55~悪意は遥か過去へ~

『ダクワーズっ!』

 王都の貴族街にあるメリーゼの家、フェンデ邸。
 駆けつけたカカオ達の中で真っ先に声をあげたのは、ランシッドだった。

「ランシッド様……」
『遅かったか……テラの狙いがお前だったなんて』

 病床から彼を見上げる美しい女性は、メリーゼの母で時空の精霊の契約者、ダクワーズ。
 肩まで伸びた紺瑠璃の癖毛はメリーゼとよく似た毛質で、片方を眼帯で隠した切れ長の黄金の眼は今は少しだけ鋭さを和らげている。
 メリーゼ同様、彼女も身体の一部が薄く透けて消えかかっていて、どうやら既に時空干渉に遭っているようだ。

「お母様、ここに誰か来たのですね!?」
「ああ……道化師の姿をした女、いや……男か女かもわからん、ヒトの形を真似た化物がな。あれがデューが言っていた“テラ”……」

 ダクワーズがそう言うと、ランシッドはすかさずデューの顔を見る。

「ダクワーズはほとんど答えに行き着いてたぜ、ランシッド。アンタが知らせないようにしていたことはな」
『……そうか。ごめんよ、ダクワーズ』

 負傷しているダクワーズにランシッドは今回の旅のことを隠していた。
 勇ましい騎士である彼女が、時空の精霊の契約者であるダクワーズがこの世界に起きている異変を知れば我先に飛び出していただろうし、そんな気質でありながら動くことができない今の己の体をどれだけ歯痒く思うか……負担をかけたくないからこその選択だった。

「……いえ。今の私は貴方の足手まといでしかないでしょう。貴方は正しい選択をしました」
『ダクワーズ……』
「それよりも、です。もっとこちらへいらしてください」

 急に来いと言われたランシッドが首を傾げながらその通りにすると、ダクワーズはすう、とひと呼吸。

「どうして何も話してくださらなかったのですか!?
足手まといを置いていくのは正しい選択ですが、それでもできることがあったでしょう!」
『えっ、えっ?』
「私は貴方の契約者です。ただでさえ精霊としてはまだ若い貴方には契約者が必要……違いますか?」

 精霊が力を行使して外界に干渉するためには、契約者を介する必要がある。
 多少ならともかく、無理矢理大きな力を使えばその反動は精霊自身に返ってくる……現に、以前ランシッドは旅先でそうして一時的に眠りについてしまったことがあった。

「なあなあデューさん、それって離れてても大丈夫なのか?」
『契約者と精霊は繋がっていますから。彼はどうやら意地を張ってわざわざ遮断していたようですけどね』

 カカオの疑問にはデューの契約精霊である水辺の乙女が答える。

『けど寝込んでるダクワーズに無理は……』
「秩序を守る精霊なら……王ならば、私ひとりくらい切り捨ててみせなさい! 何より臥せっているとはいえ、私の力が頼りにならないとでも!?」
『ご、ごめんなさい……』

 穏やかで優しげな光は、一瞬にして武人の鋭さへ。
 その剣幕に誰もがほんの一時、彼女が消滅の危機を迎えている儚い存在だと忘れてしまうのだった。
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