ヘリオス編②
勇者ヘリオスに軟禁された魔王レヴォネの生活は、魔法や魔術が使えないことと結界の外に出られないことを除けば、決してひどいものではなかった。
その時点で致命的と言われればまあ、それまでなのだが……
炊事に洗濯、掃除は勇者がやってくれるし、彼はそのどれも危なげなくこなす。
それに引き換え自分は……と、良い香り漂う食卓を見つめ、魔王は睫毛を伏せた。
「どうした、食欲ないのか?」
「こんな、プライドを踏みにじるようなことばかりされて……食欲も何もないだろう」
「ちゃんと食べないと出先で倒れるぞ。優しく介抱して欲しいならそれでもいいけど」
「っ!」
介抱などされてたまるかと慌てて食事にがっついたものの、そんな風にものを食べたことのない魔王は案の定喉に詰まらせ、思いっきり咳き込んだ。
「ああもう、慣れないことするから……いつも上品に食ってるし、育ちがいいんだよな、アンタ」
「~っ……うるさい!」
「俺ん家は……勇者一族は子沢山だから、ガキの頃は飯時なんていつも戦いだったよ」
昔を懐かしむ勇者をよそにグラスの水を飲み干すと、魔王は大きく息を吐いた。
「……貴様の家庭事情など聞いていない」
「うん、だろうな。まあそれは置いといて」
勇者は皿に乗せられたパンを手にとり豪快にかじると、
「ほれへほんらいらへろもぐむしゃむぐ」
そのまま喋りだした。
「ええいきちんと食べ物を飲み込んでから話せ行儀の悪い!」
「……えーとそれで本題だけど」
魔王に叱られ、言われた通りに咀嚼して口の中の物を処理し、改めて勇者は話を始める。
「俺と二人で観光の旅に出よう」
「断る」
勇者の提案を、魔王は一瞬で却下した。
「え、なんで? 外に出たくないの!?」
「一人ならな。何が悲しくて貴様と二人で呑気に観光に行かなければならない? というか、勇者などと共にいるところを誰かに見られたら私は終わりだ!」
魔界の王であるレヴォネが、勇者ヘリオスに力を封じられて無理矢理傍に置かれている状況を他人に知られて平気でいられるはずがなかった。
「あー、はいはい。やっぱりそこが問題かぁ」
「なんだその適当な物言いは! 私は真剣に悩んでっ……」
しかし勇者は怪しげな小瓶を取り出し、魔王の言葉を遮るように無造作にテーブルの上に置いてみせる。
「……なんだ、これは?」
「不思議な不思議な魔法のおクスリだよ」
小指大程のそれにまじまじと視線を注ぐ魔王に、勇者は朗々と説明を始めた。
「中の粉をひとたび体に振りかければ、姿が消えて透明人間……って訳にはいかないが、しばらくの間『肩書き』が消える、みたいな?」
「肩書き?」
「誰も勇者だの魔王だの、人間だの魔物だの気にしなくなるんだ。どういう仕組みか俺にはよくわからないけどな」
そんな都合よく便利な薬が……と言いたいところだが、妙に使いどころが限られるものを、誰が一体何のために作ったのか。
「これがあれば偉い偉い王様だろうとこっそり城を抜け出して夜の街でお姉ちゃんと遊び放題」
「なんとなくこれが作られた目的と入手経路を察したぞ」
馬鹿馬鹿しい、と呆れ顔で吐き捨てる魔王。
その気になれば結構な悪用ができそうな道具だろうに、あまりにも使い道が低俗過ぎる。
「まあでもこれを使えばさっきのアンタが気にしてたことは解決ってこと」
「むー……」
「既に行く場所はいろいろ考えてきたぞ。魔界と人間界の観光パンフレッ……冒険の書もいっぱい集めてきた!」
「パンフレット!?」
次から次へと出してくる冊子に、魔王は目を丸くした。
人間界はともかく魔界の観光名所まで、わざわざ調べて用意したというのだろうか。
「沢山あるぞーどこから行こうか?」
「人魚の海、か……」
視界に飛び込んできた文字を、なんとなく口にする。
「名前の通り、人魚がいるっていう魔界の海だな。気になる?」
「そこだけではない。どれも書物では知っているが、行ったことのない場所ばかりだ……」
魔王として生まれ、城で政務をこなしたり人間界への侵略命令を出すばかりだったレヴォネは、外の世界に疎かった。
趣味の読書で、知識としてはある程度知っているつもりだったが……パンフレットの写真から見えるものは、彼の知らない世界だ。
興味をひかれないと言ったら、嘘になる。
「そっかそっかあ。それはなおさら連れ出さないとな」
「だが貴様と一緒になど、」
「世俗慣れしてない箱入りがふらふら一人で行くのはいろんな意味で危ないぞ。観光地はぼったくりとかもいるしな」
「むっ……」
あっさりと言い負かされて口を尖らせる魔王に「これでも人間界を侵略しようとしてたのかなあ」とまでは言わないでおく勇者。
「……料理が冷める。話の続きは食べてからだ」
「はーいはい」
にやけ面の勇者を「またろくでもない事を考えているのか」と睨みつつ、魔王は食事を再開した。
