アステル編①
かつて、魔物の軍勢を率いて人間を攻め滅ぼそうとした者がいた。
その者、魔界の王……魔王と呼ばれ、人々から恐れられた。
数年前に魔物を倒す特別な力をもつ者……勇者が魔王を倒したが、激しい戦いの末、共に姿を消してしまった。
勝利の喜びも束の間、疲弊しきった人間達の前に新たな魔王の影が人間の王の前に現れる。
すかさず槍を向けた側近の兵士達の動きを奇妙な力で停止させると、一言。
「お互いにもう、争いはやめにしよう」
突然の提案に驚く王に構わず、魔王は言葉を続ける。
「人間も魔物も、互いに戦い続けてボロボロだろう」
「それで納得すると思うのか? それに、ここまですんなり来られたということは……」
「……荒れ地を手に入れても、暮らせないだろう?」
影では姿がわからないが、揺らぐ音声から感じ取れる声の調子は年若いように思える……とはいえ、魔王とまで呼ばれる者の本性が見た目通りとは限らないだろう。
「先代のやり方は強引過ぎた。強引に侵略をしたところで、掌握は可能だが……いつかまた、勇者が現れ魔王を倒す。そこでひとつの決着がついても、周りはどうだ?」
ボロボロだと言いつつも言葉の端に自分達の優勢を匂わせている通り、これ以上争いが続くと厳しいのは人間側だろう。
「地は荒れ、魔物と人間は互いに傷つき、豊かさは遠のく。そんな不毛な事を繰り返すことはない。和解してしまえば良いのだ」
「条件があるのだろう……?」
「勇者の血を引く者が他にいるだろう? 和平の証にそいつを差し出せ」
この世界において勇者は魔王を倒せる力をもった特別な人間だ。
そんな希望の象徴を平和のためとはいえあちら側に引き渡して良いものか……魔物に全体的に身体能力で劣る人間側のリスクは高い。
「もう魔物に人間を襲わせない。万が一それに反する者がいれば厳しく罰する。悪い話ではなかろう」
「……そこで勇者を殺した上で約束を違えられたら、今度こそ人間は終わりだな」
勇者がいなければ、魔王に太刀打ちできる人間はこの世界にはほぼ皆無といってもいいだろう。
そうすればより円滑に侵略が進むのではと王は影を睨みつけた。
「問題ない。こちらが差し出すのはもうひとつ……」
「?」
「なんでもない。明日ここに勇者を連れてこい。妙な真似をすればこの城を消し飛ばすからな!」
などと言い残して影が消えた瞬間、兵士も術から解放され自由になる。
(あれが『魔法』……魔術ではない、魔王と勇者のもつ力か……)
話の真偽はともかく、恐らく幻影だけを寄越したのであろう状態で、これ程の力をもつ魔王に逆らえばどうなるか……
実質、王に与えられた選択肢はひとつであった。
――――
そんな出来事があってからの翌朝。
「という訳で勇者よ、世界の平和のために死……ひとり魔界へ行って欲しい」
「今さらっと死とか言いましたよね?」
城に呼びつけられるなり不穏な言葉を耳にした勇者は思わず王につっこんだ。
しばし、王のお世辞にも上手いとは言えない口笛が静まり返った玉座の間に響く。
「し、しー……親善大使と言いかけたのだ」
「だったら言い直す必要ないし目を見て言ってくれません?」
誤魔化しの失敗を悟った王は、今度は聞こえよがしに舌打ちをする。
「まあ最悪どうにかして魔王殺ってくれればいいから。先代の勇者、君の叔父のようにな」
「叔父はあれから先代の魔王共々生死不明なのですが」
「魔王と共に現れて魔王を倒し、平和と共に姿を消す……正しく伝説の勇者だな!」
「開き直った!」
王が手にした杖でダン、と床を突くと、それを合図に勇者の周りを兵士達が取り囲む。
「ひっ!」
「抵抗など考えぬ方がよいぞ。ただおとなしく従って、時を稼いでくれればいい」
兵士達はロープを手に手際よく勇者をスマキにしてしまい、担ぎ上げた。
「う、うわあああ!」
「時間だ。勇者よ、ゆくがよい!」
そのままタイミングよく現れた魔王の影目掛けて放られると、勇者の姿は消えてしまった。
「これで良かったのだ、これで……」
