56~それぞれの前夜~

 時空干渉を受けたダクワーズを救うため、彼女が本来いた時代へ転移する準備を進めるランシッド。
 それは遠い遠い、まだこの世界がアラカルティアの名をもつよりも過去の時代……すぐに転移できる訳もなく、契約者であるダクワーズの力を借りて明日の朝には、という話だった。

 そして一行は一晩の間自由行動となったのだが……

「モカちゃん、ここにいたのね」

 マーブラム城の離れにある魔学研究所。
 その一室を訪れたアングレーズは、すっかりトレードマークとなった背中の箱を床におろして何やらいじっているモカを見つけ、歩み寄った。

「また改造?」
「というか、メンテナンスかな。さっきザッハ大伯父ちゃんに見てもらったから」
「ザッハ……確かここの所長さんね。何か言ってもらえたの?」

 うん、と頷くモカの表情は真剣そのもの。

「いくつか褒めてもらったけど……やっぱまだまだだったよ。改良の余地ありあり」
「あら、まだまだ伸びしろがあるのね」
「はは、そーだね」

 アングレーズからすればモカの“びっくりどっきりボックス”は不思議の塊で、バラバラになったパーツを見てもどこがどうなっているかわからない。
 一生懸命に作業をしているモカの隣でその様子を見ているのも楽しいのかもしれないが、この場で自分にできることはないだろう。

「お邪魔しちゃいけないわね。気分転換に散歩でもしようかしら」
「とか言って、どこかで魔術の特訓でもするんでしょ」

 箱から視線は外さずに、モカはそう言った。

「昔っから努力家だもんね、アンは。手紙にも毎回、今日はこんな魔術ができるようになったとか、ゴーレムをうまく動かせるようになったとか、いっつも書いてあった」

 カチャカチャと音が響く中、彼女の言葉は続く。

「今じゃすっかり抜かされちゃったよねー」
「何年経ったと思ってるの。今のあたしはうんと年上よ?」
「それでも、たぶんそう遠くない未来だよ……“今”のアンがボクより優れた術者になるのは。まぁ、ボクは“こっち”で活躍する予定だからさ、魔術はアンに任せたよ」

 本来この時代のアングレーズはモカよりひとつ下の少女で、まだまだ魔術の腕も未熟だった。
 ふ、とアングレーズの目が静かに伏せられる。

「……カレンズ村のこと、覚えてるわよね。あたし達がいた時代ではテラに消されたことになってた村」
「え? うん」
「時空干渉を阻止した今では、こっちでもカレンズ村のことを思い出したのよ。歴史を正せば、未来の人間の記憶にもちゃんと影響があるの」

 でも、と続ける神子姫の瞳には僅かな揺らぎが生じる。

「……あなた達のことは、まだなの」
「確か……旅の途中で死んだんだよね、みんな」
「ええ。詳しいことまではわからないけど、おそらく」

 アングレーズがここまで成長したことを、彼女が知るモカはこの目で見ることがなかった。
 テラに立ち向かおうとしている現在も、その未来は不確定なままだ。

「でもさあ、その思い出を取り戻すために今こうして戦ってるんだよね?」

 そう尋ねるモカの表情は、声音は、明るい。
 恐怖がない訳ではないが、希望も失っていないのがわかる。

「ええ、そうよ」

 この戦いに勝って、きっと。
 彼女たちが見つめる先は、まだ見ぬ未来に待っているだろう光輝く思い出だった。
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