29~もうひとつの冒険~

 休めと言われて連れて来られた先は、宿屋ではなく誰かの家だった。
 こぢんまりとしながらも可愛らしい家具や、棚の上にちょこんと座るずんぐりむっくりのっぺりした人形は家主の趣味だろうか、そもそも誰の家なのだろうか……などと考えていると、出入り口を仕切る暖簾がふわりと風になびいた。

「あなたがトランシュさんとフローレットさんの息子さんね」

 真っ先に、メリーゼとは違うタイプの美人だ、とシーフォンは思った。
 腰までのばしたゴールデンイエローの髪がゆったりと波打ち、この里特有の神子姫の……今は家の中だからかそこまで派手な格好ではないが、シャランと音を立てる装飾品は彼女によく似合っている。

「貴女は……」
「わたしはフィノ。デュー君やあなたのお父さんと一緒に旅をした仲間よ」

 香りの強いお茶をテーブルの上に置き、ターコイズブルーの目を細めて優しげに微笑むフィノは、とてもデューと同じように世界を救うため戦った英雄とは思えない淑やかで可憐な女性だった。

「貴女も、英雄……?」
「騙されんなよ。そもそも神子姫は重い儀式用の杖で鍛えられてんだ、実は結構腕力あるん……いってぇ!」
「デュー君は黙っててくださいね」

 笑いながらやってきたデューを振り返ることなく、また花のような微笑もそのままに、フィノは彼の足を思いっきり踏んづける。
 あの騎士団長にこんなことができるとは、やはり只者ではなかったようだ……シーフォンは僅かに姿勢を正した。

「それで、王都にいるはずのあなたがどうしてこんな所まで?」
「それは……」

 シーフォンはフィノに、城を出ようと思った経緯を語った。
 自分の存在が一瞬消えかけたこと、それとほぼ同時期に慌ただしくなった周囲、そして明らかに事情を知っているらしいメリーゼ達が慌ただしく旅立ったこと。
 話の途中でデューがフィノに「こいつメリーゼにホの字なんだぜ」と耳打ちすると、フィノの目がきらきらと輝いた。

「そう……大好きな女の子が危険な目に遭っているかもしれないと思ったらいてもたってもいられなくなったのね」
『うふふ、いろいろ一直線なのは父親似ねぇ』
「うわ!?」

 フィノの隣に急に現れた美女……の割には声も体も逞しい人物は、シーフォンを驚かせるには充分すぎるものだった。

『ただでさえアレなのに急に現れるな、月光の女神』
『あらぁ精霊王サマ、ただでさえアレってなによぉ?』

 金色に紫のグラデーションがかかった夜空に融ける月光の髪と甘く蕩けるような色合いの羽衣はまさしく女神だが、盛り上がった腕の筋肉やチラチラ見える脚が実に男らしい。
 あまりそちらに気をとられては、話がどこまでもそれてしまうだろう……壁際に寄り掛かって傍観していたデューが咳払いをひとつした。

「とにかく、ここへはそのメリーゼを追って来たって訳なんだよな?」
「ああそうだ。精霊王がここにいると言うから遠路はるばる……」

 シーフォンがそう言うと一同は互いに顔を見合わせる。

「……シーフォン君、確かにここに彼らは立ち寄ったけれど……だいぶ前に発ったわ」
「なんだって!? なら今は一体どこに……」
『むうっ!』

 彼の問いを遮って突然わざとらしく呻きだす精霊王。

『ぬう、ううう……見える、見えるぞ……奴らは闘士の都、サラマンドルにいる!』
「なんだと!? こうしてはいられない、一刻も早く向かわなくては!」

 言うが早いかシーフォンも椅子から立ち「待っていたまえ、メリーゼ!」と飛び出してしまう。

 一拍の間があって、嵐の後のような沈黙がフィノの家に残された。

「……たぶん、延々おいかけっこになりますよね、あれ」
「わかっててやってやがるな、精霊王……さて、どうすっかな」

 よっこらしょ、と壁についた背を離せば「すっかりおじさんですね」とフィノが笑った。
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