2:騒乱と出会いと
ミューが空中から案内してくれたおかげで、中間地点のあたりまではスムーズに来ることができた。
休憩を挟んで、万全の態勢でこの地帯を越えていこう。そう思いながら女神像がある丘を見上げると、
「あら? 煙が……」
先程ミューが見たという人物が焚き火でもしていたのだろうか。上へとうっすらのびる煙が視認できた。
『……なんだか、美味しそうなニオイもするわねぇ』
「本当に……おなかがすいてきちゃった」
安全な場所に辿り着いた気の緩みが、エルミナたちに空腹を自覚させた、その時。
「そこに誰かいるのか?」
上から降ってきた青年の声に、ふたりは顔を上げ、真上まで来ていた太陽の眩しさに一瞬目を細める。
爽やかに吹き抜ける草原の風のような声は、高く束ねた黒鳶色の髪は、エルミナたちにも覚えがあった。
「あなたは……!」
「港町で会った竜騎士の子!」
ほんの僅かな時間だが、お互いにとっては印象深い出会いで。
リプルスーズでエルミナに最初に声をかけ、そして魔物の襲撃では共に力をあわせ戦った、拳士の青年だ。
歳の頃はエルミナと同じか少し上。少年の面影を残しているが、鍛え抜かれた肉体は魔物が出る道中をここまでひとりで進んできた強さの裏付けとなっている。
凛々しい眉に、髪紐と同じ紺桔梗の力強い瞳。それでいながら、エルミナたちに向ける表情は優しいものだった。
と、しばらく止まっていた時が、どこかから聴こえた魔物の鳴き声で動き出す。
『ちょっと……ここで固まってたら危ないわよ?』
「と、とりあえずこっち、来るんだろ?」
「は、はいっ!」
いそいそと丘の上にのぼったエルミナは、女神像とちょうど座るのに良さそうな大きな石、それに青年が用意したのだろう焚き火にいくつかの食材を串焼きにしているのを目にする。
「ちょうどいい休憩所だろ? 道に迷っちまって、腹が減ったから昼飯にしてたんだ」
「わたしたちより早くリプルスーズを出た人がいたなんて……」
エルミナたちが出発した時間もだいぶ早いが、今こうして先に進んでいた青年はそれ以上だろう。夜中の騒ぎから夜明けに宿に戻り、それからいくらも寝ていないのではないか。
「まぁ、結局こうやって追いつかれちまったけどな」
「それは……わたしにはミューがいるから、空から道案内してもらえたおかげです」
「ミュー、ね。そういやお互い自己紹介もまだだったな」
青年は宙に浮かぶミューを一瞥すると、エルミナに向き直る。
「オレはフォンド。グリングランから来たんだ」
「わたしは……」
フォンドにつられて名乗りかけて、エルミナははっと口を噤む。
美貌の女王にして最強の竜騎士である姉のパメラほど広まってはいないが自分の名を知る者と旅先で出会うことはあるかもしれない。ドラゴニカの王女である自分が、不用意に身分を明かしても良いのだろうか、と。
(旅の中、どこで誰が聞いているかわからないわね。だったら、仮の名前を決めてしまった方がいいかしら?)
