56~それぞれの前夜~
「はっ! やっ! てやぁ!」
月光の下で踊る影がひとつ。
黒猫の太い尻尾が大柄な体の動きにあわせてなびき、その演舞をよりダイナミックに見せる。
鋭く突き出した掌底に、遅れて散った汗が煌めいた。
「張り切るのはいいが、疲れを明日に残すなよ?」
背中に声を受け、振り向くと月明かりに淡く輝く銀の髪……クローテが佇んでいた。
「クローテどの、ブオルどのと一緒にいたのでは?」
「まさか。今のブオル殿を邪魔する気にはなれないだろう」
ガレの問いに色素の薄い睫毛を伏せ、静かに首を左右に振るクローテ。
そんな瞬間までハッとするほど美しい彼の足癖が意外と悪いことを、長い旅の時間を共に過ごしたガレはよく知っている。
「しばらくはカーシスと飲んでいたが、モラセス様がブオル殿を探していたようだったからな」
「にゃるほど、どっちみちお邪魔はできぬでござるなあ」
あの戦いの後、黒騎士……カーシスは消滅の際に小さな黒い石を遺していった。
石は何も話さないが、ブオルは肌身離さず持っているそれを時折取り出しては優しく語りかけていた。
「スタードお祖父様によれば、モラセス様にとって、ブオル殿は父親のような存在だったらしい」
「そしてブオルどのはこの戦いが終われば元の時代に帰ってしまう……二度と会えぬのでござるな」
ブオルが生きる時代は今から五十年も昔で、それから程なくして彼は戦死している。
未来から来たとはいえこの時代に既に出会っているガレ達とは違い、旅の終わりは永遠の別れを意味するのだ。
「だから、今夜ぐらいはゆっくり話せたらいいと思う……たとえ、歴史が修正されれば全てなかったことになるかもしれなくても」
かもしれない、と無意識に使った彼らしからぬ不明瞭な言葉は、内に秘めたクローテの願望なのか。
この旅が終われば、仲間との時間も終わる。
二人の間に、しばしの沈黙が流れた。
「ガレ」
「にゃっ?」
「なかったことになるとしても……今、この瞬間を生きているのは“今”の私だ」
急に何を言い出すのだろう、何が言いたいのだろう……赤銅の猫目はクローテの意図を読み取るべくぱちぱちと瞬いた。
「私はこの旅で、多くの得難いものを得た。経験と、仲間と……そんな中で、自分でも変化があったと思う」
「そうでござるな。クローテどのはやわらかく、素直になりもうした」
ふ、と微笑むガレ。
普段は子供っぽい雰囲気だが、こういう時に見せる顔はなんだかんだ大人なんだと改めてクローテは思った。
「……今なら否定しない。それに、すごく気分がいいんだ」
「本当に変わったのでござるなあ」
「ああ。だから、その……歴史を修正するのに、こんなことを思ってしまうのはいけないことかもしれないんだが……」
なかったことになんてしたくない。
言い淀むクローテだが、言外にはっきりとそう含んでいた。
再び、沈黙。
「……あー、クローテどの」
ややあってガレはがしがしと頭を掻き、世間話をするような何気ないトーンで話し始めた。
「それがしは時空干渉がなければ、あの頃ちちうえに連れられて初めて王都に来るはずだったのでござるよ」
「む……? 言われてみればうっすらとそんな話を聞いた気がするな」
それがどうした、と見上げるクローテに、ガレはにっと歯を見せて、
「もしちっちゃなそれがしが王都に来たら、クローテどのに案内して欲しいでござる!」
たとえ全てがリセットされても、またもう一度出会い直そう。
そう、笑った。
「……覚えていたら、な」
覚えているはずもないことだけど、どうしてか心には少しばかりの希望が灯った。
背伸びしてばかりの頃だったら有り得ないことだと一蹴していただろう。
(根拠のないものを信じる気持ち、そして叶える力……)
仲間たちと一緒にいると、何でもできそうな気がする。
