『ユーノ、か……ふむ、良い響きだ。咄嗟にしては悪くないな』
「やかましい。本当に捨てて帰るぞ」

 建物の陰に隠れて素早く元の姿に戻ったユーゴは、安堵から壁に背を預け、ずるりと脱力した。
 襲われた一般人のふりをして宿屋に帰れば、これでようやく休むことができるだろう。
 ユーゴはベルトを外し、背負っていた聖剣を鞘越しに持ち、じっと向き合った。
 柄に触れていないこの状態ならば、姿が変わってしまうことはないらしい。

「これからこんなことが続くのか……」
『……ふふ。やはりお前は勇者の素質があるな、ユーゴ』
「は?」
『だってそうだろう。あんなに嫌がっていたのにいざ村が襲われると迷わず自分から我を手に取ったではないか』

 聖剣に指摘され、む、と唇を尖らせるユーゴ。
 内心では照れ臭さと、勇者と言われて満更でもない感情が複雑に入り交じるが、この剣にドヤ顔(顔などないが)で言われたら何か負けたような気がしてしまう。

「非常時だ。誰だってああしただろう」
『意外とそれができぬ者も多いのだ。それに、素の実力でもなんとかなったかもしれないしな』
「! い、いや、確実に迅速に片付ける必要があったからな!」

 短い間だったが“ユーノ”になった時の力が桁外れなこと、そして恐らくまだその力も一端しか見せていないだろうことはユーゴにもよくわかっていた。
 だから“ユーノ”になるのは合理的なことなのだ。人命を助けるのに必要なことだったのだと己に言い聞かせて。

『それにお前は今自分で言ったぞ。これからこんなことが続く、と。もう我を引き受ける気満々ではないか』
「そ、それはっ……」
『ふふふ。その顔は“ユーノ”の方で見せてくれ、ユーゴ』
「――っ!」

 ユーゴの顔にじわじわと集まりかけていた熱が、最後の一言で一気に爆発する。

「このっ、呪いの変態魔剣がぁーーーー!」

 ガシャンと音を立てて、聖剣を地面に叩きつける。

『ぬあああ貴様この罰当たりめ! いくらドラゴンが踏んでも壊れない聖剣だからといって! あと呪いでも魔剣でもないわ!』
「聖なる剣じゃなくて別の字の性剣だろう!」

 小さな村の人気のない建物の陰でぎゃあぎゃあ騒ぐ冴えない風貌の旅人と、一振りの剣。ただし剣の声は旅人にしか聴こえないため、音声は片方のみという不審者っぷり。
 彼らが村の恩人であり、やがて世界を救うことになる勇者であることを知る者は誰もいない。



 そして……

「ぐっ、見失っただと……あの女はどこだっ!?」

 村の恩人を探す者がひとり。
 無造作にのばした長い赤毛は良く言えばワイルド。褐色の肌に鋭い金眼と尖った耳、口元から覗く牙。
 さらに風になびく黒マントと特徴的かつこの村ではあまりにも浮いた格好の彼は、やはり村の住人などではない。

「ゴブリンの群れをあっという間に倒した力、それにあの剣……きっと俺を楽しませてくれると思ったのに、まさか目の前で消えるなどと……俺に気づいていたとでもいうのか?」

 ふ、ふふふ、と赤髪の男は不気味に笑う。

「手始めにこのちっぽけな村から侵略してやろうかと思ったが……面白い。必ず探し出してやる……この俺、魔王アストルムがなッ!」

 勇者と魔王。実は今、彼らはすごく近くにいた。
 二人が出逢えば、物語は大きく動き出すだろう。

「……それにしても、強くて美しい女だったな。もっと近くで見てみたいものだ……」

 これがどの方向に動き出すのかはともかく……

『む、魔王の気配……!』
「こんな所にいる訳がないだろう」
『……それもそうか。寝起きでまだ本調子ではないのかもな』
「寝起きとかあるのか……」

 今はまだ、お互いに知る由もない話なのであった。
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