王はやり遂げた達成感に汗を拭い、溜め息をついた。
――――
一方。
「い、いててて……」
生け贄同然に差し出された勇者は、ぐるぐる巻きにされたせいでろくに受け身もとれず顔面から着地していた。
見回せば空の色は暗く、時折走る紫の閃光が不気味さを演出しているそこは……魔物が棲む魔界なのだろう。
「このぐらい、すぐに解けるけど……逆らったらだめだよなあ」
言いながら勇者は自らの周囲に炎を纏わせ、ロープを焼き払ってしまう。
「さて、これからどうするか……」
「あ、あの……」
「ん?」
辺りを確認している勇者の下から、声。
そういえば顔面から着地したにしては痛みは少なかったし怪我もしていなかったな、と見てみると……
「うわぁっ!」
「お、驚くより、早くどいてくれないか……?」
いつの間にか、勇者は女性を組み敷いていた。
よりによって、抜群のスタイルを惜し気もなく露出するような扇情的な衣装の美女を……
「ご、ごめん!」
「そろそろ来る頃だと思って迎えに来たのだが……そうか、勇者というのは随分と積極的なものなのだな」
「へっ?」
女性は上体を起こすと慌てて離れた勇者を見上げ、林檎のように頬を色づかせた。
澄んだ夜空のような色をした煌めく長い髪に金色のティアラを飾り、黒を基調としたドレスと薄く透ける素材のマントは彼女にとても似合っていて、その美貌を際立たせている。
(そういえば魔界にいるってことは、このひとは……)
限り無く人間に近い外見をしているが、たまに覗く尖った耳と牙は明らかに人間のそれではない。
魔界の住人は恐ろしく野蛮なものだと聞いていたが、こんなに綺麗なひともいるのかと心を奪われかけたその時だった。
「ああそうだ自己紹介がまだだったな。私は魔王だ」
間。
「えっ」
「だから、魔王だ。よろしくな、勇者」
「えええええっ!?」
勇者は魔界にやって来るなり、魔王を(押し)倒していたのだった……
第一話『ひのきのぼうすら持たされず』
―完―
その者、魔界の王……魔王と呼ばれ、人々から恐れられた。
数年前に魔物を倒す特別な力をもつ者……勇者が魔王を倒したが、激しい戦いの末、共に姿を消してしまった。
勝利の喜びも束の間、疲弊しきった人間達の前に新たな魔王の影が人間の王の前に現れる。
すかさず槍を向けた側近の兵士達の動きを奇妙な力で停止させると、一言。
「お互いにもう、争いはやめにしよう」
突然の提案に驚く王に構わず、魔王は言葉を続ける。
「人間も魔物も、互いに戦い続けてボロボロだろう」
「それで納得すると思うのか? それに、ここまですんなり来られたということは……」
「……荒れ地を手に入れても、暮らせないだろう?」
影では姿がわからないが、揺らぐ音声から感じ取れる声の調子は年若いように思える……とはいえ、魔王とまで呼ばれる者の本性が見た目通りとは限らないだろう。
「先代のやり方は強引過ぎた。強引に侵略をしたところで、掌握は可能だが……いつかまた、勇者が現れ魔王を倒す。そこでひとつの決着がついても、周りはどうだ?」
ボロボロだと言いつつも言葉の端に自分達の優勢を匂わせている通り、これ以上争いが続くと厳しいのは人間側だろう。
「地は荒れ、魔物と人間は互いに傷つき、豊かさは遠のく。そんな不毛な事を繰り返すことはない。和解してしまえば良いのだ」
「条件があるのだろう……?」
「勇者の血を引く者が他にいるだろう? 和平の証にそいつを差し出せ」
この世界において勇者は魔王を倒せる力をもった特別な人間だ。
そんな希望の象徴を平和のためとはいえあちら側に引き渡して良いものか……魔物に全体的に身体能力で劣る人間側のリスクは高い。
「もう魔物に人間を襲わせない。万が一それに反する者がいれば厳しく罰する。悪い話ではなかろう」
「……そこで勇者を殺した上で約束を違えられたら、今度こそ人間は終わりだな」
勇者がいなければ、魔王に太刀打ちできる人間はこの世界にはほぼ皆無といってもいいだろう。
