月下氷華

 街にあるロキシーの店の裏、彼の居住区は散らかっていて、薬品の瓶が足元を転がるさまに綺麗好きなファングは顔をしかめ、それを拾い上げた。

「……なんの薬だ、これ。ひどい臭いだな」
「君は鼻がいいんだったな」
「いやそういう問題じゃない! なんの薬かわからない瓶をその辺に転がすな!」

 噛みつこうとするファングにロキシーは人差し指を立て、視線をベッドに向けた。
 そこには先刻森から連れ帰ってきた男が、静かな寝息を立てている。

「君が魔力を分け与えたお陰で多少は回復したようだな。心なしか顔色も良くなったように見える」
「そうやって話をはぐらかして……そうだな。これでやっぱりこいつが普通の人間じゃないってことにもなったけど」

 そう言いながらファングは無意識に己の口許に手を置いた。

「……先程の感覚が忘れられないのかね?」
「は?」
「いやはや私も驚いた……途中から君が口づけに夢中になっていたことに。やはり君も本質は獣の……」
「わっ、わああああっ!」

 ロキシーの言葉が終わらないうちに慌てて止めたファングは、もう一度ちらりとベッドを見、彼が目覚めていないことにホッと胸を撫で下ろす。

「……自分でもよくわからない。けど、こいつに触れた時、懐かしいような、惹かれるような感じがしたんだ」
「ふむ、奇しくも君も氷使いだ。何かあるのかもしれないな」

 二人がしばし考え込んでいると、もぞりと布団が動く。
 寝返りを打ち、こちらを向いた男がゆるゆると瞼を開け、水浅葱の目を覗かせた。

「う……」
「気がついたか」
「……ここは」

 男はゆっくり体を起こし、辺りを見回す。

「空気が、違う……」
「わ、悪いな。散らかってて変なニオイがするだろ」

 ぽつりと呟く男にファングがそう言うと、部屋の持ち主が後ろで眉間に僅かに皺を寄せた。

「そうじゃない。マナが……ここはどこだ? 私は確か、グランマニエの王都に……」
「マナ?」
「グランマニエの、王都? 聞かない名だな……」

 顔を見合わせたファング達に何か察したのか、男は質問をやめ、彼らを見上げる。

「……まずはこちらから名乗らねばならないな。私はオグマ。オグマ・ナパージュだ」
「オグマ……俺はファング。後ろにいるのがロキシーだ」

 ファングは簡単な紹介を返すと、オグマを安心させるように穏やかに笑いかけた。

「君は森の中で、氷の花に包まれて眠っていたんだが……覚えはないのかね?」
「氷の花……?」

 ロキシーの質問に、オグマはきょとんと‎目を瞬かせる。

「……すまない。覚えがないな……それにどうやら、私は知らない間に恐ろしく遠い場所に来てしまったようだ」
「遠い場所、か……」

 反芻するようにロキシーも続く。
 ファング達が知らない名を口にする彼の言葉の意味は、なんとなく気づいていた。

「まだ本調子ではないだろう。しばらくここで休んでいくといい」
「す、すまない……」

 俯き、申し訳なさそうに縮こまるオグマは長身だが、小動物のようだとふたりは思った。
 見知らぬ土地でただ一人、不安な状況なせいもあるが、これは彼自身の雰囲気もあるのだろう。

「オグマに変なことはするなよ、ロキシー?」
「やれやれ、信用がないな」

 どの口が言うか、とロキシーを睨みつけるファングにオグマは不思議そうに首を傾げるのだった。
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