こんなことなら事前に考えておくべきだった。他のさまざまなことで頭がいっぱいだった彼女はそこまで考えが及ばず、焦りだす。
「え、えーと、わたしは……」
「うん?」
「エ……ミ……」
戸惑いがちに口籠る彼女に首を傾げるフォンド。だがややあって、
「エイ、ミ?」
聞き取れた部分を繋ぎあわせ、そう尋ねた。
その瞬間、エルミナは思わず身を乗り出す。
「あっ! そ、それです!」
『へっ?』
「それ、っておい……」
「エイミ……わたしは見習い竜騎士のエイミです!」
エルミナ・クゥ・ドラゴニカ……改め、エイミ・スティーリア。
咄嗟に名乗ったそれが彼女にとって今後長い付き合いとなり、同時に大きな意味をもつ名前に変わっていくことを、今はまだ誰も知らない。
休憩を挟んで、万全の態勢でこの地帯を越えていこう。そう思いながら女神像がある丘を見上げると、
「あら? 煙が……」
先程ミューが見たという人物が焚き火でもしていたのだろうか。上へとうっすらのびる煙が視認できた。
『……なんだか、美味しそうなニオイもするわねぇ』
「本当に……おなかがすいてきちゃった」
安全な場所に辿り着いた気の緩みが、エルミナたちに空腹を自覚させた、その時。
「そこに誰かいるのか?」
上から降ってきた青年の声に、ふたりは顔を上げ、真上まで来ていた太陽の眩しさに一瞬目を細める。
爽やかに吹き抜ける草原の風のような声は、高く束ねた黒鳶色の髪は、エルミナたちにも覚えがあった。
「あなたは……!」
「港町で会った竜騎士の子!」
ほんの僅かな時間だが、お互いにとっては印象深い出会いで。
リプルスーズでエルミナに最初に声をかけ、そして魔物の襲撃では共に力をあわせ戦った、拳士の青年だ。
歳の頃はエルミナと同じか少し上。少年の面影を残しているが、鍛え抜かれた肉体は魔物が出る道中をここまでひとりで進んできた強さの裏付けとなっている。
凛々しい眉に、髪紐と同じ紺桔梗の力強い瞳。それでいながら、エルミナたちに向ける表情は優しいものだった。
と、しばらく止まっていた時が、どこかから聴こえた魔物の鳴き声で動き出す。
『ちょっと……ここで固まってたら危ないわよ?』
「と、とりあえずこっち、来るんだろ?」
「は、はいっ!」
いそいそと丘の上にのぼったエルミナは、女神像とちょうど座るのに良さそうな大きな石、それに青年が用意したのだろう焚き火にいくつかの食材を串焼きにしているのを目にする。
「ちょうどいい休憩所だろ? 道に迷っちまって、腹が減ったから昼飯にしてたんだ」
「わたしたちより早くリプルスーズを出た人がいたなんて……」
エルミナたちが出発した時間もだいぶ早いが、今こうして先に進んでいた青年はそれ以上だろう。夜中の騒ぎから夜明けに宿に戻り、それからいくらも寝ていないのではないか。
「まぁ、結局こうやって追いつかれちまったけどな」
「それは……わたしにはミューがいるから、空から道案内してもらえたおかげです」
「ミュー、ね。そういやお互い自己紹介もまだだったな」
青年は宙に浮かぶミューを一瞥すると、エルミナに向き直る。
「オレはフォンド。グリングランから来たんだ」
「わたしは……」
フォンドにつられて名乗りかけて、エルミナははっと口を噤む。
美貌の女王にして最強の竜騎士である姉のパメラほど広まってはいないが自分の名を知る者と旅先で出会うことはあるかもしれない。ドラゴニカの王女である自分が、不用意に身分を明かしても良いのだろうか、と。
(旅の中、どこで誰が聞いているかわからないわね。だったら、仮の名前を決めてしまった方がいいかしら?)
こんなことなら事前に考えておくべきだった。他のさまざまなことで頭がいっぱいだった彼女はそこまで考えが及ばず、焦りだす。
「え、えーと、わたしは……」
「うん?」
「エ……ミ……」
戸惑いがちに口籠る彼女に首を傾げるフォンド。だがややあって、
「エイ、ミ?」
聞き取れた部分を繋ぎあわせ、そう尋ねた。
その瞬間、エルミナは思わず身を乗り出す。
「あっ! そ、それです!」
『へっ?』
「それ、っておい……」
「エイミ……わたしは見習い竜騎士のエイミです!」
エルミナ・クゥ・ドラゴニカ……改め、エイミ・スティーリア。
咄嗟に名乗ったそれが彼女にとって今後長い付き合いとなり、同時に大きな意味をもつ名前に変わっていくことを、今はまだ誰も知らない。