ヘリオス編②

 魔界の常にどんよりとした曇天では時刻はわかりづらいが、そこで暮らし慣れた魔王、レヴォネの目には窓越しの空は昼前に見えた。
 城にいた頃は、こんな時間にベッドに横たわっていることなどなかったのだが……

「やあ、おはよう」

 まるでレヴォネが目覚めるのを待っていたかのように隣で寝そべり、笑顔を向ける男。
 魔王を拐い、挙げ句魔法や魔術が使えない結界が張られた家に閉じ込めるという軟禁同然の仕打ちをするこの男はレヴォネにとっては憎き敵である勇者ヘリオスだ。

「……また失敗か」

 気だるげな声でレヴォネが呻く。
 また、というのは、今回のような事態が一度や二度ではないことを表していた。

「だから言ったろ、結界からは出られないって。今回は気絶で済んだけど、無理矢理出ようとするといくら魔王でも死んじゃうぞ?」

 勇者がさらりと恐ろしいことを言うが、拐われて来てからの数日、どん底の気分を味わった魔王には何の脅しにもならない。

「それならそれで晴れて貴様は魔王を倒した勇者だ」
「それが嫌だからやめろって言ってんの!」

 皮肉をこめて返してやれば嫌そうに顔を歪める勇者が、少しだけ魔王の気分を晴らす。

 それでも、ほんの気休め程度だが。

 正直、今のレヴォネにとっては、無理に脱出しようとした途端に全身を襲った意識を飛ばすほどの苦痛や衝撃も、ヘリオスから解放されるというならいっそ死ぬことすらどうでもいい、というくらい投げ遣りになっていた。

「やっぱ適度に外に出さないとストレス溜まるかぁ……」
「ひとを犬猫みたいに言うな!」

 と、起き上がって噛みついたところで、魔王は勇者の言葉の一部分に反応を示す。

「外に、だと……外出できるのか?」
「うんまあ、条件付きでならいいかなって……ずっと籠ってるのも良くないし、気晴らしになるだろうし」

 レヴォネの目がきょとんと瞬いたが、ややあって鋭く細まり、

(しめた! この結界から出られればこちらのものだ……条件とやらがなんだか知らんが、一度出てしまえばどうとでもできる!)

 と、喜んだのも束の間……

 ガチャン。

「……な?」
「うん、よく似合うな」

 いつの間にかベッドをおりて手際よくレヴォネの首もとに何かを装着させ、にこにこしながらそれを眺めるヘリオス。

 見ればレヴォネの首には見慣れない首飾りがつけられていた。

「なんだこれは……嫌な予感しかしないのだが」
「魔封じの首飾りっていってな、身につけると魔法や魔術が使えなくなるんだ。これで安心して出掛けられるぞ♪」
「な、んだ、と……」

 得意気に語る勇者のあらゆるものを無視した発言に魔王は魚類よろしく口をぱくぱくさせる。

「魔法が使えたら魔王はすぐさま城に帰って、俺と戦う準備をするだろ? それじゃあ困るんだよ」
「だからって、こんな……本当に、犬猫でも飼うみたいに……」

 虚脱感に襲われ、がっくりと項垂れる魔王。

(魔法や魔術が使えなかったら、私など大した力もない……そうだ、今は部下も誰もいない。それにこいつみたいに他に出来ることがある訳でもない。何の取り柄もない、何も出来ない、非力な存在だ……)

 魔王にも単純に力や肉体が強い者から魔法の扱いに長けた者などいろいろいて、レヴォネは後者のタイプ。
 それを奪われてしまえば目の前の、人間の皮を被った化け物と形容してもいいほどめちゃくちゃな強さをもつ男が相手では完全に勝ち目がない。
 そう言い切れてしまう自分に、考えれば考えるほど情けなさで涙ぐみそうになる。

「……いっそ殺してくれ」
「あーもうだから殺さないって! っていうかそばにいてくれればこんな事もわざわざしないんだぞ!」

 勇者の理屈としては魔王が何度も帰ろうとして話にならないから仕方なく処置を施した、ということらしいが、魔王からすれば宿敵を殺さずこんな回りくどいことをする勇者の方が訳がわからない。
 ぶすっと膨れっ面を向けてやれば、勇者は困った顔をして、

「飯作ったから、食って機嫌直してくれ」

 そう言って、わしゃっと銀髪を撫でた。

「犬猫ときて次は子供扱いか……」
「年下には違いないだろ、見た目も中身も」

 黙っている魔王のかわりに、ぐう、と空腹が返事をする。
 悔しいが、戦う以外にも何でも出来てしまう勇者の料理は美味だった。

「ほら、行くぞ」
「わっ、やめっ……はなせ!」

 せめてもの抵抗で「自分で歩く!」と自分を引っ張ろうとする手を叩くと、魔王は力一杯勇者を睨みつける。

 だが……

「……うん、どっちかと言うと猫だな」
「やかましい!」

 勇者には当然効いていなくて、 またも魔王の頭痛を誘うだけであった。


第十話
『魔王、完封』
―完―
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