまだこれからさ。ほら、お前の可愛らしい顔を僕に見せておくれ」
「ひゃ、た、助けて、助けてジョジュアさーんッ!!!」

 テオフィールのなけなしの抵抗も儚く散り、トウカはあれよこれよとテオフィールに愛の抱擁に口付けを繰り返す。顔を林檎みたいに実らせてへろへろなテオフィールに、トウカはやめる気もなく満足そうに破顔した。だって、愛は与えてなんぼなのだから。


「くしゅん」
「あら、ジョシュくん。体調が優れませんか?」
「いえ、特には……」
「風邪かもしれねぇし気をつけろよ」
「えぇ。ありがとうございます」

ぱくりとチェリーパイを食べる三人は、テオフィールのことなんて頭に無かったので、穏やかに過ぎる時間で他愛もない会話を繰り広げていたのだった。


◆◆◆


 トウカと出会ってからの日々は、魂に染み付いた穢れが落ちていくような、そんな毎日だった。

 仕事はテオフィールの性に合っていて、観光客との交流が楽しみになった。ジョジュアたちと仕事をするのが大好きで、トウカの作った国を更に豊かに出来ることが幸いだったのだ。
 トウカは剣を身にまとっていたが、特に弓矢の扱いにも長けていて、テオフィールにも教えてくれた。仕事のない日には、テオフィールはトウカにギターの演奏をこっそり聞いてもらったり、街のスケッチに出かけたり、トウカが御伽噺の読み聞かせをしてくれたり。
 彼はよく手紙を書く人だった。森の奥に引きこもる噂の死神だとか、愉快な魔法使いたちなど、人選は少し個性的であったが。また、遠方にいる友人に送るのだと、たまに彼は友人と形容する者のことを語った。トウカはこの瞬間だけ、まるで恋する少女のように、どこか無邪気に笑っていたのを覚えている。それがなんだか彼らしくなくて、手紙の相手の友人が羨ましかったからかもしれない。時折襲う戦時中のフラッシュバックも、彼が背を叩いて夜を見守ってくれるから、少しずつ癒されていった。
 彼はこの世界と我々を、一番に愛していた。皆を愛して、皆に愛される。そんなトウカのことを、テオフィールは愛していた。これから自分の人生をかけて守りたい、恩返しをしたい、そう願っていた。

 だから、信じられなかった。でも、受け入れるしかない事実が、目の前に広がる。


 安らかに、棺に納められた、愛する人。


 切り取られた花に囲まれる彼は、この世の誰よりも美しい。そう、残酷なくらいに。眩しいサファイアの瞳は閉ざされて、剣の柄のルビーはバラバラと砕け散っている。心臓の鼓動も、聞こえやしない。お日様みたいにあたたかい頬が、指先も凍るくらいに冷ややかで、その温度が伝えてくるのだ。

 彼はもう、生きていないのだと。

 その場に崩れ落ちて、何日も動けなかった。彼に会いに来た人々は、悲しんで、嘆きの言葉を発する。その中で、テオフィールの耳にはこんな言葉も届いた。

「彼は幸福な王子なんかじゃなかった」
「我々に不幸を招いたのだ」

 だなんて、ふざけたことを、民衆は口を揃えて言い始めたじゃないか。
 彼の愛した国は、活気を失って廃れていく。澄んだ空気が濁って、薄汚れていく。住民は、思い出の中でしか生きられないトウカを、惨ったらしく殺していくのだ。建てられた彼の純金の像を取り下げて、奇跡はなかった、幸福だなんてデタラメだ、何の役にも立たなかった、と。

 馬鹿みたいだと、思った。トウカの、愛で満ちた行動が、努力が、壊されていく。彼の愛した世界が、壊れていく。街の真ん中で佇むテオフィールは、そんな世界を眺めて、くつくつと腹を抱えた。

「あはははは!」

 周りの人間の不審な視線なんて構わず、高揚して高笑いを響かせる。どいつもこいつも、馬鹿で阿呆で屑野郎。そうか、初めからそうだった。善良な人間がいくら努力したとて、それが報われるだなんて綺麗事だったのだ。この世界はいつだって、不条理で無常なのだから。あの時から、分かっていたはずなのに。

「トウカ様、ご安心ください。私が、この世界を、貴方の愛した世界を、お守りいたします」

 ここが、地獄だった。いつの日か訪れる、己の終着点。だが、幾ら進んでも、もう怖いものなんてない。瞼から零れ落ちた雨を隠すように、テオフィールは帽子を深く下げた。
 彼の愛した世界が馬鹿な奴らの手で汚される前に、彼を貶した馬鹿な人間どもが生きるこの世界を壊してしまおう。林檎色に艶めきを落として、果実を真っ黒に腐敗させた。墨が何滴も落とされるように、呪いにかけられるように。
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