月下氷華

 ロキシーが少し遅れてファングの背を見つけた時には、彼は立ち尽くしていた。
 その眼前には周りの景色とは明らかに異質な、巨大な氷の花が咲いていて。

「……ふむ、まだここを訪れた者はいないようだな」
「だな。もしいたらとっくに騒ぎになってる」

 ふたりの視線は花の中心に釘付けになっていた。
 冷たく清らかな花弁は何かを守るように重ねられており、そこには静かに眠るひとりの男がいた。
 青褐の腰まである長い髪は三つ編みと、顔の右半分を隠すようにのばした前髪が印象的だ。
 かっちりした白いロングコートはよく見れば右の袖の中身が空で、前髪の下からのぞく右目の傷跡と共に彼の経歴を想像させる。

「……ファング、もしかして“仲間”ではないのかね?」
「いや、違う……と思う。けど、なんにしてもこのまま置いてはおけないな」

 彼が何者かは知らないが、こんなモノが他の人目に触れれば、どれだけの騒ぎになるか。
 幸い、魔力の氷には攻撃性はなく、ファングがそっと手を触れると警戒を解くように少しずつ消えていく。

「私が触れても解けないな。君だから、だろうか」
「かもな。優しい、綺麗な魔力を感じる……たぶん、中にいるのは悪いヤツじゃないと思う」

 ほどなくして中心に辿り着いたファングは、眠る男に歩み寄り、その上体を抱き起こした。

「おい、しっかりしろ!」

 呼びかけても返事も、反応すらない。
 苦しげな表情ではないものの、微かに聴こえる呼吸は弱々しく、衰弱しているのではとロキシーが言う。

「これだけの氷の花を作り出したのが彼なら、消耗していてもおかしくないな」
「……普通の人間は、魔力を使い果たしてもしばらく術が使えないだけじゃなかったのか?」
「こんな状況で眠る彼が普通の人間だとでも?」

 彼らの知る“人間”のほとんどは魔学と呼ばれる技術の発達により魔術や魔力と縁遠い生活を送っており、体内に存在する魔力は大気中の魔力を練り上げて術を発動させるための起爆剤でしかない。
 ちなみにファングもロキシーもそれぞれ違った意味で魔力を必要とする体で、その消耗は肉体の消耗に直結するのだが、それはさておき。

「衰弱した状態でこのまま連れ帰るのは彼の負担が大きいだろう。あいにく、治癒術の類は使えないんだが……」
「俺だってそうだぞ」
「……もし彼の衰弱が魔力の枯渇によるものなら、君が魔力をわけてあげたら多少は回復するのではないかね?」

 簡易的な応急処置だが、と続けるロキシーに、ファングは眠る男に視線を落とす。

「わけるって、どうやって……?」
「古来より、眠り姫には口づけと相場は決まっている」

 その瞬間、残っていた氷の花が砕け散り、空気が固まった。

「……は!?」
「何もふざけて発言している訳じゃない。ダイレクトに触れ合う、というのは効率的だし初心者にもやりやすい方法なんだ」

 君はこういうの、初めてだろう?

 そう言われて、ファングは色白の肌を耳まで赤くして、口をぱくぱくさせる。

「なっ、な……」
「ほら、これは人命救助だぞ、ファング」

 ウソは言っていないのだろうが、細められた灰色の目が面白がっているのをファングは見逃さなかった。

「……くそっ! せめて途中で目を覚まさないでくれよ!」

 何も知らず眠り続ける男に「ごめんな」と謝って、細い顎を指先で上げさせて。
 覚悟を決めたファングは、薄く開いた唇に己のそれを重ねた。
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