月下氷華

 木々の隙間から射し込む月光が、道を示すように点々と地に落ちている。
 オグマがこの世界に来た時の森とは反対方向にあるそこは、いつもファングが帰っていくところだった。

 彼の家は街にはないのだろうか……と思ったが、自分も山小屋にひっそりと暮らしていた身なこともあって深くは聞いていなかった。
 彼もロキシーも、おそらく只者ではないのだろう……異世界の人間であるオグマにも薄々感じてはいたのだが、

(ファングもロキシー殿も、異世界の人間という得体の知れない存在である私に親切にしてくれた恩人だ)

 それ以上は何もない。
 そう思って無用な詮索はしないでいたのだ。

……しかし。

(近づくほどに強く濃くなる氷のマナ……じゃなかった、魔力……ファング、なのか?)

 彼が戦闘で武器の他に氷や冷気を操っていたのは何度か目撃している。
 しかしファングは上級魔術にも匹敵する規模の氷を、詠唱もなしに……どちらかというと、自らの手足の延長のように操作していた。

(技に組み込むのとも、術の詠唱を省略するのとも違う。どちらかといえば、精霊に近い……)

 そこまで考えていたオグマの足がふいに止まる。
 森の奥に、人間よりもひと回りやふた回りは大きな狼がうずくまるようにして丸くなっていたのだ。

「これは……」

 体を覆う灰色の体毛は月光に照らされた部分が銀の煌めきを帯びて、神秘的な雰囲気を漂わせている。
 その気になればオグマのことなど頭からひと呑みにできてしまいそうな獣は、手負いなのだろうか、苦しげな呼吸を繰り返す。

(聖依獣か、精霊か……いや、どちらとも違うだろうが“彼”は……)

 一歩踏み出したオグマを警戒した狼が「それ以上近づくな」と言わんばかりに鋭く睨み、低く唸る。

……が、

「ファング?」

 次いで発したオグマの呼びかけに、狼はぎくりと硬直した。

「やっぱりそうか。苦しそうだけど大丈夫か? それにその姿はどうしたんだ?」

 しばしの沈黙の後、盛大な溜息が静かな森に響き渡る。

「……どうして、」
「多少姿が違ってもファングはファングだ。すぐわかった」

 狼の眼前まで歩み寄るオグマは無防備で、逆にファングの方が一瞬退いてしまう。

「お、おい、危ないからあまり傍には……」
「そうやって誰も近づかないような場所にいるのは、誰も傷つけないためか?」
「……」

 ややあって、とうとう観念したファングが元の姿に戻り、ゆっくりと口を開いた。

「情けない話だが、満月の夜になるとどうも調子が悪くてな……特にひどい時はこうやって隠れて遣り過ごしてる。魔物のフリをすれば、人間も近寄らないしな」
「ずっと、そうやってひとりで堪えてきたのか……?」
「なんてことはないさ。一晩過ぎれば元に……」

 しかし彼の言葉を遮って、そっとオグマの左手がその胸に触れる。

「辛かったら、苦しかったら……『助けてくれ』って言うんだって、仲間が教えてくれたんだ」
「あ……」

 あたたかな光が生じてじんわりとファングの中に入り込むと、次第に苦痛が引いていくのを感じた。
 同時にファングの脳裏に、遠い昔の光景が蘇る。

「サフィ……」
「え?」
「いや、なんでもない……オグマは不思議な奴だな」

 お陰で楽になったよ、と表情を綻ばせるファングはオグマにはどこか懐かしげに、そして哀しげにも見えた。
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