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―case 5:ギベオン・アスター―


――犯罪都市などと呼ばれ、まともな人は近寄ろうとしない無法地帯はそれでも来る者を拒まないという側面ももつ。

“何でもアリ”なこの街には、そこでしか生きられない者も集まるのだ。

 それは何も、生粋の悪人だけの話ではなく……――


「ふぁ~あ」

 大柄でしっかりと筋肉のついた体で伸びをしながら歩く、オーバーオールに帽子がトレードマークの男。
 修理屋のオーキッドは、仕事帰りでボロボロになった衣服の肩を払い、豪快に首を鳴らした。

 もっとも、彼がボロボロなのは仕事の苛酷さゆえではないのだが……

「有名人ってのは悪い気はしないが、こうもやたらと襲われるとなあ……頼むから穏やかに仕事をさせて欲しいもんだぜ」

 はじめは、ほんの些細なことだった。

 道を歩いて因縁をつけられ、売られた喧嘩はじゃあ買うかと返り討ちにしたところ、今度は仕事中に仕返しと証してその相手の仲間らしき集団の襲撃を受けた。

 それをさらに返り討ちにしたら、そこからはその仲間の仲間だの単純にオーキッドの強さを聞きつけた血の気の有り余った奴だの次から次へと狙われるようになり、反射的に持ち前の怪力でその辺の柱や床板ひっぺがして振り回していたらいつの間にか敵も周辺も修理する前よりもひどい壊滅状態。

 ついたあだ名が“破壊屋”と書いてクラッシャー……職業的にとても不名誉なものとなってしまった。

 まあ、キレると見境なくなる彼にも問題がない訳ではないのだが。

「今日はどうすっかなー……飯の材料でも持って、ディアンの大将んとこでも行こっかなあ」

 最近この街に来たディアンとはすっかり仲良くなり、たまに遊びに行くようになった。
 そしてディアンの特技が料理だということを知ったのだが、これが本当に絶品なのだ。

 ひと暴れした後の空きっ腹は先日の料理の味を思い出して、大きく鳴いた。

……と、

「ありゃ?」

 前方からこちらに歩いて来る人の流れの中に、気になる者を見付けた。

 茶髪の癖ッ毛で前髪を伸ばし、目元を隠した小柄でやや肉の足りない、アウトドアとは無縁そうな中年。
 それをさらに背中を丸め俯いて、なるべく邪魔にならないようにしている風に見える。
 しかしそれでは前もよく見えなかろう、などと見ていたら、案の定彼は通行人とぶつかり……

(いや……“ぶつかられた”……カモだと思われたか)

 比較的マシな地域とはいえ基本治安の悪いここでは、当たり屋などというのも珍しくない。
 この街で生きるにしては頼り無い風貌の男が絶好の標的となるのも必然であり、そんな状況に周囲も無関心で一瞥もくれずに通り過ぎていく。

「ああ? どこ見て歩いてんだよ」

 次に続く台詞は「骨が折れたじゃねぇかてめぇ!」かな、などというオーキッドの思考をなぞるように、当たり屋の男はそれを口にした。

(典型的というか芸がないというか……どれ、ちょっくら助けてやろうか)

 しかし、

「ごっ、ごめん!」

 慌てて見上げた哀れな被害者の前髪が揺れ、見えたものは。

(宝、石……?)

 遠目にも、人の目とは思えないほど鮮やかな、不思議な輝きを秘めた桃色の瞳。

 そして……

「……いっ、いいんです、余所見をしていたのはこちらですから! あなたこそ、お怪我はありませんか?」

 魔法にかかったみたいに、ころりと態度を変えた当たり屋。
「僕は大丈夫だから向こうに行ってね」と言われるとあっさりと去って行ってしまった男を、オーキッドは信じられないものを見たとばかりに見送った。

「なんだありゃ……」
「ねぇ君」
「うぉ!?」

 いつの間にか目の前まで来ていた小柄な男に気付かなかったのは、体格差と殺気のなさだろうか。

 近くで見ると小動物っぽいな、などと考えながらのぞきこもうとしたオーキッドの視線を、小動物はさりげなく避ける。

「あの……君も僕の目、見ちゃった?」
「目ぇ? ああ、遠目にチラッとだけど」
「それくらいなら大丈夫かな……あのね、お願いがあるんだけど」

 今後僕を見かけても、目を見ないで。

 恐らくその目を見せないためか、俯いたままうっすら生えた口髭の下の唇が動いた。

「一部の人には有名らしいんだけど、僕は化物……人を狂わせる悪魔なんだ」
「あくまぁ?」
「僕の名前はギベオン・アスター……桃眼の悪魔、なんて呼ばれてる」

 人を見た目で判断してはいけない、なんて言葉は、よく道徳的な意味で使われるが……

(ちっちゃくてひょろっちい“悪魔”ねぇ……おまけに、)

 その悪魔の眼とやらは、随分と綺麗なんだけどな。

 そう思うオーキッドの感覚は既に“悪魔”に狂わされているのだろうか。

 それはまだ、誰にもわからなかった。
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