そうすればより円滑に侵略が進むのではと王は影を睨みつけた。
「問題ない。こちらが差し出すのはもうひとつ……」
「?」
「なんでもない。明日ここに勇者を連れてこい。妙な真似をすればこの城を消し飛ばすからな!」
などと言い残して影が消えた瞬間、兵士も術から解放され自由になる。
(あれが『魔法』……魔術ではない、魔王と勇者のもつ力か……)
話の真偽はともかく、恐らく幻影だけを寄越したのであろう状態で、これ程の力をもつ魔王に逆らえばどうなるか……
実質、王に与えられた選択肢はひとつであった。
――――
そんな出来事があってからの翌朝。
「という訳で勇者よ、世界の平和のために死……ひとり魔界へ行って欲しい」
「今さらっと死とか言いましたよね?」
城に呼びつけられるなり不穏な言葉を耳にした勇者は思わず王につっこんだ。
しばし、王のお世辞にも上手いとは言えない口笛が静まり返った玉座の間に響く。
「し、しー……親善大使と言いかけたのだ」
「だったら言い直す必要ないし目を見て言ってくれません?」
誤魔化しの失敗を悟った王は、今度は聞こえよがしに舌打ちをする。
「まあ最悪どうにかして魔王殺ってくれればいいから。先代の勇者、君の叔父のようにな」
「叔父はあれから先代の魔王共々生死不明なのですが」
「魔王と共に現れて魔王を倒し、平和と共に姿を消す……正しく伝説の勇者だな!」
「開き直った!」
王が手にした杖でダン、と床を突くと、それを合図に勇者の周りを兵士達が取り囲む。
「ひっ!」
「抵抗など考えぬ方がよいぞ。ただおとなしく従って、時を稼いでくれればいい」
兵士達はロープを手に手際よく勇者をスマキにしてしまい、担ぎ上げた。
「う、うわあああ!」
「時間だ。勇者よ、ゆくがよい!」
そのままタイミングよく現れた魔王の影目掛けて放られると、勇者の姿は消えてしまった。
「これで良かったのだ、これで……」
王はやり遂げた達成感に汗を拭い、溜め息をついた。
――――
一方。
「い、いててて……」
生け贄同然に差し出された勇者は、ぐるぐる巻きにされたせいでろくに受け身もとれず顔面から着地していた。
見回せば空の色は暗く、時折走る紫の閃光が不気味さを演出しているそこは……魔物が棲む魔界なのだろう。
「このぐらい、すぐに解けるけど……逆らったらだめだよなあ」
言いながら勇者は自らの周囲に炎を纏わせ、ロープを焼き払ってしまう。
「さて、これからどうするか……」
「あ、あの……」
「ん?」
辺りを確認している勇者の下から、声。
そういえば顔面から着地したにしては痛みは少なかったし怪我もしていなかったな、と見てみると……
「うわぁっ!」
「お、驚くより、早くどいてくれないか……?」
いつの間にか、勇者は女性を組み敷いていた。
よりによって、抜群のスタイルを惜し気もなく露出するような扇情的な衣装の美女を……
「ご、ごめん!」
「そろそろ来る頃だと思って迎えに来たのだが……そうか、勇者というのは随分と積極的なものなのだな」
「へっ?」
女性は上体を起こすと慌てて離れた勇者を見上げ、林檎のように頬を色づかせた。
澄んだ夜空のような色をした煌めく長い髪に金色のティアラを飾り、黒を基調としたドレスと薄く透ける素材のマントは彼女にとても似合っていて、その美貌を際立たせている。
(そういえば魔界にいるってことは、このひとは……)
限り無く人間に近い外見をしているが、たまに覗く尖った耳と牙は明らかに人間のそれではない。
魔界の住人は恐ろしく野蛮なものだと聞いていたが、こんなに綺麗なひともいるのかと心を奪われかけたその時だった。
「ああそうだ自己紹介がまだだったな。私は魔王だ」
間。
「えっ」
「だから、魔王だ。よろしくな、勇者」
「えええええっ!?」
勇者は魔界にやって来るなり、魔王を(押し)倒していたのだった……
第一話『ひのきのぼうすら持たされず』
―完―
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