56~それぞれの前夜~

 月明かりが煌々と照らす中、ほんのりと雪がちらつき始める。
 優しく舞い降りるそれは、魔物の襲撃に日常を壊された王都を癒すようにも見えた。

「少し冷えてきたか……」

 つい先刻は戦場だった城下町の空き地で、誰に言うでもなく、シーフォンが呟く。
 てのひらに乗せた雪が体温で儚く溶けて消える様子を、カーマインの瞳がじっと見つめた。

「なにたそがれてんだい」
「君か……何か用かい?」
「いや、メリーゼのとこに行かないのかなってさ」

 アンバーローズの長い髪を揺らしながら、パンキッドが現れる。

「僕を探して来たのかい? よくここにいるってわかったね」
「まあ……さっき戦った場所だし、それに思い入れもあるようだったからねぇ」

 それもそうか、と白い息を吐いてシーフォンが笑う。

「メリーゼは……彼女にはカカオがいるから。恋愛感情とか抜きにしても、あの二人は……ね」
「そうだね」
「僕じゃダメなんだ。今の彼女に必要なのは、カカオだ」

 この王子は幼い頃にメリーゼに一目惚れして、何かというと彼女の後をついて回っていたという。
 幼馴染で当たり前のように傍にいるカカオと違い、シーフォンのアプローチは全力で、時には周囲を省みない、子供っぽくもあるものだったが……

「失恋宣言の割には、慰めてほしそうにも見えないね」
「はは、そうかい? 少しは吹っ切れられたからね」

 シーフォンは、この短い間に確実に変わっていた。
 出会って日が浅いパンキッドにもそれは目に見えるほどだ。

「……僕はね、本当に自分のことしか考えられない子供だったんだ。好きだ好きだと言いながら、メリーゼのことなんて何ひとつわかっていなかった」

 は、と吐き出した呼気が白く残る。
 伏せられたカーマインの目は、ここではない遠くに思いを馳せていた。

「この短い間にいろいろあった。騎士団に所属していたとはいえ王都の周辺しか知らなかった僕は、広い世界に出て初めてこの目で、肌で世界を感じた。思い通りにならないことがたくさんあった。世界の広さ、そこで生きる人々は、書物の中だけではわからなかった……わかった気になっていたよ」

 パンキッドはただ黙って王子の言葉を聞いている。
 首を振るでも、頷くでもなく、ただ静かに。

「そしてカカオを見て、僕はメリーゼに気持ちを押しつけていただけだって思い知った。本当に彼女のことを考えて動けるのは……あいつだ」

 肩までの月白の髪が微風に揺れる。
 哀しげに微笑むシーフォンの表情が、パンキッドには妙に大人びて見えた。

「以前の僕だったらこの世の終わりのような顔をして、みっともなく喚き散らしていただろうね。それこそ空回りだ」
「シーフォン……」
「でも、いろんなものを見てきた今の僕には、世界はメリーゼだけじゃない……大切なものには違いないけれど、たくさんある大切なもののひとつだ」

 もちろん、君も。
 ふいにそんなことを言われ、パンキッドは驚き、慌てた。

「えっ、え……?」
「最初は正直、なんて野蛮で乱暴な女性だろうと思ったさ。剣を手にしながら気高さ、気品も忘れない淑女のメリーゼとは月と何とやらだってね」

 聞き捨てならない発言に一瞬パンキッドの頬が僅かに引き攣るも、構わずシーフォンは続け、そして思い出したように笑い出す。

「けど、違った。仲間として共に並び立ってみればメリーゼも大概だってさ」
「な、なんだい、ずっと見てたくせに今頃気づいたのかい?」
「だから、僕は僕のことしか考えてなかったって言ったろう。勝手に彼女を神聖視していたんだよ」

 戦士としてのメリーゼはその可憐な見た目とは裏腹に、激しく、雄々しく、荒々しい。
 同じ騎士団にいながら長年それに気づかなかったなんて、シーフォンのフィルターは相当分厚いものだったのだろうとパンキッドは呆れた。

「……まあ、そんな訳で、だ。これからは仲間として、友人として、彼女を応援することにしたよ。もちろん他の皆のことも」
「そうかい」

 ようやく先に踏み出すことができた王子の顔は晴れやかだ。
 と、なんとなく安心していたパンキッドに、シーフォンはにっこりと笑顔を向けて、

「聞いてくれてありがとう。君は思ったより優しい女の子なんだね、パンキッド」
「なっ……なんだい、そりゃ!?」

 そんなことを言って、彼女を赤面させたのだった。
3/5ページ
スキ