第十一話
『ぼうけんのしょをえらんでください』
―完―
その時点で致命的と言われればまあ、それまでなのだが……
炊事に洗濯、掃除は勇者がやってくれるし、彼はそのどれも危なげなくこなす。
それに引き換え自分は……と、良い香り漂う食卓を見つめ、魔王は睫毛を伏せた。
「どうした、食欲ないのか?」
「こんな、プライドを踏みにじるようなことばかりされて……食欲も何もないだろう」
「ちゃんと食べないと出先で倒れるぞ。優しく介抱して欲しいならそれでもいいけど」
「っ!」
介抱などされてたまるかと慌てて食事にがっついたものの、そんな風にものを食べたことのない魔王は案の定喉に詰まらせ、思いっきり咳き込んだ。
「ああもう、慣れないことするから……いつも上品に食ってるし、育ちがいいんだよな、アンタ」
「~っ……うるさい!」
「俺ん家は……勇者一族は子沢山だから、ガキの頃は飯時なんていつも戦いだったよ」
昔を懐かしむ勇者をよそにグラスの水を飲み干すと、魔王は大きく息を吐いた。
「……貴様の家庭事情など聞いていない」
「うん、だろうな。まあそれは置いといて」
勇者は皿に乗せられたパンを手にとり豪快にかじると、
「ほれへほんらいらへろもぐむしゃむぐ」
そのまま喋りだした。
「ええいきちんと食べ物を飲み込んでから話せ行儀の悪い!」
「……えーとそれで本題だけど」
魔王に叱られ、言われた通りに咀嚼して口の中の物を処理し、改めて勇者は話を始める。
「俺と二人で観光の旅に出よう」
「断る」
勇者の提案を、魔王は一瞬で却下した。
「え、なんで? 外に出たくないの!?」
「一人ならな。何が悲しくて貴様と二人で呑気に観光に行かなければならない? というか、勇者などと共にいるところを誰かに見られたら私は終わりだ!」
魔界の王であるレヴォネが、勇者ヘリオスに力を封じられて無理矢理傍に置かれている状況を他人に知られて平気でいられるはずがなかった。
「あー、はいはい。やっぱりそこが問題かぁ」
「なんだその適当な物言いは! 私は真剣に悩んでっ……」
しかし勇者は怪しげな小瓶を取り出し、魔王の言葉を遮るように無造作にテーブルの上に置いてみせる。
「……なんだ、これは?」
「不思議な不思議な魔法のおクスリだよ」
小指大程のそれにまじまじと視線を注ぐ魔王に、勇者は朗々と説明を始めた。
「中の粉をひとたび体に振りかければ、姿が消えて透明人間……って訳にはいかないが、しばらくの間『肩書き』が消える、みたいな?」
「肩書き?」
「誰も勇者だの魔王だの、人間だの魔物だの気にしなくなるんだ。どういう仕組みか俺にはよくわからないけどな」
そんな都合よく便利な薬が……と言いたいところだが、妙に使いどころが限られるものを、誰が一体何のために作ったのか。
「これがあれば偉い偉い王様だろうとこっそり城を抜け出して夜の街でお姉ちゃんと遊び放題」
「なんとなくこれが作られた目的と入手経路を察したぞ」
馬鹿馬鹿しい、と呆れ顔で吐き捨てる魔王。
その気になれば結構な悪用ができそうな道具だろうに、あまりにも使い道が低俗過ぎる。
「まあでもこれを使えばさっきのアンタが気にしてたことは解決ってこと」
「むー……」
「既に行く場所はいろいろ考えてきたぞ。魔界と人間界の観光パンフレッ……冒険の書もいっぱい集めてきた!」
「パンフレット!?」
次から次へと出してくる冊子に、魔王は目を丸くした。
人間界はともかく魔界の観光名所まで、わざわざ調べて用意したというのだろうか。
「沢山あるぞーどこから行こうか?」
「人魚の海、か……」
視界に飛び込んできた文字を、なんとなく口にする。
「名前の通り、人魚がいるっていう魔界の海だな。気になる?」
「そこだけではない。どれも書物では知っているが、行ったことのない場所ばかりだ……」
魔王として生まれ、城で政務をこなしたり人間界への侵略命令を出すばかりだったレヴォネは、外の世界に疎かった。
趣味の読書で、知識としてはある程度知っているつもりだったが……パンフレットの写真から見えるものは、彼の知らない世界だ。
興味をひかれないと言ったら、嘘になる。
「そっかそっかあ。それはなおさら連れ出さないとな」
「だが貴様と一緒になど、」
「世俗慣れしてない箱入りがふらふら一人で行くのはいろんな意味で危ないぞ。観光地はぼったくりとかもいるしな」
「むっ……」
あっさりと言い負かされて口を尖らせる魔王に「これでも人間界を侵略しようとしてたのかなあ」とまでは言わないでおく勇者。
「……料理が冷める。話の続きは食べてからだ」
「はーいはい」
にやけ面の勇者を「またろくでもない事を考えているのか」と睨みつつ、魔王は食事を再開した。
第十一話
『ぼうけんのしょをえらんでください』
―完―