宿屋の隣にある食堂は、夜は酒場も兼ねている。
 これといった特色もない小さな村……リット村では、数少ない人が集まる場でもある。
 昨晩魔物の群れに襲われたばかりだが“勇者”の活躍により被害は少なく、ここもいつも通りの穏やかな朝を迎えていた。

「む、美味いな。特にこの芋のポタージュが……」

 カウンター席に一人腰掛けて、ユーゴはようやく一息つける喜びと共に朝食を味わう。
 パンとサラダ、それにベーコン。すり潰した芋のクリーミーで温かなスープが優しくじんわりとしみ渡り、心身を癒してくれる。

 聖剣を抜き、いきなり女の姿にされ、辿り着いた村では魔物と戦い……あまりにも濃い一日の後では尚更美味しく感じられた。
 何なら少し、涙が出そうになるくらいだ。

「さて、これからどうするか……」

 言いながらユーゴは隣の席に立て掛けていた聖剣に視線をやる。
 黙っていれば高価そうな剣だな、なんて思っていたらそれは次の瞬間そこからパッと姿を消した。

「あ」
『あっ』

 聖剣は音もなく近づいてきていた一人の男によって奪い去られてしまう。
 ユーゴが振り向いた時には勢い良く開かれた店のドアが再び閉じようとしていたところで……

「あー……」
「ちょっ、お客さん、剣盗まれちゃったよ!?」
「ああ、そうですね。取り返してきます。お代、先に払っておきますね」

 慌てる店主とは逆に、ユーゴは落ち着き払った様子でよっこらしょと立ち上がる。
 既に用意していたらしい代金はピッタリで、店主からは何の文句もないが、

「戻って来たらまた戴くのでしばらくこのままで」
「に、逃げられちゃうよ……?」
「大丈夫でしょう。たぶん」

 こうしている間にも犯人はどんどん逃げていくのに、この旅人はどうしてこうも余裕でいられるのだろう。
 店主が不思議そうに首を傾げた、その時だった。

「ぎ、ぎゃああああああああ!」

 外から聴こえてきたのは、声質的には女性のものと思わしき悲鳴。

「ああ、やっぱりな」
「お客さん?」
「すみません、すぐ戻ります!」

 ようやく重い腰を上げて店の外へ飛び出した旅人の背中をぽかんと見送る店主。

「盗んでいったの、男の人だよねえ……?」

 なのにどうして今の声で「やっぱり」なのだろうか。
 残された食事は、あとほんのひとくちといったところだった。



 確か、聖剣を盗んだ男は短いボサボサの黒髪に浅黒い肌で髭面の、いかにも粗暴な雰囲気の人物だったはずだ。
 チラリと見たそれを思い出しながら声のする方へと向かったユーゴが見たものは……

「あ、ああっ……俺の、俺の体が……」

 聖剣を手にへたりこむ、筋肉質の浅黒い肌と厚みのある唇が妙にセクシーな黒髪ベリーショートの女性。
 気が強くガラが悪そうだが、そんな彼女は顔面蒼白で震えていた。

「俺の体から慣れ親しんだモノがなくなって見知らぬモノがついてる……」

 大きく張りのある“見知らぬモノ”を確かめるように、剣を持っていない方の手で触りながら。

「やっぱりこうなったか……」
「お、お前この剣の持ち主! どうなってんだよこの剣! 呪いの魔剣か!?」
『失礼な奴め。世界を救う伝説の聖剣だぞ我は』

 ユーゴのみならず泥棒にまで魔剣呼ばわりされて反論する聖剣だが、彼の声はユーゴにしか届かない。
 はあ、とまたユーゴの口から溜息がこぼれた。

「……その剣はお前には過ぎた代物だ。早くその手を放せ」
「け、けどよぉ」
「放せば元の姿に戻れるぞ」
「!」

 反射的に剣を投げ捨てれば、泥棒は元のむさ苦しい男の姿に戻った。
 腰が抜けたのか、座った体勢のままじりじりとあとずさる。

「こ、こんなヤベェ剣を持ってるなんて、てめぇ一体……?」
「…………」

 ユーゴは地面に横たわる剣を一瞥し、顎に手を置いて考え込むと、

「……こんな恐ろしい呪いの魔剣だからな。これ以上犠牲者が出ないよう、火山の火口に投げ捨てに行くため旅をしているんだ」
「なるほど……!」
『納得するな!』

 真剣な表情でしれっと嘘をつき、泥棒を納得させた。
 男が意外と素直だったこと、そして何より聖剣がそう思わせるだけのことをしたからこそ騙せたのだが。
 ユーゴを見る男の目が、呪いの魔剣に振り回される可哀想なものに対するそれになる。

「そんな事情とは知らず盗んで悪かったよ。アンタの旅の無事を祈ってるぜ。じゃあな!」
「これからは盗みなんてするんじゃないぞー」

 そそくさと去っていく男を軽く手を振って見送るユーゴ。
 きっと彼はこれに懲りて二度と盗みなどしないだろう……あれだけの恐怖体験をしたのだから。

『やけにあっさり逃がすのだな。誰が火口に投げ捨てられるって?』
「捕まえて突き出した先であの男にお前のことをぺらぺら喋られても面倒だ。穏便に済ませられるならそれがいい。我ながらなかなか説得力ある設定だったと思うぞ」

 ユーゴの腕ならばあの程度の相手はどうとでもできたのだが、敢えてしなかったのは余計なトラブルを避けるため。
 それよりも、とユーゴは剣を睨みつける。

「私には勇者の資質がどうのと言ったが、誰でも変身させられるんだな」
『変身だけならな。加護を与えられるのは資質ある者だけだ。つまりさっきのアレはシンプルにステータス異常』
「……もういい。食堂に戻るぞ」

 手にした者の体を性別ごと作り変えてしまう剣なんて、どちらかと言わなくても呪いの魔剣だろう。

 ここでツッコむと確実にめんどくさいことになるので、ユーゴは足早に先程の食堂へと向かうのだった。
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