やがて、朝を迎えるまで
誰が呼んだか“災禍の怒り”……多くの犠牲を生んだこの事件により、世界中でシグルスのように親を亡くした子が増えたという。
けれども幼いシグルスを襲った悲劇は、それだけでは終わらなかった。
「レオンを亡くし、悲しみに暮れるアムリアをエルフたちは放っておかなかった。人間と一緒になったから巻き込まれたのだと、森へ連れ戻しに来たんだ」
言い掛かりだろ、というシグルスの心の声は、表情に隠すことなく表れた。
ブルックもまた、憤りに声を、拳を震わせていた。
「アムリアは抵抗虚しく連れ去られ、幼いお前だけが残された。災いがどうのと言うなら、一番の災いは愛する家族と引き離されたことだろうよ」
「ブルック隊長……」
「エルフたちは住処の森を結界で閉ざし、さらに深く引きこもった。魔物も、人間も訪れることのない“楽園”さ」
普段温厚な隊長がここまで怒りを顕にすることがあっただろうか。皮肉めいた物言いから、それがひしひしと伝わってくる。
シグルスは俯き、静かに首を振った。
「それだけのことがあったのに……俺は、ほとんど何も覚えていないんだ。気づいたら、孤児院にいた」
当時の彼は幼かったとはいえ、もう物心はついている。何かしらの思い出は残っているはずだ。
「前にも言ってたよな。両親がいなくなる前の記憶がないって」
「ああ。ぼんやりしたものはあるんだが、思い出そうとすると不自然に靄がかかったみたいになる。特に母親についての記憶がな」
「エルフが何らかの術をかけていったのかもな……」
母親のことを思い出せないようにしたのは森に近づけたくないからか、或いは……
エルフの真意はわからないが、そのお陰かシグルスは幼少期にそれほど寂しさを感じることはなかった。
「俺の母親はどんな感じの見た目をしているんだ?」
「えーっと……淡い紫色の長いストレートヘアで、目もアメジストみたいな深い紫だったな。儚げで色白の美人さんで、シグルスとよく似てるよ」
「似てる、のか……?」
今の話のどこに似ていると言える要素があるのだろうか。シグルスは難しい顔で首をかしげる。
エルフには美形が多く、シグルスもその特徴を受け継いでいる。ハーフエルフだ何だの話がなければ、シグルスはディフェットでも人気のモテモテ騎士だったかもしれない。
儚げかどうかは本人の性格や言動による補正が大きいので、あまりそうは見えないのだが。
「……実際に聞いてみても記憶は戻らないか」
「そうだな……やっぱりモヤモヤする」
ぱしんと額を叩き、頭を取り巻く不快感を追い払う。
一度閉じてから再び開いたシグルスの目は、前を、未来を見据えて。
「けど、向き合ってみて良かった。俺もちゃんと愛されていたとわかったからな」
「シグルス……」
「まあ、そうじゃなかったとしても俺には隊長と陛下がいる。それに今は……」
言いかけて、噤んだ口の端を僅かに上げる。出会ってまだ日が浅いが、自分をただの“仲間のひとり”として受け入れてくれる奴らがいる……そんな希望が、シグルスを外の世界へと向かわせたのだ。
「やっぱり、行くんだよな」
「ああ」
両親のことを聞いたのも、その心構えのためだろう。
話を切り出された時から胸の奥を締めつける不安と寂しさが次第に強くなっていったブルックは、誤魔化すように大袈裟に立ち上がると、戸棚から酒瓶を持ってきた。
「んじゃ、今夜は飲もうぜ。思い出話でもしながらさ」
眉尻を下げてへらりと笑うブルック。残された時間はあと僅か……明日になればシグルスが旅立ってしまうから。
「ああ……明日に響かない程度に、な」
差し出されたグラスを受け取り、透き通る茶褐色の液体をとくとくと注げば、中の氷が冷ややかで硬質な音を立てる。
