はじまりの章:竜国の姫君

 彼女たちがどうやって逃げ切ったか……本当に、無我夢中といえる状態だった。
 殺すつもりはないといっても空を飛べる竜はどこまでも追ってくるし、彼らの攻撃はすぐ足元を抉ったこともあった。

 木々に隠れてどうにか彼らを撒き、気づけば、山のふもと。仲間とはぐれ、エルミナとミューはたった一人と一匹で……

「みんなは無事かしら……」
『きっと、大丈夫よ……アイツ、わざわざ生かして苦しめるつもりみたいだから。ホント性格悪いったら!』

 とぼとぼと重い足取り。明らかに消沈した顔のエルミナに、ミューの胸が痛む。

『……ごめん』
「どうしてミューが謝るの」
『ずっと強くなることを避けて、未熟なままだったから』
「パメラ姉様だって勝てなかったのよ。たぶん、結果はそう変わらなかったわ」

 パメラは女王であり、竜の強さもあわせてドラゴニカ最強の竜騎士だった。城内で竜を伴っていなかったとはいえ、彼女を打ち負かした魔族に半人前のエルミナでは太刀打ちできないだろう。
 哀しげに微笑んで、ミューの頭をそっと撫でる。その声は、泣きそうに震えていて。

(姉様……最期を看取ることすらできなかった……いえ、悲しんでいる暇はないわ)

 女王である姉が倒れたなら、ドラゴニカの王族として誰よりもしっかりしなくては。エルミナは押し潰されそうな心を必死に奮い立たせた。

「とにかく、もうすぐ村だから。村の人たちをグリングランに避難させましょう」
『そうね。このままここで暮らすのは危ないわね……』

 ふもとには小さな村があった。警備の竜騎士もいる。
 状況を伝えて、隣国に避難してもらうしかない。
 しかし天色の瞳には、悲しみよりも激しい炎が宿っていた。

「許せない……」
『エルミナ?』
「あんな風に侮られて、黙ってなんかいられないわ。不意討ちでこちらに不利な状況を作っておいて、何が弱い人間よ!」
『ちょっ、え?』

 ぐっと作った握り拳は力強く、つい先程沈んでいた少女のものとは思えない。
 ミューは大きな目を驚きにぱちくりさせる。

『な、なに? 今さっきコテンパンに負けておいて、もう突っ込むつもり!?』
「そんなことはしないわ。まずは敵を知り、己を鍛えあげてもっと強くならないと!」
『敵を知り……?』

 己を鍛えあげて、はエルミナらしいが、敵を知るとはどういうことだろうか。

「人魔封断で魔族と戦い、封印したのは女神様という話でしょう? だからまずはルクシアルに行くの」
『輝ける都ルクシアル……中央大陸の大きな神殿があるとこだっけ』
「そう。道中で修行しながら、ね」

 エルミナは微笑み、それに、と続けて、

「人間や女神様に恨みをもつ魔族がドラゴニカの城を占領して、それで終わりとは考えにくいわ。ルクシアルにも話を通しておいた方がいいと思うの」
『あ、そこもちゃんと考えてたのね……』

 歩きながらようやく見えてきた村の影にふたりはひとまず安堵する。
 手駒である魔物もだいぶ倒したから、すぐにこちらまでは手が伸びないはずだ。

「きっとみんな生きていたら村を訪れるだろうから、警備の騎士に伝言を頼んでそちらは任せ、わたし達は近くの港からすぐに出ましょう。逃げる途中で槍も落としてしまったから買っておかないと」
『ルクシアルかぁ……だいぶ遠いわねぇ。やっぱ鍛えておけばよかったわ』
「今からでも遅くないわよ。一緒に強くなりましょう」
『……うん!』

 強くなる。今、ふたりの心に刻まれた決意。

(姉様、みんな……必ずドラゴニカに帰ります。その時は、きっと……!)

 振り返れば、竜が飛び回る澱んだ空に包まれた城が不気味に聳えていた。慣れ親しんだドラゴニカの城や竜たちの変わり果てた姿に、涙が滲みそうになる。

 けれどもふたりはすぐに前を向き、ぐっと堪えて進み出すのだった。



 ――竜城ドラゴニカの王女エルミナ・クゥ・ドラゴニカ。
 パートナーの子竜ミューと共にまだまだ未熟な竜騎士だったが、平穏な時間は突然壊されてしまう。

 遥か上空、異空間からの襲撃。さらには最強の竜騎士、姉であり女王のパメラですら敵わない魔族という存在まで現れ、仲間であった竜も奪われては、エルミナたちはなすすべもなく……

 悲しみと怒り、無力感に耐え、エルミナはいま自分がやるべきことをするためにミューと共に旅立つ。

 愛する故郷に別れを告げて始まったこの旅路が、決して平坦なものではないだろうと知りながら――。
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