39~守れ、世界の要~

 かつて、世界を守るために淡い恋心を奥底に閉じ込め、その身を結界と変えた獣の巫女がいた。
 大地の下から滲み出る障気を、人や大地を蝕む毒を防ぐためには、そうする以外に方法がなかったのだ。

『……それでも、私は後悔なんかしてないわ』

 光の中で祈る巫女は、自分に言い聞かせるように呟いた。
 表層界アラカルティアの大地と、裏転地界アラムンドとの狭間に存在するこの聖依獣の隠れ里で、マナを繋ぎとめる結界の要となるのが彼女……カミベルの役目だ。
 その肉体は既になく、淡く輝く彼女の姿は目視こそできるものの実体をもたない。

「つらい役目を背負わせてしまって、すまんの」

 結界の巫女が祈りを捧げる聖地に、のしのしと足を踏み入れる巨大なモップ……ではなく、聖依獣の長ムース。
 長毛ゆえ表情はわかりにくいが、彼の声音には心苦しげな響きがあった。

『長老……いいえ、覚悟はできていました。それに……この世界中を巡る結界のマナは、私の目や耳となっていますから。むしろ世界中を覗けるんですよ?』

 寂しくはありません、とカミベルは微笑を作る。

「そんな事は言うてものー……」

 ムースが言葉を探しあぐねた、その時だった。

「なら今すぐその役目、終わらせてやろう」

 突如会話に割り込んできた第三者の声が不穏な風を運ぶ。
 世界から隔離された聖依獣の隠れ里、その中でも里の者もほぼ出入りしないこの聖地に響いた知らない声にふたりの表情が一変した。

「何奴じゃ!」
「クククッ……」

 空間の穴をこじ開けて、ずるりと現れたのは人間とも魔物とも違う無機質な図形の人形。

『何もないところから……空間転移、なの……!?』
「なんかちょこーっと“違う”気配がするのー……お前さん、どこの者じゃ?」
「なるほど、曲がりなりにも長って訳か……察しがいいな」

 目鼻口のない頭部からどういう仕組みで発しているのだろうか、人形の声は嘲笑うようで。

「結界の巫女カミベル……ここでお前を排除すれば世界は障気にまみれて滅ぶ。そうすればお前はこの長く哀れで孤独な時間から解放され、想い人とやらとも会える……あの世でな」
『私はそんなことは望んでいない! 私は……あの人が王として生きるこの世界を守るの!』

 強く言い返すカミベルに、人形は再び喉を鳴らすような笑みを零し……

「なんでもいい……ただ、お前にこの世界を滅ぼす引き金となってもらう。それだけだ!」

 ぐん、と身を低くすると、そのまま潜り込むように彼女との距離を詰めた。
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