その他SS

「ふん……口ほどにもない」

 魔王の城の、玉座の間。
 漆黒のマントを翻し、勇者だったモノに背を向けて魔王は目を伏せた。
 女神の加護を受けし人間界の希望“勇者”と魔界を統べる絶対的な力をもつ“魔王”……彼らが幾度となくぶつかり合い、世界の流れを変えてきた。
 そしてたった今魔王の手によって勇者の命の灯は消されてしまったが、次の瞬間その亡骸は光に包まれて消える。
 女神の加護によって何度でも復活するというのは厄介だが、この若者程度の強さならば当分は何度やって来ても結果は同じだろう……そう思って、魔王はその事を気にも留めなかった。


……が。

「魔王っ!」

 後日やって来た勇者の声は、いつもの若者のものではなかった。
 あまりにも不甲斐ない若者の代わりに新しい勇者が現れたのだろうか、そう思った魔王だったが……

「……は?」

 その勇者、右手に布団叩き、左手におなべのフタを持ちし女性なり。
 年の頃はあの若者よりもだいぶ上……言うなれば、ちょうど母親くらいと思われる。

「なっ、き、貴様は誰だ……勇者ではないのか?」
「アタシはあの子のカーチャンだよ!」

 マジで母親だった!

 反射でそう返しそうになった魔王がどうにか堪えていると、ダァン、とサンダルを履いた足が魔王城の床を大きく鳴らした。

「アンタよくもウチの子を泣かしたね!」
「ひえ!?」

 あまりの剣幕に今度は堪えられず、びくりと肩が跳ねてしまった。
 なんだこの迫力は……先日対峙した勇者の何倍もの何かを感じるぞ、などと気圧されているうちに勇者母は魔王などものともせず更に距離を詰める。

「わ、我が城にはモンスターがそこかしこに配置されていたはずだぞ……どうやってここまで来た?」

 よし、少し声が震えた気がしたがどうにか威厳を保って応対できたぞと内心で自らを褒めて伸ばしながら魔王は勇者母を睨みつけた。

 魔王の城など最高クラスの魔物がうじゃうじゃいるし玉座の間はその最深部……人間のいち主婦が簡単に来られるはずがないのだが。

「そんなの、決まっているでしょうが!」

 ヒュン、と布団叩きが空を切る音。
 次いで発生した風の刃が魔王城の柱の一本をバターのようにスライスしてしまう。

「え」
「使い慣れたこいつがあればモンスターなんて怖くないよ」
「貴様が怖いわ! それで布団叩いて大丈夫なのか!?」

 もしかしてウチのモンスターたちもスライスされてしまったのか。
 おまけに先程から気になっていたのだが彼女の足に装備されているのはどう見ても険しい道のりを歩くものとは思えない、行ってせいぜいご近所止まりのサンダルではないか。

「……その履き物で魔王城の階段を?」
「それがどうしたんだい?」
「いやサンダルだぞ!」
「ただのサンダルじゃなくて健康サンダ」
「どうでもよいわ! 健脚にも程があろう!」

 モンスターを布団叩きで蹴散らし、たまに魔王でも面倒に感じるこの城の長い階段を健康サンダルで踏破して涼しい顔をしているカーチャン。
 先日ここに来た息子はあちこちに傷を負い、肩で息をしていたはずだが……

「何者だ貴様!」
「さっき言ったろ、あの子のカーチャンだって!」
「いやあのそうでなくて」
「細かいことをぐだぐだとやかましい子だね! アンタの父ちゃんはもうちょっとマシだったよ!」
「父、だと……!?」

 勇者母の言葉で、今は魔界の隅でひっそりと隠居生活を送る父……先代の魔王の顔がよぎる。
 強く威厳に溢れた父だったが、突然魔王の座を息子に譲り渡すと逃げるように城を去ってしまったのだ。

(あの時の父上は何かに怯えたようだったが、まさか……)

 記憶を手繰り寄せる魔王の前で、勇者母は右手の布団叩きをそっと地面に置くと、

「父ちゃんと同じように、百万べん叩いてやろうかい……?」

 ヒュンヒュンとあるものを叩く仕草をして見せる勇者母。

「マントで隠したその尻をね!」

 そうだ、先代魔王は確か半泣きで尻を押さえていた!
 目の前の光景と記憶が繋がった瞬間、本能的に魔王のヒップがきゅっと締まる。

「き、貴様は我が父を倒した先代勇者か!」
「昔の話だけどね。当時はイケイケボディコン勇者なんて言われて……」

 そんなことを言っている場合ではない。
 魔王も強いが先代の魔王はそれよりも強大な力を誇る、それこそ王者たる人物だった。
 それをおしりペンペンで泣かせたというのだ、この女傑は。

(このままでは我が尻が割れて分裂するか腫れ上がって豊満になってしまう!)

 絶対的強者だからこそ、その屈辱的な敗北は心を折るのに充分すぎるものだろう。
 こんな思考に囚われている時点で勝負はついたようなものだが、もはや魔王には“そうなる”未来しか見えなかった。

 万事休すか、と魔王が覚悟したその時。

「母ちゃん!」

 玉座の間に、新たな侵入者が現れた。
 どことなく母親と似た目元の冒険者然とした格好の若者……先日魔王が倒した勇者だった。
 女神の加護により復活した彼は、やはり少しボロボロになりながらここまで辿り着いたようだ。

「こんなところまで来て! 恥ずかしいからやめてくれって言っただろ!」

 勇者は母の腕を掴むと、強引にもと来た道を引き返そうとする。

「何言ってんだい、アタシゃまだ魔王に一発……」
「あーもう、ちゃんと自分で倒すから! 帰るぞ!」

 ずるずるとなかば引きずるようにして母を連れ帰る勇者。
 と、彼は一瞬だけ魔王を振り返ると、気恥ずかしそうに会釈をした。

「ご迷惑をおかけしました。それではまた後日……」
「あ、はい、どうも……」

 喚く声が遠ざかってしばらくして、完全に気配が消えて。
 静けさを取り戻した玉座の間で、ようやく魔王は尻の力を抜くことができた。

「また来るのか……あの母親の顔がチラついて急に戦いにくくなったな……」

 嵐か悪夢か、そんな出来事だったが、スッパリと斬られた柱のあまりにも綺麗な切り口が夢ではないことを教えてくれる。

「……とりあえず勇者にはお礼の品でも贈っておくか」

 我が尻の恩人だからな、と魔王は内心で呟いた。

 そうして勇者宅に届けられた『魔界名物・業火で茹でたゆで卵』とそこに添えられた手紙が人間界と魔界を和平に導く第一歩になるのだが、それはまた別のお話。
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