19~葛藤、そして~
王都の貴族街にたたずむブオルやクローテの実家、ティシエール邸。
魔物の襲撃から皆を守るために力を使い果たして倒れたスタードは、少し前からゆるりと目を覚ましていた。
とはいえまだ体力は戻りきっておらず、寝たきりではないものの自室のベッドで過ごす時間が多い。
「……具合はどうだ」
「お陰様で、もう殆ど……そんなにしょっちゅう通わなくても、私は大丈夫ですよ」
モラセス様、と呼ばれたベッドの側の椅子に腰掛けている老人はかつてこの中央大陸の王だった男。
今は王の責務からは解放され自由に城下町などに繰り出して日々を満喫している彼だが、その貴重な時間を自分のために使わせていることを、スタードは申し訳なく感じていた。
「死んだように数日眠り続けてまだ思うように動けん身で何を言うか。話し相手が欲しいだろう?」
「清き風花が遠くからカカオ達の様子を知らせてくれています。お陰でずっと賑やかですよ……少し危なっかしくもありますが」
そうか、と返すモラセスの声音はほんの少し寂しげでスタードの苦笑を誘う。
やんわりと拒まれたことに対してなのか、自分には感覚を共有している契約精霊がいないからなのか、あるいはその両方か。
主君がとても寂しがりな男であることを、従者はよく知っていた。
「感覚を共有するというのはどういう感じなんだ?」
「目を閉じて意識を集中すると、風花が見ているのだろうと思われる景色と周囲の声を感じることができます。マンジュのイシェルナに会って、今は東大陸……パスティヤージュのフィノとも先日会ったようです」
遠く旅する父や孫、その仲間達に思いを馳せるように、老紳士はそっと隻眼を閉じる。
しかし彼の表情は穏やかなものから僅かに厳しいそれへと変わった。
「……ただ、総てに餓えし者の眷属とも何度か遭遇しています。それに……」
「それに?」
含みをもったスタードの言葉の続きを尋ねた瞬間、二人の耳に騒々しい足音が届く。
「なんでしょう、騒がしいですね」
「よし、見てくるか」
モラセスは椅子から立ち上がるが、同時に部屋の扉が勢い良く開け放たれた。
「し、失礼します! モラセス様はこちらにっ……」
「なんだ、ノックもせずに」
「どうかしたのか?」
息を切らしながら現れた若い騎士はまだまだ経験が浅いのだろうか、はたまた余裕も何もなくなるような事態なのか。
スタードは動転する騎士を「呼吸を調えなさい」と落ち着かせ、彼の言葉を待った。
「……そ、それが……王子が、シーフォン王子が……」
城を抜け出しました。
騎士の報告に二人が一瞬顔を見合わせる。
「それはいつものように城下町に遊びに出ているとかではないのか?」
「い、いえ、それにしては様子がおかしいのです。宝物庫の宝剣も一緒に消えていて……我々も周囲を捜索中ですが、おそらくもう王都には……」
片手で頭を押さえたスタードはもう片方の手で騎士の報告を制した。
「……いや、いい。宝剣が一緒ならむしろ大丈夫だ……少なくとも、居場所に関しては」
「だろうな……ご苦労だった。さがっていいぞ」
スタード達の言葉の意味がよくわからない騎士は疑問符を浮かべながらも一礼して去っていく。
「近頃やんちゃに磨きがかかったとは聞きましたが……」
足音が遠ざかっていく中で、ふたつの盛大な溜め息が部屋を満たす。
「悪戯に脱走か……まったく、誰に似たのだろうな」
「鏡をお持ちしましょうか?」
今日一番の鋭い眼で睨まれたモラセスの乾いた口笛の音が、気まずさとむなしさを増すのだった。
魔物の襲撃から皆を守るために力を使い果たして倒れたスタードは、少し前からゆるりと目を覚ましていた。
とはいえまだ体力は戻りきっておらず、寝たきりではないものの自室のベッドで過ごす時間が多い。
「……具合はどうだ」
「お陰様で、もう殆ど……そんなにしょっちゅう通わなくても、私は大丈夫ですよ」
モラセス様、と呼ばれたベッドの側の椅子に腰掛けている老人はかつてこの中央大陸の王だった男。
今は王の責務からは解放され自由に城下町などに繰り出して日々を満喫している彼だが、その貴重な時間を自分のために使わせていることを、スタードは申し訳なく感じていた。
「死んだように数日眠り続けてまだ思うように動けん身で何を言うか。話し相手が欲しいだろう?」
「清き風花が遠くからカカオ達の様子を知らせてくれています。お陰でずっと賑やかですよ……少し危なっかしくもありますが」
そうか、と返すモラセスの声音はほんの少し寂しげでスタードの苦笑を誘う。
やんわりと拒まれたことに対してなのか、自分には感覚を共有している契約精霊がいないからなのか、あるいはその両方か。
主君がとても寂しがりな男であることを、従者はよく知っていた。
「感覚を共有するというのはどういう感じなんだ?」
「目を閉じて意識を集中すると、風花が見ているのだろうと思われる景色と周囲の声を感じることができます。マンジュのイシェルナに会って、今は東大陸……パスティヤージュのフィノとも先日会ったようです」
遠く旅する父や孫、その仲間達に思いを馳せるように、老紳士はそっと隻眼を閉じる。
しかし彼の表情は穏やかなものから僅かに厳しいそれへと変わった。
「……ただ、総てに餓えし者の眷属とも何度か遭遇しています。それに……」
「それに?」
含みをもったスタードの言葉の続きを尋ねた瞬間、二人の耳に騒々しい足音が届く。
「なんでしょう、騒がしいですね」
「よし、見てくるか」
モラセスは椅子から立ち上がるが、同時に部屋の扉が勢い良く開け放たれた。
「し、失礼します! モラセス様はこちらにっ……」
「なんだ、ノックもせずに」
「どうかしたのか?」
息を切らしながら現れた若い騎士はまだまだ経験が浅いのだろうか、はたまた余裕も何もなくなるような事態なのか。
スタードは動転する騎士を「呼吸を調えなさい」と落ち着かせ、彼の言葉を待った。
「……そ、それが……王子が、シーフォン王子が……」
城を抜け出しました。
騎士の報告に二人が一瞬顔を見合わせる。
「それはいつものように城下町に遊びに出ているとかではないのか?」
「い、いえ、それにしては様子がおかしいのです。宝物庫の宝剣も一緒に消えていて……我々も周囲を捜索中ですが、おそらくもう王都には……」
片手で頭を押さえたスタードはもう片方の手で騎士の報告を制した。
「……いや、いい。宝剣が一緒ならむしろ大丈夫だ……少なくとも、居場所に関しては」
「だろうな……ご苦労だった。さがっていいぞ」
スタード達の言葉の意味がよくわからない騎士は疑問符を浮かべながらも一礼して去っていく。
「近頃やんちゃに磨きがかかったとは聞きましたが……」
足音が遠ざかっていく中で、ふたつの盛大な溜め息が部屋を満たす。
「悪戯に脱走か……まったく、誰に似たのだろうな」
「鏡をお持ちしましょうか?」
今日一番の鋭い眼で睨まれたモラセスの乾いた口笛の音が、気まずさとむなしさを増すのだった。