コーヒーで冴えた頭。酒でよく回るようになった舌。名残惜しい夜は、いつもより長く、深く。
けれども幼いシグルスを襲った悲劇は、それだけでは終わらなかった。
「レオンを亡くし、悲しみに暮れるアムリアをエルフたちは放っておかなかった。人間と一緒になったから巻き込まれたのだと、森へ連れ戻しに来たんだ」
言い掛かりだろ、というシグルスの心の声は、表情に隠すことなく表れた。
ブルックもまた、憤りに声を、拳を震わせていた。
「アムリアは抵抗虚しく連れ去られ、幼いお前だけが残された。災いがどうのと言うなら、一番の災いは愛する家族と引き離されたことだろうよ」
「ブルック隊長……」
「エルフたちは住処の森を結界で閉ざし、さらに深く引きこもった。魔物も、人間も訪れることのない“楽園”さ」
普段温厚な隊長がここまで怒りを顕にすることがあっただろうか。皮肉めいた物言いから、それがひしひしと伝わってくる。
シグルスは俯き、静かに首を振った。
「それだけのことがあったのに……俺は、ほとんど何も覚えていないんだ。気づいたら、孤児院にいた」
当時の彼は幼かったとはいえ、もう物心はついている。何かしらの思い出は残っているはずだ。
「前にも言ってたよな。両親がいなくなる前の記憶がないって」
「ああ。ぼんやりしたものはあるんだが、思い出そうとすると不自然に靄がかかったみたいになる。特に母親についての記憶がな」
「エルフが何らかの術をかけていったのかもな……」
母親のことを思い出せないようにしたのは森に近づけたくないからか、或いは……
エルフの真意はわからないが、そのお陰かシグルスは幼少期にそれほど寂しさを感じることはなかった。
「俺の母親はどんな感じの見た目をしているんだ?」
「えーっと……淡い紫色の長いストレートヘアで、目もアメジストみたいな深い紫だったな。儚げで色白の美人さんで、シグルスとよく似てるよ」
「似てる、のか……?」
今の話のどこに似ていると言える要素があるのだろうか。シグルスは難しい顔で首をかしげる。
エルフには美形が多く、シグルスもその特徴を受け継いでいる。ハーフエルフだ何だの話がなければ、シグルスはディフェットでも人気のモテモテ騎士だったかもしれない。
儚げかどうかは本人の性格や言動による補正が大きいので、あまりそうは見えないのだが。
「……実際に聞いてみても記憶は戻らないか」
「そうだな……やっぱりモヤモヤする」
ぱしんと額を叩き、頭を取り巻く不快感を追い払う。
一度閉じてから再び開いたシグルスの目は、前を、未来を見据えて。
「けど、向き合ってみて良かった。俺もちゃんと愛されていたとわかったからな」
「シグルス……」
「まあ、そうじゃなかったとしても俺には隊長と陛下がいる。それに今は……」
言いかけて、噤んだ口の端を僅かに上げる。出会ってまだ日が浅いが、自分をただの“仲間のひとり”として受け入れてくれる奴らがいる……そんな希望が、シグルスを外の世界へと向かわせたのだ。
「やっぱり、行くんだよな」
「ああ」
両親のことを聞いたのも、その心構えのためだろう。
話を切り出された時から胸の奥を締めつける不安と寂しさが次第に強くなっていったブルックは、誤魔化すように大袈裟に立ち上がると、戸棚から酒瓶を持ってきた。
「んじゃ、今夜は飲もうぜ。思い出話でもしながらさ」
眉尻を下げてへらりと笑うブルック。残された時間はあと僅か……明日になればシグルスが旅立ってしまうから。
「ああ……明日に響かない程度に、な」
差し出されたグラスを受け取り、透き通る茶褐色の液体をとくとくと注げば、中の氷が冷ややかで硬質な音を立てる。
コーヒーで冴えた頭。酒でよく回るようになった舌。名残惜しい夜は、いつもより長く、深く。