モーアンの章:神殿の何でも屋さん

 その夜、自宅に戻ったモーアンは、ベッドに腰掛けてしばらく思考を整理していた。
 彼が知る限り、きらめきの森にいる魔物があんなに強く好戦的になったことはない。杖で簡単に追い払えるようなものだったのに、モーアンの一撃に耐え、さらに襲いかかってくるなんて。

(鍵は、あの黒いモヤか……)

 魔物の体から出た見慣れないモヤ。仮にあれが魔物を強化・凶暴化させていたというのなら、どういう性質のものだろうか。たとえばもしそれが人体に触れたら……

「やっぱり気になるな。ちょっと調査に……いや、もう遅くなっちゃったな」

 一旦立ち上がるものの、昼間のことを思い返したモーアンはそこで留まる。ノクスが攻撃魔法でなんとかしてくれたけれども、モーアンの攻撃手段は今のところ杖ぐらいしかない。
 明日明るい時間に改めてノクスの協力を頼もうか、どうしようか……逡巡していたモーアンの目に、窓から外――すぐ近所にあるノクスの家が映った。

「あれ、明かりがついていない……? まだ寝るには早いのに?」

 この時間いつもなら煌々と明るい窓が、今は寂しげに光を失っている。確かに夜ではあるが、まだ子供だって布団に入らない、そんな時分だ。

(なんだろう、胸騒ぎがする……)

 モーアンの予感はズバリで、外に出て見かけた住人に話を聞いてみたところ、ノクスらしき神官がこんな時間にきらめきの森の方へふらふらと歩いていったという目撃情報を得ることができた。
 大切なひとを喪った場所で起きた不可解な事件……気にならないわけがない。
 こんな暗い夜の森で、もしもさっきのような魔物に襲われたら……強力な攻撃魔法だって、咄嗟の隙を突かれたら唱えることも難しいだろう。

「ノクス……無事でいてくれ!」

 森へ向かうモーアンの歩調は次第に早まり、そして駆け出していた。向かう先は、一年前の“あの場所”だ。

「ノクスっ!」

 星のように光が煌めき漂う夜の森。幸い、彼はすぐに見つかった。ただし……

「……モーアンか。まさかここで会うなんてな」

 聞き慣れたはずの親友の声が、ぞくりとモーアンを身震いさせる。
 ゆっくりと振り返ったノクスは笑顔だが、その目からは光が消えていた。

「ノクス……?」
「なぁ、すごいぞ。ルーチェが、ルーチェが生き返るかもしれねぇんだ!」
「なんだって!?」

 興奮気味のノクスの言葉を、有り得ない、と内心で断じた。
 死の淵から呼び戻すほどの強力な回復魔法は存在する。だが、一度喪われた命を――ましてや、一年も前に亡くなった者を蘇らせる術など、聞いたことがない。

 あったとしても、それは……

(世の理に反した、道を外れた術……そんなこと、ノクスだってわかってるはずだ)

 普段の……少なくとも、恋人を亡くす前の彼だったら、きっと否定していただろう。
 けれども立ち直ったように見えていたのが“そう見せていただけ”だったとしたら……ほんの些細なきっかけで、壊れてしまうようなものだったとしたら。

「……どうしたんだよ、モーアン?」

 首を傾げるノクスの背後から、ふつりと湧き出るようにゆらめく黒いモヤ。

「えっ……?」

 凶暴化した魔物に取りついていた闇が、今度はノクスに……モーアンの脳裏を嫌な予感が駆け巡る。

「まさか、邪魔をするつもりか?」
「ノクス、ちょっと待っ……」
「うるせぇ、どけ!」

 ぶわ、と黒い風が巻き起こり、強い圧力をもってモーアンに襲いかかる。

「うわぁっ!」

 大人でも立っていられないほどの風に低く吹っ飛ばされた体は地面を二、三度跳ねて、白い神官服が土で汚れて体も傷だらけになってしまう。

「う、く……」
「女神はルーチェを救ってくれなかった……俺はルクシアルを離れる。彼女を蘇らせるんだ」

 このまま彼を行かせてはいけない。
 焦る心とは裏腹に、モーアンの体は思うように動かず、足音が遠ざかっていくのをただ伏せて聴くことしかできなかった。

「待って、くれ……っ」
「あばよ、モーアン……もう追って来るんじゃねえぞ」

 ざく、ざく。次第に小さくなり、聴こえなくなる足音。
 それきり、ノクスが戻ることはなく……

「ノクス……」

 呻くようなモーアンの声が、受け手のいない森の空気に消えていく。
 己の無力を噛み締めながら、震える手で土をぎりりと掴むのだった。
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