少なくとも“今”のクローテは、そう感じるのだった。
月光の下で踊る影がひとつ。
黒猫の太い尻尾が大柄な体の動きにあわせてなびき、その演舞をよりダイナミックに見せる。
鋭く突き出した掌底に、遅れて散った汗が煌めいた。
「張り切るのはいいが、疲れを明日に残すなよ?」
背中に声を受け、振り向くと月明かりに淡く輝く銀の髪……クローテが佇んでいた。
「クローテどの、ブオルどのと一緒にいたのでは?」
「まさか。今のブオル殿を邪魔する気にはなれないだろう」
ガレの問いに色素の薄い睫毛を伏せ、静かに首を左右に振るクローテ。
そんな瞬間までハッとするほど美しい彼の足癖が意外と悪いことを、長い旅の時間を共に過ごしたガレはよく知っている。
「しばらくはカーシスと飲んでいたが、モラセス様がブオル殿を探していたようだったからな」
「にゃるほど、どっちみちお邪魔はできぬでござるなあ」
あの戦いの後、黒騎士……カーシスは消滅の際に小さな黒い石を遺していった。
石は何も話さないが、ブオルは肌身離さず持っているそれを時折取り出しては優しく語りかけていた。
「スタードお祖父様によれば、モラセス様にとって、ブオル殿は父親のような存在だったらしい」
「そしてブオルどのはこの戦いが終われば元の時代に帰ってしまう……二度と会えぬのでござるな」
ブオルが生きる時代は今から五十年も昔で、それから程なくして彼は戦死している。
未来から来たとはいえこの時代に既に出会っているガレ達とは違い、旅の終わりは永遠の別れを意味するのだ。
「だから、今夜ぐらいはゆっくり話せたらいいと思う……たとえ、歴史が修正されれば全てなかったことになるかもしれなくても」
かもしれない、と無意識に使った彼らしからぬ不明瞭な言葉は、内に秘めたクローテの願望なのか。
この旅が終われば、仲間との時間も終わる。
二人の間に、しばしの沈黙が流れた。
「ガレ」
「にゃっ?」
「なかったことになるとしても……今、この瞬間を生きているのは“今”の私だ」
急に何を言い出すのだろう、何が言いたいのだろう……赤銅の猫目はクローテの意図を読み取るべくぱちぱちと瞬いた。
「私はこの旅で、多くの得難いものを得た。経験と、仲間と……そんな中で、自分でも変化があったと思う」
「そうでござるな。クローテどのはやわらかく、素直になりもうした」
ふ、と微笑むガレ。
普段は子供っぽい雰囲気だが、こういう時に見せる顔はなんだかんだ大人なんだと改めてクローテは思った。
「……今なら否定しない。それに、すごく気分がいいんだ」
「本当に変わったのでござるなあ」
「ああ。だから、その……歴史を修正するのに、こんなことを思ってしまうのはいけないことかもしれないんだが……」
なかったことになんてしたくない。
言い淀むクローテだが、言外にはっきりとそう含んでいた。
再び、沈黙。
「……あー、クローテどの」
ややあってガレはがしがしと頭を掻き、世間話をするような何気ないトーンで話し始めた。
「それがしは時空干渉がなければ、あの頃ちちうえに連れられて初めて王都に来るはずだったのでござるよ」
「む……? 言われてみればうっすらとそんな話を聞いた気がするな」
それがどうした、と見上げるクローテに、ガレはにっと歯を見せて、
「もしちっちゃなそれがしが王都に来たら、クローテどのに案内して欲しいでござる!」
たとえ全てがリセットされても、またもう一度出会い直そう。
そう、笑った。
「……覚えていたら、な」
覚えているはずもないことだけど、どうしてか心には少しばかりの希望が灯った。
背伸びしてばかりの頃だったら有り得ないことだと一蹴していただろう。
(根拠のないものを信じる気持ち、そして叶える力……)
仲間たちと一緒にいると、何でもできそうな気がする。
少なくとも“今”のクローテは、そう感じるのだった。