36:常夜の島セレネ

「月の、精霊……」

 呆然と呟いたラファーガを、クレーシェはすっと見下ろす。

『なんじゃ、幽霊でも見たかのような面しおって。そなたもここにわらわがおるのを知っていたであろ? 獣人族は月の加護を受けて強くなるからの』
「そ、そうなんだが……実際に精霊を見るのは初めてだからな」

 さて、と手短に話を切ると、彼女はジャーマに視線を移した。
 暴走寸前の力を前にしても、精霊は狼狽える様子ひとつ見せない。

『魔王族の呪か……わらわの力で退けることはできなくもない』
「!」
『じゃが、それにはちとあやつは元気すぎる。弱らせて動きを止める……できるか、小僧?』
「や、やってみる……!」

 精霊が何をするつもりかはわからないが、このままジャーマを暴走させ続ければ、最悪の結末が待っているだろう。
 覚悟を決め、拳を構えるフォンドの隣に、エイミも並び立つ。

「一方的に奪われたことへの恐怖、そして力への強い渇望……わたしも、もしかしたらこんな道を辿っていたのかもしれない」
「エイミ……」
「わたしも、彼を止めたい。一緒にやりましょう、フォンド!」

 彼女に続き、仲間たちもそれぞれ武器を手にジャーマに立ち向かう。
 ガルディオの術で強化され、理性を失いつつある今のジャーマにひとりで挑んでは敵わないだろうが、全員でやれることをやればどうにか押さえ込めるかもしれない。

「お、おい、フォンド……」
「親父はそこで見てろよ。ジャーマとはもうグリングランで戦っただろ?」
「そうだがお前……」
「今度はオレが守る番だ!」

 ラファーガの前に立つフォンドの、すっかり頼もしくなった背中。
 当人こそ気づかないが、奇しくもそれは十三年前、魔物に襲われ両親を亡くした幼いフォンドの前に現れ、彼を守ってくれたラファーガの背中とよく似ていた。
 眩しく焦がれ、追い続けた背中に……

「……いつの間にか、こんなにデカくなったんだな」

 ラファーガの琥珀色の瞳が、優しく細められる。
 友好的な魔族と出会っていたとはいえ、十三年ものあいだ素性を偽っていた魔族の自分に、それと知っても変わらず接してくれる“息子”の存在がじわりと沁み入る。

「わかった。お前に任せる。だがもしもの時は……」
「もしもなんて起きさせねえ!」

 一筋縄ではいかないだろうことは、誰もが理解していた。
 ここで戦うことを選んだ以上、最悪の場合ラファーガはジャーマをこの手で“止める”つもりであることも。
 そんな手段は、ラファーガ自身だって望んでなどいないことも……

「いくぜ、ジャーマ! いろいろ言いてえことはあるが、まずはその目ぇ覚まさせてやる!」
「フォンドォォォォッ!」

 絶対に、しくじるわけにはいかない。目の前で苦しむ兄弟と、家族を想う不器用な父のためにも。
 フォンドは長年鍛え続けた己の拳に視線を落とし、ぐっ、と力をこめる。桔梗色の瞳は静かに、けれども力強い決意の輝きを宿していた。
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