おとなりの波佐間さん

 第一印象は「うわこの人大丈夫かな、ちゃんと寝て食べてるかな」だった。
 ボサボサで暴れ放題な癖毛、顎にはぽつぽつと無精髭を生やし、眼の下には隈。だるそうな声と共にドアを開ければ日光の眩しさに目を眇め、僅かにふらついて。

「……何か用?」
「あっ、そのっ、今度お隣に越して来ました! 犬尾陽太朗いぬおようたろうと……」
「うるさっ、声がでかい……」

 わかった、じゃあね、でそそくさと扉が閉まり、この日はおしまい。
 後に大家さんに尋ねると、彼は波佐間はざまさんという俺と同年代の小説家で、たまに数日引き篭もることがあるのだとか。
 実際、少し後に偶然外に出るタイミングがかち合った時は、以前より身綺麗にしていて、髭もなく、血色もだいぶマシになっていた。

「こないだの……よーたろー君だっけ?」
「はいっ!」

 ちょっと珍しい苗字と、名前の語感の良さからか、波佐間さんは俺の名前だけ覚えていたようだ。

「ふはっ、いーいお返事……」
(あ、笑った……)

 初対面の不機嫌っぽさは嫌われた訳じゃなかったんだ、と胸を撫で下ろす。
 やっぱり人間、食べて寝ないと余裕なくなるよな、うん。
 百九十に届くかという背丈とがっしりした体格の俺からすればだいたいの人は小さく見えるけれど、波佐間さんはそれに加えて薄い。胸板とか腰とか……いや、あんま見るのは失礼だよな。

「よーたろー君、いいカラダしてるね。なんかスポーツやってた?」
「あ、はい。今もジムには通って鍛えてるんで、力仕事なら任せてください!」
「はは、んじゃ今度お願いしちゃおっかな」

 力こぶを作ってみせれば、大きな目を細めて、悪戯っぽい笑みが返ってくる。
 一度目に感じたものが安堵なら、二度目のこれはなんだろう。

「もう聞いてるかもだけど改めて……俺は波佐間澄春はざますばる。引き篭もり気味の小説家だよ」
「犬尾陽太朗です。これからよろしくお願いします!」

 名前は太陽の陽に朗らか太朗です、と説明すれば、波佐間さんはくっくっと口許に手を置いて笑う。
 そんなちょっとした仕草に、心が跳ねる心地がした。

「なるほど、名は体を、ね……こちらこそよろしくぅー」

 これが、おとなりの波佐間さんとの二度目の、正式な出逢い。
 ここから続く小さな物語の、ほんの些細な始まりだった。
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